1920年代の世界的なモダニズムと21世紀初頭のグローバルなネット革命の拡がり、そして関東大震災と東日本大震災。これらが合わせ鏡となって社会の変貌を誘発する可能性と時代の課題を突き詰めると、現代社会のひな形が集中して生まれた大正という時代がクローズアップされてくる。
本書は、多彩で、同時に反撥もしあう諸「可能性」が散乱し、游動する空間(p262)=歴史の踊り場としての大正時代を、大衆文化、消費社会、百科事典・新語辞典、前衛芸術・エンターテインメント、地域コミュニティ、サラリーマン・職業婦人、校歌・替え歌、政治参画などの観点から俯瞰し、「日本の可能性」を考える試みとなっている。

・関東大震災をどうとらえるか。震災を機に「改造」が一大ブームとなり、人々の言動にあらわれたが、それだけではない地殻変動、たとえば明治以来の社会秩序の変化、コンクリート建築など都市風景の変貌、それが人心に与える影響こそ、震災のもたらしたものである。翻って東日本大震災では帰宅困難者の問題が大きく報道されたが、その根本には生活基盤の大きな変化があげられる。グローバルな市場の論理に翻弄され、もはや制御不能となった生活基盤(p28)。日常の生活範囲を縮小することの是非が問われる。そして関東大震災でも東日本大震災でも、根拠のない風説・デマが「可能である」、ただそれだけの理由で拡散したことは銘記して忘れないことが重要だ(p79)。

・個人的には「サラリーマン・職業婦人・専業主婦の登場」の章に興味を引かれた。安月給取りの洋服細民、腰弁から1928年出版の「サラリーマン物語」に示される「洋服と月給と生活とが、常に走馬灯のように循環的因果関係をなして…中産階級とかいう大きなスコープの中に放り込まれている集団」(p139)として定着する様子が、僕自身の姿を含めて哀しくも面白い。あと、割烹着もこのころに定着したんだな(p151)。翻って現代のインターネット社会では、労働と娯楽と睡眠と家事の時間配分とその組み合わせ方(p159)を考える時期がきているのかもしれない。

・15編からなる小コラム「踊り場の光景」「時代を読む視点」が大正時代の姿を目前に蘇らせてくれる。「大正期特有の西欧への憧れと和の文化との融合」(p239)、モダン・ガール、丸の内美容院、宝塚歌劇団、資生堂、感性の面での脱国籍化(p125)、自由とリベラル(p249)。なるほど、現代社会の起点は確かにここにあるし、失われた可能性を考えることは実に興味深い。

諸「可能性」が交錯するあそびの間=「歴史の踊り場」であり、現代の関心をも超える諸「可能性」の連結(p264)とある。タイトルに魅かれて購入したが、過去の「可能性」を識ることは、現代と未来への考察に直結することを教えられた一冊であった。

大正=歴史の踊り場とは何か 現代の起点を探る
編著者:鷲田清一、講談社・2018年5月発行
2018年12月28日読了
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