表題作の中編「姉」は、昭和21年の鎌倉、材木座の海岸を舞台に、新興出版社に勤め口を得た脇村芳子と、支那大陸からの復員兵である西松四郎の出会いからはじまる。
旧制大学卒業と同時に招集され、下士官の洗濯物と格闘し、中国人の家に土足で踏み込み、必要物資を徴発する日々。朝、昼、夜と次々に仲間の兵員が死んでゆく日常が、人間性を枯渇させる。そんな四郎は、消息不明の弟の帰りを信じて待つ芳子に対しても、「もう死んでいる」とドライに突き放す。
東京・銀座。空襲の被害から1年を経過し、復興しつつある雑踏のなか、闇屋、新円切り替えで没落した資産家、強く生き抜く未亡人。
帰ってきた内地=故郷は外観こそ変わりないが、何かが変わってゆく日本人の姿を四郎は感じる。
その四郎が、周囲の人間と付き合い、周囲の自然を観察する中で、失われた人間性=生きる拠り所を見つけ、平時の日本社会に溶け込んゆく。
小説家の森山は捉えどころがないが、終盤で人格者とわかる。
「世の中が必ずよく成ると云ふ確証、人間が不安なしに段々と幸福に成れるのだと云ふ信頼の拠りどころを一体どこに求めてよいのだらうか?」(137頁)
芳子には悲しい結末が待っているのだが、その事実を知った後でも、作りものの笑顔で仕事に臨む姿が強くも痛々しい。だが、これこそ、世界中が身を瞠った奇跡の復興を成し遂げた「戦後日本人の底力」を象徴しているのではないだろうか。
3本の短編はメロドラマが入っている。
「新樹」
ホテルの酒場で独り酒をたしなむ初老の男。かつて恋し、すれ違い、人妻となった女性の妹と、華やかなロビーで再会する。亡き姉の娘の話。驚愕する妹。恨みは募り、男と「娘」の再会には反対するのだが……。
「女人高野」
かしましい20過ぎの従姉妹。ボロ旅館で隣室にやってきたのは、端正なモダン・ボーイならぬ「しわがれたじいさん」。希望を捨てて翌日の観光に夢を見る。
早朝の室生寺の美しさに身を瞠り、その境内に佇むのは、ほかならぬ「じいさん」であった。
老人は語る。京都大学に在籍していた25歳の4月1日、散策の末に発見した早朝の寺。荒れ果てた草地の中、朝日に表れた伽藍の美しさは、35年たっても忘れられず、毎年、その姿を見るためにやってくる……。若い尼僧のすみれ色の袖……。
「熱風」
帝國大学文学部助教授の三村は、妹の友人だった愛子と再会した。七歳年下の、かつて惚れた相手。友人と結婚したが死別し、水商売に身を落とした彼女に、女学生時代のかわいらしさはない。
それでも、堅物の三村は、昔の幻影を引きずったまま、ずるずると愛子にのめり込んでゆく。
棲む世界が違う。それを理解できない三村に愛子は言うのだ。「一緒に死ぬことはできても、一緒に生きることはできない」
で、諦められない三村は……。
昔追い求め、あきらめた夢。その夢を、もう一度かなえるチャンスが巡ってきたら、自分はどうするのか? その問いへのそれぞれの動きが、まさに人の生き様。そんなメッセージが、著者の作品に詰まっているように感じた。
大佛次郎セレクション
姉
著者:大佛次郎、未知谷・2007年9月発行
2009年7月31日読了