男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2008年10月

著者は、1870年代にトロイア遺跡を発掘し、「古代への情熱を」著した、あのシュリーマンである。その彼が世界旅行の途中、1865年5月から8月にかけて立ち寄った上海、北京、万里の長城、横浜、江戸を中心とした紀行文が本書である。

明治維新直前の日本の姿。現代日本人の知り得ない江戸期の風俗と生活を詳らかに、まるで眼前に現れるかのように描く筆致はすばらしく、西洋と清国との比較とも相まって、興味深く読み進めた。

浅草寺に関しての記述が面白い。聖域である神社仏閣に群がる土産物屋と雑多な人々の群れだけでなく、仏像の横に掲げられた「おいらん」の肖像画が著者を大いに驚かせたようで、それが彼の日本人観に与えた影響は大きいと思われる。
シュリーマン氏曰く、
「私は、民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級はむしろ懐疑的であるという確信を得た。ここでは宗教儀式と寺と民衆の娯楽とが奇妙な具合に混じり合っているのである」
その通り! 日本では狭義の宗教心ではなく、広義の道徳心が、"日本人"をかたちづくっているのですよ。

清朝統治時代の怠慢な(習性? それともモンゴル人統治で骨抜きにされた?)シナ人の姿に対し、清潔、金銭に対し潔癖(誰も彼もが賄賂を拒否。労働者も余計な金銭を要求しない)、任務に忠実、整理・整頓を怠らない。木彫り細工、玩具制作などの技能は西洋人を凌駕する等、日本人をベタ誉めなのが嬉しい。

もっとも、"神道と儒教、仏教に支配された"日本人総体が宗教的には否定される。物質文明は西洋に引けを取らないが、"真実の文明の域に達していない"と手厳しい。これが西洋人の主観的な限界か。

La Chine et le Japon au temps present
シュリーマン旅行記 清国・日本
著者:ハインリッヒ・シュリーマン、石井和子(訳)、講談社学術文庫・1998年4月発行
2008年10月14日読了

僕の胸に秘めている言葉がある。
「信ずるは良心、頼るは自分のみ」
誰が言ったか書いたのか、はたまた自分が編み出したのか。いまとなっては分からないが、本作を読んでふと、思い出した。

さて、何度も読んだはずの芥川の超有名作品だ。先日の神戸新聞の恩田睦さんのインタビュー記事で引用されていたので、書棚から引っ張り出してきた。

ひとの本質を抉る短編。最もらしく聞こえる他人の言葉ほど信用ならないものはない。
最後のよりどころを意識しつつ、生きていかねばならぬ。そう言うことだな。

藪の中 芥川龍之介全集第八巻所収
著者:芥川龍之介、岩波書店・1996年6月発行
2008年10月13日読了

本作は小説というより、短いファンタジーのオムニバス。こころや虞美人草に代表される長編とはかなり印象が異なる。

第三夜が秀逸だ。
「左を見るとさっきの森が、闇の影を、高い空から自分らの頭の上へ投げかけていた」
背中におぶった我が子が自分の過去だけでなく、これから起こることも予言するかの口をきく。小雨の中の街道で、瞬時に百年前の自らの行為を理解する。小泉八雲、河竹黙阿弥等、日本の伝統文学に散見される因果応報の盲人殺しの物語。

それにしても、イギリスの絵画とキリスト教の伝承(第十夜)、過去の時代の人物との同居(第六夜)、神代の頃の自分の記憶の回想(第五夜)等、これだけバラエティに富んだ話をひとつの作品にまとめる辺り、これもひとつの才能か。

夢十夜 漱石全集第十二巻所収
著者:夏目金之助、岩波書店・1994年12月発行
2008年10月12日読了

現在日本を蝕む様々な病理。それは、先進国世界共通のものであり、過去数世紀間の西洋的論理・近代的合理主義を追求した結果の姿である。
何事も論理だけに頼ると、いつか破綻を来す。日本人が本来もっていた情緒と形を取り戻し、自らが範を示すことで、世界から尊敬される存在になろう。

数学等の科学・工学は論理が最重要だ。しかし、一般社会に論理を追求するのは間違いであり、人間性に対する深い洞察力こそ重要である。

なんでもありの自由、前提条件のない民主主義、制約のない平等が、社会に歪みをもたらす。
カルヴァン派の極端な宗教観が、現在の西欧式資本主義の背景となっている。利己的な利潤追求の奨励は社会的問題を解決しないし、「神の見えざる手」はまったくの誤りだ。

悠久の自然と儚い人生。その対比の中に美を発見する感性。この「もののあはれ」の感性は、日本人は鋭い。この自然観こそが神道を生み、特定の宗教に束縛されない日本社会を持続させてきた。

江戸・明治期の識字力の高さ、実益に役立たない教養の豊かさが底力となり、明治維新後の脅威の発展を可能にした。だからこそ、表面的にマネをした諸外国は失敗したのだ。

卑怯を知り、弱者をいたわる精神、すなわち明治初期に西欧諸国から絶賛を浴びた武士道精神こそ、これからの日本人が身につけるべきものだ。

小学生に英語教育や株式教育は必要ない。そんな時間があるなら本を読み、国語の基礎力を徹底的に鍛えるべきであり、それが真の国際人の育成に繋がる。

なるほど、ベストセラーになるのも納得だ。

ただ、疑問に思える記述も散見される。たとえばサラエヴォでフェルデナンド大公が暗殺され、急速に第一次世界大戦に拡大する描写は良いのだが、その一因が「民主主義であるがゆえの主権在民に」よるものであるとされている。さらには「主要国の間にはそもそも領土問題もイデオロギー問題もほとんどなかった。国民が大騒ぎして、外交でおさまりがつかなくなり、大戦争になってしまった」とある。
当時、広義の意味で民主国家と呼べるのは英仏だけであり、オーストリア、ドイツ、ロシアの主権は君主が握っていたはずだ。英仏の国政レベルの議会でさえエリート層支配そのものであり、現在の大衆民主主義とは異なるものだ。当時も議会制度が浸透していたとは言え、この辺は、著者の都合の良い解釈になっていると思う。
(正確さが要求される歴史書ではないし、目くじらを立てることもないのだが。)

「一般国民は成熟した判断ができない」との指摘も、一面ではその通りだと思う。劇場型選挙に目を奪われ、本質的な部分を理解しないまま、選挙戦が繰り広げられる様は、まさしくポピュリズムの典型だ。前回の衆議院"郵政"選挙もそうだったし、ここ数年の米国大統領選挙もモロにあてはまる。日々の勤めに追われる"われわれパンピー"は専門家じゃないんだし、マスコミによる扇情、ネット空間の"勢い"、カリスマ・タレントの"思いつき発言"等に幻惑され、あらぬ方向へ走ることもある。
それでも、国民集団として最終的・大局的な判断を下す能力は失われてはいないと思うし、そうありたいと思うことで、潜在的な判断基準は保たれているはずだ。

素直に飲み込めない点もあったが、内部にエネルギー("その気"ってヤツ)の活性化するのを感じ、満足な読後感を得た。
個々人の品位を回復し、日本人としての矜持を保ち、堂々と世界と渡り合う、か。良し!

国家の品格
著者:藤原正彦、新潮社・2005年11月発行
2008年10月7日読了

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