幕末から明治、世紀末から第一次世界大戦へ。それは帝国主義世界が顕わとなり、国ごとの優勝劣敗がはっきりと分かれる過程であり、その体制のなかへ日本が自ら組み入れられていった時代である。
新生大日本帝國の初期に西洋、なかでも英独仏への渡航者は、横浜・神戸から上海、香港、シンガポール、ペナン、コロンボ、アデン、スエズ、アレキサンドリア、マルタ、ジブラルタルを経由して赴くわけだが、これらすべてが大英帝国の植民地、あるいは影響下の寄港地であることに驚嘆したという。すなわち、エンパイア・ルートである。
本書は、伊藤博文、渋沢栄一から遠藤周作まで、1860年代から1950年代にかけて帝国航路を渡航した日本人の思惑、特に東洋・西洋世界と日本を比較し、世界並びにアジアにおける将来の日本の立ち位置を模索した多様な人物を拠りどころに、旅の記録を読み解く。ダイナミックな世界史の動きが、帝国航路の旅を通じて日本の中へ浸透する様相が提示される。

・なんと豊富な航海記! 外交官、軍人、学者のみならず、電気工事業者など一般国民のものまで網羅され、帝国航路とイギリス支配に対する多様な見解が窺える。目立つのは、現地人への同情と、イギリスに代わって日本がこの地を統治し、彼らを解放するとの思惑で、その意識が大東亜共栄圏につながったといえよう。
・第二次世界大戦が終結して1950年代半ばを超えても、遠藤周作が直面したように、英仏人の人種差別意識は絶えることがない(p207)。西洋諸国民の帝国意識の残滓が拭い去られるのは、ごくごく近年のことであったことを忘れてはならない。
・アジアの人々を野蛮視し「亡国の民」を哀れみ、日本人との差異を見出す19世紀の旅路から、西洋世界を猛追する日本が存在感を増し、やがて英仏に代わって大日本帝国によるアジア人民の統治を意識する。日本排斥運動など、現地とのギャップを孕みつつ、勢力拡大を続け、日中戦争、太平洋戦争に至る、か。エピローグ最後の節「帝国航路と近代日本の軌跡」に、本書の結論が示される(p215)。

大英帝国の強大な力と、各地域の人々がそれに屈従する姿。「世界」としてのイギリスが君臨する空間が帝国航路だったのである(p211)。
P&Oなど、英仏の郵船会社に加えて日本郵船、大阪商船が欧州航路に就航したことは、当時の日本人にとってはさぞ誇らしいことであったろう。興味を持たれた方は、本書でも紹介されている和田博文『海の上の世界地図』、橋本順光『欧州航路の文化誌』の併読をお奨めする。

シリーズ日本の中の世界史
帝国航路(エンパイアルート)を往く イギリス植民地と近代日本
著者:木畑洋一、岩波書店・2018年12月発行
2019年1月1日読了
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