男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2009年05月

過酷な代償を支払い、自ら勝ち得た独立国家=植民地時代の終焉。それは原住民を市民に、かつての現地語=自国語を自由に行使し、労働の正当な成果と独自の文化を実らせ、旧宗主国と並び、国際社会の主役の一員となるはずであった。
現実は厳しい。貧困と腐敗と暴力が蔓延する国土には、「国の富」を収奪する支配層が君臨する。政治・行政システムは彼ら=暴君のためのものとして確立され、唯一、クーデターのみが政権交代の手段となった。

本書は、著者の出身地チュニジアと、アルジェリアとモロッコを含むマグレブ・アフリカを中心に、1960年代に相次いで独立を遂げたアジア・アフリカの旧植民地の問題点を暴き出す。

腐敗。国を牛耳る為政者と背後で操る経済界。彼らだけでなく、警察官から入国管理官、果ては一般市民に至るまでの「共犯的犠牲者」の腐敗。企業を設立するより、架空取引や国際援助を利用したリベートを取る方が利益を上げられる。粉飾決算や賄賂が計画的に行われ、「儲け」先進国の銀行口座に送金される。先進国と第三世界の腐敗との密接な関係がここにある。
腐敗が大がかりになるほど貧しさは極端になる。アフリカで最も豊かな資源を誇るナイジェリアは腐敗が甚だしく、国民の貧しさでは世界で一二を争う。

投資される資本がなければ産業は発展しない。40%もの失業率。流出する有能な人材。溢れる若者の力は騒乱に向かう。デモと鎮圧。繰り返される光景。
産業が育成しないなら、G8=先進国の援助に頼らざるを得ない。そして国庫収入の三分の一を占めるのが観光であり、ここでも先進国への依存が顕わになる。独立した意味はどこにあったのか?

著者の非難は、沈黙する知識人に収斂される。エドワード・サイードを除けば、国の指導者に対する非難の声を上げることはない。指導者に「遠慮」してか、自国の体面が傷つくことを畏れてか。はたまた、自らの保身のためか。(ならば、サイードのように国外から声を上げれば良い。)

独裁体制の強化に効果的な道具は軍である。文民も軍人のマネをする。スターリン、チトー、ウガンダのアミンも軍服を着用した。
しかし、軍事政権は新たな暴力=クーデターによって容易に倒される。一方、民主体制で権力が安定するのは、国民の委託によって正当化されているからであり、民主主義の優位性がここにある。

パレスチナ問題。アラブ諸国の為政者が、国民による自分たちへの非難の矛先を、イスラエルへ向けるための絶好の手段である。彼らの身の上に比べたら、自国の停滞など微々たるもの。そう思わせるのに好都合な、パレスチナの悲劇
だから、いつまでたっても解決するはずがない。

イスラムは宗教だけでなく、個人の生き方の規範から社会生活、共同体の法規まで網羅したシステム=体系である。モノの本ではそう解説されるが、著者は異論を唱える。
キリスト教も従来、今日のイスラム教と同じく政治・生活・文化のすべてであった。2000年もの歳月をかけて現在の姿=一部の熱狂的な信徒による信仰の対象となった。生まれて800年の若いイスラム教も、やがて政教分離が実現し、現在のキリスト教のようになるであろう、と著者は説く。
イスラムは特別な宗教ではない、と。

今日まで漠然と思っていた"常識"は必然ではない、と本書が新たな視点を提供してくれた。

最後に。著者は声を大にして説く。(「移民」もう一つの世界へ)
マネーロンダリングで利益を得るのはギャングだけか? 銀行であり、先進国である。民主主義のリーダー、米国。労働者の祖国、ロシア。人権の伝道師、フランス。これら揃って武器を世界に供給する三大国であり、この武器が死をまき散らし、途上国の暴政に力を貸す。国際会議の場での美辞麗句など偽善であり、武器を購入して自国民を飢餓に追いやる旧植民地の政権にモラルなど無い。

Portrait du Decolonise
arabo-musulman et de quelques autres
脱植民地国家の現在 ムスリム・アラブ圏を中心に
著者:アルベール・メンミ、菊地昌実、白井成雄(訳)、法政大学出版局・2007年5月発行
2009年5月10日読了

週刊漫画サンデー(「静かなるドン」だな)で連載されているのを読んだ翌日、偶然にも新幹線乗り継ぎの合間にJR新大阪駅で買ったのだが、実に面白い。

折しも、司法の檻に囲まれた硬直した裁判の場に、一般市民の感覚を取り入れようという「建前」が施行される2009年5月21日に買ったことになる。

「古い慣習で凝り固まった司法に新しい風が吹き込まれるのだ」
検察の証拠に判断を委ねがちな裁判官。煩雑かつ時間のかかる裁判手続き。同じ裁判員と言っても、ホームレス、元学校校長、主婦、一般会社員、新聞記者……。判断は自ずと異なるな。
真っ向から異なる検察と弁護側の主張。証言者の「個性」。ドロドロの人間関係。強盗殺人か、過剰防衛による傷害致死か。「刑務所でしか生きられない人たち」を、また送り出すのか。
しかし、裁判官の「個性」に判決を、すなわち人生を決められるなんてかなわないな……。

こういうマンガは大歓迎だ。8月に発売される2巻も買うぞ。

東京出張のチャンスを利用して観賞したぞ!
(2009年5月21日)

「これぞルーヴル、
 これぞヨーロッパ絵画の王道」
とのうたい文句に期待は高まる。15時過ぎに会場到着。って、待ち時間40分! ひどいんじゃないか?
会場内も混雑している。しかし並んだ甲斐あって、素晴らしい作品群を堪能することができた。

巨大な油彩の前に立つ。魂の込められたタッチに見入る。

ルーベンスの「トロイアを逃れる人々を導くアイネイアス」は、燃える故郷を追われ、身体ひとつで異国へ脱出する民族の悲劇が伝わってくる。

「テーブルを囲む陽気な仲間」の「おい、酒を独り占めするんじゃねぇゾ」との会話が聴こえてくる。

あと、「ルイ・デカルトの肖像」画の第一印象は、「狡猾そうな顔つき」だなぁ。後世に名を残す偉大な哲学者には申し訳ないが。

個人的には、「アンドロメダを救うペルセウス」(ヨアヒム・ウテワール、1611年)と「クリュセイスを父親の元にかえすオデュッセウス」(クロード・ロラン、1644年)が気に入った。
http://www.ntv.co.jp/louvre/description/pict10.html
http://www.ntv.co.jp/louvre/description/pict7.html

印象に刻まれたのは、やはり「大工ヨセフ」(ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、1642年)だ。
http://www.ntv.co.jp/louvre/description/pict12.html
(3作品ともポストカードを買えた。)

テレビ放映やネットでは味わえない、この感覚。やはり本物だ。

ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画
http://www.ntv.co.jp/louvre/

2009年6月14日まで。関東在住の人はすぐに行くべし。
関西でも2009年6月30日から京都市美術館で開催される。これで安心(?)だ。

京都駅ビルの高橋留美子展に続けて観賞した。(2009年5月16日)

「イタリア美術とナポレオン、美術と歴史が織りなすフェッシュ美術館の至宝をお楽しみください」とのことで、ナポレオンの叔父のコレクションをもとに設立された、コルシカ島のフェッシュ美術館の収蔵品が展示されている。

15世紀のボッティチェッリ(舌を噛みそう)の「聖母子と天使」や、18世紀のジャクイントの「サン・ニコラ・デイ・ロレネージ聖堂のための習作」等が展示されていたが……。
正直、心を鷲掴みにされる作品はなかった。宗教画も迫力はないし。

ただ、「第4章 ナポレオンとボナパルト一族」は良かった。
ナポレオンのデス・マスク。死してなお、石膏型取りされて、人々の前にさらされる。良いのか、悪いのか。

ナポレオン3世の小さな肖像画が気に入った。平服かつ小さな額に納まったもので、煌びやかな衣装を纏ったナポレオン1世の戴冠式の豪華絢爛な巨大絵画と対照的だ。
どうも僕は帝国最後の皇帝、最後の国王に惹かれる。ハプスブルグ帝国の老人皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世がそうだし、江戸日本最後の将軍、徳川慶喜がそうだ。
瓦解する国家体制の立て直しに奔走する姿勢が、いまの為政者にない魅力を有しているからだと思う。

で、この京都文化博物館は美術作品だけでなく、京都で撮影された映画のフィルムやポスター、脚本などを保存・展示する映像ギャラリー、京都映画の上映会が行われる映像ホールを有している。いいなぁ。
別館の建物だけ趣が違う。旧日本銀行京都支店であり、国の重要文化財だそうな。明治クラシックスタイル漂う外観と内装が実に良い。

京都府京都文化博物館 イタリア美術とナポレオン
http://www.bunpaku.or.jp/index.html
2009年5月24日まで。

以前、東京・松坂屋で開催されていた展示会が、規模を縮小して京都で開催されている。
なんで大阪じゃないの? 
で、明日が最終日。地元、神戸で蔓延しだした新型インフルエンザが気になるが、こんなチャンスは二度と無いので行ってきた。(2009年5月16日)

来て良かった。貴重な高橋留美子先生のオリジナル原画を、それこそ、30cmの距離で眺めることができた。
ポスターやカレンダー、画集は結構持っているが……。さすがは肉筆の原画。印刷物とは全然違うぞ!
それにしても、細やかなタッチといい、微妙な濃淡の付け方、表情はもちろんのこと、衣服の"しわ"表現のための繊細な色彩表現……。神業だな!
にしても、ホワイト修正の多いのは、新たな発見だ。

数は少ないが、直筆の原稿も展示されていた。うる星やつら、めぞん一刻、らんま1/2の最終回がそれぞれ数ページ分。犬夜叉は最終巻の原稿だ。(東京での展示会開催時は連載中だったから。) でも、最終回の感動シーンのラフ画が3枚、展示されていた。こっちこそ貴重じゃないか!(井戸からかごめを抱き上げる、あのシーンだぞ。)

で、会場は想像を超えた人だかり。
10代と20代が大半。"三十路以上"は……少ないぞ(笑)。

それぞれの原画の下には作成年月が記載されている。めぞんコーナーでは「まだ生まれていないわぁ」との声をちょくちょく耳にし、ちょっとしたショックを感じた。「僕は高校生でした」なんて言ったらドン引きか……。

いまの若い人たちにとって、高橋留美子の代表作は「小学生時代に読んだ"らんま"」なんだなぁ。で、4月に新連載の始まった「境界のRINNE」もよく知られているようだ。良し!

他の作家の筆によるラムの展示が行われていた。こんなのに1/4ものスペースを割く必要があるのかな? まぁ、吉崎観音(ケロロ軍曹!)の作品は良かったが、他のはチョット……。

めぞん一刻のグッズと犬夜叉の複製原画を買ってしまったぞ!(19,000円)
人だかりで疲れたけど、来て良かったぞ! いつか、神戸でやらないかな?

高橋留美子展 It's a Rumic World(WEBサンデー)
http://websunday.net/rumic/

高橋留美子さんインタビュー : 高橋留美子展~ It's a Rumic World~ : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/takahashi_r/fe_tr_08070901.htm?from=nwla

1759年だから、フランス革命が欧州を席巻する前の作品。ドイツの城内で純粋無垢に育てられた若者=カンディードが、王女に恋したことで城主から追放され、様々な冒険と艱難辛苦に出会う物語。

当時のルイ15世による統治を含め、権力者=王侯貴族と僧侶に支配される体制をあからさまに批判する。
さらには、プロイセン対フランスによる7年戦争が民衆にまき散らした惨劇、特に女性の弱い立場が繰り返し描かれる。盛者必衰と女性蔑視の同居する似非騎士道精神、といったところか。

ドイツからオランダ、スペイン、ポルトガルを経てアルゼンチン、パラグアイ、ペルー、エルドラド、スリナム、フランス、イタリア、トルコ、と冒険は続く。

表面は聖人気取りな司祭が、裏では「無類の女好き」であったり、宗教裁判官の傍若無人な狼藉ぶり(気に入らない演説をした男を火あぶりの刑に)等、カソリックに与する人間を容赦なく批判する。
南米エルドラドでは
「へぇ! それじゃお坊さんはいないのですか。教えたり、議論したり、支配したり、陰謀をたくらんだり、意見の違う人間を焼き殺したりする……」
「狂人(ATOKに無いぞ!)にでもならぬ限りそんなことはできないよ」
実に面白かった。

当時のフランスの"教養人"が愛読していた書物を片っ端からこきおろす件が興味深い。決して面白くはないが、教養を保つために後世に残すと主張する常識人対し、「役に立たないから読まない」とバッサリ。実に本質をついている。

数カ所で日本のことが言及されているのは意外だった。18世紀中葉でも、江戸日本が世界に組み込まれていたと思うと、感慨深いものがある。

人生は苦難と退屈に満ちあふれている。それでも悲観せず、働き続けるのが人の道。これが作品に通底するテーマだろう。

Candide
カンディード
著者:ヴォルテール、吉村正一郎(訳)、岩波書店・1956年7月発行
2009年5月13日読了

ふたたび神戸映画資料館へ出向いたゾ。(2009年5月5日)
シアチェン - 氷河の戦闘(Siachen : A War for ice)を観賞した。2006年のスイス作品だ。

1947年のインドとパキスタンの分離独立。その時点で国境が確定しなかった地域があった。ヒマラヤ山脈の西に位置し、一年中氷河に覆われた6000メートル級の山々。カシミールの北東に位置するシアチェンだ。
(「シア」は薔薇のこと。シアチェンの地名はここから。)

[観光と軍事が並立する地]
パキスタン側の平地から上がるとアスコン峡谷に至る。車で行けるのはここまで。車道も無くなる。ここからは徒歩かラバのみ。
軍がヘリを飛ばせるのは好天のみ。悪天でも行けるラバで灯油を山頂の基地へ運ぶのは、民間業者だ。
氷河ではラバも転ぶし、死にもする。ラバ一頭は1,000ドル。

アジア最高峰のK2を擁するこの一帯は、観光と軍事の重要拠点が併存する。
急峻な山、雪崩、谷底へ崩れ落ちる雪原。ダイナミックな映像だった。
7,000m級の山々がそびえ立つ。軍事行動は好天のみ。

その山脈の向こう側は、インド軍の拠点となる。
こちらも最重要物質、石油をこちらはトラックで運ぶ。ヘリも併存。
一部には石油のパイプライン。液漏れ、環境破壊。

[バルトロ氷河で暮らす]
パキスタン軍の最前線、バルトロ Baltoro氷河。ここから隊列を組み、パトロールに出る。交代要員4名とガイド担当が2名の隊列だ。雪原を歩き、歩く。高度5,700メートルで、季節は6月。足下はぬかるみ、時に下半身が雪と泥の中へ沈む。
体力の消耗は激しく、陸軍の精鋭といえども、3分で先頭を交代させる。
ニット帽とサングラスは必携だ。雪焼けでさらに顔が黒くなる。

高度6,000メートルにある哨戒基地に到達。テントではなく、シェルターだ。交代要員はこれから1ヶ月間をここで過ごす。ここを拠点に、さらにパトロールを行い、この中でコーランを読み、礼拝を行い、生活するのだ。
指揮官は語る。最大の敵は天候だ。この地での任務は、もはや技量や体力の問題ではなく、士気の問題だ。
「気合いを入れろ、野郎ども!」
「おおっ!」(と僕には聞こえた。)

雪原に突如、現れたのは、なんと鉄条網だ! こんな辺境の地でも「境界線」は重要なのか。
ロープで全員の体をくくり、脱落者に備える。
で、なぜ、彼らはこんな過酷な環境に身をさらすのか?

[対峙のはじまり]
NJ9842と呼ばれるポイントの北側はインド、パキスタンとも暗黙の了解のもと、境界の未策定地域としてきた。1970年、パキスタン側が境界の設定を通告し、西側を制圧。これに反する形でインド軍も部隊を派遣した。当時のインド軍派遣部隊指揮官は語る。
「偵察を目的に少数の部隊で乗り込んだ。パキスタン側は大規模な部隊を展開しており、ここでわれわれが引くと、シアチェン全域が制圧されてしまう。わたしは越冬を決意した」
これが現在まで続く、両軍の対峙の始まりとなった。以降、20年間、全面戦争に発展しないよう配慮しつつ、これまでに4,000人もの戦死者を出してきた。

Googleマップで確認したら、この地域に国境線は引かれていない。曖昧なままでも衝突を回避できるなら、まだマシというもの。

[意味のある対立なのか?]
両軍とも、地元の理解を得るために苦心しているようだ。パキスタンのカイラット中尉は語る。バルチ族の村に学校と病院を建設し、運営している。さらに自軍の兵士にも気を遣い、わざわざ電話回線まで確保したという。「家族との通話が精神衛生上、不可欠であり、士気の維持にも繋がる」 そう、士気が大切なのだ。インド軍指揮官も士気の重要性を語った。

そのインド軍はどうしているか。シアチェンのすぐ南側は、欧米人と日本人が訪れる観光地、ラダックだ。その中心地、レー Lehには、10万人の一般市民と10万人の軍人が暮らしている。市民一人あたり、兵士一人。こんな地域はここだけだろう。
で、ラダックの地元民は、軍需品の輸送、飲食店の経営等、軍の活動に頼っているのが現実だ。「戦争は必要悪。カネになる」とインタビューで答えたのは、若い地元民だ。

そのレーからラダックの北へ抜けると、山頂のインド軍前線基地がある。総員600名もの兵士を擁するという。夏でも全方位、雪景色。ピッケルとスパイク。こちらも全員の体をロープでつなぎ、氷上を歩く。

高山病にかかる兵士。凍傷に苦しむ兵士。前線基地の軍医は大忙しだ。

1999年に勃発したカルギル戦争Kargil War の背景がわかった。
カルギル周辺を制圧すれば、インド側の補給線は極端に制限され、シアチェンの占有が確実となる、か。

それにしても、この睨み合いを維持するために必要な年間予算は、実に1,000万ドル!(2004年の実績)
自国民を満足に食べさせることもできない国家としては、多大な損失だろうに。
政治は何をしているのか?

[環境へのインパクト]
制作サイドは、これを強く訴えていた。20年間の対峙で対流したゴミ。毎日1万トンものゴミが出る(? 誇張しすぎ? 翻訳ミス?) で、キチンと平地まで持ち帰っているのか? 否! 軍はなんと、雪の下に隠すのだ! 飲み物の空缶、小銃の空薬莢はかわいいほうで、燃料のドラム缶や、撃墜されたヘリコプターまでも。
で、漏れた燃料はどこへ向かうのか? 氷河にしみこみ、汚染するだけなのか?
南アジアの母なるインダス川。その水源がシアチェン氷河であることは、何を意味するのか……?

「ヒマラヤ国際映画祭 WEST JAPAN 2009」の公式HP。
http://himalaya2009.jakou.com/index.html

「シアチェン - 氷河の戦闘」の公式HP。
http://www.siachen.ch/front_content.php

JR新長田駅南側にポスターが掲示されていた。内容がわからず素通りしていたが、実に興味深い内容であることを5月2日の神戸新聞で知った。チベット問題を中心に、ブータン、ネパール、インドなど、ヒマラヤを囲む地域の文化・政治・人権等多岐にわたる映画が上映されるそうな。中でも、ある作品が目を惹いた。

その「安らぎはいずこに?」は、カシミール地域の問題を取り上げている。Amazonで探したが、日本語版は無い。米国版DVDはリージョン1だし、英語じゃダメだ。
GWは業務都合で休日出勤なのだが、本作品の上映される夕方だけ、都合を付けて観賞に出向いた。(2009年5月3日)

[カシミール問題]
前々から欧米、特に旧宗主国である英国で大きく採り上げられるも、冷戦時代はインドの背後にソ連邦が、パキスタンには米国が付き、結局は無難な「現状維持」が続けられた。
(当時のパキスタン軍部への支援とアフガニスタン・イスラム義勇兵への肩入れが、後々に米国へ災いをもたらしたことは周知の通り。)

時代は変わり、インドは無視できない存在となった。ハイデラーバードを中心とするIT産業、インド人の数学、英語スキルの高さ、なにより膨大な人口と市場を擁する無限の可能性だ。

一方のパキスタンは弱体化した。繰り返される軍事クーデター、根付かない文民政治、現ザルダリ政権に代表される政府ぐるみの腐敗。内戦・国家崩壊の可能性すら出てきた。
ニューズウィーク日本版2009年5月6日・13日合併号では、特にパキスタン軍部の害毒があからさまに書かれている。

で、3000年の昔からそこに住む民衆の思いは無視されてきた。
カシミール Kashmir のインド占領地区では、特に1990年代前半に、反インド闘争が盛り上がりを見せた。パレスチナの地になぞらえ、カシミールのインティファーダと呼ばれることもある。
独立運動だけではない。ムスリム住民としての正統な権利を要求するだけで、留置場行きだ。

[安らぎはいずこに?]
正式作品名は「Jashn-e-azadhi : How We Celebrate Freedom」、2007年にインドで制作された。

フィルムはクプワラ Kupwara の地からはじまる。うら寂しい墓地で、老父がインド兵に殺された息子の墓標を探す。
「かなり昔のことだ」
それは1992年、反インド、独立運動が最高潮に達した時期のこと。
「息子はムジャヒディンだった」
彼は反インドのムスリム戦士。インド政府は「テロリスト」と呼ぶ。

ラル・チョーク。ここはインド・カシミール州の州都スリナガル(シュリナガル)の中心街だ。ニューヨークのタイムズ・スクエアをイメージしてもらえればわかりやすい。その豊かさは比較にもならないが。
60回目のインド独立記念日にあたる2007年8月15日、ここで祝祭行事が催された。
中央広場の時計台は巨大なインド国旗にくるまれ、居並ぶインド軍高級将校たちが演説をする。放たれる白い鳩、鳩。平和の象徴だ。ミニチュア国旗が配布されると、子供たちが群がる。
だが、大人たちは出てこない。閑散とした大通り。これこそ、カシミール住民の意思の表れだ。何故か?

[アザディ! アザディ!]
集会で連呼されるアザディ azadi は"自由"を意味する。
いまは平穏なスリナガルも、1993年は暴動に荒れていた。当時のニュース映像が流れる。
ハズラートバル・モスクには大勢のデモ参加者。
「インドは出て行け!」アザディ! 「インドは出て行け!」アザディ!
ダル湖畔にあるこの美しい白塗りのモスクは、僕が訪問した2007年7月には閑散としており、ただ子供たちの遊ぶ声だけが印象に残ったのだが……。

インド軍治安部隊と反インド武装勢力の抗争。前者はムスリム軽視のヒンドゥー教徒。後者は、カシミール独立運動の主流だった地元勢力に代わり、アフガニスタンから流れた外国人の"ならず者たち"。両者の狭間で苦しむのが、地元の民衆だ。

カメラは北部カシミールの村、テキプラ TEKIPULA、バンディポラ Bandipola、南部カシミールの村シュピアン Supianの住民の不安を追う。

家が放火される。軍は消火には協力せず、武装勢力を追うのみ。焼け出された数十人は途方に暮れる。
普通の農民が突然逮捕され、拷問され、命を奪われて家族の元に帰ってくる。「誤りだった」とわずかなカネで賠償される。

虐げられてきた涙は枯れることはない
そして怒りは蓄積される。

武装組織の協力者だった夫を殺され、弟も殺された女性は、畑仕事を捨て、小銃を手にする。インド側から見れば「テロリスト」になったのであり、殺すのに理由は無い。

それでも、すべての住民が反インドではない。イスラム武装勢力のリーダーの演説が始まる。「10万人もの犠牲者を出した。世界は見ているはずだ。インド軍は出て行け」
集会への参加者は多いが、独立支持に署名したのは村の全人口の9%に留まる……。

[懐柔]
ある村で貧しい住民にラジオを配るのは、インド治安部隊だ。
クプワラ村 Kupwara では、軍が学校を建て、寡婦を対象に職業訓練所(旧式のミシンだが)を運営する。

スリナガルのムスカン Muskaan 基地内には、学校を兼ねた孤児院が設営されている。祭の日、親を亡くした少年少女が「○○大佐、将校のみなさん、ありがとう」と舞踊を披露する。軍の当事者にとっては微笑ましい光景であるだろう。だが、周囲の虐げられてきたムスリムは、そうは思わないのだろう。

イクワニ ikhwani 。元はアラビア語の「兄弟」の意味。転じて「武装抵抗組織から足を洗い、軍の協力者と成った者」を指す言葉に。カシミールでは「裏切り者」の意味で呼ばれ、民衆から蔑まれる。

[カシミールは誰のもの?]
カシミールの地には、一般市民15人に一人の割合でインド兵が駐留していると言う。これには納得した。2007年7月にスリナガル Srinagar、ソープル Sopure、等を旅行したが、軍人だらけだった。はしゃいで遊ぶ子供の横に、小銃を持った兵士がうようよと。異様な光景に映ったが、準戦時下の国だ、とそのときは思った。
(ソーナマルグ Sonamarg はのどかだったが。)

スリナガル Srinagar の西にグルマルグ Gulmarg と言う村がある。ここでインド人は冬にはスキー、夏にはゴルフを楽しめる。仲間と最高のひとときを送るヒンドゥー教徒の観光客がカメラに語る。
「カシミールはインド人のものだ」
これが本音だろう。

中共に不法占領されたチベットと同じ。
世界がどう言おうと、インドはカシミールを手放さない。パキスタンも支配地域を手放さ
ない。カシミ-ル人の独立なんてもってのほか。

支配は勝利を意味しないが、現状維持ができればそれで良いのだ。

こうやって衝突と流血は繰り返される。これからもウォッチを続けよう。

ヒマラヤ国際映画祭 WEST JAPAN 2009の公式HP。
http://himalaya2009.jakou.com/index.html

[余談。でも重要]
WEBをみると「Jashn-A Azadi」や「Jashn-e-Azadi」が存在する。YouTubeのフィルムからすると「Jashn-e-Azadi」が正解のようだ。

Jashn-e-Azadi documentary film
http://www.youtube.com/watch?v=bSnVVlX0ZNU

公式HPがあったぞ!
Jashn-e-Azadi
http://kashmirfilm.wordpress.com/

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