西洋的DNAと中国的DNAが融合した魔都、特に1920年代以降の上海は、帝国主義の繁栄と流浪びとの移入がもたらした、世界に類をみないコスモポリタン都市を形成していた。本書は、その共同租界のうちに形成された虹口「日本人街」に焦点をあて、居留民と街の様相の変遷、反日運動への直面と対処、戦中の災難、戦後の引き上げまでが、特に長崎との結び付きに着目しつつ考察される。
・日本からはパスポートもヴィザも不要で渡航でき、なんと、郵便物も「長崎県上海市」で届いたとある(p33,45)。
・当時の写真と地図は、日本人街の繁栄ぶりを余すことなく伝えてくれる(p37~42)。
・五・三〇運動。日系紡績工場で度重なるストライキが、やがて階級闘争から民族運動に変遷する。1925年の大規模ストライキの本質は反帝国主義運動であり、やがて反日運動に具現化されてゆく。日本商品ボイコットの様相は凄まじいものがある(p113)。デジャビュー。2012年の反日暴動。上海で、北京で、瀋陽で、日系デパートや自動車工場が破壊される有様が蘇った。なるほど、現在まで続く「反日」の源流はここまで溯るのだな。
・1931年、満州事変が飛び火して上海事変=局地戦が勃発する。国民政府の方針である非戦=撤退命令を無視して第十九路軍は抵抗を始める。その司令官の抗日宣言の内容は、敵ながらあっぱれとしか言いようがない(p153)。
・1937年の第二次上海事変=全面戦争がはじまり、日本軍が中国軍を駆逐すると、居留民は急激に増す。その数は1943年には10万人を超えたとあるが(p91)、彼らの暮らしは安穏だったわけではない。現地民による日本人の襲撃が日常と化したため、旧イギリス租界では男子一人でも歩くことは危険であり、小学生のバスまたは乗用車での集団送迎が当たり前となっていた(p140)。
・「侵略者としての自覚、後ろめたさ」(p131)、上海事変を起こした日本に対する著者の立場は明快だ。

主権を剥奪された租界を取り戻したい中国人民に対し、国力の差から締結された不平等条約、すなわち国際法を盾に彼らを非難する日本政府と帝国臣民。その姿は、まるで従軍慰安婦や2018年11月に大きく報道された徴用工の問題と同じ構図に見えてくる。
それはさておき「日本人租界」ともいえる虹口地区と長崎との深い関係、特に戦争中のそれを知ることができた。また、旧海軍陸戦隊司令部が、現在でも雑居ビルとして使われているのには驚いた(p198)。今度上海を訪問する際に見てみよう。

上海の日本人街・虹口 もう一つの長崎
著者:横山宏章、彩流社・2017年6月発行
2018年12月10日読了
DSCN4148