男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2006年07月

国道175号線と県道17号線に挟まれた加古川の一部で、川の床一面に起伏の大きな岩が隆起し、まるで龍が躍動するような光景(と古人は詠んだ)で、ガイドブック(るるぶ)には"加古川随一の奇観"とあります。
兵庫県・滝野町の貴重な観光資源でもあります。
それにしては(175号線からだと)駐車場のわかりにくいこと!

この辺りは鮎漁の解禁が早く、6月以降、周辺の料理旅館で鮎料理が振る舞われます。賞味した家族曰く「美味」だったとのこと。
光景は一度見たら十分かな、と(失礼!)。それよりも興味を引いたのは、闘龍灘沿いの細い路地です。家族曰く「15年前は舗装していなかった」そうで、周辺の古い町並み(宿場町のよう)と道幅からして、これこそ旧時代の街道そのものではないかと思えるのです。
こういう道をのんびりと歩くの、一度やってみたいですね。

デジカメ写真は愛機、KODAK V570によるもの。

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アメリカ国防総省による宇宙計画、その本当の姿とは!
http://www.shueisha.co.jp/ochiai/sanka/index.html

NASA肝いりの地球温暖化の研究プロジェクトが頓挫した。クリントン政権からブッシュ政権への変化に伴うものだったが、その陰には統合参謀本部の思惑があった。そしてアメリカは「核兵器を超える神の最終兵器・オメガ」を手中に収めつつあった……。
「地球環境を守るため」アメリカ人以外の人類を破滅に追いやるオメガ計画を阻止するため、日系イスラエル人が立ち上がる。

中国=ロシア同盟の危険性、第三世界諸国の生活水準の向上による「災厄」、天才科学者と素朴な兵士の触れ合いと尊厳、法を超える常識……。
壮大なスケール! 男の浪漫! 落合信彦氏の醍醐味がここにあります。
こういうのをハリウッドで映画化してほしいなぁ。

千秋の讃歌
著者:落合信彦、集英社、2006年6月発行
2006年7月27日読了

内戦は「当該国の問題」であり、「勝敗が決するまで好きにやらせたら良い」とし、「内戦の原因は民族的・宗教的なものだ」とする姿勢が、過去40年間に渡って内戦を無視してきた誤解の元であり、実は自分たちの経済に密接していること、内戦の根本原因と地域的な格差、その具体的な防止策が、世界銀行(国際復興開発銀行)の視点から説かれます。

一国の内戦。それは当事国のインフラ破壊、国民の大量死、経済の軍備偏重を来すだけでなく、周辺地域国への難民の放出、マラリアとAIDSの蔓延を引き起こす。さらにグローバルな影響として、先進国へ麻薬とAIDSを蔓延させ、テロリズムを引き起こす。
アフガニスタンにしても、1990年以降は内戦に真剣に介入したとはいえず、放置した結果、非合法地帯が生まれてテロリストが育ち、その因果が例の九一一であったと言えます。

内戦そのものを抑制し、より平和な世界へ向けての提言としては素晴らしいものがあります。ですが、いわゆる悪政に苦しむ非民主主義政体をどうするのかについては、一言も触れられていません。「World Bank/IRDBの所掌外だ」と言われれば、それまでですが……。

BREAKING THE CONFLICT TRAP :
CIVIL WAR AND DEVELOPMENT POLICY
世界銀行政策研究レポート
戦乱下の開発政策
著者:世界銀行、田村勝省、シュプリンガー・フェアラーク東京
2004年8月発行、2006年7月23日読了

NHKクローズアップ現代「ロシアvs欧米 ~エネルギーを巡る攻防~(No.2270 7月18日放送)」を見た。
http://www.nhk.or.jp/gendai/   

EU諸国の天然ガス需要の実に25%を、ロシア国策会社が担っているそうな。それも1社独占で。さらにドイツ等の電気・ガス供給会社を次々と買収している。ウクライナ・オレンジ革命時の「ガス供給停止」事件を契機に、ロシアのエネルギー支配を懸念する声がEU諸国の議会で紛糾した。

で、対抗する米国は、採掘地のアゼルバイジャン・バクーからからグルジア・トビリシ経由でトルコ・ジェイハン港へと通じる原油パイプラインを完成させた。英国系BPが建設したが、その資金は世界銀行(=最大出資国は米国)から出資されている。完成式典での米エネルギー庁副長官の演説で、デカデカとプロジェクター投影されていた星条旗が、主体者が誰であるかを物語っているようだった。
2006年稼働開始予定で、一日当たり輸送量は100万バーレル。これで、ロシアの影響を排除したカスピ海資源を確保したわけだ。もちろん、グルジア(Georgia=缶コーヒーですね!)には米陸軍が駐留しており、プーチン大統領もおいそれと手を出せない。
さらに、チェイニー副大統領が訪問するなど、カザフスタンの資源の確保も目論んでいる様子。

日本の一日当たり石油消費量は540万バレル。米国のそれは実に2,070万バレルで世界一。世界第二位の中国はまだ600万バレルだが、2020年には1,200万バレルになると予想されている。
エネルギーを巡る大国の攻防は昔から変わらないが、将来は露骨な紛争になりそう。

[参考]
・Newsweek日本版2006年7月5日号
 「日本とアラブと石油戦争 中国とのエネルギー争奪戦に勝てるのか」
・宮田律「中央アジア資源戦略 石油・天然ガスを巡る地経学」時事通信社
・赤木昭夫「アメリカは何を考えているか オイルとマネー」岩波書店
・歌川令三「紛争の続くコーカサス三国」日本財団図書館
 http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00736/contents/0008.htm

かつての軍産複合体に代わって米国経済を動かし、世界のエネルギー需給をコントールすることを画策・実行している集団がいる。その名も"オイル・マネー複合体"。彼らの思惑が産油国と国際投機筋と一致し、ここ数年の原油高騰、すなわち「第二の石油危機」が始まった。
石油売買がドル建てである理由、それで誰が得をしているのか、迷惑を被ってきたのは誰か、等が遠慮無く明らかにされます。
現在のドル経済体制の限界が露呈し、ハードランディングの危険に晒されていること、何故日本政府が役立たずの米国債を異常なほど大量に「買わざるをえない」のか等、興味深い内容が71ページの小冊子にぎっしりと詰まっています。

それにしてもガソリン、高くなりましたね。ハイオクなんてリッター150円も間近で、財布も汲々としています。(給料上がんないし。)

実は怖いのはこれからで、「世界の需要が供給を上回る」2010年代にかけて、大幅に高騰することが予想されます。そして、中国は1994年から1996年にかけて世界中の産油国と協定を結んで油田採掘権を確保しており、ついにはサウジアラビアとも……。アメリカは黙っていませんね。
冗談抜きにガソリン車をエタノールやメタンガス車に改造しないとイケナイかも。

アメリカは何を考えているか オイルとマネー
著者:赤木昭夫、岩波書店・2006年7月発行
2006年7月17日読了

いまの若い人にとって大国とはアメリカ合衆国であり、それに中国が続く、と理解して良いのでしょうか?冷戦まっただ中に多感な(?)十代を過ごした僕の世代では、ふたつの超大国=米国とソ連邦のガチンコ勝負の世界観が、いまも根強く残っています。だから望むわけではなく、"新冷戦"としての米国v.s.中国、あるいは米国v.s.中国・ロシア連合の構図が現実的に感じられるのでしょう。

かつて分不相応に米国と覇権を争い、そして歴史の舞台を降りたソビエト社会主義共和国連邦の歴史的意義を問う著作です。

"情報開示"の少ない時代のことです。スターリン、ベリヤが引き起こす無慈悲な処刑と強制移住と裏腹に、華々しい宣伝と社会主義の理想像は、"打倒されるべき汚れた資本主義社会"の一部住民と第三世界諸国に希望を与え、そのことが米国をして徹底的なソ連との対決に向かわせます。
結局、レーガン・ブッシュの強行路線とソ連内部の深刻な経済・社会崩壊がゴルバチョフを「新思考外交」路線に走らせるわけですが、福祉国家的な政策が資本主義国家に与えた影響だけは、ソ連の残した功績と言えましょう。

余談ですが、現在の陸上自衛隊の九〇式戦車(MBT:主力戦車)はソ連のT72に対抗するべく設計・製造されたものであり、その運用も北海道に限定されたもののようです。(違う見解も存在しますが、本土への運搬手段、支援車両の配備状況からも、北海道限定と割り切って良いでしょう。)現在の南西方面重視の点から、早いとこ新型戦車への転換を進めて欲しいものです。

歴史の中のソ連
著者:松戸清裕、山川出版社・2005年12月発行
2006年7月13日読了

近代科学技術。それを生み出した土壌が人口集積地である都市の発展であり、それは人類社会の生活の変革をもたらした。すなわち季節と体内時計を基準とする生活から、産業時刻に管理された生活へ、と。

現在では当たり前のロー・テクも、100年前の先進国では最新ハイテク技術であり、現在の発展途上国においてすら(IT等の一部を除いて)「この目で見たこともない」ハイテクとなる。
また、規格に合わない特殊事情者、採算の取れない少数者、役所審査の上での不適格者等、現代のハンディキャップを背負った人たちには技術の恩恵が行き渡っていないことが指摘される。これを解消するのは「社会技術」上の課題であるとも。

興味深かったのは余暇の解説。欧米、特にプロテスタント諸国では「仕事から解放された自己実現の時間」こそが余暇であり、その時間を増やすために猛烈に技術革新に取り組んできた。それは、余暇の原語=スコレーが転じて学校(スコラー)が成立したにも窺える。一方で明治以降の日本は「余暇=自由勝手に使える時間」と理解している。技術革命の成果だけを取り入れ、その本質をわかっていない。そのように欧米から時折揶揄されるのも、その誤解が根底にある、と著者は語ります。

近代技術と社会
著者:種田明、山川出版社・2003年8月発行
2006年7月7日読了

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