男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2005年12月

国境をたやすく越えられる時代に生き、その恩恵を享受する日々の中、毎日のように報道される国家間紛争、内戦とその影で絶命する無数の人々の声なき声……。
そもそもナショナリズムとは、国民国家とは何なのか? その発祥の地とも呼べるフランス、ドイツ、連合王国の地政学的経緯と国民概念の違いが明らかにされます。

「ドイツ語を話すドイツ人」がドイツ国民の条件であるのに対し、自由・平等・博愛(友愛)の精神を有し、フランス領生まれである者は無条件にフランス国民となるのです。この違いが、サッカー・ワールドカップのメンバー構成に現れます。(フランスチームは金髪ラテン系、北アフリカ系、メラネシア系有り、ドイツチームは全員がゲルマン民族)

フランスの特徴とも呼べる啓蒙文明主義は、18世紀に欧州の国家体制の変革をリードした一方で、それがやがて植民地主義に転じようとは、1789年当時には予想すらできなかったでしょう。まさに歴史の皮肉といえます。
連合王国(ブリテン)の場合は「外に帝国、内にも従属国家」を抱えるイングランドの場合、世界帝国を維持している間は内政も安定しますが、帝国が瓦解するに従い、アイルランドを筆頭にスコットランド、ウェールズの自治・独立の動きも激しくなります。しかし、危機的状況になる前に、EUに加盟したことにより「三重のアイデンティティ」すなわちEU、連合王国、アイルランドのおのおのに属することとなり、かえって国内政治が安定したことが明らかにされます。
より大きな連合体に属することで、ローカルが安定するとの逆説。近い将来の東アジア、特に中国の動向を考える上で、参考になりました。

国民国家とナショナリズム
著者:谷川稔、山川出版社・1999年10月発行
2005年12月20日読了

タイトルの"通貨"の範囲を超過した、膨大な情報が詰まっています。
アメリカ、EU、中国、そして日本の通貨政策と、その政治・軍事との関係が明らかにされます。
ビルダーバーグ・グル-プ、イギリスのしたたかさ、中国の老獪さ、日本のひ弱さ……

1997年のアジア通貨危機についても、ジョージ・ソロス氏が悪者扱いされていますが、その黒幕はEUであったとは……

それにしても、中国で急速に開発が進む電磁波ミサイル兵器は脅威です。
いくらイージス艦、弾道ミサイル防衛を進めたところで、これらを無力化されてはたまったもんじゃありません。本気で対処しないと危ないですし、この辺に、新たな技術開発の芽が見いだせるのかもしれません。
その前に中国=北朝鮮同盟のテポドン"中性子爆弾"ミサイルを本州・九州に打ち込まれて「お陀仏」ですか……。
どの近未来予測の書籍を読んでも、「米中の狭間に埋もれて消えてゆく日本」の姿が浮かんできます。悲しいことですが。

将来、東アジアで日本が生き残るには、中国を牽制できる軍事・政治力を保持した上で、彼の国と友好関係を築くしか、手がないように思います。
(バカの一つ覚えよろしく形だけの「日中友好」を進めると、なめられて、奪われて、消されてしまう。)

通貨バトルロワイヤル
著者:浜田和幸、集英社インターナショナル・2003年1月発行
2005年12月15日読了

[かつて携帯の無い時代があった]
大人にとっての「携帯できる電話機」も、子供にとっては「ケータイできるITツール」、ですか。なるほどなぁ。この認識差が世代間の隔絶につながるわけですね。
思い返すこと13年前、仕事で初めて触れた「携帯できる特殊な」無線電話機は、本体が百科事典1冊分の大きさのショルダータイプで、送受話器が昭和の映画に出てくる「黒電話」そのもののカタチでした。初めて通話した感想は「高速道路の高架橋の上から電話できる。スゴイ!」の一言でした。もちろん、ノイズ混じりのアナログ方式で、連続通話時間は1時間に満たなかったと思います。
それがいまや、300万画素・光学ズーム式のデジカメを内蔵し、フルカラーLCDで動画もOK、着ウタ・WEBブラウジング、GPS内蔵、指紋認証機能まで実現するとは、想像すらできませんでした……。
僕の世代(30台後半)にとっては、携帯の普及は「便利な世の中になったナァ」なのですが、いまの中高生にとっては物心ついたときから存在したものであり、このあたりにジェネレーションギャップを感じます。

[メディア・リテラシー]
公立の小中学校にIT環境を整備する2000年の「eJAPAN構想」のもと、ハードウェアは国の威信をかけて急速に整備された。しかしモラル、リテラシーをはじめとするソフトウェアに関しては、国としての方針がハッキリと示されることなく、結局は民間の後追いとなってしまった。
しかもハードウェアにしても、アメリカのように個々の教室に整備するのではなく、コンピュータ教室にまとめて設置されることが多いそうだ(私立は違う)。昭和の枯れススキ頭脳を持つ年寄リーマン教諭にしてみれば、ネットやPCは「われわれには関係のない、特別な何か」でしかなく、オーディオや自転車と同じく「あって当然のもの」である子供の感覚とかけ離れていることが問題と言えます。

ネット王子とケータイ姫 事故を防ぐための知恵
著者:香山リカ、森健、中公新書ラクレ・2004年11月発行
2005年9月11日読了

2種類の公衆電話が存在することが「お客様に不便をかけて」おり、公衆電話維持のための「コスト面から考慮して」廃止するそうな。
やれやれ。平成11年には利用者のことを考えずに勝手に登場させておいて、今度は「利用者が少ない」から一方的に廃止ですか。当時は「はやくICカードに変えなさい。磁気カードは使えなくなる」と脅していたことは、すっかり忘れて……。
民営化されたと言っても、元々は親方日の丸の組織。この辺りが、まだまだですね。

http://www.ntt-east.co.jp/release/0501/050120.html

そのうち、「公衆電話の料金はおサイフケータイで払え」なんて言い出すかも(それは無いか)。

日本のモノやスタイル(生活)に憧れ、日本の現代文学、アニメ、J-POPをこよなく愛するいまどきの中国の若者たち。その一方で教科書問題、靖国神社参詣による「反日」の態度を隠そうともしない彼らの心情を、在日30年の中国人学者が解き明かしてくれる。

[国家と個人]
われわれ日本人は日本、または日本政府を指して「国」と呼ぶ。中国人は「国家」と呼ぶらしい。
日本は武士道の国だ。対して彼の国には儒教の精神が根付いており、頂点に国家、その下にそれぞれの首長、地域の長、家族の長に連なり、個人が存在する。国家に代表される組織と個人の関係が根本的に異なるのだ。

[歴史認識]
日本で揉め事が起こった後、片方が誤りを認め、それを素直に謝罪すればたいていのことは片が付く。過去のことは「水に流す」とする。ところが中国にはこの概念は乏しい。過去の加害者が被害者と関係を保つには、いつまでも謝り続けることが重要らしい。
これは中国人同士のみならず、日本国と中国との関係にもあてはまるそうだ。
つまり「過去の戦争については、すでに謝罪した」と発言するだけで「日本人は信用できない」と、こうなるわけだ。
中国の小学校では、週に2回は粗末な昼食を摂らせる。かつて貧しかった時代を忘れないために。また親は、かつて自身やその親の食した貧しい食事の光景を子供に言い伝える。二度と貧しさを体験しないために。過去のことを振り返らず、なるべく美味な食事を我が子に与える日本の家庭とは、根本的に異なる。

これまでの2000年がそうであったように、これからも日本と中国はお互いを無視できない。傲慢にならず、卑屈にならず、良き隣人としてどのように振る舞うべきなのか。そのヒントを与えてもらった気がする。

ほんとうは日本に憧れる中国人 「反日感情」の深層分析
著者:王敏、PHP新書・2005年1月発行
2005年12月4日読了

↑このページのトップヘ