男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2007年01月

別に、人生を舐めた引き込もり野郎に興味はなかったが、以前に「神戸でロケが行われた」との新聞記事を読んで関心を持った。
NPO"スロースタート"と引きこもり青年、苦悩するスタッフと"母親"を描いた作品だ。
何が彼をそうさせてしまったのか。人との接触が苦手だから? いや、何でもマジメに思いこみすぎるから?
ラストは感慨深いものがあった。
大事な大事な花を踏みしめて、息子に「半ば絶縁」を突きつける母親の決意。
一人残された息子の眼前には、母が丹念込めて育てた花壇。その花も枯れ果てて、彼はMPOの寮へ入ることを決意する……。
メリケンパークや須磨海岸がTV画面に登場するのは珍しくないが、移情閣(孫中山記念館)、JR舞子駅(の上のマンション)、明石海峡大橋、それに西神戸地区界隈の映像が見られて、なんだか嬉しい。来週も見よう!

NHK土曜ドラマ スロースタート
http://www.nhk.or.jp/dodra/html_ss_midokoro.html

神戸新聞(神戸舞台にNHKドラマ 引きこもりテーマに)
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000211496.shtml

工業生産のみならず、教育も思想も、そして芸術さえもが中央集権化した時代――20世紀。ジュール・ヴェルヌの描く、もう一つの1963年のフランスがここにある。
1863年に脱稿するも出版の日の目を見ず、ヴェルヌ没後86年たって発見された作品。
さすがSFの父、ヴェルヌ。当時としては驚異的な洞察力で、今日のモータリゼーション、電灯に代表される科学技術の発展のみならず、「それがもたたらす影響」を鋭く描いている。(さすがに原子力と世界大戦には想像力が至らなかった様子。)
もはや芸術家は存在せず、銀行家と科学技術者が闊歩する世界。19世紀の偉大な作家は忘れ去られ(ユゴーやデュマが絶版!)、大学高校の人文学科が廃止となった世界。
人間は科学技術のために働く存在であり、家族はバラバラに生活し、誰もそれを不思議と思わない世界……。
文学に生きることを決意した主人公のミシェル(ヴェルヌの実の息子と同名だ)の運命は、より悲惨な方向へ……。
それにしても、この作品が書かれたのは1863年。EDO ERAの日本は文久三年。隔世の感があるなぁ。

PARIS AU XXe SIECLE
二十世紀のパリ
著者:ジュール・ヴェルヌ、榊原晃三、集英社・1995年3月発行
2007年1月27日読了

防衛省直属の特殊作戦群、そして内閣情報調査室の想像を絶する日常。
総理大臣の孤独な戦いと"決断"。孤軍奮闘する自衛官の壮絶な最後。

北朝鮮による「日本隷属化計画」の全貌が明らかになる。この辺りまで読み進むと、日本政府が巨額の税金を投じて進めるミサイル防衛計画も、日米安全保障条約も、ある条件下では無意味になることがはっきりする。
いかに政治が重要であるか。
結局、BMDはアメリカにこそメリットがある、そう言うことか。

北朝鮮の<組長>。彼もまた分断国家の被害者だ。タイトルに込められた意味からすれば、彼こそ真の主人公なのかもしれない。
それにしてもどこまでが現実で、どこまでが虚構なのか……。
結局、すべては「米国の掌の上」。それが現実であり、悲しい。

瀕死のライオン(上)
著者:麻生幾、幻冬舎、2006年7月発行
2007年1月10日読了

瀕死のライオン(下)
著者:麻生幾、幻冬舎、2006年7月発行
2007年1月19日読了

1枚の絵がある。
乳飲み子を抱いたまま、黒こげて横たわる若い母親。
子供の手足は肉が溶け落ち、それでも小さな白骨は、母の二の腕をしっかりと掴み――原爆に焼かれて亡くなった母子の絵だ。

美しい国? そんな薄っぺらいスローガンなど吹き飛ばす、凄まじい世界がここにある。

平日にもかかわらず、見学者は多い。新館1階の入口に入ると、幕末明治の広島が西の軍都となる歴史が、日露戦争時には大本営(明治天皇滞在)や臨時の帝國議会議事堂が設営されるなど、臨時首都と機能していたことと合わせて紹介される。やがて時代は下り、原爆が投下され、都市がどのように変貌したかが精密な都市模型によって再現される。
ここらあたりまでは笑い声も残る。他の美術館などと同じだ。
2階へ移る。戦後の広島・被爆者の苦難、世界中からの救いの手。その一方で増強される世界の核兵器システムと、それがもたらす絶望の未来。ヒロシマからの「世界平和」が、来訪者に強く訴える。
そして本館へ。被爆直後の街を再現したと思える等身大ジオラマ。詳細は書かないが、あまりの惨状に、無駄話をする見学者などいない。
展示される小さな「遺品」には、魂が残っているかのようだ。さぞかし無念だったろうに。
最後に、被爆者自身の絵が展示される。冒頭の「焼け死んだ母子」も、その中の1枚だが、強く心に残った。

ほとんど無傷の死体、すなわち強い放射線を浴びて死亡した多数の中学生が、まるで丸太を積み重ねるように埋葬される絵もあり、思わず涙を誘う。

たとえば、目の前に焼けただれた、それでも何とか生命をつないでいる子供がいる。
手足の皮膚はただれ落ち、綺麗だった顔容(カンバセ)は血と煤にまみれ、ボロボロの衣服からはひどい臭いが鼻を衝く。
果たして自分は、彼を、彼女を、抱きしめることができるだろうか。
人間性が試される真実の瞬間、自分はどう行動するのだろうか。

本館2階の通路の窓から、原爆死没者慰霊碑を眺めながら、そんなことを思った。

余談。
出張先での仕事が終わって小腹が空いたので、広島焼きを賞味した。広島駅構内南側のASSE内にある「麗ちゃん」だ。昼食時に20人以上も並んでいたが、夕食には少し早い時間帯だったので、3分待ちで座れた。
なんて美味! 
思ったより小ぶりだったが、神戸の広島焼きとは別物。やっぱり食は本場に限る。

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(2007年1月19日)

近年、日本の戦争責任に対する中国と韓国の批判が強まっている。国家の煽動だ、と一蹴できない"何か"がその底辺に横たわっている。
原爆投下を巡る日米両国民の認識の隔たり、ユーゴ内戦に対する欧州と日本の対応の違い、コソボ戦争終盤のユーゴ空爆に対する欧米社会と日本社会の対応の落差が現れたが、「国民の戦争の記憶」の正体を探ることで、その遠因が説明される。

・戦争の記憶。それは個人の私的体験が家族と地域で語り継がれことによって社会の記憶となり、公的戦争史観が制定されることで"国民的体験"となる。
・国家の権利として戦争を認める伝統的な「現実主義」に対し、いかなる理由であれ戦争に反対する「反戦主義」と、侵略者に対する武力制裁を行うことで平和が保たれるとする「正戦主義」とが対置されるのが現代政治の構図となる。
・現代アメリカは「正戦社会」だが、かつては、破壊的な南北戦争の経験が「反戦社会」としていた。しかし現代の米国「正戦社会」は第二次世界大戦の勝利が原体験となっており、今後も変わることはない。
・「反戦社会」である現代日本で戦争を主張する者はごく少数。だが戦前では、反戦の声を上げる者こそ少数派だった。破滅的な敗戦が日本社会を根底から変えた。
・反核平和運動主義の問題点。親中ソ・反米的な要素はともかく、普遍的な"ヒロシマ"を語っても、広島の惨劇、具体的には実在の原爆被害者を救済することを考慮しなかったことは致命的だ。

1929年に発効した不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)をあざ笑うように、幾多の人命が銃弾と炎と苦痛と絶望の中で絶えてきた。第二次世界大戦が終了して60年。やっと「戦争は犯罪である」との共通認識が定着しつつある。それでも「正戦主義」は根強く残る。

なんとなく「反戦・平和主義」だった日本社会も、「限定的正戦主義」の意識が主流となりつつあるように思える。米国との同盟を最重視する点からも、それが現実的だと思う。

戦争を記憶する 広島・ホロコーストと現在
著者:藤原帰一、講談社・2001年2月発行
2007年1月6日読了

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