男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

17の短編と翻訳者による解説が収録される。すべてが骨太かつ不器用な「男の世界」、それでも優しさは存在する。

『The Gambler, the Nun, and the Radio ギャンブラーと尼僧とラジオ』
メキシコ人が銃撃され搬送された病院での入院患者フレイザー氏の体験。これといったトピックはないのだが、ラジオの件が気に入った(p198)。人々の寝静まった深夜、ボリュームを絞ったラジオに耳を傾ける。遠い街の音楽を聴き、DJのトークに聞き入り、その街と人々の情景を思い浮かべ、そして、その街の人になる。デンヴァー、ソルトレークシティ、ロス、シアトル。未明になると時差の関係で、ミネアポリスの陽気なミュージシャンの演奏が始まる……。アメリカ西海岸へ行きたくなるな。
「つづけるんですよ、のんびりとね。で、運が変わるのを待つんでさ」(p206)こういう生き方も悪くないかも。
人民の阿片、についての考察も傾聴に値する(p207~211)。

『A Natural History of the Dead 死者の博物誌』
「ほとんどの人間は動物のように死ぬ。人間らしくは死なない」(p135)
田園地帯の弾薬工場の爆発跡。そこに散乱する数えきれない女性の遺体の描写は激烈だし、第一次世界大戦時の放置された戦死者の様相は異様だ。イタリア戦線の野戦衛生隊で数多の死にゆくものを見つめてきた著者ならではの記述は、実に生々しい。

『The Short Happy Life of Francis Macomber フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』
東アフリカ、あるいは南部アフリカにおける「ゲーム・ドライブ」。こんにちでは大型動物の観察こそ観光の目玉とされているが、1930年代には狩猟が許されていたんだな。だから本当の意味での「ゲーム・ドライブ」か。
風を巻いて草むらを突進してくるライオン(p288)に、怯えの感情を抱くのは人情というものだろう。だがアフリカの世界では逃げることは許されないし、主人公マカンバー氏のように、白人からも黒人からも軽蔑の眼差しを向けられることとなる。そして妻からも愛想を尽かされるハメとなる。
"怖いもの知らず"への変化。これが「男を支える背骨なのだ」(p310)

『The Snows of Kilimanjaro キリマンジャロの雪』
タンザニアに存在し、ヘミングウェイも滞在したケニア・アンボセリ国立公園から、その神がかった雄大な姿を眺めることができるキリマンジャロ山は、この作品によって全世界的にその名を知られるものとなった。
「前方の視界いっぱいに、さながら全世界のように広く、大きく、高々と、信じがたいほど真白に陽光に輝いて、キリマンジャロの四角い頂上がそびえていた」(p362)
そうだ、このスケールからすると、麓で展開される人間たちの呻吟や生死など、どうでも良いことのようにみえてくる。ヘミングウェイもそのことを伝えたかったのではと思う。

ヘミングウェイ全短編2 勝者に報酬はない キリマンジャロの雪
著者:Ernest Hemingway、高見浩(訳)、新潮社・1996年7月発行
2018年5月12日読了
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元大手都市銀行の支店長にして町金融会社社長、軽部順一は、突然の老中国人からの申し出に戸惑っていた。中華民国総統の密使いわく「100億円を融資しろ」と。昭和20年に船とともに台湾沖に沈んだ金塊のサルベージ:町金融のバックの巨大暴力組織、財界のフィクサー、元大本営参謀を巻き込んでの壮大なプロジェクトが始まろうとしていた。

紳士らしく矜持を保つことの重み。よォーそろォー。よォーそろォー。涙はなけれど男泣きだ。

・自分の意思で何かをなしとげたことなど、ただの一度もなかった人生(上p187)。軽部にとっても、東大卒の新聞記者、律子にとっても、これは転機でもあった。一生を何かに賭けること、ここに人生の意義がある。
・日本とタイを除いて欧米諸国の植民地として搾取されてきたアジア諸国に光を射し込むは、大東亜共栄圏。その夢は、どこでボタンを掛け違えてしまったのだろう。仲間の首席操舵手を殺された一等航海士に「軍人は勝手に戦をして…」(上p245)と言わしめた点にあるのだろうか。
・「喪われた時間」の章が秀逸。弥勒丸。五十六億七千万年の後にあらわれる救世主。すなわち、そんなものは永遠に来ることがないということを知るからこそ、人間の力で助け合うことを教え諭し、自らも実践する元日銀マンの土屋の人生は高尚だ。そんな彼にとって律子との邂逅は、まさに神の導きなのだろう。律子に「何か目に見えぬ力が、頭を下げよと命じている」のもさもありなん(上p372)。そして「帰郷」の章の日比野の言葉に涙する(下p101)。
・「ひとつの志に生涯を賭けた男同士。これを義兄弟という」(上p285)。そして生きねばならぬ理由。老いた三人のフィクサーの来世にこそ幸あれ。
・「そう、すべては人間の意志によるのだ」(下p366)これには強く同意する。

1999年の作品だが、このグローバルの時代にこそ受け継がれるべき日本人の尊厳が紙面いっぱいに溢れている。感涙を我慢してページを閉じた。浅田次郎は最高だ!

Scheherazadeシェエラザード(上)(下)
著者:浅田次郎、講談社・2018年2月発行
2018年4月21日読了
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■京劇鑑賞

2017年11月4日(土)夜、Beijing Hotel NUO Wangfujingのハンサムなコンシェルジェに相談します。
「湖広会館で京劇を鑑賞したい」
電話で確認してもらったところ、「本日、湖広会館はクローズ」とのこと。これは以前、北京散歩に相談した時に「湖広会館は経営が厳しく、規定の予約人数が集まらないと開演しない」と聞かされていたので、驚かない。
(こんなこと、地球の歩き方には書いていないぞ。)

で、梨園劇場の席を予約してもらった。グレードは……最高の席にした。580元なり。

タクシーで向かうのだが「心配なので」と、コンシェルジェ氏も乗ってきた。乗車料金50元。
梨園劇場に到着すると、コンシェルジェは劇場事務室に入り、入場券を持ってきてくれた。みると「VIP」とある。良いぞ。
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演目は3劇か。
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着席します。たしかにVIP席で、舞台が良く見える。
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このVIP席にはお茶菓子が用意されている。美味だったがもの足りない。
ビール(15元)2本とケーキ(18元)を注文。
ほろ酔い気分で開演を迎えよう。
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隣のVIP席には老年と中年の女性2人。写真撮影を手伝うと「明日、一緒に観光しないか」誘ってくれた。残念ながら帰国なのですよ……。
名刺をくれた。「Hong Kong Institute od Cantonese Opera Limited 香港○劇文化学院有限公司 Director」女史だそうな。その劇場では広東劇を披露しているそうで、北京のものとは趣きが違うとのこと。
今度、香港を訪れたら鑑賞しよう!

開演前に役者が化粧をし、衣装を装着する様子をみることができる。
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開演だ。
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言葉はもちろんわからないが、左右の電光掲示板に英語が表記されるので、それほど問題ない。
それよりも、その演技の凄さに魅入られた。
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1時間後の20時30分に終了。良かったなぁ。
土産は……Beijing Operaのマグネットを購入した。
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さて、戻ろうか……、タクシーが全然つかまらない。大通りまで出て10分後にやっと乗車することができた。
夕食は…レストランは20時30分で終了? ガックシ。
ルームサービスにした。いわゆる牛肉めしだ。美味。
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就寝します。良い夢が見られますように。


■天壇へ
2017年11月5日(日)7時30分起床。寝坊したので朝食を摂る時間がない、日本で買ったどら焼きでいいや!

起床してすぐ、部屋の段差で転んでしまった。情けなや。

7時50分に出発。「天壇」へ向かいます。フロントでタクシーを呼んでもらうが、なかなか来ないぞ。

8時35分、天壇南門へ到着。タクシー代50元。寒い!
団体客の多いこと。
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歴代皇帝が五穀豊穣を祈願して祭祀を行った場所、「圜丘」に立ちたかった。
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これが円心石。
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皇穹宇。
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祈年殿。
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天壇北門へ向かう。結構ひろいな。
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龍は皇帝の象徴か。
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天壇北門からタクシーでホテルへ向かう。20元。


■帰国です

11時10分にホテルをチェックアウト。良いところでした。
11時30分にエアポートエクスプレス駅へ到着。タクシー代50元。
空港までの運賃は25元。11時50分に出発し、12時15分に北京首都空港ターミナル3に到着。

13時10分に出国完了。
お土産を選ぶ。月餅餠とシルクのスカーフにした。

昼食はレストランへ。青島ビールと豚肉ワンタンヌードルスープで腹を空腹を満たす(65元)。
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14時5分ボーディング、往路と同じ767-300だ。
14時58分に離陸。

15時40分に昼食が出る。TRUEの『サウンドスケープ』(響け!ユーフォニアム2)を聴きながら舌鼓を打つ。プレミアムモルツも美味い。
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17時12分(18時12分)、関西国際空港へ到着。
18時35分に入国完了。

残金1952元を31,291円に両替。

小腹がすいたのでお好み焼き「ぼてじゅう」で大阪デラックスモダンを食。外国人客も多いはずなのに、この店は日本語メニューしか用意していないんだな。なんて不親切な。
それはさておき、ビールが美味い。で、2500円もした。

神戸・三宮行きバスは空いていた。
19時40分、三ノ宮を経由して、21時20分に自宅へ戻る。


これで弾丸旅行は終了です。中華の真髄を堪能できた気分。

最後まで拙文にお付き合いくださり、唔該!

< 結束 >




■万里の長城へ!

北京に近い八達峯長城は中国人民でごった返しているらしい。それなら少し遠くの慕田峪長城へ行こうと思い、車をチャーターしたのだ。

・万里の長城
北京市内or郊外 8時間貸切チャーター
http://pekinsanpo.com/%e8%bb%8a%e4%bb%98%e3%81%8d%e9%80%9a%e8%a8%b3/

2017年11月4日(土)10時40分、日本語ドライバー、ヤンさんとともに紫禁城=故宮博物院から慕田峪長城へ向かいます。

車中で北京の蘊蓄を聞かせてもらった。
・車には600万台の車が存在
・長城の全長は6,500km、北京市内だけで630kmもある。
・北京地下鉄は2022年の冬季オリンピックまでに1,000kmの長さに達するという。
蘊蓄ってほどでもないか。

う~ん。市内も郊外もスゴイ渋滞だな。土曜日は北京人民は一斉に郊外へ車旅をするので、いつもこんな渋滞なんだそう。インドほどではないが、割り込みもクラクションもすごいぞ。

2時間後の12時40分に慕田峪長城の駐車場に到着。

チケット180元を購入し、バス乗り場へ。土産物多し。ヤンさんとはお別れ。
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大型バスでロープウェー乗り場へ向かう。乗車時間は約10分。
ロープウェー乗り場へ向かうまではスゴイ坂。これ、年配の観光客にはキツイだろうな。
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日本ケーブル?
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13時10分にロープウェーに乗る。景色は気分を盛り上げてくれる。
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稜線に長城が見えて来た。
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5分後に長城へ到着!

■Walking on the GREAT WALL!

毛沢東いわく「不到長城、非好漢」ということで、前から気になっていたのだ。
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二〇〇六年じゃなく、二零零六年か。
それはともかく、このスケール感!
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さぁ、歩こう!
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ロープウェー。あれに乗ってきたんだな。
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しまった! 土曜日なので、慕田峪長城といえどもC国人で大混雑だ!
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野砲も据え付けられていたのか。
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結構、傾斜がキツイ。足に来るな。
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ロープウェー地上へ降りる。満喫したぞ!!
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土産物は……長城マグネットを購入(20元)。
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15時に慕田峪長城を出発。

なんと、ホテルへ戻れたのが17時35分だ。

代金を景気よく支払います。故宮博物院入場料金と高速道路料金込みで1,100元。他にチップを80元。
「ご苦労さま、ヤン准将」

ホテルの自室で顔を洗い、小休止。17時55分に再出発。
続きます。

長く高い壁 The Great Wall
浅田 次郎
KADOKAWA
2018-02-28



■2017年11月4日(土) 紫禁城へ(故宮博物院)

6時13分起床、朝食は西洋食中心のバイキングだ。食べ過ぎた。
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午前は紫禁城(故宮博物院)、午後は万里の長城(慕田峪長城)と、今日は忙しいぞ。
紫禁城(故宮博物院)では一切のかばん類を持てないので、財布などはジャケットの中だ。

で、本日の移動は「北京散歩」さんのお世話になることにした。事前にWEBでコンタクトを取った際に、とても誠実な対応が印象に残ったのだ。

・紫禁城 入場予約代行
http://pekinsanpo.com/%e6%97%85%e3%81%ae%e3%82%aa%e3%83%97%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%b3%e3%83%bb%e6%95%85%e5%ae%ae%e5%85%a5%e5%a0%b4%e4%ba%88%e7%b4%84%e4%bb%a3%e8%a1%8c/

・万里の長城
北京市内or郊外 8時間貸切チャーター
http://pekinsanpo.com/%e8%bb%8a%e4%bb%98%e3%81%8d%e9%80%9a%e8%a8%b3/

8時、ホテルのロビーで日本語ドライバーのヤンさんに会う。
銀河英雄伝説の同盟側の英雄と同じ名前だ。見た目も年齢も全然違うが。
http://gineiden-anime.com/

朝の陽光を浴びながら車は東長安街を西へ。5分足らずで天安門広場に到着した。
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天安門周辺は交通規制が厳しく、一時停車などしようものならすぐにしょっぴかれるそうで、少し離れた路地で降ろされた。バッグは車の中に残してゆく。

ヤン准将の説明通り、天安門のセキュリティを抜け、端門を潜り抜ける。
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あの奥に見えるのが「午門」か。
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ちょっとした広場があり、そこの右端にカウンター(取票所)がある。チケットは無事に予約してもらっているが、どうだろう?

8時28分、無事に午門前のカウンターでチケットを入手できた。
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入場行列におとなしく並ぶ。
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入場料は支払い済だ。他に多国語ガイド装置を借りたのは良いが、これが「まるで使えない」とわかった。この国のシステムを信用してはいけない。

いざ、中へ入らん。
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おお、目の前に「太和門」が。ワクワクしてきたぞ。
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金子川、内金水橋を超えると、ちょっとした中国官吏の気分になる。
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立て看板によると、なになに、この太和門は1420年に完成し、いくどかの改築と火災を乗り越えて来たとある。現存するのは1888年・清光緒14年のものか。
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前へ進もう。太和門は観るだけ、右方の昭徳門を抜ける。
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おお、なんて広大な! あれに見える壮大な建築物が「太和殿」、紫禁城の中核、正殿だ!
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1420年に建立され、逐次増築され、1695年に再建されたと書いてある。

歴代皇帝はこんな光景を見ていたんだな。
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銅鶴と銅亀。めでたい。
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銅鼎。良い感じだ。
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これが嘉量=度量衡標準器。なにも正殿の前に置かんでも……。
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中を覗くことができる。人民が多すぎて写真撮影もままならんとは。
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贅をつくした宮殿か。
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この龍の数が多いほど、「偉い」建築物らしい。
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さて、太和殿に続く「中和殿」へ向かおう。ここは皇帝の休息所なのか。
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「保和殿回廊」も良い感じだ。
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「保和殿」は、おお、科挙の殿試が行われた場所なんだな。
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「乾清門」を超えると、そこからは「内廷」になる。
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「保和殿」の後背に位置する「大石雕」が気に入った。
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「乾清門」に置かれた龍には人だかり。御利益あるのかな。
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次は皇帝が日常の執務を行う「乾清宮」って、違いがわからなくなってきたぞ。
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「交泰殿」を見ているときに、後ろから胸ポケットの辺りをまさぐられた。残念でした。財布はファスナー付きの内ポケットに入れてあるのだよ。
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以降、「坤寧宮」「大成左門」を通過して、迷路のような内廷をうろうろ。
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ああ、「珍妃の井戸」は別料金なんだな。時間もなし、あきらめよう。

そろそろ出口です。「天一門」に「澄瑞亭」か。
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宮殿の北側に位置する、勇ましい名前の「神武門」をくぐる。
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これで紫禁城=故宮博物院の観光は終了です。
中国的スケールのでかさに感動。おのぼりさんの団体客にもみくちゃにされましたが。

あれは景山公園か。いつかまた来たいな。

「緊密団結…習近平同士の…核心的中央…奪取新時代…中国特色社会主義…大勝利」
勇ましいスローガンだが、全体主義を彷彿させるな。ベトナム。ホーチミンにも似たようなのが掲示されていたなぁ。
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時刻は10時25分。景山公園左側の駐車場でヤン准将と再会。
これより万里の長城(慕田峪長城)を目指します。

旅の途中ですが、続きます。

蒼穹の昴(1) (講談社文庫)
浅田 次郎
講談社
2004-10-15



秋の三連休を利用して行ってきた。今回の旅のテーマは、ただひとつ、
■紫禁城と長城の雄大なスケールを楽しむ。
ことに尽きる。

【参考データ】
往路便
 2017年11月3日(金) 関西国際空港10時00分発NH979便、北京行き
復路便
 2017年11月5日(日) 北京首都国際空港14時30分発NH980便、関西国際空港行き

北京宿泊先:Beijing Hotel NUO Wangfujing(北京飯店ヌオ・王府井:2泊)
(旧 ラッフルズ北京ホテル)

■2017年11月3日(金) 北京首都国際空港へ!

朝6時40分、JR三ノ宮駅より関西国際空港行きバスに乗車。三連休だけあってほぼ満席だ。
薄雲の向こうから輝く夜明けの紅い太陽が目に染み入る。眠いぞ。SONYウォークマンでひたすら音楽を聴いていたら、7時50分に空港に到着した。中国旅行には欠かせないVPN機能付きWi-Fiルータを受け取り、ANAカウンターでチェックイン。荷物はすべて持ち込むのだ。
海外旅行保険はいつもの3千万円・5430円プランに加入。

49,111円を2,160元へ両替。
9時に出国完了。10分後には14番ゲートへ。シュークリーム、どら焼き、のどあめを購入。
9時30分にアナウンスあり。搭乗開始が遅れるだと? もっと早くアナウンスしてほしかった。
でも15分後にはボーディングできたし、さすがは優秀な日系航空会社だ。
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機体はボーイング767-300。古いが10列シートじゃないので、実は楽だったりする。
後方は結構空いているし、隣も空席でラッキーだ。

10時18分に離陸。おお、眼下に明石海峡大橋!
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10時55分に昼食が出る。飯が美味だ。
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時計を1時間遅らせて……。そうこうしているうちに大陸に入った。
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12時20分に着陸。25分に到着したのに、イミグレのとんでもない行列に並ばされ、入国できたのが13時23分とはひどいな。
9月の大連空港では15分足らずで入国できたのに。

文句はさておき、13時55分に飛機場快速列車に乗車。荷物検査は面倒だが、安心の裏付けではある。
料金は25元もしたのに、満席で立たされる羽目となった。

このBeijin Airport Express、地上を走るのは良いが、窓からの陽射しがきつくて暑い。カーテンもブラインドもないのか。
車内は、日本の列車内以上にカオスと言える。科学技術文明が発達したとはいえ、今読んでいる魯迅の作品に登場する人物、世界観が21世紀までそのまま残っている感じがする。

14時25分に終着駅の東直門駅に到着。地下のプラットホームから地上へ出ると、おお、北京のものすごい交通渋滞を目の当たりにできる。
なんとか道端でタクシーを拾い、ホテル名を告げる。ここまではまだ良かったのだが、本当にひどい渋滞だ。
信じられんことに、ホテルに到着したのが15時5分だ。30分近く乗車して40元。まぁこんなものか。

Beijing Hotel NUO Wangfujing(北京飯店ヌオ・王府井)は、1年前はラッフルズ北京ホテルという名前だった。なんか感じが変わるな。
ドアマンは良い感じ。後日、この係員に世話になることになる。
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カタコトの日本語が話せるフロントの係員曰く、部屋をグレードアップしてくれるそうで、準備するのでクラブルームで30分待てと。
他のスタッフのことを「同志」と紹介するのには笑みを漏らしたが。

クラブルームは、特別室に宿泊客のみ入室できるそうで、コーヒー、サンドイッチ、菓子類を飲食し放題。それは良いのだが、クラブルームの「同志」2人組はスマホと雑談に夢中で、仕事への情熱ゼロだな。
何が30分だ! 15時55分になってやっと迎えに来た……。

スイートルームは2階正面に位置する立派すぎる部屋だが、広すぎて逆に困る。
翌日、段差につまづいて転び、年齢を自覚して哀しくなったりもした。
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さて、観光に出発しよう! 16時15分になってしまった。
ホテルは王府井の一等地にあるので、とても便利だ。わずか10分で天安門広場の入口に到着した。

セキュリティチェックの列……。

おお、天安門広場! 中国的名所だけあって外国人だけでなく、中国人のおのぼりさんの多いこと!
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北京のランドマークだけあって、東京ドーム10個分の広さは伊達じゃない。

夕方になり、掲揚された国旗の降納の段になると、共産党の軍隊がわらわらと出てきて隊列を組み、儀式めいたことをやって……。この中華帝国の人民にとっては誇らしいのだろうな。
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東長安街。歴史を感じさせる良い名称だ。この大通りの広い歩道を東へ向けて歩く。
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王府井をうろうろ。人民の海に呑み込まれてしまいそう。
時計台は日本の銀座のパロディだろうか。見てるこっちが恥ずかしい。
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有名な王府井小吃街。強烈な匂いも作用して、ゲテモノ売り場にしか見えないのだが。
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生きたサソリを口に入れる? ~~!!
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ところで、まだ18時なのに暗いのは、首都なのに照明がほとんどないからか! とても北京の銀座通りとは思えない暗さと危なさ。軍備よりもこういったインフラを整備するべきだろう。

本屋に入ったが、2件とも期待外れだった。雑誌が置かれていない。

夕食はホテルの中華料理。一人用セットメニューが実にありがたい。
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あれれ、ビールを飲みすぎたかな? 部屋へ戻ろう。
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ほろ酔い気分で部屋の入り口を見ると、何やらプレートが……。
そうか、シャルル・ド・ゴールくんも宿泊した部屋なんだな。同志よ!(酔っている)
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VPN付きWi-Fiルータのおかげでグレート・ファイアウォールの外部=西側世界のインフラ=規制のないインターネットにつながるのは実にありがたい。おかげで寝るのが遅くなってしまった(25時30分)。

明日はグレート・ウォールだ。

続きます。



暗黒大陸。この言葉に込められた、アフリカの歴史を否定する見解から脱却し、黎明期からの独自の地域史・交流史を探求する動きをコンパクトに紹介する一冊。アフリカ入門書としても適切かと。

・驚くのはその歴史教育だ。1922年にイギリス領・ウガンダに設置された大学に歴史学講座が開かれたのは1949年、その内容はヨーロッパ史とイギリス史のみで、かろうじて「熱帯アフリカ史」科目が設けられたのは1951年だ。その内容も奴隷貿易、アフリカ探検家、特許会社、キリスト宣教師、アフリカ分割と第一次世界大戦と、アフリカ社会に発起する分野は何もなかったのか(p17)。アフリカの年と呼ばれた1960年に、自国と自民族の歴史の奪回が悲願であったことは大いに納得できる。
・第3章はアフリカについての記述の歩みを概観する。15世紀まではヨーロパ人(ヘロドトス、プトレマイオス)・アラブ人によるものに偏っており、16世紀になるとアフリカ人自身の記述が登場する。初期はイスラームの影響でアラビア語だが、後に各王国が独自の文字を登場させる。大航海時代の探検家の記録は、やはり偏っているなぁ。植民地時代~1950年代は黒人に対する差別が当然とされた時代でもあり、ヨーロッパ人は人文社会よりも自然に重点を置いていたらしい。アフリカ人自身の歴史の記述は、例えばジンバブエ遺跡が現地の住民によって建設されたことは、独立以降にやっと認められたという。
・アフリカ各地に存在した王国と「帝国」は、必ずしも西洋的な尺度の当てはまらない。それでも、緩やかな連邦制の帝国が西洋文化の影響を受けて中央集権制へと変遷する様は面白い。人種・文化の多種多彩なコスモポリタン都市を抱えたスワヒリ文明の考察も興味深い。

アフリカだけではない。彼らの肩を持つわけではないが、朝鮮民族の歴史は1945年の独立以降に正当化されたし、現在中国共産党の圧政下にある各少数民族の歴史は闇に隠されたままだ。規模はそれぞれにせよ、民族自決の実現したときにこそ、「本当の歴史」が明かされるということだな。

アフリカ史の意味
著者:宇佐美久美子、山川出版社・1996年9月発行
2018年4月7日読了
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アフリカ史の意味 (世界史リブレット)
宇佐美 久美子
山川出版社
1996-09-01



インド洋に面するタンザニア・ザンジバル島を中心とする東アフリカ沿岸地域の歴史をコンパクトに概観できる。

・インド洋西域の季節風が、アラブ人とインド人、そして交易品をアフリカ東海岸へと運ぶ。イスラーム文化の浸透、文化的統合、通婚。ザンジバル島北西端のストーン・タウンをはじめ、人種・文化の多種多彩なコスモポリタン都市の誕生。15世紀にはスワヒリ社会が「文明人」の言葉、スワヒリ語とともに形成される(p24)。
・まるで古代ギリシャのようなスワヒリ諸都市の自律性。そこに付け入ったポルトガル。「人種や民族の境界をこえて人と人を結びつけてきたインド洋世界」(p42)の文化との衝突は、過酷な侵略と統治ともたらした。。
・西洋を駆逐したオマーンが新たな支配に乗り出す。商人世界の大繁栄。多大な利益をもたらす商品は象牙と内陸部の奴隷たち。ヴィクトリア湖とタンガニーカ湖の周辺での奴隷狩りは、ベルギー・コンゴによる支配とどちらが過酷だったのだろう。そこに「奴隷解放」アメリカ人商人による無担保クレジットが効いていたとは、歴史の皮肉か。
・リヴィングストン、スタンリー、マフディー軍。アフリカ人商人ティップ・ティプ、「湖水の人」ミランボ。19世紀の群雄伝さながら。そして列強による東アフリカ分割へ。

アラブ商人、インド商人の混淆、ポルトガルの侵略、オマーン国王による直接統治、そしてイギリス保護領へ。先進的な沿岸部住民による"奴隷供給地"アフリカ内陸部への進出。環境に翻弄されたとはいえ、地域史とはかくも面白いものなのか。

スワヒリ都市の盛衰
著者:富永智津子、山川出版社・2008年12月発行
2018年3月31日読了
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1920~1930年代の多種多様なカタログ・ちらし類から、モダン都市ライフを取り巻く文化装置を解説する一冊。現在からみても斬新な、豊かな消費文化の情報が解き明かされる。

・規制が少ない時代なのか、電気鉄道会社は沿線への住宅供給だけでなく、電灯用電気の供給販売まで行っていたことが、阪神急行電気鉄道のパンフレットを例に示される(p31)。
・「六甲苦楽園(温泉)」「春の摩耶山」「山は朗らか(六甲ケーブル)」などのカラフルなパンフレットは見て楽しい。生活水準が向上し、庶民でさえ郊外の行楽地へ足を延ばす、そんな光景がありありと浮かぶ(p34,46)。
・大正9年にはウインタースポーツとしてのスキーが活況で、スキー臨時列車なども準備されていたのか(p68)。
・「世界服飾文化博覧会」はとても興味深い。西洋やAA諸国のファッションに交えてMade in Japan製品の飛躍ぶりを示す内容は、満洲国「新京」の完成した昭和9年という時節もあって、さぞ壮観だったのだろう(p94)。
・「百貨店とファッション」と称する8ページに及ぶ内容も興味深い。新しい生活文化に触れる場所という点では、現代も変わらない(p102)。
・百貨店と並びモダニズムを代表するは「ホテル」だ。各地のリゾートホテル、都市型ホテルを合せて14ページもの紹介は充実している。甲子園ホテルも六甲山ホテルも、失われたのは惜しいなぁ。

戦前日本の都市生活は、実にカラフルだったことがわかる。

京阪神モダン生活
著者:橋爪紳也、創元社・2007年12月発行
2018年3月27日読了
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京阪神モダン生活
橋爪 紳也
創元社
2007-12-01


横浜の開港より遅れること9年、それでも急激にハイカラな街として神戸が発展した理由は何か。それは居留地の外に設定された「雑居地」の存在に他ならない。本書は、欧米人と日本人が日常的にコンタクトし、その中で育まれていった「神戸のコーヒー」の歴史を味わうコンパクトな一冊となっている。

・ブラジル産でもコロンビア産でもなく、神戸にもたらされた最初のコーヒーは英領インド産だったとは意外だ(p12)。
・日本茶店とコーヒーの深い関係。同じ舶来品だから抵抗なく受け入れられたというわけだ(p14)。あと、日本茶を好んで飲んでいたアメリカ人が、日清・日露の戦争で手に入らなくなった影響によりコーヒー党に変わったことから、戦後の日本でもコーヒーが流行するに違いないと踏んだ先人がいたんだな(p74)。
・1927年の元町。大丸百貨店開業、すずらん通り、映画産業の隆盛にコーヒー店の相次ぐ開業……。さぞ活気にみちみちていたんだろうな。
・終戦後、そして阪神淡路大震災からの復興。神戸とコーヒーの深い関係は続く。

にしむら珈琲店、神戸凮月堂、フロインドリーブ、ユーハイム、ゴンチャロフ、伊藤グリル、オリエンタル・ホテル。元町、三宮、新開地、垂水の喫茶店とカフェの数々。ああ、歴史を識(し)ると、店巡りが楽しみになってくるぞ。

神戸とコーヒー 港からはじまる物語
監修:UCCコーヒー博物館、神戸新聞総合出版センター・2017年10月発行
2018年3月17日読了
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神戸とコーヒー 港からはじまる物語
神戸新聞総合出版センター・編
神戸新聞総合出版センター
2017-10-31



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