男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2009年07月

表題作の中編「姉」は、昭和21年の鎌倉、材木座の海岸を舞台に、新興出版社に勤め口を得た脇村芳子と、支那大陸からの復員兵である西松四郎の出会いからはじまる。
旧制大学卒業と同時に招集され、下士官の洗濯物と格闘し、中国人の家に土足で踏み込み、必要物資を徴発する日々。朝、昼、夜と次々に仲間の兵員が死んでゆく日常が、人間性を枯渇させる。そんな四郎は、消息不明の弟の帰りを信じて待つ芳子に対しても、「もう死んでいる」とドライに突き放す。

東京・銀座。空襲の被害から1年を経過し、復興しつつある雑踏のなか、闇屋、新円切り替えで没落した資産家、強く生き抜く未亡人。
帰ってきた内地=故郷は外観こそ変わりないが、何かが変わってゆく日本人の姿を四郎は感じる。
その四郎が、周囲の人間と付き合い、周囲の自然を観察する中で、失われた人間性=生きる拠り所を見つけ、平時の日本社会に溶け込んゆく。

小説家の森山は捉えどころがないが、終盤で人格者とわかる。

「世の中が必ずよく成ると云ふ確証、人間が不安なしに段々と幸福に成れるのだと云ふ信頼の拠りどころを一体どこに求めてよいのだらうか?」(137頁)

芳子には悲しい結末が待っているのだが、その事実を知った後でも、作りものの笑顔で仕事に臨む姿が強くも痛々しい。だが、これこそ、世界中が身を瞠った奇跡の復興を成し遂げた「戦後日本人の底力」を象徴しているのではないだろうか。

3本の短編はメロドラマが入っている。
「新樹」
ホテルの酒場で独り酒をたしなむ初老の男。かつて恋し、すれ違い、人妻となった女性の妹と、華やかなロビーで再会する。亡き姉の娘の話。驚愕する妹。恨みは募り、男と「娘」の再会には反対するのだが……。

「女人高野」
かしましい20過ぎの従姉妹。ボロ旅館で隣室にやってきたのは、端正なモダン・ボーイならぬ「しわがれたじいさん」。希望を捨てて翌日の観光に夢を見る。
早朝の室生寺の美しさに身を瞠り、その境内に佇むのは、ほかならぬ「じいさん」であった。
老人は語る。京都大学に在籍していた25歳の4月1日、散策の末に発見した早朝の寺。荒れ果てた草地の中、朝日に表れた伽藍の美しさは、35年たっても忘れられず、毎年、その姿を見るためにやってくる……。若い尼僧のすみれ色の袖……。

「熱風」
帝國大学文学部助教授の三村は、妹の友人だった愛子と再会した。七歳年下の、かつて惚れた相手。友人と結婚したが死別し、水商売に身を落とした彼女に、女学生時代のかわいらしさはない。
それでも、堅物の三村は、昔の幻影を引きずったまま、ずるずると愛子にのめり込んでゆく。
棲む世界が違う。それを理解できない三村に愛子は言うのだ。「一緒に死ぬことはできても、一緒に生きることはできない」
で、諦められない三村は……。

昔追い求め、あきらめた夢。その夢を、もう一度かなえるチャンスが巡ってきたら、自分はどうするのか? その問いへのそれぞれの動きが、まさに人の生き様。そんなメッセージが、著者の作品に詰まっているように感じた。

大佛次郎セレクション

著者:大佛次郎、未知谷・2007年9月発行
2009年7月31日読了

7月22日は会社の夏期休暇だが、出張前日のため、移動に一日を潰してしまう。悔しいからプチ観光を組み入れたぞ。(2009年7月22日)

名古屋から特急しなの号、塩尻からスーパーあずさ号を乗り継ぎ、甲府駅へ着いたのが午後2時過ぎ。神戸と比べて涼しいこと! そのままバスに乗って美術館へ出向いた。

■山梨県立美術館 ミレー館

Barbizon バルビゾン派の代表作家、Millet ミレーの作品を収集した日本有数の美術館らしい。

代表作のThe Shower「種をまく人」(1850年)を見たが、正直、感動はなかった。
Woman feeding Chickens「鶏に餌をやる女」(1853-56年)はわりと良かった。

個人的には、The Reteun of the Flock「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」(1857-60年)がピンッときた。本日の当たり作だ! ポストカードも購入したぞ!

で、感動作をメモっていたら、メガネの年増女(学芸員ってやつか)がツカツカ歩み寄ってきた。
「シャープペンシルは使用禁止。鉛筆を使え」って、何をほざいてるんだ? 芸術鑑賞の邪魔だって!

山梨県立美術館
http://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/contents/

■山梨県立文学館 芥川龍之介 アンデルセン

美術館と同じく、芸術の森公園にある。

常設展では、山梨県ゆかりの作家と作品と題し、樋口一葉、井伏鱒二、太宰治、山本周五郎、深沢七郎、檀一雄等の原稿、パネル展示が行われている。
展示室の三分の一を占めるのは芥川龍之介のコーナーで、力が入っている。生原稿、手紙、夏目漱石からの手紙、支那旅行で買い集めたグッズ、自殺時のセンセーショナルな新聞記事、文学仲間の追悼など、盛りだくさんだ。十分に満喫できた。

で、開館20周年記念特設展は「アンデルセン 人魚のお姫様 青い瞳の涙」?
童話だろ? こんなのに時間を割けるか!
と思って後回しにしたが、時間ができたので覗いてみた。

この人、努力と運の大器晩成型だったんだな。貧しい靴職人の家を飛び出し、劇団を渡り歩き、それでも目がでない。理解者に巡り会い、「国語の基礎」を教えられ、文学的才能を伸ばした、か。文字を書けなかったとは、いまから考えると驚きだ。

自らの失恋をベースに書き上げたという「人魚姫」のストーリ紹介に目を通した。
恥ずかしながら、じわっとなりそうになった。
アンデルセンはこう言ったそうな。
「これは……執筆中にわたしが涙したただひとつの物語です」
「物語としてはこどもも十分に楽しめる。しかし、物語の秘められた本当の意味は、大人にしかわからない」
うん、納得だぞ。
童話のかたちで表現された本物の文学。良いものは良い、と言うことを認識した。

「アンデルセン」展は2009年8月23日まで。関東・中部地方の人は行くべし!

山梨県立文学館
http://www.bungakukan.pref.yamanashi.jp/

■閉館時間は午後5時?
普通に考えれば、5時まで閲覧できて、ショップで買い物もできるはず。
美術館にしろ、文学館にしろ、他の図書館などもそうだが、お役所仕事よろしく「5時とは、職員が仕事を終える時刻=私服に着替えて職場を後にする時刻」ととらえているようで、4時50分には閲覧者(お客様だぞ!)は閉め出されてしまう。当然、ショップも閉まっており、人っ子ひとりなし。
公営施設だから「わかっていた」とはいえ、釈然としないなぁ!

「平和な時代に生きていて、
 かつての戦争をなつかしがる人間、
 そんな人間は、希望の幸福に
 お別れした人です」」(9839行)

すべてを知り尽くす。そのために、自らの死後の魂を悪魔=メフィストーフェレスに売り渡し、彼を従僕として18世紀ドイツからギリシア、ローマ世界を縦横無尽に旅し、人生を満喫する。
目的のためには手段を選ばない生き方は、ある意味、天晴れだ。

ゲーテのライフワークとも言える作品だ。24歳から書き始め、57歳で出版した第一部ではエネルギッシュで前のめりな人生観を、82歳の熟成の筆による第二部では、大きなスケールの物語を楽しめた。

第四幕で、偽皇帝との戦に勝利したローマ皇帝が、臣下であるはずの大司教に、領地と富を根こそぎ奪われるくだりが面白い。"破門"の脅迫を受けると、世俗権力も弱いってことか。

人間の渇望について、ファウストはメフィストーフェレスに説く。
「支配したいし、所有もしたいのだ。事業がすべてだ。名声など空だ」(10187行)
その意志が、第五幕で表出される。権力を手にした老年ファウスト。絶大な権力を手にするも、その境地は孤独だ。領地の一隅の引き渡しを頑なに拒絶する老夫婦が、自らの野望への障害と映る。悪魔と契約した魂は、いつしか黒く染まるのか。
「まったく恐ろしい、悲しいことだが、人間は、正義であることにも疲れてしまうのだ」(11271行)

「どんな人でも、たえず努力して励めば、その人を、わたしたちは救うことができる」(天使)(11936行)
グレートヒェン。かつてファウストが妊娠させ、捨て去った少女。村中から蔑みを受ける彼女は、幼子を泉に投げ、業火の中で息絶えた。その魂が数十年後に、他界したファウストを天上へと導く……。

それにしても、ゲーテの文学的力量! 読書後に喜びすら感じるゾ!

FAUST
ファウスト
著者:ヨハン・W・V・ゲーテ、集英社・1991年5月発行
集英社ギャラリー[世界の文学10] ドイツⅠ所収
2009年7月21日読了

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