1913年のロンドン。イギリス人貴族男性と財産家の日本人女性の結婚式から物語は始まる。何不自由ない長い新婚旅行-フランス、エジプト、エンパイア・ルートを航海して日本まで-は幸せ一色であったが、ある事件を境にほころびが生じ……。
日英同盟の時代にありながら、それまで日本の「美しさ」を西欧に紹介してきた『蝶々夫人』『お菊さん』や小泉八雲の作品と違って、本作には「奇妙な黄色な顔をした小男達」「絵画の研究に来て、何もせずに暮らして居る様な背の低い黄色い人々」(p5)など、なかなか辛辣な表現が多く現れる。長崎芸者のNUDEには「不細工な、形の崩れた胎児」のようで「泥人形そっくり」 と手厳しい(p92)。日英同盟に与しない外交官作家による、あからさまに否定的な日本人の描写ってところか。
・主人公バアリントン大尉と藤波浅子の結婚式および披露宴の様子は興味深いし、企画・運営したエヴァリントン夫人のキャラもたっている。
・「(長崎では)凡ての旅館が娼家であり、あらゆる茶屋、料理屋が密会の場所なのである」(p80)「東京には何の尊厳もなかった。…蜘蛛のように電線を張った電柱が酔漢の様に突っ立っている雑然とした市である」(p171)って、ひどいぞ。
・新婚旅行先の日本で、友人の英国外交官レツギイの宿舎を訪問するバアリントン夫妻。通された居間で、暖炉と火鉢の間、ただ1枚の座布団の真ん中に日本の娘がただ一人。青玉色の着物に孔雀を縁取った銀色の帯。小柄な体躯と細く美しい手指。その夢幻的な態度と慇懃な米国式英語。Smith八重子嬢の登場シーンは印象的だ(p143)。
・バアリントン夫妻は八重子とレツギイとともに吉原へ見物に出向く。引手茶屋へ赴く娼婦たち=花魁の行列の描写はなかなかのものだ(p181)。「東は東、西は西だね!」(p185)とはキップリングの真似かな?
・日本に残された混血児=ユーラシアンの半ば放逐された運命とはいえ、第二の主人公ともいえる若きSmith八重子の性格と半生は壮絶だ(第15章)。
・和製英語「ハイカラ」の説明が面白い。訳すことのできぬほど深い、種々の意味のある語か(p167)。
・悲しいかな、1921年のイギリス人も「JAPジャップ」「ウサギ小屋」という言葉を使っていたんだとわかる(p300,321)。
・バアリントン大尉の災難。「公衆の目前に恬として恥じるところもなく広告さるる売春の事実を疑い、…彼女らの醜業によって贅沢に生活してゆく豚のような」(p183)人々に憎悪と軽蔑を抱く。「こんな賤しい残酷な職業をして財産を築き上げる畜生ども」(p185)を鞭打ちたいとも思う。だが英国貴族は知らなかったのだ。皮肉にも愛妻、浅子の実家、藤波家の職業こそ……。
・知らなくてよい秘密を知ることの功罪。無智でいることが幸福だと友人レツギイは諭す。それに対しバアリントンは「不正直」だと言い放つ(p359)。一方で、浅子は夫のことを「不誠実」と嘆く(p373)。この絶望的な思考の差よ。男と女、家と家との接合がいかに難しいか、まして国際結婚となれば、だ。

ときは1914年、グレート・ウォーの号砲は放たれた。バアリントン大尉は祖国へ帰る。残された藤波浅子は英国人気質と日本的束縛とに絡められ……。
ラスト、「それが最上のプロパガンダだ」の言葉には救われる。
1921年にイギリスで出版され大ベストセラーとなった本作は、現代かな遣いで翻訳・出版する価値が十分にあると思う。

なお、大阪大学の橋本順光准教授による「英国外交官の黄禍論小説:アシュトン=ガトキンの『キモノ』(1921)と裕仁親王の訪英」も興味深いので、urlを置きます。
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/61371/mgsl057_001.pdf

Kimono
きもの
著者:John Paris、若柳長清(訳)、京文社・1923年8月発行
2019年3月13日読了
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ジヨン・パリス
京文社
1923-01-01