平安の皇族・貴族の世から鎌倉幕府の世へのうつろいの中、その晩年に京を見晴るかす大原は方丈庵に居を構えた鴨長明の半生に照らしての、これは著者、堀田善衛自身の物語である。
・太平洋戦争末期、3月10日深夜の東京大空襲を生き延びた堀田は、翌朝、焼け跡の真ん中にピカピカの乗用車でやってきて、多数の軍人を引き連れて「そこに」立つ昭和天皇の姿を目撃している。彼の目にしたものは、昭和天皇を含む権力者が始めた戦争によって死に瀕したにもかかわらず、「現人神」に伏して詫びる群衆の姿である(p59)。理不尽を超越しての感情の真空状態には、方丈記に示された日本中世の被災地獄が連なってみえてくる。平安朝の貴族社会と隔絶した「濁世」を鴨長明とともに掘り下げる堀田は、そこに、現代にまで連綿と続く日本の「業の深さ」を発見するのである(p232)。
・古典が活かされるとき、それは歴史が大きな転換をしようとする時である。そも、一般市民にとっての歴史とは、たとえば義経、頼朝、平家といった名の通った存在ではなく、よくわからないままに過ぎ去ってゆく実状実態「とき」「こと」「ひと」こそがそれである。歴史の転換のただ中に放り出された人々の心の持ち方は、古今東西変わることがない。生きた人間にとっての古典の価値がそこに現れる(p82,98,107)。
・堀田は述べる。概念世界を構築するものは観念ではない。それは「言葉」である(p137)。
・それにしても、なんにでも興味を示し、文学のみならず音楽の才能も併せ持ち、フィールドワークを好んで実践した男、鴨長明。実に魅力的な人物だ。
・巻末に収録された堀田善衛と五木寛之の対談(1980年9月)も実に興味深い。

個人的体験は歴史に勝る。濁世を直視する二人の男の存在を、しかと見た。

現在の日本で顕著な「責任と無関係な政治体制」は、平安時代に完成したことが明確に示される(p61,100)。
「天皇制というものの存続の根源は」と堀田は言う。生者の現実を無視し、政治のもたらした災厄を「人民は目をパチクリさせられながら無理矢理に呑み下さされ、しかもなお伝統憧憬に吸い込まれたいという、われわれの文化の根本にあるものに根付いているのである」(p221) デモクラシーとは程遠い日本の「平伏市民文化」の根は深いわけだ。
 その昔、庶民と隔離された平安貴族社会の生み出した、現実を無視した「伝統への憧憬」は「一九四五年のあの空襲と飢餓にみちて、死体がそこらにごろごろしていた頃」にも、「神州不滅だとか、皇国ナントヤラとかいう」ばかばかしい話が誇張され、日本文化の雅やかな伝統ばかりが、ヒステリックに憧憬されていたという(p220)。滑稽な話ではあるが、当時は真剣だったんだろうな。悲喜劇。
この思想が現在にも受け継がれ、強化され、この2019年の日本社会、特に政治体制を彩っている現状(もはや隠そうともしない)には目がくらむが、それでも生きてゆくしかない。

方丈記に「世にしたがえば、身くるし。したがわねば、狂せるに似たり。……しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき」とある。現代日本・2019年の現実は、世にしたがえば狂せるに似たり。したがわねば、身くるし、といったところか。

方丈記私記
著者:堀田善衛、ちくま書店・1988年9月発行
2019年9月2日読了
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方丈記私記 (ちくま文庫)
堀田 善衛
筑摩書房
1988-09-01