政府主導の欧米化政策が庶民レベルに到達した1910年頃(p22)より和洋の混淆した生活が浸透し、1920年代に持ち家政策が進められることにより、かつて借家が中心であった日本の住宅事情は、中間層を中心に徐々にマイホームの取得へと向かわせる。1922年の平和記念東京博覧会に「文化村」が出現したことは、その象徴でもある。
本書は、座敷、居間、台所、玄関の間、トイレなどの「部屋」に着眼し、明治以降の住まいの変遷を探ってゆく。伝統的な書院造に「洋室」が入り込んだ時期を含め、それぞれの時代の意向を反映させつつ、紆余曲折を経て現在日本のLDKスタイルに落ち着く様がみてとれる。

・日本の玄関は、単なる出入り口ではない。沓脱の機能とともに、公私の区別という精神的な意味合いを持つ場所であるか。なるほど(p57)。
・明治時代の家族団らんの光景。それは家長あるいは夫人が時間と場所を用意しての人為的なものであったという。こんにちではテレビ中心のリビングとなってしまったが、これは良い習慣だったと思う(p66,71)。「お互いが直接会って話ができるそうした時間をつくること」、その努力(p87)は現代社会でこそ重要だな。
・座敷あるいは応接室で客人をもてなすということ、それは自己の主張でもあり(p119)、接客は文化である(p130)。住まいは単なる寝ぐらではなく、文化的な住まいを作る努力が必要とある(p131)。
・ダブルベッドではなく、日本の寝室でツインベッドが普及している理由は、布団文化の継承によるもの(p157)。また夫婦のベッドルームを分けるメリットには興味を覚えた(p164、一輪の花を捧げて扉をたたく)。
・1920年代のタイル張りブーム。トイレと湯殿(風呂ではない)の蘊蓄は面白い(p181,186)。
・気候風土とのたたかい。夏目漱石が「猫」を書いた屋敷は、ある意味、日本の住まいの理想像ともいえるな(p198,215)。

個人が住まいをデザインする楽しみ。それは内と外に向かって生き方を顕現させることであり、そうであれば、現代の金太郎あめ的なLDK様式が本当に良いのか、と著者は問う。個人と家族の価値観を突き詰めることは、部屋の概念を「場」に置き換えることでもある。これが未来の間取りのヒントになりうるのだな。

「間取り」で楽しむ住宅読本
著者:内田青蔵、光文社・2005年1月発行
2018年8月23日読了
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