1945年、敗戦・分割占領されたベルリンの米軍慰安所でウェイトレスとして働くアウグステの日常から物語は始まる。突然ソヴィエト監視所に連れられ、毒殺された旧知の演奏者について尋問を受けるアウグステ。ここで僕は既視感にとらわれる。冒頭から遠慮なく投げかけられるは、ひとの本質を突く強い文章。そう、これは『朗読者』『階段を下りる女』のベルンハルト・シュリンクを読んでいる感覚、いや、それを超越した骨太さだ。アウグステと"ユダヤ人"カフカの旅を追う「本編」とナチス政権下でのアウグステと両親の苦闘を描く「幕間」のバランスも見事だ。
・Ⅰ章ラスト近くの「高い建物が消え失せて…」の文章には唸らされた(p92)。
・廃墟となった繁華街の中で、それでも楽しく生きようとする人々の描写は心に残る(p138)。
・中盤で明かされるはカフカの運命。俳優として"演じる"ことの真の意味が語られる。
・「幕間」と、特にⅢ章のカフカの独白に表現される全体主義の恐ろしさよ。軍需用ユダヤ人、そして夜間の強制移住の恐ろしさは身の毛もよだつ(p266)。人間性の根幹からの否定。「ドイツ人は皆ヒトラーに洗脳されている」とアメリカ軍士官に言わせたのは絶妙だ。「…どれが"まとも"なのか教えてくれよ!」(p269)
・カフカにとっての"あいつ"。「まだ息があるのに埋めるな」(p267)。アウグステにとってのギゼラ(p214)。一生ついてまわるは後悔の念か、それとも忘却への願いか。
・ベルリン爆撃の描写は迫真だ(p427)。ブロックバスター爆弾と焼夷弾の恐ろしさが強く伝わってくる。
・知人はどんどん死んでゆく。ナチス親衛隊の手により、ユダヤ人収容所により、イギリスとアメリカの空爆により。「最後のひとりまで戦え」。ちぎれたハーケンクロイツ旗。「あんたも気をつけな。生き延びてまた会おうよ」(p432)赤軍の猛烈な侵略を受けたベルリン市民の最期は壮絶だ(p434)。誰もが殺しあう日々……。
・そして、密告者、隣人の喪服の女性が、自殺を試みた瀕死の女性が、アウグステに語ったある事実(p437)……。

物語に通底するは、非占領国民の強さと"哀しみ"だ。4か国の外国人に蹂躙され、未来を見通せない中で日々生きていくことの困難さよ。
戦後70年を経過しても"ナチ狩り"に執念を燃やすドイツ人の姿は、わかるような気がする。それは自らへ課す贖罪でもあるのだ。

旅路の果てに、それでも希望は、ある。ベルリンは晴れているか。これだけの物語を紡ぎ、胸奥深いところを緩やかに刺激する文章を書きあげた著者の力量に脱帽だ。

ベルリンは晴れているか
著者:深緑野分、筑摩書房・2018年9月発行
2018年10月16日読了
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