過酷な代償を支払い、自ら勝ち得た独立国家=植民地時代の終焉。それは原住民を市民に、かつての現地語=自国語を自由に行使し、労働の正当な成果と独自の文化を実らせ、旧宗主国と並び、国際社会の主役の一員となるはずであった。
現実は厳しい。貧困と腐敗と暴力が蔓延する国土には、「国の富」を収奪する支配層が君臨する。政治・行政システムは彼ら=暴君のためのものとして確立され、唯一、クーデターのみが政権交代の手段となった。
本書は、著者の出身地チュニジアと、アルジェリアとモロッコを含むマグレブ・アフリカを中心に、1960年代に相次いで独立を遂げたアジア・アフリカの旧植民地の問題点を暴き出す。
腐敗。国を牛耳る為政者と背後で操る経済界。彼らだけでなく、警察官から入国管理官、果ては一般市民に至るまでの「共犯的犠牲者」の腐敗。企業を設立するより、架空取引や国際援助を利用したリベートを取る方が利益を上げられる。粉飾決算や賄賂が計画的に行われ、「儲け」先進国の銀行口座に送金される。先進国と第三世界の腐敗との密接な関係がここにある。
腐敗が大がかりになるほど貧しさは極端になる。アフリカで最も豊かな資源を誇るナイジェリアは腐敗が甚だしく、国民の貧しさでは世界で一二を争う。
投資される資本がなければ産業は発展しない。40%もの失業率。流出する有能な人材。溢れる若者の力は騒乱に向かう。デモと鎮圧。繰り返される光景。
産業が育成しないなら、G8=先進国の援助に頼らざるを得ない。そして国庫収入の三分の一を占めるのが観光であり、ここでも先進国への依存が顕わになる。独立した意味はどこにあったのか?
著者の非難は、沈黙する知識人に収斂される。エドワード・サイードを除けば、国の指導者に対する非難の声を上げることはない。指導者に「遠慮」してか、自国の体面が傷つくことを畏れてか。はたまた、自らの保身のためか。(ならば、サイードのように国外から声を上げれば良い。)
独裁体制の強化に効果的な道具は軍である。文民も軍人のマネをする。スターリン、チトー、ウガンダのアミンも軍服を着用した。
しかし、軍事政権は新たな暴力=クーデターによって容易に倒される。一方、民主体制で権力が安定するのは、国民の委託によって正当化されているからであり、民主主義の優位性がここにある。
パレスチナ問題。アラブ諸国の為政者が、国民による自分たちへの非難の矛先を、イスラエルへ向けるための絶好の手段である。彼らの身の上に比べたら、自国の停滞など微々たるもの。そう思わせるのに好都合な、パレスチナの悲劇
だから、いつまでたっても解決するはずがない。
イスラムは宗教だけでなく、個人の生き方の規範から社会生活、共同体の法規まで網羅したシステム=体系である。モノの本ではそう解説されるが、著者は異論を唱える。
キリスト教も従来、今日のイスラム教と同じく政治・生活・文化のすべてであった。2000年もの歳月をかけて現在の姿=一部の熱狂的な信徒による信仰の対象となった。生まれて800年の若いイスラム教も、やがて政教分離が実現し、現在のキリスト教のようになるであろう、と著者は説く。
イスラムは特別な宗教ではない、と。
今日まで漠然と思っていた"常識"は必然ではない、と本書が新たな視点を提供してくれた。
最後に。著者は声を大にして説く。(「移民」もう一つの世界へ)
マネーロンダリングで利益を得るのはギャングだけか? 銀行であり、先進国である。民主主義のリーダー、米国。労働者の祖国、ロシア。人権の伝道師、フランス。これら揃って武器を世界に供給する三大国であり、この武器が死をまき散らし、途上国の暴政に力を貸す。国際会議の場での美辞麗句など偽善であり、武器を購入して自国民を飢餓に追いやる旧植民地の政権にモラルなど無い。
Portrait du Decolonise
arabo-musulman et de quelques autres
脱植民地国家の現在 ムスリム・アラブ圏を中心に
著者:アルベール・メンミ、菊地昌実、白井成雄(訳)、法政大学出版局・2007年5月発行
2009年5月10日読了