19世紀後半、開国したニッポンからもたらされた美術工芸品の数々。それらは芸術家に衝撃を与えただけでなく、一般家庭でも装飾品、愛好品として広く受け入れられた。
ジャポニスムの西洋での社会的な広がりと、現代にもたらされた「遺産」。本書では、"日本ブーム"の全体像をとらえたうえで、この2点を軸にジャポニスムが論じられる。

・japonismeの用語としての使われかたに注意が向けられる。単に"印象派たちの作品に顕われる日本美術の影響"ではなく、19世紀後半の人々の意識=主体、作品、ムーブメントなど、広い意味で使われていたことがわかる(p22)。その端緒が、フランスの新聞の定点観測を行った著者によると、アヘン戦争=1840年頃から見え始めていたという(p35)。

・モネやゴッホといった芸術の頂ではなく、裾野=広く一般市民に見えていた"日本"とはどのようなものだったか(p16)。ペリーによる日本強制上陸・条約締結の動きが、フランスの新聞で詳細に報じられ(p45)、この頃から「中国帝国」と「日本帝國」の差が明確に意識され始めたらしく、扇子や団扇が大々的に輸入された。一般市民の急激に湧き上がる日本への好奇心と驚きが、そのバックグラウンドにあったという(p50)。

・レオン・ド・ロニー、この驚異的な人物。日本語を「独学」で習得し、若干19歳にて日本語入門書を出版したという天才だ。彼は幕末の遣欧使節団の通訳にフランス政府から指名されるのだが、福沢諭吉、寺島宗則との邂逅を考えると興奮せざるをえない。そして図画入りの日本詩歌集を出版し、戯曲を書き、東洋語学校で教授に就任し……日本を一度も訪れることのなかったのが心残りだったろうに。

・ジャポニスムをパリに広げた林忠正、アール・ヌーヴォーの立役者であるジークフリート・ビングの活躍も取り上げられる。なるほど、ビングの開催した1890年の浮世絵展がロートレックを刺激して、かの作品群を生み出させたのか(p81)。

・モネの『ラ・ジャポネーズ』を特徴づける要素の一つが団扇と扇子だが、1890年一年間だけでも実に200万本ものフランス向け輸出が行われていたというから驚きだ(p105)。これらが「団扇散らし」という室内装飾にとどまらず、西欧の美術品の展示方法まで変えてしまったという(p112)。これもジャポニスムのひとつか。

・本書後半では、印象派・モダンアートに日本美術の与えた影響が、色彩・空間・線の観点から考察される。「ジャポニスムは、西洋において非イデオロギー的な生活空間を実現させたとともに、個人主義的な空間表現をもたらしたのだ」(p200)。遠近法空間からの解放、特にマネの作品に与えたジャポニスムの影響は大きかったんだとわかる(p174~)。ドガの踊り子の作品を日本文化と対比し、「都市における、危うい存在としての『個人』が照射される」(p182)のも興味深い。15世紀に中国を経由してもたらされた西欧の遠近法が日本画に影響を及ぼし、独自の味付け・加工が施され、それが19世紀の西欧に還流して(p194)「パースペクティブ革命」が起こったのだから、歴史というものは面白い。

・美術工芸の分野では、アール・ヌーヴォーの流行・衰退とともにジャポニスムの影響は終焉を迎える。代わって詩歌・文芸、音楽、建築の分野でジャポニスムの影響が現われるのも興味深い(p250)。そして柔らかな「幻想の日本」の表層から「サムライ」軍国主義の姿が顕われだすと、日本礼賛は黄禍論にとって代わられることとなる……。そして現代の「カワイイ」ネオ・ジャポニスム現象に至る(p261)。さて、これが触媒となって何かが生まれるか、一時的なブームに終わるのか……。

著者は随所において、西洋は近代以降、様々な非西洋文化を貪欲に呑み込み、(西洋臭を拭い去った)普遍的・国際的な文化を生み、世界中に波及させたと述べる(p7,24,143,258)。確かに、感覚的に納得できる。

それにしても『ラ・ジャポネーズ』の赤の破壊力ときたら! 僕は京都で修復直後の現物と対峙したが(2014年秋、華麗なるジャポニスム展)、そのサイズ(232×142センチ)といい、強烈な色彩といい、カミーユ・モネの美しさと構図と相まって、それは素晴らしい感動を味わえた。本書でジャポニスムに興味を持たれた方は、ぜひ、ボストン美術館へ足を運ぶことをお奨めする。

ジャポニスム 流行としての日本
著者:宮崎克己、講談社・2018年12月発行
2018年12月30日読了
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