世界初の万国博覧会を象徴するは、その展示物ではなく建物、水晶宮そのものであった。本書は当時のイギリス王室と社会背景の解説から始まり、ヴィクトリア朝勤勉さを体現した技術者パクストンの手による誕生から火災による焼失までの、水晶宮の生涯を描く一冊である。
水晶宮の構造から展示品、さらには焼失した構造物まで、多数の図版が掲載されているのも、本書の魅力の一つだ。

・世界初の万博をリードしたのはヴィクトリア女王の夫君、アルバート王配殿下その人だ。万博推進のためのロンドン市長公邸での演説は人々を鼓舞させる熱意あるもので、「中身のあるスピーチ」の実例をみた(2章 万国博覧会への道 付録)。「立派な性格と忍耐、強固な意志と精力を兼備したあの人であればこそ、成し遂げることができた業なのだ」(1851年5月1日、万博開会式の日のヴィクトリア女王の日記より。7章 1851年5月1日)
・技術者の活躍が熱い! ブルネル(橋梁)、スティーブンソン(機関車)という稀代の天才技術者に、気鋭の「たたき上げ」技術者パクストン(庭師の徒弟から身を起こしたセルフ・ヘルプの造園技師!)の天才的な案がぶつけられ、わずか数週のうちに水晶宮の設計が固められてゆく見事な展開は身震いするほどだ。ある意味ライバルであったブルネルがパクストンに「楡の木の高さ」を教える点などは、さすがジェントルマンといえる。また王立委員会への勅許を待たずに、工事業者は義侠心から自己責任で工事を始めたという。これが英国人気質なのだろう。(3章 設計の危機)
・会期141日間の万国博覧会。およそ40か国からの展示品は10万点を数え、会期中の観客は延べ603万人を記録した。機関車、画期的な農機具、奇抜な医療機器、工芸品などにとどまらず、アメリカ南部諸州へ輸出するための手枷・足枷、さらには潜水艦など兵器の模型、武器の出品もあり、土民との物々交換用の安物小銃、さらにはその土民を打つための高性能小銃なども展示されていたという。また、アメリカの量産技術の成果をイギリス工業界も取り入れることになったという。(8章 館内展示品)
・ヴィクトリア女王は開会式のあった5月だけで12回も会場を訪れたという。そしてシュェップ社の4か所の売店だけでなく、この時代では珍しい69か所の水洗トイレも整備されていたんだな!(9章 会場のにぎわい)
・シドナムに拡大・再建された水晶宮は、1万2千本もの噴水、全ヨーロッパ、エジプト、ギリシャ、ローマ、アッシリアなどから蒐集された新しい展示物を含めて、市民の娯楽・教育施設としての役割を担うこととなる。気球が頻繁に上げられ、大パイプオルガンを備えたコンサート・ホールでの音楽会や展示会、毎年夏の花火大会が開催され……ロンドン市民にとっては格好の遊び場となったんだろうな。(11章 変容の水晶宮)
・1936年の水晶宮の焼失は実に嘆かわしいし、一つの時代の終わりでもある。すなわち大英帝国の絶頂期の終焉。(12章 炎上)

せめて、シドナムに水晶宮が残っていてくれたらと思わずにはいられない。まぁ、現在でもヴィクトリア&アルバート博物館で水晶宮の模型を見ることはできる。同じく1851年万博の出展物を眺めながら、失われた水晶宮の時代=大英帝国の絶頂期に思いを馳せるのも、また一興か。

水晶宮物語 ロンドン万国博覧会1851
著者:松村昌家、リブロポート・1986年6月発行