男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2007年09月

主人公アシェンバッハは国民的大作家。その生活は堅実そのもの、その作風は謹厳にして実直、青年の人生の模範と称される。50歳に貴族に除せられた後も、ミュンヒェンの自宅に籠もり、創作活動に専念する日々を送っていた。ふとした転機にて訪れたヴェネツィアの海岸にて、アシェンバッハは、ポーランド人の美少年の虜になる。
老ソクラテスが美青年、パイドロスに抱いた感情に重ね合わせ、アシェンバッハの情念は日々高まる。欲望が理念を殺した瞬間、それはコレラ感染の危険を顧みず、波乱の中へ自らを投じるのであった。
明日にも自らの身に起こりそうな、人生が瓦解する描写。
高い精神性が情欲に足を踏み入れると、抜け出せなくなる様子は、欲望の対照を現代の歓楽に置換すると、深い意味を持つと思う。

DER TOD IN VENEDIS
ヴェネツィア客死
著者:トーマス・マン、集英社・1990年11月発行
集英社ギャラリー[世界の文学11] ドイツⅡ所収
2007年9月24日読了

お・い・ら・は、ドッラッマー!
実は、石原裕次郎作品を鑑賞するのは、これが初めてだ。レンタルDVD店に立ち寄り、日活コーナーに目がとまり、そのまま借りてきた。
イーストマンカラー総天然色! サイズは日活スコープ!
昭和32年……テレビが家庭に普及する前、まだまだ映画全盛期の香りがプンプンして、妙に味があった。

評論家の暗躍する芸能界のドロドロした面と、純粋に音楽に生きる弟の狭間に立ち、主人公、国分正一の選択した道……。まぁ、ベタなラストではあるが、最近の変に謎を残す幕切れではなく、後味良いすっきりした終わり方が良い。

北原三枝の演ずる福島美弥子もいいなぁ! 女子大卒のキャリアウーマンの先駆け、か。社会面では、典型的な芸能プロダクション一家=上流家庭の家並みと、まだまだ主流を占めていた「ぼろアパート」、それに、売れっ子芸能人(ダンサー)の住まう「高級アパート」(いまで言うワンルームマンションだな)の映像が、とても新鮮だった。

2007年9月22日

江沢民に代わり、手を振り笑顔を振りまく新世代の最高指導者が登場した。新世紀に相応しいフレッシュな政策により、国際社会に適合した中国に生まれ変わるのでは? 「日中友好」を絶叫する日本のマスコミ報道を鵜呑みにすると、そのようなイメージを刷り込まれてしまう。
20年前の胡錦濤へのインタビュー経験を持つ著者は、表面的な姿勢に騙されてはならないと警鐘を鳴らす。

日本では決して報じられないが、史上かつて無い言論弾圧が吹き荒れる中国。外国人記者の拘束も日常茶飯と化し、インターネットへのアクセスも軍が監視している。「ある日突然連行される」のでは、北朝鮮や戦前の日本と同じではないのか。

過去の日本の戦争行為を断罪することは、国民の不満を外に向けるだけでなく、日本の技術と資金を自国の経済発展に寄与させるための、打出の小槌となる。おしとやかな日本国民に罪の意識を喚起させ、親中国派の勢力増強を図る。

アメリカ世論に日本の悪イメージを定着させ、議会には猛烈なロビー活動を行い、日本の立場を悪化させる。

核弾頭の照準を日本に合わせたまま、社会民主主義勢力と共謀して、日本の軍国主義化を批判する。その間に空母と原潜を保有する等、海軍力を飛躍的に向上させ、インドネシア等に原潜基地を確保し、シーレーンの制海権を狙う。

宇宙の平和利用を唱いながら、米国を標的とした人工衛星の攻撃実験、偵察衛星の準備を着実に進めつつある。確かに、有人宇宙飛行は快挙ではあるが、その目的には疑問がつきまとう。
かの国は、近年中に有人月面着陸を目指すという。月面に翻る五星紅旗。「月面の中国領有」が宣言しても、僕は驚かない。

国民生活のためのインフラは疎かにしながら、軍事力の膨張を続ける中国。その先には何があるのだろうか。
北京オリンピックに目を眩まされるのでなく、慎重に見るようにしたい。

胡錦濤の反日行動計画
著者:浜田和幸、祥伝社・2005年9月発行
2007年9月15日読了

中年男の哀愁を赤裸々に描く表題作から「浅田次郎世界」に招き入れられた。初めての「彼」から離れられない妻と夫の長年の苦悩と解放劇、自分を捨てた母の最後の言葉がトラウマとなり、その後の人生を束縛されてきた女、生活を打破すべく据えた新たな志と、愛すべき女との狭間に揺れる青年心理など、生きることの切なさが光る七遍。
個人的には「ピエタ」が強く印象に残った。
北京、パリ、ローマ、戦後東京の下町、と舞台も多彩。数年後に読み返したい一冊となった。

月のしずく
著者:浅田次郎、文藝春秋・1997年10月発行
2007年9月7日読了

2007年9月時点において、国連加盟国は192を数える。そのうち150ヶ国以上が、二〇世紀中葉まで存在した帝国の支配下にあった。前世紀の残滓を払拭した現在でさえ、グローバル経済体制に従属しているのが実態だ。
帝国、そして帝国主義。それは突如、消えたのか。否、姿形を変えて存続しているのか?
本書は、有史以来の歴史を俯瞰し、現代まで連綿と続く東西の帝国の意味を概観する。

帝国主義。それは他国民を従属させ、収奪する行為であるがゆえに、必ずしも好意的にはとらえられない。それが現代日本人の感覚であり、おそらく世界共通の認識なのだろう。だが19世紀後半の帝国主義の時代は「植民者こそが英雄」であり、原住民を文明化する使命を担う正しき行為とされていた。大日本帝国もまたしかり。朝鮮半島、中国大陸、東南アジア諸国へ侵攻するのに、これ以上の大義名分はなかった。しかし、1930年代になると欧米で帝国主義への疑問が生じ、日本だけが時代の後追いを続けていたことは悲劇でもあったが。

遠くローマの時代から、帝国の中枢に位置する者にとって「野蛮人を文明化すること」は自分たちに課せられた使命だと信じる傾向があった。それは宗教、特にキリスト教とイスラム教の使命感と混淆したためである。(だから、同様の帝国である古代中国には、周縁国家に対する文明化の意図は生じなかったのだろう。)
しかし、支配される側にとっては、帝国主義は収奪そのものである。
「人住まぬ荒野をつくって、それを平和と呼ぶ」
我々が信奉する基本的人権、民主主義の概念、そして国際法。これらでさえ"帝国の遺産"であり、西洋の価値観の押しつけだとする論調すら見受けられる。

現在、帝国と呼べるのはアメリカだけとされる。直接的な植民地政策を行使しないものの、地域の支配体制を通じて経済と外交、ときには文化を間接支配し、利益が驚かされるときには軍事的手段を用いて「あるべき姿」に矯正する。その意味では、新しい世界帝国とも言える。
長期的にはどうなるのか? 伝統的なヨーロッパ文化と異なる、より民衆的なアメリカの価値観が普遍化し、一方で各国・地域の伝統文化・人生観と混じり合い、かつてのローマ帝国とも異なる「緩やかに統合された世界」が大きな趨勢になるのだろうか。

2007年10月からTV放映が始まる「機動戦士ガンダム00(ダブルオー)」が、上に述べた世界観に近いようだ。このアニメの舞台、すなわち石油資源の枯渇した西暦2300年の世界は、アメリカを中心とした陣営(日本も参加)、中国・ロシア・インドを中心とした陣営、アフリカを支配下に置く欧州連合の3極が太陽エネルギーを奪い合い、中東・東南アジア・アフリカの貧困国からなる「見捨てられた世界」はテロに専従するという、ありうるリアル未来図を予想させてくれる。(日本がアングロサクソンに占領されて全てを奪われる、コードギアスの世界観よりは救われる。)

……脱線が長すぎた。
個人的には、近代の典型的な陸上型帝国である、オーストリア=ハンガリー帝国の姿が印象に残った。多民族にして民主的な帝国を建設するという、どう考えても無理がある政策を実践し、ある程度まで成功させた(当時は大英帝国もフランスも、少しでも民主的権利を植民地に与えてはいなかった)。その画期的かつ穏和な方針が、かえって民族闘争に拍車をかけ、帝国の解体を加速させたのは皮肉だったと言える。

EMPIRE : A Very Short Introduction
帝国
著者:スティーブン・ハウ、見市雅俊(訳)、岩波書店・2003年12月発行
2007年8月29日読了

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