男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

α7S3(ILCE-7SM3)を買ってしまいました! お値段40万5千円!(ソニーストア)
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愛機α7RⅣは絶好調なのですが、夜間撮影に一抹の不安が……。なにより、屋外でレンズ交換をするのをやめたいのです。
1200万画素ではありますが、PCモニタで鑑賞するだけなので問題ありません。それより高感度性能に期待しています。
・新しい電子ビューファインダーの素晴らしさは、感動の一言です!
・SDカードの挿入方向が、α7RⅣと逆になりました(背面側に端子を向ける)。
・動画性能は、いつか試します。

神戸、明石、龍野で試し撮り。問題ありません。
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6100万画素のα7RⅣは望遠側(クロップも)、低画素だが高感度機α7SⅢは標準~超広角に割り当てて……。
どちらもSONYらしいトンがったカメラ。両方を「相棒」にします。

1928年(昭和三年)はじめに英文学研究のために渡英し、ときに大陸諸国を見聞し、1929年春に帰郷した著者の紀行文学である。漱石渡英から約30年。欧州大戦を経て国力の衰退がみえはじめた英国の生々しい姿が開陳される。
・英文学の泰斗である著者にとって何が一番の楽しみであったか。倫敦古書籍漁りがそれである。著名人の蔵書票や書き込み、紙の匂い。オスカー・ワイルドに関する資料蒐集では、古書店店主の堅い約束(p114、金を積む米国人にではなく、先約あった著者に廉価で販売)に感動したりもする。「文学や芸術の批評は……常に作者のこの態度をみること、作者の『人間』そのものをみること」(p125)か。
・1928年といえば、まだまだ日本趣味の記憶が新しい。英国人にとって興味を持たれているのは「錦絵」「能楽」であり、その「舞台面の簡素で象徴的な点」や「幽玄物などが東洋思想の精髄の一つ」を遇する点が評価されているという(p147)。
・場末の舗道画家ガル君。芸術家として最下等な彼は、パリに行けば有名になれるとの友人の提言に首を振る。「英吉利人として英吉利にいたいからです。倫敦のまっただ中で、都会の渦巻きの中で、生活に直面するのも愉快なことです」(p91)。この心意気、良し。
・『マアトン・アベーにヰリアム・モリスを偲ぶ』は、ロンドンの西南の田舎に、ウィリアム・モリスの工房(第二次世界大戦で破壊された)を訪れる一篇だ。彼の遺した装飾は現在でも通用する様式であり、その「自己の創造衝動を思いのままに発揮」(p179)させた片鱗を垣間見ることができる。工業芸術の改革家にして、詩人・思想家。いつか彼の文学作品に触れたいと思う。
・舞台俳優レオン・エム・ライオン氏をウィンダム座の楽屋に訪ねる『俳優ライオン』の章が印象に残った。かつてローレンス・アーヴィングの下で『大風』を端役として演じた思い出、坪内逍遥のこと、歌舞伎の"型"に寄せる思い(日本芸術の"型"に対し、の英国芸術の神髄は破壊・建設・清新にある)、芸術家としての俳優(下僕の精神での謙虚さと、芸術家としての矜持のバランス、p197)。そして別れ際のウィスキーでの乾杯"エターナル・スピリット"など。第一級の人物の語りは、やはり違うな。
・「英国芝居見物」(p199~)では『ジャスティス』『帰りの旅:新ファウスト劇』『敵』『焦熱地獄』の観劇録、作者や俳優へとの会談録が収められている。『焦熱地獄』の登場人物の科白「吾々はどこへ旅するのかわからない。しかし~」と、道上の障害物を除去し、ともに歩く友人や後から来る旅人の通りやすいようにベストを尽くすようにしたい、には感銘を受けた(p299)。
・カフェ・ローヤル、アベラールとヘロイーズの比翼塚訪問記、プラハで開催された世界民族芸術大会での日本評など、興味深いエピソードも楽しく読むことができた。

欧州航路での体験も興味深い。上海では魯迅夫妻と昼食をともにし、香港では支那人や印度人への「牛馬のような扱い」に憤慨し「人種差別撤廃」など遥か先のことと思う。箱根丸の船内では、蓄音機から流れる音曲から歌舞伎の舞台に思いを馳せ、日本を離れるに従い、何気ない日本の文物を心に浮かべることとなる。
「吾々が日本を離れて遠く外国へゆくのも、実は本当に日本のことをよく見極めるためであるのかも知れません」(p363)まったく同感だ。

滞欧印象記
著者:本間久雄、東京堂書店・1929年12月発行
2021年2月21日読了
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大英帝国の最盛期に国費留学生としてロンドンに赴いた漱石。本書は、漱石の遺した日記、随筆、断片から1901年の彼を取り巻くロンドン社会を再現するとともに、その足跡を追う興味深い一冊となっている。
・なんといってもボーア戦争の衝撃だ。南部アフリカのオランダ人の小さな2国=オレンジとトランスヴァールを倒すのに思わぬ苦戦を強いられた20世紀最初の戦争は、さぞヴィクトリアを苦悩させたであろう。その女王も戦争後半に屈辱的かつ非人道的な焦土作戦・収容所作戦を採用せざるをえなくなった事態を知ることなく、愛するアルバート公のもとへ旅立って行けたのは、まだ救いといえようか。
・そのヴィクトリア女王の葬送の大行列は、ロンドン市民を、そして漱石をして早朝の沿道に見物の列をなさしめた(2章)。「園内の樹木皆人ノ実ヲ結ブ」とは漱石の絶妙な表現だ。
・詩人の野口米次郎、画家の牧野義雄を魅了した「ロンドンの霧」。その実、鳶色=煤煙交じりの迷惑でしかない公害現象を、イギリス人の思いもよらない感性によって芸術の域に高めたのが、日本人の二人というのが興味深い(1章)。特に牧野の『THE COLOUR OF LONDON』は現在でも色あせない価値を放っている。若き日に一躍時代の弔辞となりながら、晩年には顧みられることなくこの世を去った牧野は、もっと日本で知られても良いはずなのに。
・毎月の少ない給付金から古本をどんどん贖い、夜ごと劇場やバラエティ・シアター(ミュージックホール)に足しげく通い、火曜日にクレイグのもとへ通う漱石は、充実した日々を満喫していたように思われる。6章から8章にかけての著述はとても読みごたえがある。
・19世紀末に公衆浴場、公衆洗濯場が完備され、漱石もよく「入浴ス」(9章)か。
・山盛りのイングリッシュ・ブレークファスト、ランチ、豪華なアフタヌーン・ティー、ディナーに就寝前のサパー。「ウチノ女連ハ一日五度食事ヲスル」で漱石が驚かされたのもわかる。そして下宿での食事の合図にゴングが鳴らされるのは面白いな(12章)。
・15章では、漱石の日記に突如現れる「小便所に入ル」の文字を著者は明快に解き明かす。当時の社会事情と漱石の事情(良く散歩するから腹が減る)も相まって納得だ。
・漱石の突然のスコットランド旅行の謎を解明する23章は読みごたえがある。なるほど、ラスキンの作品の影響か。芸術作品に刺激を受けて「その地」を訪問する行動って、わかる気がする。

20世紀初頭のロンドン。「本を買うのが目的」として、いきなり文明の中枢へ乗り込んだ漱石の刺激的な日々を楽しく追体験できた気分、また漱石と同時代の渡英人、牧野義雄への言及も多く個人的に嬉しいところだ。この二人に交流があったならば、歴史はさらに面白くなっていたに違いない。

自転車に乗る漱石 百年前のロンドン
著者:清水一嘉、朝日新聞社・2001年12月発行
2021年2月20日読了
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吹奏楽部を引退し、進学先も決まり、特にやることのない毎日を送る高校三年の三学期。何気ない日常からこぼれおちた感情が、ちょっとしたドラマを惹き起こす……。
『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部のホントの話』(2018年)一章と一三章がスケールアップしたような、中川夏樹メインのスピンオフ。3年生キャラが活き活きと動くさまを楽しみ、一方で武田綾乃さんの繊細な、実に繊細な心情表現と情景描写に何度も唸らされ、実に心地良い読書体験を味わうことができた。

『傘木希美はツキがない。』 希美の後ろ姿、揺れるポニーテール。思えば3年前の体育の授業での邂逅から、自分はずっと、この後ろ姿に憧れていたのかもしれない。第一話では、希美が吹奏楽部を去るエピソードが丹念に描かれるとともに「エレキギター」がクローズアップされる。
・「信じてた」「それでも信じてた。うちならどうにかできるって」。この希美の重いセリフを笑顔に変えることが、その瞬間の夏樹の望みだったのなら、なるほど、それは罪だ(p91)。そして希美が去っていった1年生の夏……。
・夏樹と優子の掛け合いはまだまだ健在。「確か、アンコールワット的な……」(p24)「直情型だと思っていたが、頭を使うこともできるらしい」(p64)には笑わせてもらいました。
・1年の時に吹奏楽部を退部し、インストジャズバンドを結成し活動している新キャラ、若井菫も魅力的だ。

『鎧塚みぞれは視野が狭い。』 古風な喫茶店での、みぞれの音大合格祝いから始まる第二話。恋人ほしいか?トークに、みぞれの暴力的な無垢が炸裂する(p134)。それにしても優子、君は本当におもしろい子だな……。
・夏樹が副部長に推された理由。希美の立ち位置。そして田中あすかの恐ろしさよ……。
・ひらかたパークでのアトラクションを楽しむ4人組。みぞれの「フリーフォール」発言と3人の硬直にはニヤリとさせられた(p168)。そして「彼女はためらいなく空へと飛びこむ」(p188)のだ。

『吉川優子は天邪鬼。』 演奏会に向けての練習にも熱が入る第三話。髪を下した夏樹(p217)が新鮮だ。
・個人的には、神戸ルミナリエ(p208)が取り上げられたことに感謝!
・照明を落とした自室で、電飾LEDの青色に照らされながら、優子の言葉に瞳を潤ませる夏樹(p289)。彼女にとって最高にうれしい言葉だろう!
・そしてライブがはじまった。夏樹と優子のツインギターには感無量!

『記憶のイルミネーション』。希美の視点で綴られる初回限定特別短編。
夕暮れのメリーゴーラウンド。夏樹との何気ない思い出話の中に、希美の寂しさが垣間みえる。大学生になった彼女に新しいステージの花開かんことを祈ります。

「誰かに頼りにされていた自分は、本当の自分が必死に背伸びした姿だ」(p14)。それが成長だと気づくとき、少しだけ大人になった自分がそこにいる。夏樹、優子、みぞれ、希美。時が過ぎても4人の関係はこれからも続く、そんな予感を確信して書を閉じた。
3月発売のドラマCDも楽しみ。武田綾乃先生の次回作にも期待しています。

飛び立つ君の背を見上げる
著者:武田綾乃、宝島社・2021年2月発行
2021年2月14日読了
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大日本帝国時代の東アジア旅行はおおらかというか、国内とほとんど同じ感覚で歩くことができたんだな(洋行は別)。帝国領土の朝鮮、台湾、樺太、関東州だけでなく、満州でさえ国内扱い。日本語のみで何ら困ることなく、アジア最強の通貨=日本円だけで何不自由なく旅行でき、支那大陸でさえ査証どころか昭和12年まではパスポートも不要だったそうな(シェンゲン協定みたい)。
本書は東アジアに対象を絞り、昭和時代の、主に戦前戦後の各種ガイドブックを紐解き、当時の旅行の実態を追体験するとともに、日本人の旅行観とアジア観の変遷をたどる一冊となっている。地図や写真も満載。
・海外との定期旅客船(一般人でも乗船できる)が就航したのは、1859年(安政6年)のP&O社による上海~長崎航路とのこと。意外と早かったんだな(p11)。
・物見遊山は許されず、(観光)旅行に大義名分が必要とされた時代は古くはお伊勢参り(抜け参り)から昭和十年代(戦地跡視察)まで続く。すごく日本人らしい(p10,22,32)。そして国が推奨した、学生や生徒が満州・朝鮮で戦績をめぐる旅行が「就学旅行」として定着したのか(p45)。
・支那の呼び名が中華民国に改められたのは、1930年(昭和5年)か(p18)。
・なんと戦前は、東京からロンドンまでの通し切符を購入できたとある。もちろん一枚ものではなく冊子状の「切符帖」だが、シベリア鉄道を活用することで実現できたこの制度、現代でも復活しないかな(p52)。
・はやくも1928年には東京~京城~大連の日本航空輸送の定期旅客便が飛行し、当時としては画期的な10時間での旅が実現している(p120)。
・中国の通貨「元」はYuanである。これは中華民国時代に、それまでの形状と異なる円形の通貨が鋳造されるようになり、園貨(円貨)と呼ばれ、字画が多いため、同音の「元」が代用された定着したという(p149)。目からうろこだ。
・戦前日本人観光客のアクティビティは多彩だ。新高山(玉山)金剛山への山登りや、スキー、キャンプを実践し、温泉を開発し、ハルピンのロシア式キャバレーや京城の妓生による接待を愉しんだ。当時の西洋式ホテル=ヤマトホテルは現在も奉天と長春で営業中とある(p173)。今度訪れてみよう。
・平成イランの「日本語ペラペラ事情」が興味深い(p275)。

敗戦後、旧帝国領土をめぐる状況は一変し、海外旅行が自由化されたのは昭和38年になってのことだ。それでもパスポートと外貨による制限は厳しく、むしろ海外旅行は戦前よりも高根の花となってしまった。ジャンボジェット機の登場によって運賃が下がり、格安航空券が広まって個人旅行者、特に女性が増えたことにより、「男性天国」だった戦後の韓国(世界史上に例をみない、政府による売春観光政策!)・香港・台湾のイメージも一変した。身近なアジアを対象に「海外ひとり旅」が当たり前のこととなった。
戦前・戦後の日本人旅行事情と、激変した東アジア事情を興味深く読むことができた。

旅行ガイドブックから読み解く明治・大正・昭和 日本人のアジア観光
著者:小牟田哲彦、草思社・2019年6月発行

明るい中望遠レンズが欲しくなり、Batis 2.8/135を所有しているのに、SIGMA 85mm F1.4 DG DN ARTを購入してしまった。
とにかく軽い! SIGMA 35mm F1.2 DG DN  Artの重さと比べたらその恩恵がよくわかるというもの。
ハイスピードレンズの魅力が凝縮された85mm F1.4 DG DN ART。僕はポートレート撮影はほとんど行わず風景メインだが、85mmで切り取ったピント面の薄さと美しいボケを手軽に楽しむことができる。これはクセになりそう。
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明石城で試し撮り。
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長く愛用するぞ。


20世紀を代表するモダニズム文学。1904年6月16日のダブリンにおける3人の人物を中心に、あまたの人物の生々しいの思考と行動が描かれる。自由気ままなようでいて、その実、計算しつくされた物語構成には脱帽だ。
しかし僕もそうだが、イギリス史とアイルランド史、それにギリシア文学に詳しくないと本作の理解が進まないという難解で困った作品でもある。だが全ページにあふれ出る言葉のマジックは、読んでいて心地良いものがある。また、ボーア戦争(多くのダブリン市民が反イギリスの旗幟を鮮明にした)の影を引きずっているのが興味深い。
・若き文学志望の教員スティーブン・ディーダラス(著者の生き写し)、それに新聞社の営業マンでユダヤ人のブルーム氏が近代化されたダブリンを歩き、論戦を交わし、飲んで食して女を見て、出産に立ち会い、娼婦街で幻想に溺れ、深夜に自宅へ戻る。
・9章『スキュレとカリュブディス』でシェイクスピアの『ハムレット』論を熱く語るスティーブンが良い感じ。プラトンとアリストテレスを対決させる場面も白熱している。
・若い女性視点の13章『ナウシカア』は小説文体で読みやすく、自分をとてつもなく美化した内容もとてもおもしろい。海岸で3人の若い女性をじっとみつめる喪服の中年男性(ブルーム氏)は変人にしか見えないし、「石鹸」には笑わせてもらった(Ⅱ、13章p297)。
・14章は原文の多用な文体に呼応して、祝詞、古事記、源氏物語、平家物語、井原西鶴、キリシタン文学、夏目漱石、菊池寛、谷崎潤一郎の文体をもって翻訳されている。なかなか骨が折れるが、興味深い読書を体験できた。
・16章は回りくどい文体だが、実は慣れ親しんだ形式でもあり、17章は一問一答形式。これらこそ、本作の面白さが収れんされた章だと思う。
・「水の属性」(17章、Ⅲp324)、「月と女性との間の特別な親近性」(17章、Ⅲp384)には圧倒された。
・「歴史というのは……ぼくがなんとか目を覚ましたいと思っている悪夢なんです」(2章、Ⅰp87)「男を倒すための毒の花束」(5章、Ⅰp196)「言葉と身振りの優雅な気品に、血が説き伏せられたのだ」(Ⅰ、7章p341)「重量でも大きさでも、闇よりずっと黒いものなんだ」(8章、Ⅰp438)「芸術が明かさねばならないのは理念だ。形のない精神の本質だ。芸術作品の最高の問題は……」(Ⅰp450)「大道を通る人は少ない。だが、大都に通じるのはその道だ」(9章、Ⅰp474)「人生、愛、ささやかな自分の世界をめぐる航海」(13章、Ⅱp300)
・「悪魔と深い海」(9章、Ⅰp456)って、そういう意味なんだな。
・18章は深夜2時30分、ベッド上のブルーム夫人の生々しい思考が、読点も句点もなしの豪雨的文章となって読者に振りかかる。これを文学として定義したのも本作の凄みだ。
・最終巻の解説が興味深い。なるほど、ヨーロッパに対するアイルランドとにおhンの立ち位置は似ているな。

17章最後の「・」の解釈によって、なるほど、物語は異なる姿を見せるのか。
正直、読んでいて疲れる章もあった(15章)。だが「自分自身に出会うのを避けて世界の果てまで行った者」(15章、Ⅱp568)には考えさせられた。「お前は、望み、欲し、待つだけで何もしない連中とは違う」(14章、Ⅱp393)。そうだ、少しは魅力的に生きる努力をしようと思う。

Ulisses
ユリシーズ(全3巻)
著者:James Joyce、丸谷才一・永川玲二・高松雄一(訳)、集英社・1996年6月発行
2021年1月23日読了
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1900~1902年の風景写真、漱石にかかわった人物の写真(!)に肖像画、デパートの製品カタログ、当時の建築物と社会風俗の品々など、ワット氏の収集した膨大な資料に小解説が添えられ、稲垣足穂氏、恒松郁夫氏の協力もあり、漱石留学時代のロンドンを追体験できる興味深い一冊となっている。
・ちょうど漱石の時代に、紳士の服装がシルクハット+フロックコートからソフト帽+スーツに変わり、乗合馬車を駆逐する勢いで自動車が広まりつつあったのか。そして1901年委テラコッタの外観を持つハロッズ百貨店が新装開店している。
・トラファルガー広場の噴水の彫刻が、現在のものと違っている。1900年当時はこんなだったのだな。
・200年を超える民主主義によって培われた公衆道徳の良さに漱石は驚いている。明治のことを想えばわかるような気がする。
・『味の素』で有名な池田菊苗氏とのロンドンでの邂逅が、ふさぎかけていた漱石の精神を活発に働かせたことがわかる。これを機会に漱石は系統だった、重みのある読書・研究にいそしむようになる。
交通機関を別として。ロンドンの街並みは100年前とほとんど変わらないという。ならば現地へ出向いて漱石の足跡を追体験して愉しむも良し、新たな発見に喜ぶも良し、だな。

漱石のロンドン風景
著者:出口保夫、アンドリュー・ワット、研究社出版・1985年8月発行
2020年12月29日読了
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漱石のロンドン風景 (中公文庫)
ワット,アンドリュー
中央公論社
1995-05T


第一次世界大戦の災厄を二度と起こさないために、いまできることは何か。人類史上初の大規模な軍縮、ワシントン会議に続く、ロンドン海軍軍縮会議が開催されようとしていた。若槻礼次郎を首席全権に就任させるべく奔走し、自らも1930年1月の会議に臨んだ外務省情報部長、雑賀潤。本作は、彼の目を通して米英全権とのタフな交渉、海軍軍令部との軋轢と駆け引き、そして枢密院による反民主政府的な批准審議と、何物にも屈しない浜口雄幸内閣の姿を綴る一級の長編小説であり、当時のロンドンの描写とあいまって、とても興味深く読むことができた。
ロンドンのバーの地下蔵で邂逅する謎の女性、春子の存在も、ミステリーとしての本作のおもしろさを盛り上げてくれた。
・外交官はタフでなければ務まらない。交渉相手国に対しても、国内の右翼と軍人に対しても。条約の締結並びに批准に強硬に反対し、政府に立ちはだかるは、日本海海戦の英雄にして「軍神」、東郷平八郎である。仕事とはいえ、なんとも難儀な。西洋事情を熟知する公家政治家にして最後の元老である西園寺公望が味方に付いてくれたことは幸運だったのかも。
・山本五十六(大佐→少将に昇進)が雑賀の知古であり、随員として参加しているとは知らなかった。
・「論旨明瞭にして有言実行」(p276)。こうありたいものだ。
・当時米英に対して惹起された「国力を度外視した、きわめて感情的な強硬論」(p29)に注意しなければならないのは、現在も変わらない。10年単位で滑り落ちてゆく日本の国力を想えば、対中強硬論など愚の骨頂でしかない。
・大正デモクラシーの華、立憲政党による議会政治はあえなく終焉を迎えることとなる……。それでも外交官・雑賀は、いまや日本を敵対視する米英とのタフな交渉に臨むのだ。

日米英がそれぞれの国内から強い批判を浴びながら、画期的なロンドン軍縮条約を締結・批准した政府・外交当局の華々しい成果に対し、陸軍・海軍は苦い顔で何を悟ったのだろう。ひとり関東軍は柳条湖で浅はかな謀略を実行に移し、大日本帝国中央政府の意向を無視して満州で戦線を拡大した。これを黙認した陸軍は、やがて中国本国への侵略を開始する。海軍でも条約締結に協力した者は排斥され、山本五十六ら強硬な「艦隊派」が権力を掌握し……。
軽挙妄動。日本軍部の独走さえなければアメリカ、イギリスとの関係は違ったものになっていたでろうし、大日本帝国もおそらくは存続していたであろうに。本書を読むと、ABCD包囲網、そしてみじめな敗戦と国民の悲惨は、頑なな日本の軍部の独走が引き起こしたものだとはっきりわかる。
「男子の本懐だ」(p551)。浜口雄幸の生き方には共感させられること幾たび。これだけでも本作を読み終えた収穫といえる。

LONDON RAGING WAVES
ロンドン狂瀾
著者:中路啓太、光文社・2016年1月発行
2020年12月26日読了
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ロンドン狂瀾(上) (光文社文庫)
中路 啓太
光文社
2018-04-27

ロンドン狂瀾(下) (光文社文庫)
中路 啓太
光文社
2018-04-27


ニューヨークの山中商会で実績を積み、渋沢栄一と大倉喜八郎によって日本人初の帝国ホテル支配人を任された林愛作、スキャンダルにまみれながらも、林によって米国から招へいされたフランク・ロイド・ライト、林に案内されてホテルを見学し、やがてライトの助手となる遠藤新(あらた)、林タカ、遠藤都、名もなき職人たち。建築に丸4年、構想から実に12年。世界に誇れる"最新の迎賓館"を実現するための男女の熱い思いが交錯し、衝突し、溶解する。地位を失った者、家族を失った者、完成を待つことなく日本を去った者、それぞれの人生を手繰り寄せながら、物語は綴られる。
・日本人の目には西洋的に映り、西洋人の目には日本的に感じられる、世界のどこにもないホテル(p155)。それがシカゴ万国博覧会でロイドが目にした数枚の日本家屋の絵画に起因しているとは、誰が知るだろう。
・美術品の価値。英語の重要さ(p30,48)。これらは昔も現代も変わらないのだな。
・イギリス皇太子訪日時の火災に、ライト館オープン当日の関東大震災。それらを乗り越えて「帝国ホテルに泊まるために日本を訪れるというブーム」(p308)が引き起こされたことは、生命を賭した関係者にとって最大の弔いとなったことだろう。

「覚悟」と「徹底」。ライト館の建築を言葉で表現すると、こう言えるだろうか。いまや明治村の顔ともなった帝国ホテル旧本館・中央玄関部。フランク・ロイド・ライトの精神が宿った傑作だが、当時の経営者の評判は意想外に低かったのだと本書で知った。情熱の前に立ちはだかる納期とコスト、そして世相の壁。否、それらを曲がりなりにも乗り越えたからこそ「仕事」が永遠に残されたのだといえよう。

The Imperial Hotel Building Story
帝国ホテル建築物語
著者:植松三十里、PHP研究所・2019年4月発行
2020年12月14日読了
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帝国ホテル建築物語
植松三十里
PHP研究所
2019-04-10

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