男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2018年7月16日(月)6時30分起床、快晴

■十和田湖へ

純和風の朝食は、これも美味。
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9時25分にチェックアウト。ゆっくりできたぞ。
「星野リゾート 界 津軽」、良いところでした。
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明日は雨天のようなので、予定を変更して、弘前ではなく十和田湖へ向かう。
2時間近く車を走らせて到着した展望台から十和田湖を眺める。う~ん、霧が邪魔だなぁ。
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11時30分、十和田湖の子の口に到着。無料駐車場にレンタカーを駐車し、遊覧船「Aコース」の切符を買う(1,400円)。12時30分の出向まで時間があるので、昼食とした。「十和田そば」は、きりたんぽ入り。
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12時30分に「第三八甲田丸」は出発。解説付きで十和田湖を遊覧する。
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13時25分、休屋に到着。ここが十和田湖観光のメインステージだ。
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これが有名な高村光太郎作「乙女の像」か。
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しかし、観るものはあまりないな。
14時30分のJRバスに乗車し、今度は奥入瀬渓流を進むのだ。
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■奥入瀬渓流、さわやかな流れ!

大型バスは子の口を通過し、奥入瀬渓流を進む。素晴らしい運転技術だ。
観光名所で数秒間停車してくれるのもありがたい。おかげで車内から写真を撮ることができた。
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バス停「馬門岩」で下車。
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十和田湖方面へ歩くこと15分、超有名スポット「阿修羅の流れ」に到着した。
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澄んだ空気が心地好い。
で、長居しすぎて、子の口行きバスを一本、乗り過ごしてしまい、20分以上も次のバスを待つハメに。。。
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16時5分、最終バスに乗る。16時23分、無事に子の口に到着。土産物屋はすべて閉まっている。

■由緒正しき「十和田ホテル」

17時に十和田ホテルへチェックイン。ここは幻のオリンピック開催に向けて、昭和14年に建築されたとのことで、いまでは伐採が禁止されている秋田杉をふんだんに使用していることが特徴だ。
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窓からは十和田湖を見渡せる。木が邪魔だけど。
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夕食は西洋懐石。
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なるほど、ここは秋田県なんだな。

明日はどうしようかな? 悩みながら眠ります。
続きます。


2018年7月15日(日)6時20分起床、快晴

■青森県立美術館

朝食後、9時前に椿館をチェックアウトし、青森市街へ向かう。9時55分に青森県立美術館へ到着。
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エントランスでは『ぼよよんろうそく』が迎えてくれた。
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アレコホールは圧巻! バレエ「アレコ」の4枚の巨大な背景画はマルク・シャガールの手によるもの。四方を幻想的な作品に囲まれ、しばし悠久の時空間を過ごす、この贅沢よ。

奈良美智の先鋭的な作品、棟方志功の版画、馬場のぼるの「ねこ」絵画、成田亨(ウルトラマンね)の美術ボード、澤田教一のベトナム写真を見て回る。ああ、来て良かった。

美術館のシンボルとも言える『あおもり犬(奈良美智)』は、ギャラリーをいったん外に出て、暑い中を歩き、歩き、専用の屋外ギャラリーに行かねばならない。……ちょっと配慮してほしいな。
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ん、満喫。なんと、12時まで滞在してしまった。


■竜飛崎へ!

さて、津軽半島の最北端「竜飛崎」へ向けてロングドライブへ出発。先は長い。。。
13時15分、道の駅・今別で昼食のたずな味噌ラーメンを試す。美味。
十分に休憩したところで、13時50分に再出発。

国道280号線は山間から、やがて漁村の光景に変化する。
14時55分、やっと竜飛崎に到着した。長かったが、その甲斐はあった。

漁港近くの駐車場にレンタカーを停め、日本唯一の歩行者専用の国道「階段国道」を見る。
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「津軽海峡冬景色歌謡碑」
ここは大人気。風がとても強かったが、石川さゆりの歌声とともに景色を楽しめた。
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「竜飛崎灯台」
吉田松陰や太宰治も、ここから海峡を眺めたそうな。
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あれが岬か。
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おや、霧が出てきたぞ。15時40分、ホテルに向けて竜飛崎を出発。


■濃霧の恐ろしさを体験!

竜飛崎を離れて、県道を南下することわずか10分、道路は濃霧に覆われて、ヘッドライトを点灯しても、直前の白線しか見えない視界不良の中、ハザートランプを点滅させて時速20kmでの綱渡りの走行を余儀なくされた。下山して霧が薄くなり、普通に運転できるようになったときの安心感と言ったら!

東北道を南下。津軽PAで小休止。
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18時40分に「星野リゾート 界 津軽」に到着。3時間もかかったのか。。。
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部屋も、窓からの眺めも素晴らしい。
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夕食は美味だった。津軽路ビールも。
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■津軽三味線

21時より行われた津軽三味線のライブは、それはもう素晴らしいもので、全国グランプリを受賞した演奏者による、音響設備に頼らない「生」の響きには心酔させられた。
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そしてライブ終了後のお楽しみとして、展示されていた三味線で「さくら、さくら」を演奏させてもらえたのだ。良かったぞ!
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檜風呂にはたくさんのリンゴが浮かんでいた。
美味しい料理と津軽三味線と香りに大満足したところで、続きます。





津軽海峡~冬景色~♪ の竜飛崎を観たい! 十和田湖と奥入瀬渓流も歩きたい! というわけで4泊5日の青森旅行を敢行した。

【参考データ】
往路便
 2018/7/14土 伊丹空港11時55分発ANA1853便、青森空港行き
復路便
 2018/7/18水 青森空港13時10分発ANA1854便、伊丹空港行き
 が、霧で遅延して青森空港14時00分発となった
宿泊先
 2018/7/14土 椿館(浅虫温泉、1泊)
 2018/7/15日 星野リゾート 界 津軽(1泊)
 2018/7/16月 十和田ホテル(1泊)
 2018/7/17火 星野リゾート 奥入瀬渓流ホテル(1泊)

今回は旅のテーマを決めていない。のんびりと旅情を愉しむのだ。


■初の青森県行き

2018年7月14日(土)

6時38分起床。朝から殺人的な暑さの中、バスとJRを乗り継いで三ノ宮駅へ。
9時15分、三ノ宮駅より伊丹空港へ向かうバスに乗る。
関空バス便と違って往復割引はないんだな。
9時50分、伊丹空港着。名称が大阪"国際"空港のままなのが哀しい。
リニューアルされて宣伝された屋上展望台を試したが、たいしたことなかった。そも、暑い。
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11時50分boarding、久しぶりの小型プロペラ機だ。
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11時58分テイクオフ。機内でガイドブック「ことりっぷ 十和田湖・奥入瀬」を読む。
この若い女性向けのガイドブック、実は使いやすくて愛用しています。

13時38分、青森空港に到着。レンタカーを借りて、14時13分に青森市街へ出発!

14時40分、物産観光館アスパムの駐車場へ乗り入れる。周辺では3週間後に迫った青森ねぶた祭へ向けて、多数の大型「ねぶた」が制作されていた。
さっそく、13階の展望台へ!……あれ? なんですか、これ?
神戸ポ-トタワーや五稜郭タワーからのような素晴らしい眺望を期待していたのに、しょぼいぞ。
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おお、これがねぶたか。そしてしょげた気分は、この後、素晴らしいねぶたの数々を見ることにより、快晴へと向かう。
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■ねぶたの家 ワ・ラッセ

ここは大当たり!
昨年の青森市街を練り歩いた大型ねぶたが多数展示され、祭の雰囲気を存分に楽しめる空間となっている。ねぶたの歴史やその制作過程を知ることもできたし、和太鼓と笛の祭囃子も良かった。

一番のお気に入り『滝夜叉姫』
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『紅葉狩』
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『赤沼伝説』
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■青森の港、ここにもロマンがある

ねぶたの家 ワ・ラッセから歩くこと10分、かつての青函連絡船「八甲田丸」が係留され、内部は展示館となっている。
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パンフレットによると、八甲田丸は1964年に就航し、1988年3月の最終航行まで、23年も津軽海峡を往復したとある。
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さて、内部に入ると、昭和30年代の在りし日の青森港の光景が次々と出迎えてくれる。蓑外套なんて、もう見ないな。
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操舵室やエンジンルームも見学できる。
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圧巻は「車輌室」。ここに鉄道車両が引き込まれていることには、素直に驚いた。なるほど、JR連絡船。青森駅または函館駅から、鉄道路をそのまま船に直接乗り入れるわけか。
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下船して少し歩くと、津軽海峡冬景色歌謡碑が現われる。人センサにより、近づくと、石川さゆりが唄い出す仕組みだ。
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港を満喫できたところで、駐車場へ。今年の新作ねぶたが披露されていた。
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それでは、今夜のお宿へ向かいます。


■浅虫温泉 椿館

青森市街から車で1時間弱。海岸に近い浅虫温泉に、その旅館は存在する。棟方志功ゆかりの宿『椿館』だ。18時10分にチェックイン。
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夕食は19時から。鮑や雲丹、地元の海鮮を中心とする和食だ。
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なんでも今日は「浅虫温泉ねぶた祭り」の日らしく、幼稚園やグループホーム、各種団体の小規模なねぶたが温泉街を練り歩いていた。椿旅館の前には19時15分頃より登場。
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青森市長はじめ、偉い方たち。
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楽しいひと時を満喫できた。祭は良いな。

お腹いっぱいで、続きます。


同窓会に出かけたはずの夫が、会場にたどりつけずに戻ってきた……。夫婦の『長いお別れ』の日々は静かに始まった。
アルツハイマー病、それが年々ひどくなりゆくとき、彼あるいは彼女とどうつきあうのか。本書は日常に重い課題を投げかけてくれる。

・「ねえ、お父さん。つながらないっていうのは……」(p153)は母の本音。そして次女が、母の本当の労苦を確かに識るシーン(p209)はとても切ない。
・忘れるということ。それでも夫は妻が近くにいないと不安そうに探す(p259)。「確かに存在した何か」の件にはグッときた。

自分が「その立場」ならどう振る舞うだろうか。母と三姉妹、孫たちの中にヒントはあるだろうか。そして「その時」までのQOLを考えるとき、それが確かに家族や友人の「絆のかたち」であるなら、とても幸せな人生を送れたと言えるのだろう。人生のターミナルはかくありたいと願い、温かな気持ちで書を閉じた。

長いお別れ
著者:中島京子、文藝春秋・2018年3月発行
2018年7月12日読了
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長いお別れ (文春文庫)
中島 京子
文藝春秋
2018-03-09




20世紀初頭から戦中・戦後、大阪万博まで、京都工芸繊維大学美術工芸資料館の有する美麗なポスター229点。全ページフルカラーの美麗な図版と解説を楽しめる。

・飲食、ファッション、化粧品・薬、趣味・嗜好品、船舶・鉄道、博覧会・映画、戦争プロパガンダ、ポスターの未来の全8章から構成され、大正・昭和初期を中心に明治~昭和30年代までのポスターが紹介される。それぞれの章の解説がわかりやすく、ポスター図版をより楽しめる仕組みとなっている。
・江戸伝来の引き札、明治の美人画・絵画から、西洋由来のデザイン重視・商業美術ポスターへの変遷は、なるほど、印刷技術が発達し、杉浦非水に代表されるデザイナーが登場する1920~1930年代なのか。
・化粧品のポスターは華やかだ。デパートとともに、女性の新しいライフスタイルを牽引したとある。資生堂やクラブ化粧品のポスターは現代でも通用するかも。
・交通関係では『東洋唯一の地下鉄道』(1927年:p175)がやはり秀逸だな。朝鮮総督府の金剛山、華北交通のポスターも珍しい(p193)。
・真っ赤でシンプルな富士山の図章を用いた「紀元二千六百年記念 日本万国博覧会」のポスター(1940年)は、とても印象深い(p216)。
・掲示され見られるポスターだけではない。家庭に配布され、見られるマッチのラベルも、昭和には多彩なデザインのものが登場したことがコラムで解説される(p156)。当時の風俗のみならず、ランドマークや地下鉄開通などのトピックスもわかり、興味深いな。

本書はコンパクトな文庫本サイズだが、1ページに一葉のカラーポスターが掲載され、十分に楽しむことができた。
まぁ、欲を言えば、もう少し大きな版で鑑賞したいところだが。

日本のポスター
編著者:並木誠士、和田積希、青幻舎・2018年3月発行
2018年7月8日読了
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ジャポニスム。19世紀中葉の西欧を席巻したこの興味深い熱狂は、1867年パリ万博を契機に花開いたとされる。その西洋文化への影響は現在に至っても研究対象としての魅力を失わない。一方で「万博デビュー」を果たした江戸幕府(と薩摩藩、佐賀藩)の思惑はどうであったのか。この辺りも興味深い。
本書は、1867年および1878年のパリ万博とジャポニスムの接点に焦点を当て、「物」と「人」を通じて、いかなる「日本」像がフランスと日本の相互作用の中で形成されていったかを、社会的なアプローチから探求する。実に興味深い一冊だ。

・1867年パリ万博では、日本からの出品物は中国、タイのものと混同され、ジャポニスム旋風の巻き起こる前の西洋人の認識レベルがわかろうというもの。そればかりでなく、出品者は「大君政府」「薩摩太守政府」「佐賀太守政府」とされてしまい、フランス人に「日本は封建領主制の連邦国家である」との誤解を与える結果になった。薩摩にとっては思惑通りだが、面子をつぶされた幕府にとってはただ事ではなかったろう(p71)。一方で日本家屋と3人の女性、武士模型と「切腹」、工芸品への官民の品評は素晴らしく、万博を契機に、それまでアジアに埋没していた「日本」がハッキリと認知されていったのは嬉しいところ(p77-82)。
・本書の凄味は、日英仏外交文書や各種書簡といった一次資料を駆使し、幕府、薩摩藩、フランス、イギリスの外交関係の複雑さを読み解く第二章にある。特に将軍慶喜と駐日フランス公使ロッシュの思惑と期待とは裏腹に、時のフランス外務省の取った態度(薩摩藩の優遇)が幕府使節団をイギリスへ接近させるようになることは、歴史的事実として興味深い。
・1867年パリ万博の開会式に、独立国としての「薩摩琉球国」として参加した薩摩藩。幕府より2か月早く訪欧し「日本政府」から独立した万博出品区画を確保するなど、その手腕は特筆されよう。幕府は薩摩藩の動向を把握していたにもかかわらず対抗することができなかった。そして薩摩は現地メディアを用いて「大君政府と薩摩政府は帝のもとで同格であり、日本は連邦制国家である」ことを喧伝することに成功する(p152)。日本国内での「勢い」が海外においても発揮された例か。
・かの五代友厚も、1867年パリ万博薩摩藩使節として、また「薩摩琉球国」の立役者にして後に日本帝国フランス総領事となるモンブランと、明治政府のもとで対仏外交に深く関わっていたんだな(p193)。
・明治初期には日仏政治関係は冷え込む。それに反して、フランス人の日本文化への興味は増大してゆく。なぜ、ジャポニスムの流行がフランスにおいて生まれたのか、第三章ではその経緯が明らかにされる。そして西南戦争によって荒廃した国内の各方面を鼓舞し、わずか28歳にして1878年パリ万博への日本の参加を実現させた人物、前田正名の活躍は特筆されよう。著作のみならず、現地メディアを駆使して「正しい」日本イメージの喧伝に成功したのは、彼の功績である。
・1878年パリ万博への日本の出品物。専門家からは輸出を意識しすぎて日本の独自性が失われつつあると非難されるも、メディアと民衆には好意的に受け止められた。フランス工芸界は日本的要素を懸命に取り入れ、そして……。

20世紀初頭、フランスから生まれて新しき熱狂を巻き起こしたのは、「日本的自然」を取り入れたアール・ヌーヴォーであった。ジャポニスム旋風は終焉したが、姿かたちを変えて彼の地の文化に溶け込んだといえよう。

パリ万国博覧会とジャポニスムの誕生
著者:寺本敬子、思文閣出版・2017年3月発行
2018年7月7日読了
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前作『日本人村事件』から1年後の1886年8月、ロンドンより汽車で数時間のドーバー海峡を見晴るかす海岸にある伯爵の別荘、アルカディア・パークが舞台となる。ヴィタ奥様とロード・ペンブルックとの確執、エジプトから持ち帰られたミイラのある噂、謎の結社『ミネルヴァ・クラブ』と、前作よりもミステリー要素が高められている。そして貶められた地位に留めおかれた淑女たちは、男性支配のイギリス社会に抗いはじめる。

・「金色の雌獅子」の異名をとるヴィクトリア朝レディ・トラベラー、ミス・ナポレオーネ・コルシ。髪はまとめず、上背も高く乗馬服の上に孔雀模様のインド更紗を纏って貴族のパーティに出席するその雄姿は、表紙画の通り。
・「暴君は老いても暴君である」の最終段、癇癪もちで謹厳な老伯爵の前で、2人のレディ、ミス・コルシとヴィタ奥様が「土埃を蹴立てて丘を駆け下ってきた姿」に一同唖然とさせられるシーンにはニヤリとさせられた(p124)。
・後半は事件が続発する。「死者は生者を呪詛するか」の深夜の図書室(p174)。あの時の伯爵の立場だったら、『ミイラ』には実が凍えるほど驚いただろうな。
・復讐のやりきれない哀しみ。せめて彼女たちの残り少ない人生に幸訪れんことを……。

華やかな貴族と社交界。ヴィクトリア女王治世の裏側の、女性たちの苦しみが見事に描かれる。それだからこそ、毎日を生きることに意味がある。
「守るべきものは守る」(p240)
おおっ、素晴らしき明日とわれらがレディに「乾杯!」

LADY VICTORIA : THE MYSTERIOUS MINERVA CLUB
レディ・ヴィクトリア 謎のミネルヴァ・クラブ
著者:篠田真由美、講談社・2018年6月発行
2018年7月7日読了
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ナチス・ドイツの傀儡であるフランス・ヴィシー政府は、ユダヤ人の子供を次々と拘束・殺戮した。終戦時に生き残った者は1万人中わずか300名という。見て見ぬふりが横行する中、パリ5区に1926年に建設された大モスク(グランド・モスケ・ド・パリ)の指導者と仲間たちが、ユダヤ人を積極的にかくまいフランス南部へ避難させた逸話が明らかにされる。

本書の全篇にわたる美麗な絵と簡潔な文章が、1946年に起きた思い事実を淡々と読ませてくれる。イスラム文化の特徴とナチスに怯えるユダヤ人の姿をよく捉えた絵がとても印象に残る。

「我が同胞よ、あなたの心は寛容である」(p29)
この心温まるエピソードはオスカー・シンドラーや杉原千畝のようにもっと喧伝されてしかるべきなのだが、アルジェリア独立戦争が「フランス白人とムスリム(カビール人)の紐帯」をまるで無かったことにしてしまう様相はとても哀しいことだ。

パリのモスクではないが、僕も2016年8月にアウシュビッツを訪問した際、言葉に表すことのできない無力化を感じた。膨大な犠牲の上に「人道に対する罪」の法概念が誕生し、われわれの世界に活かされていることを想うと、「人の力」の偉大さにあらためて敬服せざるを得ない。

THE GRAND MOSQUE OF PARIS : A Story of How Muslims Rescued Jews During the Holocaust
パリのモスク ユダヤ人を助けたイスラム教徒
著者:Karen Gray Ruelle、Deborah Durland DeSaix、池田真理(訳)、彩流社・2010年7月発行
2018年7月2日読了
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パリのモスク―ユダヤ人を助けたイスラム教徒
カレン・グレイ・ルエル
彩流社
2010-07-15

1885年、ロンドンはナイツブリッジに開かれた「日本人村」。宝飾品詐欺、殺人、放火による全焼と事件は続く。合衆国出身の奥様に、アイルランド人執事、フランス人レディ・メイド、中国人コック、アメリカ黒人キッチン・メイド、、インド人フットマンと実に国際色豊かな使用人たち。「チーム・ヴィクトリア」の活躍がはじまる。
・泥水を飲んで生きてきた女。複雑さと偶然の重なりあった事件の一端が一挙に明らかにされるのは、それまでの物語の進行に比べて性急な気もするが、「……の顔が、眼の中で二重写しに滲んだ」(p251)の件は良いと思う。二重の異人の悲劇か。
・「翡翠の香炉」事件。その終着は、ギルバート=サリヴァン・オペラ『ミカド』の舞台と絡み合い、実に見事(p260)。舞台装置といい、時代考証といい、良く練られた物語だ。
・鹿之助と史郎、そして佐絵。第九章「夢の終わり、旅路の果て」の苦悩は、男ならよくわかる。裏切りに次ぐ裏切り。史郎の振る舞い(p274,288)にはグッと来たぞ。
・幻想のジャポニスムの終焉(p298)。それでもレディ・ヴィクトリアの優しさが溢れるエピローグは実に心地よい。「……善悪の外にあるものとして、ただ平安を祈るものなの」(p301)

人生に希望を持て! 篠田真由美さんの著書ははじめて手にしたが、ヴィクトリア女王の世に、瓦解した幕府の臣民=日本士族を登場させた冒険譚はとても面白かった。

レディ・ヴィクトリア ロンドン日本人村事件
著者:篠田真由美、講談社・2017年3月発行
2018年6月30日読了
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『切符』
みんな貧しい中での、子供のころの人間くさく切ない体験。東京オリンピックで戦後は終わったのか。決してそんなことはない。この短編の中に、浅田次郎の主張が込められているように思う。
「痩せた体じゅうの骨が、こんちくしょうと言っていた」
そして、広志少年と千香子との関係がいつまでも続くように願ってやまない。

『特別な一日』
サラリーマン人生最後の日、それをいつもの一日にしようとする男。昇格、不倫の名残り、出来の悪い部下、会社への愛着心。すべてを「いつもの立ち飲み屋」でコップ酒として飲み干す夕暮れ。
最終段、「特別な一日」の意味が明らかになる。そうなると、飲み屋での「あきらめられない」の意味も明らかになる。切ない物語だ。

『丘の上の白い家』
こころの真っ白な男。誠実で純情で、でも生き方の不器用な青春の終わりは残酷だ。少なくとも「左官屋」のように、現実が真実を追い越す最期のほうが良いな。

他に表題作『夕映え天使』、『琥珀』、陸士時代の不思議な体験を告白した『樹海の人』を収録。

夕映え天使
著者:浅田次郎、新潮社・2008年12月発行
2018年6月22日読了
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夕映え天使 (新潮文庫)
浅田次郎
新潮社
2011-06-26


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