男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

物語は2019年11月の武漢は場末の無免許医療診療所に、生気のない痩せた出稼ぎ労働者が来訪することで始まる。蘇るSARSの記憶。未知の感染症への恐怖。パンデミックを目前にした不気味なプロローグが、期待を大いに盛り上げてくれる。
ときは遡って1927年1月の武漢。ボロをまとう苦力たちを金で雇い「打倒帝国主義」「打倒資本家」「発洋財」のバナーを掲げてイギリス租界を襲撃する男の名は李志傑。彼の凄惨な出自と出世物語は実にたくましいが、劉少奇との運命的な出会いが、のちに彼らの一族に悲劇をもたらすことになる。
そして2012年12月の香港の競馬場で、スティーブンは翡翠色のチャイナ色のドレスの女性と邂逅する。そう、彼女こそ本作のヒロイン、マダム・クレア。彼女の一家にまつわる哀しい記憶と復讐心が、本作の中央を強く深く流れる大河の奔流となる。
米国インテリジェント・オフィサー、マイケル・コリンズ。そして英国MI6の異端児にしてわれらがヒーロー、スティーブン・ブラッドレー。2001年9月の世界同時多発テロを発端に、偏った情報と主観をもとに自省が利かなくなり、強引に一つの国家を主犯に仕立て上げた2003年のイラク戦争で諜報の前線に立ち、北朝鮮の挑戦を退けるなど、数々の修羅場をくぐり抜けてきた男たちの対峙するは、巨大な紅い国家である。
本作は、近現代の香港、ワシントン、NYC、東京、タスマニア、ビルマ(ミャンマー)の国境山岳地帯、そして紅い大陸の雲南、武漢、上海を舞台に、著者超一流のインテリジェンスが縦横にちりばめられた「出来事」と「思惑」がスパークする濃密なドラマとなっている。
・1927年1月の武漢蜂起で租界の「ブラッドレー・シッピング・カンパニー」を襲撃した李志傑は、ある「掌に乗るほどの小さな皿」を手に入れる。これがマダム・クレアとスティーブンの結節点となり、物語の感動的なラストシーンにつながるとは……。著者一流の仕掛けである。
・かの愚策、文化大革命。毛語録を手に造反有理を咆哮する紅衛兵の異様な言動が李一家に容赦なく襲いかかる。「理性とか、人権とか、非暴力とか、そんなものは美しい陽炎(かげろう)にすぎないと骨の髄から知っているわ」(p262)。文化大革命を生き延びたものならではの証言か。
・しなやかに、しかしまっすぐに自らの信念を貫いて生きること(p188)。それは難しいことだが、人生の要でもある。
・数字やデータに頼るだけではなく、注意深く身体感覚を働かせること(p216)。人の失われた「磁覚」(p166)。アポリジナルの知啓はわかる気がする。
・雨傘運動の暗い帰結。「中国の観光客が落としていくお金よりも、香港市民にとって大切なものがある」(p234)。1997年の『香港返還の共同声明』を葬り去った習近平の力に呑み込まれた香港の姿は、アジアを覆う将来の暗雲を暗示しているのか。
・ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺にならぶ人道に対する大罪。旧日本軍の七三一部隊の末路は、米国との「悪魔の取引」もあって驚きの事実にあふれている(p252)。
・そうか、ウイルス情報こそ21世紀の戦略的インテリジェンスなんだな。だからオバマ大統領の発した「モラトリアム」がもたらした戦略バランスの歪みと紅い大陸への無責任な研究協力体制こそが、世界を覆う新型コロナウィルスの惨禍の原因ともいえる(p301蝙蝠女の誕生)。法王庁の抜け穴(p308)。「すべての道は武漢に通ず――どうだ、マイケル、面白くなってきただろう」(p315)
・『風蕭々として易水寒し 壮士ひとたび去りて復た還らず』(p365)。「現代の始皇帝」をたった一人で刺し貫こうとする女、マダム・クレアとスティーブンの別離のシーン(p373)は何度も読み返した。路に立ち尽くす男の胸中が痛いほどに伝わってくる。

「二度と会うことがかなわない麗人の凛とした横顔を思い浮かべながら……」(p394)。感動的なラストシーン! 李文蘭の未来に光あれ!

帝国主義の残滓。強者の論理に支配された「阿片戦争」こそが、本作の隠れたキーワードとみた。
WHOを手名付け「武漢ウィルス」ならぬ「新型コロナウィルス」の名称を定着させた巨大な紅い大陸の政治力、いや、大胆な行動力には刮目させられたが、そうか、武漢とは偉大なる革命の「聖地」であったのか。
ところで、プロローグの診療所に現れた患者と武漢の住人はどうなったのだろう。その行く末はすでにわれわれ読者に明らかなのだから、その「非人間的な惨状」にあえて著者は触れなかったのかもしれない。

Wuhan Confidential
武漢コンフィデンシャル
著者:手嶋龍一、小学館・2022年8月発行
2022年8月3日読了
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武漢コンフィデンシャル
手嶋龍一
小学館
2022-07-27


のっそり。このような不名誉なあだ名で呼ばれる大工の十兵衛は、腕は確かだが世渡り知らずのため貧者の地位に甘んじるも、感応寺の五重塔建立の棟梁に名乗りを上げる。かつて世話になった親方の恩を仇で返すような対応に周囲は呆れかえるも、寺の上人様はさすがの対応を見せる。・この世に生を受けたならば後世に残る仕事を成し、その名を残したい(p28)。僕も技術者の端くれなれば、十兵衛の気持ちは痛いほど良くわかる。
・「俯伏(うるぶ)せしまま五体を濤(なみ)と動(ゆる)がして……」(p69)寺より五重塔の建立を任じられたる、十兵衛の人生最高の時。臨場感に満ちあふれる文体が場を盛り上げてくれる。

親方の男気もなかなかのものだが、十兵衛の"執念"こそ男のあるべき姿といえる。
それにしても幸田露伴の文章は見事。特に「其二十一」の冒頭、過ぎた夏と秋の気配を描く表現には思わず唸らされた。

五重塔
著者:幸田露伴、岩波書店・1927年7月発行
2022年7月24日読了
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五重塔 (岩波文庫)
幸田 露伴
岩波書店
1994-12-16





「わたし、気になります!」

懐かしい千反田える嬢のセリフよろしく、α1ユーザーにとってラージフォーマットなる存在はとても気になるもの。
なるべく目を背けてきたのだが、某店でGFX50S IIの現物を手にしたセイもあって、ついポチってしまった。
でも、キットレンズを装着していろいろ試すも、何か眠い絵だ。多分に僕の下手な腕のせいなのだろうが、ラージフォーマットに期待したのはこれじゃない……。
で、思い切って高価な標準ズームレンズ、GF45-100mm F4 R LM WRを購入して試写すると、ニヤニヤできる写真がどんどん撮れる。F4なのに被写体が浮き上がっているぞ! ここに、求めていた答を見つけた気がした。
でもオートフォーカスが時々迷うのは気になります。
で、マップカメラでGFX100Sの値段を見ると、70,000円引き? 4K動画に、ハイブリッドAF?

いま、僕の手元にGFX100Sがある。
そう、GFX50S IIとGF35-70mm、それに使っていないX-Pro3とXマウントレンズを下取りに出したのだ。
データ量の膨大さはα7RⅣで経験済みだし。
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APS-C機とセンサーサイズを比較してみる。
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「いまの、この瞬間」を残す。
自分を取り巻く自然風景や大型建築物を、一億画素のラージフォーマットに、フィルムシミュレーション『クラシックネガ』『ベルビア』で切り取るアクションは、なんと楽しい感動なのか。

次は広角24mm換算のGF30mmか、発売予定のGF20-35mmを買いたいな(軍資金を積み立てないとね)。
(α1の嫉妬の声が聞こえるが)長く愛用しますよ!

中年の独身女性作家が友人の大佐とメイドを従え、かつて自分に栄光をもたらしたデビュー作の舞台となった山間の村を訪れる。彼女の小説のおかげで村には観光客が押し寄せ、ときを経て今は一大リゾート地としての隆盛を極めていた。かつて自分をもてなした小旅館の主人はこの世に亡く、ベッドの人となった老婦人は顧客を奪い取った息子夫婦の悪態をつくばかり。金の勢いは、こんなにも人を、環境を変えてしまうのか。変えてしまったのはこの私だ……。
20年前にはじめて村を訪れた時、かつてうら若き自分に愛を告白した地元の若者は大ホテルの接客頭となり、すっかり彼女のことを忘れている。思い出させるのに躊躇はいらない。その口から発せられるは無茶な要求だ。そして彼女、老嬢となって久しいレイビーは、自分と村の運命を変えた自著のタイトル『永遠なる瞬間』の本当の意味を今になって悟り、ホテルを後にするのであった。
僕は1928年に刊行されたこの作品『The Eternal Moment 永遠なる瞬間』がもっとも気に入った。
果たして文明は村に、下層階級の人間に、ひいては未開の世界に最善を尽くすものなのか(p140)。たとえばインドにおいて現地人と親しく会話することは「彼らのためにならない」のであろうか。当時は著者の問いかけは否定されていたであろうと想像するのは容易い。では2022年においてはどうであろうか。たとえば人間としての成熟度において、われわれは進歩を遂げえたのであろうか。フォースターの視線が強く突き刺さる。

他に、機械文明を信仰する世界観とその崩壊、すなわち人間賛歌の『The Machine Stops 機械は止まる』、同性愛を扱ったため生前に発表されなかった『Arthur Snatchfold アーサー・スナッチフォールド』、ギリシャ旅行中に精神病を患った友人を描く『Albergo Empedocle ホテル・エンペドクレス』、そして『The Road from Colonus コロヌスからの道』、『The Story of a Panic パニックの話』、『The Story of the Siren シレーヌの話』、『Mr Andrewsアンドリューズ氏』を収録。

E.M.フォースター短篇集
著者:Edward Morgan Forster、井上義夫(訳)、筑摩書房・2022年6月発行
2022年7月16日読了
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E.M.フォースター短篇集 (ちくま文庫 ふ 16-3)
E.M.フォースター
筑摩書房
2022-06-13



19世紀のイギリスは理想的な立憲君主制のもと、二大政党による見事な議会政治が機能した模範国であったと言われる。だが本書を一読すれば、このような"幻想"は見事に打ち壊される。理想の君主とされるヴィクトリア女王は頻繁に政治に介入し、首相を罵倒し、閣僚人事には自分の好き嫌いをあからさまに表明して変えさせようとした。また一時期日本で持てはやされた二大政党制のトーリーとホイッグ、保守党と自由党は何度も内部分裂し、採決では裏切り者が続出した。選挙期間中の贈収賄は当たり前であった。
本書はグラッドストンとディズレーリ。七つの海に君臨した19世紀イギリスを代表する偉大な政治家の生い立ちから政治信念と、彼らの限界、そしてヴィクトリア女王の"性格"に焦点を当て、今日的視点からイギリス政治を追う一冊となっている。
・奴隷を所有するカリブ海の大農場主にして従男爵の息子であり、イートン校に通う15歳のグラッドストン少年の演説が残っている。下層階級に教育を与えることは、彼らにとって有益か、とのディベートに、彼は善良にふるまうために資質を向上させれば義務に忠実となるだろうと、上から目線で述べるとともに、彼ら職人の勤勉さや才能を眠らせ、希望を砕き、精神を抑圧したままにしておくことは「道義的に正しくなく、政治的にも当を得ていない」との意見を開陳した(p18)。これが政治家になってからの彼の政治行動を律する二つの尺度となる。だがオックスフォード大学ので討論では参政権の拡大に反対する。曰く、参政権の行使には特別の能力と責任感を要し、それを有するものは限られているから(p24)である。非民主的ではあるが、こんにちの日本の政治状況をみると、案外的を得た意見であるとわかる。
・一方のおしゃれな文学青年、ディズレーリである。彼の父の代までの名前はD'Israeli、すなわちイタリア語でイスラエルの人、であった。商人の父がキリスト教に改宗してからDisraeliと改名したとある。なるほど。少年は孤独を愛し、読書にふけり、少年の父は「あの無名の多数者、すなわち自己を欺きつつ自己に不憫で、凡庸の枠のなかで消えてしまうような、つまらぬぬ芸術家の大群」に入れるのを良しとせず、17歳の息子を弁護士事務所に就職させた。珍奇な服装に凝り「ハイソサエティに入るには血縁か巨富か天才のいずれかが必要」と理解していた息子は投資に手を出し巨額の債務を抱え、それがゆえに次々と小説を発表し、負債の穴埋めにかかった。人生はいつどうなるかわからない。この頃、トルコ、エジプト、パレスチナなどを旅行したことが、のちの彼の対外膨張政策に影響するのである。
・堅物のグラッドストン議員の結婚観。娯楽を39項目に細分して一つ一つを検討し、宗教生活に影響しない結婚生活を女性に問う……。失恋の量産も已むを得まい。そして世はチャーチスト運動の全盛期。こちらも若き議員のディスレーリは労働者階級の悲惨な状況の改善を主著するが、日の目を見るのはまだ先のことである。そして彼は政治小説『シビルすなわち二つの国民』で富者と貧者の交わりのない二つの国民からなる英国を風刺する。
・ディズレーリとグラッドストンの最初の直接対決は、1853年度予算案の審議においてである。大蔵大臣ディズレーリの素人予算案は各方面から攻撃を受けた。「小説家の予算案」は議会で否決されると保守党内閣は総辞職、新大蔵大臣にはグラッドストンが就任する。彼の画期的な税制「革命」案、すなわち不動産の相続税の新設は外国人ですら驚愕するものであったという。
・クリミア戦争、アロー号事件、スエズ運河建設問題、ナポレオン三世暗殺未遂事件、インド大反乱。この時期には外交問題が山積していたんだな。そして労働者に選挙権を与える革命的な選挙法改正運動。労働者階級が政治に無関心であれば、議会が不活発となりうる……このグラッドストンの思想は現代日本にもそのまま当てはまりそうだ(p114)。
・19世紀後半はディズレーリ内閣、グラッドストン内閣が何度も交互に成立し、政党内部は分裂し、議事に混乱をきたし、政党の再編がなされた時代であり、帝国主義的膨張の時代であり、下層階級の基本的人権と政治的権力の拡張の時代であった。連接する「植民地」アイルランド問題は常に影を落とし、スエズ運河株式取得問題ではユダヤ人ロスチャイルドや新聞記者が政治に介入し、インド国有化に至る、と。ロシア・トルコ戦争とベルリン会議のビスマルクの逸話も興味深い(p165)。それにしても、立憲政治の黄金時代と言われるこの時代のイギリスでも、王室の政治への露骨な介入はしばし行われていたんだな。
・時代は移る。自由党の絶対的な指導者にして76歳の老首相、グラッドストンの前に立ちはだかるは、バーミンガムの若き成功者、ジョセフ・チェンバレンである。ジェネレーション・ギャップとでも言おうか、現在では当然のこととされる民主的な社会福祉政策の数々をチェンバレンに説かれても、グラッドストンにはもはや理解できなかったことは悲劇ですらある。
・国民から"グランド・オールド・マン"と親しく呼ばれるようになっても、グラッドストンはヴィクトリア女王にとっては「この半気ちがいで、いろんな点で、まるでこっけいな老人は大嫌い」(p192)なわけであり、彼の死後に追悼の辞を送ることすらしなかった。これが女王の冷たい側面であったのか

「歴史における個人の力は大きいが、歴史の流れに抗してまで個人の力が影響を及ぼすことはできない」(p214)
すでに帝国主義に突入した世界の中にあってはイギリスは強くなくてはいけない。個人の意に反しての対外膨張政策、諸外国の占領。しばしば個人の信条を歪めるほどの決断であったろう。また福祉政策の充実については、正直、自らの理解・納得を得ないままに進めざるを得ないこともあったろう。
明治・大正の日本において理想的な政治家として崇高された自由党の「虞翁」グラッドストン。そして稀有な文学的才能を併せ持ち、強硬的な対外政策と社会福祉を同時に推し進めた保守党のディズレーリ。この二人の「飾りのない」人物像を知ることができたことが、本書の収穫であった。

新・人と歴史 拡大版29
最高の議会人 グラッドストン
著者:尾鍋輝彦、清水書院・2018年7月発行
2022年6月26日読了

イギリス人のシニシズム。それは彼らの誇りでもある。本書は、映画『サウンド・オブ・ミュージック』、サヴォイ・オペラ『ミカド』、シェイクスピアの演劇、アガサ・クリスティの作品、ミュージック・ホールのコメディ等を題材に、イギリス文化の特徴を探る興味深い一冊となっている。
・『サウンド・オブ・ミュージック』をイギリス人は誇りにしつつ、表だって褒めない。そのアングロサクソン人種のシニカルさには根拠があると著者は述べる。英語表現の素直な表現を多用しない英語、ストレートな表現を慎む国民性、だが一方で感傷的なセンチメンタリティを発揮するなど、英国で育った著者ならではの観察眼には納得だ。あと『エーデルワイス』はオーストリア民謡だと、僕は本気で思っていたぞ(本作のミュー時間る板尾楽曲だったとは)。
・W・S・ギルバートの自画像(p65)。その自他ともに認める「ひねくれた」性格が生み出した戯曲が、ヴィクトリア時代から現代に至るまでのイギリス人を熱狂させた秘密は何か。作曲家サリヴァンの甘く優美な楽曲と「ひねくれた」セリフが出会うとき、なんとも言えない相乗効果を発揮するらしい。その発展形が現代のミュージカルなんだな。ヴィクトリア女王もお気に入りだったというDVD『ミカド』を今度鑑賞しよう。
・アガサ・クリスティの描く1930年代のミステリーでは、しばしば上流階級の領地の居所、すなわちカントリー・ハウスが舞台となる。そう、彼女自身がアッパー・ミドル・クラスの出身で社交界を知る女性であることから、彼らの暮らしぶりがリアルに描写されることが特徴でもある。彼らの従僕、使用人たちの世界はとても厳しいが、町の人と違って上流社会と接する機会あればこそ、イギリスらしい文化が生まれるのである。

帝国が膨張してグローバル化を進めた結果、イギリス社会は急速に多民族化した。カントリー・サイド、村の生活を求めることは、すなわち「多民族国家イギリス」ではなく「古き良きイングランド」への憧れである(p161)。これは現代生活に無いもの、すでに失われた古き良き日本の姿をいつしか求める我々の姿に重なって見えるな。

へそ曲がりの大英帝国
著者:新井潤美、平凡社・2008年7月発行
2022年6月12日読了

旅の魅力ってなんだろう。もちろん人それぞれなのだが、林芙美子にとってのそれは「庶民の生活を知る」ことにあったことが、本書に記された台湾、満州、シベリア~西ヨーロッパ、樺太、北京の旅日記からうかがえる。ベストセラー作家なのに、わざわざシベリア鉄道の三等車を選ぶなんて、好奇心の塊のような人だ!
本書は、1930年から1936年までの林芙美子の紀行文を再編成したものである。ベストセラー『放浪記』は改造社版から新潮社版へ移る際に文体のところどころが「お上品」に改められたが、本書には林芙美子の性格が率直に現れ、とても親しみやすい旅日記となっている。

三週間かけての台湾縦断は、婦人毎日新聞社主催の講演旅行であり、複数の女性作家と旅路を共にしたとある。講演だけでなく、退屈な日本人支配階級との会談、組織的な観光。それでも著者は合間を縫って現地をテクテク歩き、現地人と会話を交わし、その地の息吹を感じることに喜びを感じ取る。雨に煙った基隆の印象が深い著者にとって、台北は「教室に入ったような窮屈さ」(p17)を感じ、総督との会談では本心ここにあらずと良妻賢母を論じ、台北場外で息を継ぎ「旅は自由行動に限る」(p19)と再確認する。その気持ち、よくわかるぞ。若い台湾女性を「道を歩く瞳がみずみずしく光って」いると称する一方(p34)、内地人(日本人)が苦力をこきつかっているのを見ては、足から血がのぼるような反感を持つ。これぞ林芙美子だ。

1931年11月から翌年6月にかけて、いよいよ長春~哈爾濱~満州里~シベリアを経由してモスクワ、パリ、フランス北部、ロンドンへの旅が始まる。帰りの旅費まで考えていなかった『三等旅行記』、「呑気と云えば呑気なことでしょう」(p84)と著者は屈託ない。
・「あれが夕陽かしら、暗色になりかけた野原の果てに、狂人が笑っているような夕陽の赤い炎」(p57)これは哈爾賓で目にした夕景の描写。空も良く物価も安い、と著者はこの地を気に入る。そして官僚的仕事には「奉天のツウリスト・ビュウロウなんて、あってもなくても同じ事だ」(p70)と手厳しい。
・無責任な野望を抱く関東軍の引き起こした事変のさなか、満州の駅はどこも兵員でごった返している。暗殺や事件の噂が後を絶たない混乱の哈爾濱、北満ホテルの部屋で、それでも著者はパリ行きを決意する。列車がソヴィエト・ロシア領に入り、いよいよシベリア鉄道に乗り換える。列車はシベリアの寒気の中をひた走る。雪で光った晴天。シベリアの光のない小さな太陽。ガラスを重ねたように光る雪道。人魂のようにポトリと落ちる樹の上の雪の塊。大きな二重窓の外の世界を著者は存分に楽しむ。
・列車内のロシア人は物持ちの外国人客をブルジョワを呼ぶ。食堂車を利用せず、貧しい食事に汲々とする一般国民=プロレタリアの姿を列車内で垣間見て、著者はソビエト体制の矛盾を鋭く突くが、ロシア人は薄笑いを浮かべるばかりだ。「いずくの国も特権者はやはり特権者なのだろう」(p111)そして列車はパリ北駅へ到着する。
・薪ざっぽうみたいに長いパン。物を食べながら街中を歩けることに感動を憶えながら、着物を召して黒い塗下駄でぽくぽくとパリの石畳を歩く小さな体躯の著者はパリジャン、パリジェンヌから注目を集める(足に板をぶら下げている、と呼ばれる)。シネマ『オランピア』で本場のヴァリエテを観る。上半身むき出しで乳房は銀色のバンドで小さく隠して踊る姿。汽車をテーマにした踊りは、宝塚少女歌劇団の演目の元となったものに相違あるまい(p128)。
・少数の知識階級ではない。「フランスを支えているのは百姓とエトランゼだ」(p130)。
・かつて劣悪環境なセルロイド工場の安賃金で著者が色塗り労働をしたキューピー人形が、パリの百貨店で高額販売されていることに仰天するシーンがある(p134)。セレブ作家ならMade in Japanな事実を誇らしく思うのだろうが、彼女の心境はいかなものだったろうか。
・1930年代になってもパリの紳士はシルクハットをかぶっていたのか。『パリの屋根の下』に見る鳥打帽は、プロレタリアの男がかぶるものだそうな(p136)。
・ミレーの故郷とは知らずにバルビゾン村へ着物で赴く著者。袖を振って「空を走るのか」と真面目に聞く老人もかわいいじゃないか(p149)。
・ロンドンでは日本は「中国を侵略する大野蛮国」として扱われ、トラファルガー広場では中国婦人による反日デモが繰り広げられる。パリでは中国の青年が『国難通告』と書かれたビラを配り歩いていた。日本人は「豊富な隣のものを失敬することもやむを得ない」とたまらない理論を平気で吐く(p173)。「コンチクショウ! 日本は軍人さえなければいい国だのに……」(p137)
・復路はマルセイユ、ナポリ、コロンボ、新嘉坡、上海とインド洋を経由する船旅である。ポート・サイドでは大きな盆のような月を見て、紅海では海の色がひどく赤がかる様子を目の当たりにする(p191)。しめて426円の旅費であったとある(p203)。大卒エリートサラリーマンの月給が60円の時代の「女ひとり旅」であった。

支那大陸では国民党軍と共産党軍の闘いが熾烈を極める。「こんな広い中国に戦争がないのが不思議だ」として、北が勝っても南が勝っても、我々の生命財産なんか守ってくれない。平和になってさえくれれば良い、と地元民は現実的で、タフだ(p77)。
・当時の紫禁城は荒れていた。かつて王侯貴族が闊歩した石道にも、黄玻璃の屋根瓦にも草が生え、敷地は雑草が生え放題。そして80万坪の祝祭の地、天壇に立って著者が思うのは、やはり庶民のことである。そして「人間の夢想もここまで来れば手を放って呆れるばかり」と容赦ない(p249)。
・かつて代々の親日家だった女性のため息を、著者は悲し気に耳に入れる。日本への思いも「こんな風になっては」もはや何もなくなった、と。「私を目を閉じるより仕方がない」(p252)

1934年の樺太への小旅行も面白い。
・開発の手の届かない稚内の街の描写は素晴らしい。大泊から豊原までの列車の中から見て驚いたことは、樹木という樹木がことごとく伐採されていること。樺太を事実上支配する王子製紙の社員に訊くと「無尽蔵だから伐採する」との応答。なるほど、「王子島」のどの駅にも木材がひしめき合ってる。知取ではオホーツクの海を見て「こんなに、暗くて孤独な海の色を見たら、誰だって手紙が書きたくなるに違いありません」(p229)。ここでも王子製紙の工場群が新聞紙、模造紙、パルプ等を製造している。幌内、敷香(しすか)では白夜に近い体験(午前二時には夜が白む)をする。

「地図を見ている事はユカイです。人間が大きくなりますよ」(p168)とは同感だ。
岩波文庫『林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里』と重複する部分が多いのは止む無しだが、勢いあまる彼女の行動力を存分に追体験でき、とても満足している。ところどころに光る名文も楽しませてもらった。

愉快なる地図 台湾・樺太・パリへ
著者:林芙美子、中央公論新社・2022年4月発行
2022年6月6日読了

記憶カメラさんのBlogに触発されてX-Pro3を購入し、35ミリ(XF 35mm F1.4 R)、23ミリ(XF23mm F2 R WRシルバー)、18ミリ(XF 18mm F2 R)でクラシックネガの世界を存分に愉しませてもらった。

富士フィルムカメラの魅力に引きずりこまれた僕は、次にコンパクトズームなX30を手に入れて近所の小旅行でパチパチ。携帯性は重要だと再認識。だがX-Pro3にXF23mm F2 R WRを常用していると「カメラは35ミリ一本で良いのではないか?」と思い始め、巷で評判の良いX100Vを探す。どのネットショップも売り切ればかり。中古も高い上に、タマが少ない。で、少し待っていると、楽天ショップで新品を発見し、無事にポチることができた。
いま、X100Vブラックが僕の手元にある。デザインの良さは言わずもがな。軽すぎず、重すぎずで手に持っての質感が素晴らしい。
つまり、道具としての満足感が非常に高いのだ。
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良い買い物をした。これからクラシックネガとOVFで撮りまくるぞ!
(メインカメラ、SONY α1の嫉妬の声が聞こえる……。)
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貴族未亡人にして冒険好きの女主人と少し変わった使用人たちが活躍するシリーズ第二弾は、本作の主人公と位置付けられるローズが登場する。
・デヴォンシァの田舎から出て来てロンドンの人の多さに目を回した14歳の新米メイド、ローズが、失踪した兄の手がかりを探しにイーストエンドの阿片窟へと向かう。アメリカ人の探偵(早耳ビル)が同行したとはいえ、彼女のその大胆な行動から「ヴィタ奥様」の家の一員になる資格は十分だろう。
・十分に練られた構成。「ロンドンでの兄の友人から託された人形」(p250)や「金髪のかつら」をつけて臨時のパーラー・メイドを務めるローズとその思いもよらない展開(p211)が、物語をおおいに盛り上げてくれる。
・メイド百人斬りの若き伯爵、その又従兄弟とローズの姉の関係、兄の復習心、ローズの勇気。ピンカートン社の探偵早耳ビルが良い味を醸し出しているが、そうか、彼のモデルはロバート・ダウニー・Jr.なのか。
・「誇りと気概と意志」(p49)。この言葉は良いな。

第九章『美しき悪魔』が一気に物語を加速させ、収斂させる様子には目を惹きつけられる。青い目の悪魔。そうとも、もし彼女あるいは彼に出逢ったとしたら、僕も喜んで魂を差し出すだろう。そんな著者の描写にはしびれさせられた。

LADY VICTORIA : THE SECRET OF A NOVICE MAID NAMED ROSE
レディ・ヴィクトリア 新米メイド ローズの秘密
著者:篠田真由美、講談社・2016年8月発行

ときはヴィクトリア朝イギリス絶頂期。本書は、ロンドン郊外に家を構えたばかりの下層中産階級、シティの会社に事務員として勤めるプータ氏の日記の体裁を持つユーモア小説である。解説によるとパンチ誌に連載され、1892年に刊行されたとある。
当時の慣例に倣って名付けたわが家は「月桂荘」。友人のカミングス君にゴウイング君は頻繁にわが家に現れ、時に楽しい夕べを送り、時に小さな事件を引き起こす。20歳になった息子のルピンは会社を馘首され、さらに「お世辞にも美人と言えない」8歳年上の女を「婚約したから」と「月桂荘」に招待する。会社社長の紹介による、かのマンションハウスでの市長閣下主催のパーティーに招かれる栄光と、乱暴な御用聞きと忠実とは言えない住み込みメイドと、会社のやんちゃな17歳の新入社員との軋轢……。都市サラリーマンはなかなか多忙な毎日を送るのだ。
・下層とは言え中産階級なので服装には気を遣い、毎朝、乗合馬車でシティへ通勤し、帰宅してからは家具へペンキを塗る。まだ若いハウスメイドをよくしつけ、ときに乱暴な二輪馬車(いまのタクシーね)の御者と言い争い、クリーニング店への苦情を伝える日もある。日曜日には退屈なミサに我慢し、詐欺まがいのパーティーに招待されて一文無しになった夜もある。
・八百屋の小僧に燕尾服を汚され、靴を犬に舐められ、それでもパーティでは愛妻とのポルカ・ダンスを披露するのだ。
・息子の失職と再就職と投資熱。友人たちとの楽しいひと時と軋轢、友人に感化されて降臨術にはまる妻、晩さん会での牡蠣、投資先の倒産、息子の友人となった大富豪を前にしての財力の不平等配分への憤り。アメリカ人を友人に持つことの意味。
・そして日々いかなる事態に遭ってもユーモアを絶やさないことが、英国紳士が紳士たる故である。
主人公、プータ氏はその勤勉さが認められ、最後には会社社長からとてつもないプレゼントが贈られて円満に物語は収束する。ホーム・スイート・ホーム。肩ひじ張らない英国市民の生活を楽しく知ることができた。

The Diary of a Nobody
無名なるイギリス人の日記
著者:George Grossmith, Weedon Grossmith、梅宮創造(訳)、王国社・1994年12月発行
2022年5月6日読了
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無名なるイギリス人の日記
グロウスミス,ウィードン
王国社
1994-12-01





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