男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

東京出張のチャンスを利用して観賞したぞ!
(2009年5月21日)

「これぞルーヴル、
 これぞヨーロッパ絵画の王道」
とのうたい文句に期待は高まる。15時過ぎに会場到着。って、待ち時間40分! ひどいんじゃないか?
会場内も混雑している。しかし並んだ甲斐あって、素晴らしい作品群を堪能することができた。

巨大な油彩の前に立つ。魂の込められたタッチに見入る。

ルーベンスの「トロイアを逃れる人々を導くアイネイアス」は、燃える故郷を追われ、身体ひとつで異国へ脱出する民族の悲劇が伝わってくる。

「テーブルを囲む陽気な仲間」の「おい、酒を独り占めするんじゃねぇゾ」との会話が聴こえてくる。

あと、「ルイ・デカルトの肖像」画の第一印象は、「狡猾そうな顔つき」だなぁ。後世に名を残す偉大な哲学者には申し訳ないが。

個人的には、「アンドロメダを救うペルセウス」(ヨアヒム・ウテワール、1611年)と「クリュセイスを父親の元にかえすオデュッセウス」(クロード・ロラン、1644年)が気に入った。
http://www.ntv.co.jp/louvre/description/pict10.html
http://www.ntv.co.jp/louvre/description/pict7.html

印象に刻まれたのは、やはり「大工ヨセフ」(ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、1642年)だ。
http://www.ntv.co.jp/louvre/description/pict12.html
(3作品ともポストカードを買えた。)

テレビ放映やネットでは味わえない、この感覚。やはり本物だ。

ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画
http://www.ntv.co.jp/louvre/

2009年6月14日まで。関東在住の人はすぐに行くべし。
関西でも2009年6月30日から京都市美術館で開催される。これで安心(?)だ。

京都駅ビルの高橋留美子展に続けて観賞した。(2009年5月16日)

「イタリア美術とナポレオン、美術と歴史が織りなすフェッシュ美術館の至宝をお楽しみください」とのことで、ナポレオンの叔父のコレクションをもとに設立された、コルシカ島のフェッシュ美術館の収蔵品が展示されている。

15世紀のボッティチェッリ(舌を噛みそう)の「聖母子と天使」や、18世紀のジャクイントの「サン・ニコラ・デイ・ロレネージ聖堂のための習作」等が展示されていたが……。
正直、心を鷲掴みにされる作品はなかった。宗教画も迫力はないし。

ただ、「第4章 ナポレオンとボナパルト一族」は良かった。
ナポレオンのデス・マスク。死してなお、石膏型取りされて、人々の前にさらされる。良いのか、悪いのか。

ナポレオン3世の小さな肖像画が気に入った。平服かつ小さな額に納まったもので、煌びやかな衣装を纏ったナポレオン1世の戴冠式の豪華絢爛な巨大絵画と対照的だ。
どうも僕は帝国最後の皇帝、最後の国王に惹かれる。ハプスブルグ帝国の老人皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世がそうだし、江戸日本最後の将軍、徳川慶喜がそうだ。
瓦解する国家体制の立て直しに奔走する姿勢が、いまの為政者にない魅力を有しているからだと思う。

で、この京都文化博物館は美術作品だけでなく、京都で撮影された映画のフィルムやポスター、脚本などを保存・展示する映像ギャラリー、京都映画の上映会が行われる映像ホールを有している。いいなぁ。
別館の建物だけ趣が違う。旧日本銀行京都支店であり、国の重要文化財だそうな。明治クラシックスタイル漂う外観と内装が実に良い。

京都府京都文化博物館 イタリア美術とナポレオン
http://www.bunpaku.or.jp/index.html
2009年5月24日まで。

以前、東京・松坂屋で開催されていた展示会が、規模を縮小して京都で開催されている。
なんで大阪じゃないの? 
で、明日が最終日。地元、神戸で蔓延しだした新型インフルエンザが気になるが、こんなチャンスは二度と無いので行ってきた。(2009年5月16日)

来て良かった。貴重な高橋留美子先生のオリジナル原画を、それこそ、30cmの距離で眺めることができた。
ポスターやカレンダー、画集は結構持っているが……。さすがは肉筆の原画。印刷物とは全然違うぞ!
それにしても、細やかなタッチといい、微妙な濃淡の付け方、表情はもちろんのこと、衣服の"しわ"表現のための繊細な色彩表現……。神業だな!
にしても、ホワイト修正の多いのは、新たな発見だ。

数は少ないが、直筆の原稿も展示されていた。うる星やつら、めぞん一刻、らんま1/2の最終回がそれぞれ数ページ分。犬夜叉は最終巻の原稿だ。(東京での展示会開催時は連載中だったから。) でも、最終回の感動シーンのラフ画が3枚、展示されていた。こっちこそ貴重じゃないか!(井戸からかごめを抱き上げる、あのシーンだぞ。)

で、会場は想像を超えた人だかり。
10代と20代が大半。"三十路以上"は……少ないぞ(笑)。

それぞれの原画の下には作成年月が記載されている。めぞんコーナーでは「まだ生まれていないわぁ」との声をちょくちょく耳にし、ちょっとしたショックを感じた。「僕は高校生でした」なんて言ったらドン引きか……。

いまの若い人たちにとって、高橋留美子の代表作は「小学生時代に読んだ"らんま"」なんだなぁ。で、4月に新連載の始まった「境界のRINNE」もよく知られているようだ。良し!

他の作家の筆によるラムの展示が行われていた。こんなのに1/4ものスペースを割く必要があるのかな? まぁ、吉崎観音(ケロロ軍曹!)の作品は良かったが、他のはチョット……。

めぞん一刻のグッズと犬夜叉の複製原画を買ってしまったぞ!(19,000円)
人だかりで疲れたけど、来て良かったぞ! いつか、神戸でやらないかな?

高橋留美子展 It's a Rumic World(WEBサンデー)
http://websunday.net/rumic/

高橋留美子さんインタビュー : 高橋留美子展~ It's a Rumic World~ : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/takahashi_r/fe_tr_08070901.htm?from=nwla

1759年だから、フランス革命が欧州を席巻する前の作品。ドイツの城内で純粋無垢に育てられた若者=カンディードが、王女に恋したことで城主から追放され、様々な冒険と艱難辛苦に出会う物語。

当時のルイ15世による統治を含め、権力者=王侯貴族と僧侶に支配される体制をあからさまに批判する。
さらには、プロイセン対フランスによる7年戦争が民衆にまき散らした惨劇、特に女性の弱い立場が繰り返し描かれる。盛者必衰と女性蔑視の同居する似非騎士道精神、といったところか。

ドイツからオランダ、スペイン、ポルトガルを経てアルゼンチン、パラグアイ、ペルー、エルドラド、スリナム、フランス、イタリア、トルコ、と冒険は続く。

表面は聖人気取りな司祭が、裏では「無類の女好き」であったり、宗教裁判官の傍若無人な狼藉ぶり(気に入らない演説をした男を火あぶりの刑に)等、カソリックに与する人間を容赦なく批判する。
南米エルドラドでは
「へぇ! それじゃお坊さんはいないのですか。教えたり、議論したり、支配したり、陰謀をたくらんだり、意見の違う人間を焼き殺したりする……」
「狂人(ATOKに無いぞ!)にでもならぬ限りそんなことはできないよ」
実に面白かった。

当時のフランスの"教養人"が愛読していた書物を片っ端からこきおろす件が興味深い。決して面白くはないが、教養を保つために後世に残すと主張する常識人対し、「役に立たないから読まない」とバッサリ。実に本質をついている。

数カ所で日本のことが言及されているのは意外だった。18世紀中葉でも、江戸日本が世界に組み込まれていたと思うと、感慨深いものがある。

人生は苦難と退屈に満ちあふれている。それでも悲観せず、働き続けるのが人の道。これが作品に通底するテーマだろう。

Candide
カンディード
著者:ヴォルテール、吉村正一郎(訳)、岩波書店・1956年7月発行
2009年5月13日読了

ふたたび神戸映画資料館へ出向いたゾ。(2009年5月5日)
シアチェン - 氷河の戦闘(Siachen : A War for ice)を観賞した。2006年のスイス作品だ。

1947年のインドとパキスタンの分離独立。その時点で国境が確定しなかった地域があった。ヒマラヤ山脈の西に位置し、一年中氷河に覆われた6000メートル級の山々。カシミールの北東に位置するシアチェンだ。
(「シア」は薔薇のこと。シアチェンの地名はここから。)

[観光と軍事が並立する地]
パキスタン側の平地から上がるとアスコン峡谷に至る。車で行けるのはここまで。車道も無くなる。ここからは徒歩かラバのみ。
軍がヘリを飛ばせるのは好天のみ。悪天でも行けるラバで灯油を山頂の基地へ運ぶのは、民間業者だ。
氷河ではラバも転ぶし、死にもする。ラバ一頭は1,000ドル。

アジア最高峰のK2を擁するこの一帯は、観光と軍事の重要拠点が併存する。
急峻な山、雪崩、谷底へ崩れ落ちる雪原。ダイナミックな映像だった。
7,000m級の山々がそびえ立つ。軍事行動は好天のみ。

その山脈の向こう側は、インド軍の拠点となる。
こちらも最重要物質、石油をこちらはトラックで運ぶ。ヘリも併存。
一部には石油のパイプライン。液漏れ、環境破壊。

[バルトロ氷河で暮らす]
パキスタン軍の最前線、バルトロ Baltoro氷河。ここから隊列を組み、パトロールに出る。交代要員4名とガイド担当が2名の隊列だ。雪原を歩き、歩く。高度5,700メートルで、季節は6月。足下はぬかるみ、時に下半身が雪と泥の中へ沈む。
体力の消耗は激しく、陸軍の精鋭といえども、3分で先頭を交代させる。
ニット帽とサングラスは必携だ。雪焼けでさらに顔が黒くなる。

高度6,000メートルにある哨戒基地に到達。テントではなく、シェルターだ。交代要員はこれから1ヶ月間をここで過ごす。ここを拠点に、さらにパトロールを行い、この中でコーランを読み、礼拝を行い、生活するのだ。
指揮官は語る。最大の敵は天候だ。この地での任務は、もはや技量や体力の問題ではなく、士気の問題だ。
「気合いを入れろ、野郎ども!」
「おおっ!」(と僕には聞こえた。)

雪原に突如、現れたのは、なんと鉄条網だ! こんな辺境の地でも「境界線」は重要なのか。
ロープで全員の体をくくり、脱落者に備える。
で、なぜ、彼らはこんな過酷な環境に身をさらすのか?

[対峙のはじまり]
NJ9842と呼ばれるポイントの北側はインド、パキスタンとも暗黙の了解のもと、境界の未策定地域としてきた。1970年、パキスタン側が境界の設定を通告し、西側を制圧。これに反する形でインド軍も部隊を派遣した。当時のインド軍派遣部隊指揮官は語る。
「偵察を目的に少数の部隊で乗り込んだ。パキスタン側は大規模な部隊を展開しており、ここでわれわれが引くと、シアチェン全域が制圧されてしまう。わたしは越冬を決意した」
これが現在まで続く、両軍の対峙の始まりとなった。以降、20年間、全面戦争に発展しないよう配慮しつつ、これまでに4,000人もの戦死者を出してきた。

Googleマップで確認したら、この地域に国境線は引かれていない。曖昧なままでも衝突を回避できるなら、まだマシというもの。

[意味のある対立なのか?]
両軍とも、地元の理解を得るために苦心しているようだ。パキスタンのカイラット中尉は語る。バルチ族の村に学校と病院を建設し、運営している。さらに自軍の兵士にも気を遣い、わざわざ電話回線まで確保したという。「家族との通話が精神衛生上、不可欠であり、士気の維持にも繋がる」 そう、士気が大切なのだ。インド軍指揮官も士気の重要性を語った。

そのインド軍はどうしているか。シアチェンのすぐ南側は、欧米人と日本人が訪れる観光地、ラダックだ。その中心地、レー Lehには、10万人の一般市民と10万人の軍人が暮らしている。市民一人あたり、兵士一人。こんな地域はここだけだろう。
で、ラダックの地元民は、軍需品の輸送、飲食店の経営等、軍の活動に頼っているのが現実だ。「戦争は必要悪。カネになる」とインタビューで答えたのは、若い地元民だ。

そのレーからラダックの北へ抜けると、山頂のインド軍前線基地がある。総員600名もの兵士を擁するという。夏でも全方位、雪景色。ピッケルとスパイク。こちらも全員の体をロープでつなぎ、氷上を歩く。

高山病にかかる兵士。凍傷に苦しむ兵士。前線基地の軍医は大忙しだ。

1999年に勃発したカルギル戦争Kargil War の背景がわかった。
カルギル周辺を制圧すれば、インド側の補給線は極端に制限され、シアチェンの占有が確実となる、か。

それにしても、この睨み合いを維持するために必要な年間予算は、実に1,000万ドル!(2004年の実績)
自国民を満足に食べさせることもできない国家としては、多大な損失だろうに。
政治は何をしているのか?

[環境へのインパクト]
制作サイドは、これを強く訴えていた。20年間の対峙で対流したゴミ。毎日1万トンものゴミが出る(? 誇張しすぎ? 翻訳ミス?) で、キチンと平地まで持ち帰っているのか? 否! 軍はなんと、雪の下に隠すのだ! 飲み物の空缶、小銃の空薬莢はかわいいほうで、燃料のドラム缶や、撃墜されたヘリコプターまでも。
で、漏れた燃料はどこへ向かうのか? 氷河にしみこみ、汚染するだけなのか?
南アジアの母なるインダス川。その水源がシアチェン氷河であることは、何を意味するのか……?

「ヒマラヤ国際映画祭 WEST JAPAN 2009」の公式HP。
http://himalaya2009.jakou.com/index.html

「シアチェン - 氷河の戦闘」の公式HP。
http://www.siachen.ch/front_content.php

JR新長田駅南側にポスターが掲示されていた。内容がわからず素通りしていたが、実に興味深い内容であることを5月2日の神戸新聞で知った。チベット問題を中心に、ブータン、ネパール、インドなど、ヒマラヤを囲む地域の文化・政治・人権等多岐にわたる映画が上映されるそうな。中でも、ある作品が目を惹いた。

その「安らぎはいずこに?」は、カシミール地域の問題を取り上げている。Amazonで探したが、日本語版は無い。米国版DVDはリージョン1だし、英語じゃダメだ。
GWは業務都合で休日出勤なのだが、本作品の上映される夕方だけ、都合を付けて観賞に出向いた。(2009年5月3日)

[カシミール問題]
前々から欧米、特に旧宗主国である英国で大きく採り上げられるも、冷戦時代はインドの背後にソ連邦が、パキスタンには米国が付き、結局は無難な「現状維持」が続けられた。
(当時のパキスタン軍部への支援とアフガニスタン・イスラム義勇兵への肩入れが、後々に米国へ災いをもたらしたことは周知の通り。)

時代は変わり、インドは無視できない存在となった。ハイデラーバードを中心とするIT産業、インド人の数学、英語スキルの高さ、なにより膨大な人口と市場を擁する無限の可能性だ。

一方のパキスタンは弱体化した。繰り返される軍事クーデター、根付かない文民政治、現ザルダリ政権に代表される政府ぐるみの腐敗。内戦・国家崩壊の可能性すら出てきた。
ニューズウィーク日本版2009年5月6日・13日合併号では、特にパキスタン軍部の害毒があからさまに書かれている。

で、3000年の昔からそこに住む民衆の思いは無視されてきた。
カシミール Kashmir のインド占領地区では、特に1990年代前半に、反インド闘争が盛り上がりを見せた。パレスチナの地になぞらえ、カシミールのインティファーダと呼ばれることもある。
独立運動だけではない。ムスリム住民としての正統な権利を要求するだけで、留置場行きだ。

[安らぎはいずこに?]
正式作品名は「Jashn-e-azadhi : How We Celebrate Freedom」、2007年にインドで制作された。

フィルムはクプワラ Kupwara の地からはじまる。うら寂しい墓地で、老父がインド兵に殺された息子の墓標を探す。
「かなり昔のことだ」
それは1992年、反インド、独立運動が最高潮に達した時期のこと。
「息子はムジャヒディンだった」
彼は反インドのムスリム戦士。インド政府は「テロリスト」と呼ぶ。

ラル・チョーク。ここはインド・カシミール州の州都スリナガル(シュリナガル)の中心街だ。ニューヨークのタイムズ・スクエアをイメージしてもらえればわかりやすい。その豊かさは比較にもならないが。
60回目のインド独立記念日にあたる2007年8月15日、ここで祝祭行事が催された。
中央広場の時計台は巨大なインド国旗にくるまれ、居並ぶインド軍高級将校たちが演説をする。放たれる白い鳩、鳩。平和の象徴だ。ミニチュア国旗が配布されると、子供たちが群がる。
だが、大人たちは出てこない。閑散とした大通り。これこそ、カシミール住民の意思の表れだ。何故か?

[アザディ! アザディ!]
集会で連呼されるアザディ azadi は"自由"を意味する。
いまは平穏なスリナガルも、1993年は暴動に荒れていた。当時のニュース映像が流れる。
ハズラートバル・モスクには大勢のデモ参加者。
「インドは出て行け!」アザディ! 「インドは出て行け!」アザディ!
ダル湖畔にあるこの美しい白塗りのモスクは、僕が訪問した2007年7月には閑散としており、ただ子供たちの遊ぶ声だけが印象に残ったのだが……。

インド軍治安部隊と反インド武装勢力の抗争。前者はムスリム軽視のヒンドゥー教徒。後者は、カシミール独立運動の主流だった地元勢力に代わり、アフガニスタンから流れた外国人の"ならず者たち"。両者の狭間で苦しむのが、地元の民衆だ。

カメラは北部カシミールの村、テキプラ TEKIPULA、バンディポラ Bandipola、南部カシミールの村シュピアン Supianの住民の不安を追う。

家が放火される。軍は消火には協力せず、武装勢力を追うのみ。焼け出された数十人は途方に暮れる。
普通の農民が突然逮捕され、拷問され、命を奪われて家族の元に帰ってくる。「誤りだった」とわずかなカネで賠償される。

虐げられてきた涙は枯れることはない
そして怒りは蓄積される。

武装組織の協力者だった夫を殺され、弟も殺された女性は、畑仕事を捨て、小銃を手にする。インド側から見れば「テロリスト」になったのであり、殺すのに理由は無い。

それでも、すべての住民が反インドではない。イスラム武装勢力のリーダーの演説が始まる。「10万人もの犠牲者を出した。世界は見ているはずだ。インド軍は出て行け」
集会への参加者は多いが、独立支持に署名したのは村の全人口の9%に留まる……。

[懐柔]
ある村で貧しい住民にラジオを配るのは、インド治安部隊だ。
クプワラ村 Kupwara では、軍が学校を建て、寡婦を対象に職業訓練所(旧式のミシンだが)を運営する。

スリナガルのムスカン Muskaan 基地内には、学校を兼ねた孤児院が設営されている。祭の日、親を亡くした少年少女が「○○大佐、将校のみなさん、ありがとう」と舞踊を披露する。軍の当事者にとっては微笑ましい光景であるだろう。だが、周囲の虐げられてきたムスリムは、そうは思わないのだろう。

イクワニ ikhwani 。元はアラビア語の「兄弟」の意味。転じて「武装抵抗組織から足を洗い、軍の協力者と成った者」を指す言葉に。カシミールでは「裏切り者」の意味で呼ばれ、民衆から蔑まれる。

[カシミールは誰のもの?]
カシミールの地には、一般市民15人に一人の割合でインド兵が駐留していると言う。これには納得した。2007年7月にスリナガル Srinagar、ソープル Sopure、等を旅行したが、軍人だらけだった。はしゃいで遊ぶ子供の横に、小銃を持った兵士がうようよと。異様な光景に映ったが、準戦時下の国だ、とそのときは思った。
(ソーナマルグ Sonamarg はのどかだったが。)

スリナガル Srinagar の西にグルマルグ Gulmarg と言う村がある。ここでインド人は冬にはスキー、夏にはゴルフを楽しめる。仲間と最高のひとときを送るヒンドゥー教徒の観光客がカメラに語る。
「カシミールはインド人のものだ」
これが本音だろう。

中共に不法占領されたチベットと同じ。
世界がどう言おうと、インドはカシミールを手放さない。パキスタンも支配地域を手放さ
ない。カシミ-ル人の独立なんてもってのほか。

支配は勝利を意味しないが、現状維持ができればそれで良いのだ。

こうやって衝突と流血は繰り返される。これからもウォッチを続けよう。

ヒマラヤ国際映画祭 WEST JAPAN 2009の公式HP。
http://himalaya2009.jakou.com/index.html

[余談。でも重要]
WEBをみると「Jashn-A Azadi」や「Jashn-e-Azadi」が存在する。YouTubeのフィルムからすると「Jashn-e-Azadi」が正解のようだ。

Jashn-e-Azadi documentary film
http://www.youtube.com/watch?v=bSnVVlX0ZNU

公式HPがあったぞ!
Jashn-e-Azadi
http://kashmirfilm.wordpress.com/

小ブルジョワの家庭で何不自由なく育ち、それが故に祖国、フランスを構成する「大人たちの欺瞞」への行き場の無い怒りを内心たぎらせ、20歳の主人公はひとり、アラブの地へ旅立つ。
ジブラルタルを抜け、地中海を東へ。スエズ運河を渡り、紅海を越えて上陸したのは、イエメン南端のアデンだ。

楽園への期待は不安に、現実は失望をより強くさせる。
漂流者さながら日々流され、無気力なイギリス人とフランス人たち。旅に価値を見いだしながらも、惰性に生きたなれの果て。自らもあのようになりはしないか?
「自由は、現実的な力であり、自分自身であろうとする現実的な意志である。何かを打ち立て、……喜びを生む人間のあらゆる可能性を満足させてくれる力なのだ」(45頁)

気分を変えるために渡ったジブチで見たものは、中世欧州のように、イスラム君主にひれ伏す現地住民たち。忍耐と眠りを何百年と繰り返す、退屈な土地。
「この無力感の上に、宿命というものに対する信仰が打ち立てられるわけだ」(111頁)
宿命を乗り越え、自らの力で運命を切り開くヨーロッパ人の長所が見えてくる。

やがて彼は理解する。この地上に理想郷など無く、濁世の中で強く生き抜くしかないことを。

「ようやく平穏で遠く離れた場所に来ることができたと思っていたときに、この恐怖がアラビアにいる僕にまで達したのだ。逃げても無駄だ。……戦えば、恐怖は消える。
……僕たちの行動のどれひとつにも怒りがこめられていますように」(128~130頁)
資本主義社会の支配者たちと戦い抜く決意がここにある。

著者ポール・ニザンの生き方が活写されたような青春小説。そのニザンは若き日に共産党入りし、ソヴィエトとも親交深く生きるも、独ソ不可侵条約に衝撃を受ける。脱党した後、ナチス・ドイツによる電撃戦への抵抗の中、ダンケルクで銃弾に倒されたという。
壮絶な最期の瞬間、自ら信仰する価値の変転に苦悩した日々を思いだしたのかもしれない。

ADEN ARABIE
アデン、アラビア
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-10所収
著者:ポール・ニザン、小野正嗣(訳)、河出書房新社・2008年11月発行
2009年4月26日読了

自由主義が浸透し、次々と起こる科学技術革新と思想の新潮流。価値観が移ろう20世紀初頭、真摯に世の中を見つめ、悩み抜く生涯を全うした100年前の二人の偉人がいた。夏目漱石とマックス・ウェーバーだ。その人物と作品を引用しつつ、現在を生きるわれわれが、まじめに考え、悩み抜くことの大切さを説く。

文明が進むほどに深刻さを増す、人の孤独感。漱石「こころ」に登場する先生は、世の中から距離を取り、自分の内に築いた城の中で一生を過ごす。死の直前に出会った「私」への手紙には、その寂寞がにじみ出ていた。現代社会の中で孤独を感じる現代人にも共通した感情。
中途半端ではなにも解決しない。真面目に悩み、真面目に他者と向かい合うことで、ひとつの突破口が開ける、か。

共同体の生き方から解放されると、羅針盤を持たない個人は、かえって自由から逃げたがる。大きなモノによりかかる。全体主義、似非宗教、胡散臭いスピリチュアルな世界。
何を拠り所にするのか? 心のストレスが増した時代だ。

世の中の流れには乗っても流されず、ぎりぎり持ちこたえ、時代を見抜いてやろうとする気概。すなわち「時代を引き受ける覚悟」を持て、と言うことか。

悩む力
著者:姜尚中、集英社・2008年5月発行
2009年4月3日読了

明石市立文化博物館に行ってきた。明舞団地の創世と昭和高度成長期の生活文化の催しらしい。前々からやっていたのだが、いよいよ今日が最終日。
明舞団地に36年以上住まう者として、やはり見ておかねばなるまい。

明石と舞子にまたがる団地だから「明舞団地」。大規模都市郊外型団地として、大阪・千里ニュータウンの次にできたのは知っていたが、本当に何もない丘陵地帯を造成したとは知らなかった。

2DKまたは3Kの、40平米にも満たないコンパクトな住まいだが、一般的なアパートや文化住宅に比べたら画期的だったらしい。
ダイニング・キッチンなる概念も、ステンレスキッチンも、当時の主婦層の憧れだったのか。
いまは寂れた住居群だが、当時はピカピカだったんだな。

駐車場に写っている車なんて、昭和40年代そのままだ!
明舞センターの噴水にしろ、まだ活気のあった商店街にしろ、いまでは昭和の記憶だなぁ。
JR朝霧駅って、JR魚住駅よりも後にできたのか。

実に知らないことばかり。いやいや、堪能させていただきました。

展示は1階のみ。2階では第11回祥月会展として、会員さんの文芸作品が展示されていた。

大林卯月さんの「荒城の月」がベストだ。滅びの美学と永遠不滅の月に杯を重ねる光景が目に浮かぶ。
次は青地に象形的な金文字が見事な、森岡心月さんの「一二三」。
杜甫の詩を味のある字体で書いた北村恵月さんの「春望」も良かったな。

で、展覧会のスケジュールによると、10月には「明石市制90周年秋季特別展/山形美術館服部コレクション/美のプロムナード 20世紀フランス絵画の精髄」なる展示会が予定されている。
ピカソ、ローランサン、シャガール……楽しみだ!

http://www.akashibunpaku.com/
明石市立文化博物館

原因不明の不治の病。余命1ヶ月を宣告された50歳のアンブロウズ。
アルファベットの特別の想いのある彼は、AからZまで、思い出の地を巡る旅を始める。
Amsterdam アムステルダム、Berlin ベルリン、Chartres シャルトル……。
除々に変調をきたす体。まとまらなくなる思考。

途中、退屈さを感じた場面の直後は、一気読みだ。
親友、思い入れのある人たち、そして我が家。
男の親友同士の別れの場面には、グッときたゾ。

Kを過ぎるとハンカチ必携。

そして、Z。
妻の愛読書「嵐が丘」。その古本に挟まれた紙切れ。旅の最終目的地だったZanzibar ザンジバルを棒線で消し、その上に力強い筆跡で書き加えられた、ただ一つの言葉。
妻へ遺した、最後の言葉。それは、アンブロウズがたどり着いた最終目的地……。

自宅で静かに読むのに最適な一冊。涙腺が決壊しました。

The End of the Alphabet
最期の旅、きみへの道
著者:C・S・リチャードソン、青木千鶴(訳)、早川書房・2008年8月発行
2009年3月20日読了

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