男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2006年05月

国の威信を賭けて世に放った新100ドル札。その偽札が出現したことに衝撃を受ける米国の対応は素早く、インテリジェンス組織の発達した国家の凄味とともに、同盟国イギリスとの信頼関係をも匂わせてくれます。
やがて物語は、弾道ミサイルの開発に見切りを付けた北朝鮮の「東アジアにおける米中の力関係をも一変する○○」の密輸入問題に発展し、現実味を持って淡々と描かれます。

拉致被害者の母親の心痛と冷酷な役所の対応にしろ、ウクライナのオレンジ革命(小説に取り上げられるのは初めてかも!)にしろ、時事を克明に描くのは、著者の力の成せる技ですね。北朝鮮への首相訪問に関する"不透明な交渉"を糾弾し、現役外務省高官(あの人ですね)への資質を問うくだり等、こんなこと書いて大丈夫なのか? と心配させてくれます。

見返りの少ないエリート会社員、家族崩壊、飽くなき名誉欲と飢えた愛欲の探求、無私な愛国心と信念。その帰結が巨大な犯罪に巻き込まれ、個々の破滅を招く現実。
それにしても、人間はかくも弱きものか。

舞台裏は国際政治の現実と虚構が一体となったものです。これからも、この著者を注目ですね。
(持ち上げといてすみませんが、個人的には「一九九一年 日本の敗北」が一番面白かったです。)

ウルトラ・ダラー
著者:手嶋龍一、新潮社・2006年3月発行
2006年5月24日読了

愛用のSONY U10の調子がおかしい。
電源スイッチを入れると、一瞬だけパワーLEDが点灯して消える。下側斜め45度から強く叩くと直るんだが。友人の結婚式の最中にも、何回か叩いて直した。危ないなぁ。それでも愛用しているのは、やはり小さいこと。掌にすっぽりと収まるのは、気持ちの良いもんです。
でも、100万画素・単焦点レンズだけあって旅行には不向きですね。風景写真も小さい、小さい。人物画もパッとしないし。
そろそろ、買い換え時期かなぁ?

迷いを断ち切ったのは、友人の嫁さんの一言でした。何気なくテーブル上に出したところ、「うわ! 懐かしい~~(=あんた、古いで!)」と言われて……。これまでは「かわいい」「小さい」「いいねぇ」だったのに……。

と言うわけで、デジカメを探しました。この夏に予定している旅行に携行することを前提に、候補は次の4点。

SONY DSC-T9 黒 
 コンパクトなのが良いです。さりげなくスーツの胸ポケットから取り出すかっこよさ!(僕じゃ無理か。)
Panasonic LUMIX DMC-FX01-K
 AYUの手ブラ、いや、手ぶれ防止のヤツです。広角28mmはいいかも。F2.8か、暗いところで使いやすいかも。
Panasonic LUMIX DMC-TZ1-A
 10倍望遠は魅力だなぁ!(別に悪いことには使いませんヨ。)
Richo Caplio R4 
 広角28mmで、7.1倍ズームは魅力ですね。

僕は写真の素人なので、高級機種はいらないのです。要は「撮れたら良い」んです。
ここで思い出したのは、ヴィーンやブダペストでの苦い思い出です。
歴史的建造物を写真に収めようにも、フレームに収まらなかったことが、何度もありました「広角レンズがあればなぁ」

と言うわけで、2CCD・23mm広角レンズ・光学3倍ズームのスペックを有するKODAK V570に決めました。(あれっ、リストにないぞ。よくある話です。)
さっそく、通販で購入手続きをしました。楽天様々ですね。
レポートは、また後ほど。

1990年初頭より散発的な戦闘が行われ、1999年のカルギル紛争でピークを迎えるカシミール紛争。2006年現在も解決の目処が立たないまま、隣り合う核保有国、インドとパキスタンが領有を主張してやまない地域の、まだ比較的平和な時代の旅物語。

仏教に帰依したアショカ王に始まり、その後の為政者がヒンドゥー王朝、ムガール王朝、シーク王国、1846年以降のジャンムー・カシミール藩王国=英国間接統治へと変遷した豊かな歴史と、その産物でもある多様な文化・手工業産物が紹介されます。
現地の人々の息づかいまで伝わるような紀行文と、大判かつ豊富な写真が、旅を共有した気分にさせてくれます。

それにしても、由々しきはカシミール問題。これは、1947年のインド、パキスタンの分裂しての独立にさかのぼる、英国帝国主義の無責任な置き土産です。現地の人が独立を望もうと、パキスタンへの帰属を望もうと、インドが許すはずもなく、ゲリラ化した住人とインド軍との小競り合いが続いてきました。さらにはアルカイーダ系列のムジャヒディンが多数、この地域に雪崩れ込んだことにより、事態はいっそう複雑になっています。

アフリカ・スーダンのダルフールといい、ナイジェリアのビアフラ(古い!)問題といい、パレスチナ問題といい、旧宗主国の勝手な政策が現地人の生活を滅茶苦茶にし、命までをも奪う現実。世はグローバリゼーションと言えども、100年前の帝国主義の残滓は、いまもいたるところで火を噴いています。

ロマンチック・インディア カシミール
著者:茂市久美子、藤田弘基、ぎょうせい・1988年5月発行
2006年5月15日読了

「南北問題」なる概念は、植民地体制の崩れた戦後になって先進国、特に西側にとっての新しい経済体制を構築する中で提唱された。経済発展を競り合う西側と東側、援助されるように見えながら、その実、置き去りにされた第三世界。非人道的なIMF、OPECとNIESの登場による「南南問題」の発展、と問題が多岐に渡って提起されます。

アフリカ諸国の貧困からの脱却、これは解決不可能なように思えます。一次産品に依存する産業構造は変わることは無い。「より弱い」立場の国民を抑圧する非民主的な国家元首とその政府官僚。時の為政者にとって、獲得した権力を手放すことはありえないし、その政権と結託した多国籍企業は、ひたすら利潤を目指すのみ。見て見ぬふりをする似非人権主義者(自己満足の権化!)の存在……。

南側の諸国では、いまでも「国民国家」より「民族・部族」の紐帯が強いように思えます。
そもそも、西欧式の国民国家を無理に維持する必要性はどこにあるのか? 特に旧宗主国の残した幾何学的な国境(無理な線引き!)を維持するために人命が失われ、モノカルチャー経済から抜け出すのにも困難な現実を顧みると、思い切って数カ国・地域による連邦制を目指すべきではないのか?
すぐには無理でも、国家間統合へと進む世界の趨勢を考えると、決して無理な話ではないはず。

南北・南南問題
著者:室井義雄、山川出版社・1997年7月発行
2006年5月3日読了

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