男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2009年02月

一部の政治家や外国勢力がナショナリズムを扇動し、平穏な少数派民族と多数派民族の共存する社会を混乱に追いやる。これは旧ユーゴスラビアと旧ザイールで起こり、現在に生きるわれわれが目撃したことである。
本書は、1947年の分離独立に至るまでのインドとパキスタンの地で起きた"外来文明"がもたらした、"中世インド文化の解体"の歴史を明らかにする。

古いインド世界。そこでのヒンドゥーとムスリムの長く融け合った生活は、他でみられない独特の文化、たとえばムスリムのバラモン、イスラムの礼拝を欠かさないヒンドゥー教徒などを編み出した。

イギリスが持ち込んだ近代思想。その実、恣意的な"科学的"国勢調査や文明的改革に触発され、インド社会内部の自発的な宗教・社会改革は宗教ナショナリズムへと発展した。イスラム教徒とヒンドゥー教徒は純化し、分離独立したインドとパキスタンはいまなお、戦禍を絶やさずにいる、

宗教に関係なく北インドの民衆が使っていたヒンドゥースターニー語から発祥したウルドゥー語とヒンディー語は、19世紀以降、それぞれムスリム、ヒンドゥーの言葉として定着してしまった。

ヒンドゥーの枠組みにとらわれない合理主義を取り入れた初期の改革運動は上流階層に受け入れられ、ヒンドゥー教徒の内部へと浸透していく。出版物と集会を媒介に中間層を取り込み、やがてナショナリズムへと変貌した。
一方で、ムガール帝国解体の衝撃を受けたムスリムは、イギリスへの抵抗の無意味さを悟るとともに、擡頭するヒンドゥー勢力を意識しながら、積極的に大英帝国インドの現地支配層に変貌していった。
つまり、ヒンドゥー勢力への対抗心が、インド・ムスリムの観念を醸成させたのだ。
ここに、現地二大勢力への分割と対抗意識を通じた支配が実現し、イギリスの思うままとなった。

ヒンドゥー穏健派は国民会議派に収斂し、それに飽き足らない者はヒンドゥー大協会(現在のインド人民党の前身)を結成した。大衆相手に和解を説いて回ったガンディーの想いは実を結ぶことなく、ヒンドゥー大協会の青年に暗殺されるに至った。

このような概観を示した上で著者は説く。民族主義に限定されない地域主義が、宗教ナショナリズムを抑制する要素となり、さらに宗教ナショナリズムを煽る政治エリートとは別の価値観を有する大衆の自立性と叡智が、かつての共生の世界観の良き点を復活させる切り札になるであろう、と。

中国と共に、荒々しい人々のエネルギーと可能性に満ちあふれたインド。その人類文明に占める重要性は増すばかりだ。隣国パキスタンとの敵対性は薄れることはないだろうが、紛争をコントロールしつつ、その目指すところを今後も探ることとしたい、

世界史リブレット71
インドのヒンドゥーとムスリム
著者:中里成章、山川出版社・2008年3月発行
2009年2月19日読了

もはや、日々マスコミで報じられる暗い経済ニュースは食傷気味であるし、米国発の金融危機を頭で理解できても、自分の身の回りに影響が及ばないと実感できないものだ。
でも、正視しなくてはならない。

本書は、長い長い不況の入り口に立ち、これから数年の間に起こり得る"経済津波"と日本への影響が検証される。
政府規制の及ばない影の銀行システム。その構造と崩壊、これまでの経済不況との決定的な差異とインパクト、無責任に米国政府のグローバル化要求に従い続けた結果、無惨に崩壊した日本の雇用と社会保障、それに"倫理"。

米国債を買い支え、影から米国消費社会を支えているのは80~90年代と異なり、中国、ロシア、南米と言った決して親米ではない国という事実。ドル暴落のリスクは高まる一方か。

著者は説く。これから本格化するであろう日本社会の崩壊(経済ではなく社会)に備えよ、と。資産デフレと資源インフレが同時進行し、それがもたらす"惨状"は知りたくもない未来図だ。

薄いが中身の濃い1冊だ。細かな経済指標については一定の知識がないと理解しづらいが、あえて精緻なデータを掲げたのは、この金融市場の崩壊がもたらず影響の巨大さを示す意図なのかもしれない。

岩波ブックレットNo.740
世界金融危機
著者:金子勝、アンドリュー・デウィット、岩波書店・2008年10月発行
2009年2月5日読了

兵庫県立淡路夢舞台温室『奇跡の星の植物館』へ行ってきた。(2009年2月7日)
実ははじめての訪問になるが想像を越え、巨大な温室と珍しい草花に取り囲まれ、その中で可憐な蘭と洋ランが"これでもか!"と言うくらいに咲きこぼれる庭園は、圧倒的だ。
行く価値有り、ですぞ。

蘭協会のコンテスト受賞作や、各地のラン職人の力作。花々に彩りを添える花器も見応えがある。

圧巻はこれ。1,000平方メートルの巨大な展示場に再現される「大隈重信『侯爵の華麗なる蘭ガーデンショー』」だ。開国によってワッと押し寄せた世界中のランを自宅に集め、ガーデンパーティで開催した晩餐会で披露する……イヤハヤ、貴族的。(桜と洋ランって、結構合うなぁ。)

個人的には江戸時代の蘭と植物に関する展示スペースが気に入った。
幕末はどこの藩も財政難。禄高の減った下級武士は観葉植物の栽培に励む。鉢植えを売っては家計の足しにし、新種の発明に成功すると、
(昨今の不況下、勤務日数を削減し、社員のアルバイトを認める大企業を思い出した。イヤ、笑いゴトじゃないが。)
これだけを観にもう一度訪れてもイイかも。

兵庫県立淡路夢舞台温室『奇跡の星の植物館』-5周年記念スペシャル-
淡路夢舞台ラン展2009
http://www.kisekinohoshi.jp/
2009年3月1日まで!

本書は19世紀後半から20世紀初頭にかけてのイギリスの労働者クラブを題材に、都市部における新しい共同体の形成とその文化(アソシエイション文化)を論じる。

産業革命が引き起こした工業化は、急速な都市の発達を即した。従来の鉄道網に加え、都市部での地下鉄の発達は、上流・中流階級の住居の郊外への移転を即した。代わりに都市住民の主役に躍り出たのが工場労働者とその家族だ。

給与所得と余暇(9時間労働と土曜半ドン)の増大が、労働者の週末を充実させる。会費を支払えばメンバーになれるクラブは、村落社会から離れ孤独になりがちな労働者のアイデンティティー形成の場となった。

当初、上流・中流階級の篤志によって「労働者の正しい教化」を目的に発足したクラブも、アルコール提供を皮切りに労働者自身による自主経営が可能となり、夜と週末の娯楽を主体に大規模化していった。

都市社会の住民として、好きなクラブイヴェントに参加できる自由。これは農村社会での「村の掟」や「全員参加」に縛られることの大きな違いだ。また、個人ではなしえない地方自治への参加も、クラブとその動員力を通じて可能になった。

伝統的な上流・中流階級を基盤にしたトーリー(保守党)とホイッグ(自由党)の政治世界に、19世紀後半以降の度重なる選挙法の改正により、労働党の発足と都市労働者の国政への参画を可能にした。

グローバリズム。この聞こえの良い言葉が氾濫する。実態が分からなくてもの分かったふりをすれば、時代に流されなくて済む。そして、新自由主義の蔓延による地域社会と人々の紐帯に緩みが生じ、その間隙を衝いて浸透するナショナリズムが、意図的なマスコミ報道によって徐々にわれわれの生活に馴染んでくる。
こんな構図を想像してしまった。

世界史リブレット119
近代都市とアソシエイション
著者:小関隆、山川出版社・2008年12月発行
2009年1月29日読了

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