男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2009年11月

従来型PKO、すなわち、異なる国家間の紛争処理を促進する平和維持活動だけでは、「分断化された社会の再統合」には不十分であり、平和構築、平和創造との連携が不可欠である。
では、どのようにすればよいのか。本書は理論構築に続き、キプロスとカンボジアを題材にしたケーススタディーから、紛争"解決"への指針を探究する。

外交努力による平和創造、社会復興・人道支援を中心とする平和構築、それらを支えるべく、紛争当事者間の軍事的分離を行う平和維持。こられ三つの活動を適切に配分し、多様な仲介者の調整役としての国連PKOの可能性が論じられる。英国の大学での博士論文だけあってすらすらと読みにくいが、中身は有益だ。

国連PKOの第一の特徴は、理論や概念に先行して、現場の要請により急遽かたち造られ、その実践の積み重ねが、内容を形成してきたことにある。現場の苦労と試行錯誤が政策に反映され、理論があとから追いついてくる。

国連PKO派遣の第一の原則とされる「紛争当事者の同意」にしても、その危うげな実態が明らかにされる。明確な反対のないことを「同意」と解釈するだけならまだしも、明確に反対された場合には、部分的な強制措置を追加する等、臨機応変な対応が取られてきた。
第二、第三の原則「不偏不党」、「武力の不行使」も、派遣される場所とそのマンデートにより、そのレベルは様々だ。1948年から2003年まで56もの国連PKOが派遣されたが、共通の統一原則を見いだすことができないことが実態と著者は記す。
ガバナンスの原則は大切だ。だが、臨機応変さも必要であり、それが、国連PKOの「強み」でもあると思う。

■国連平和維持活動の理論的分析
それぞれのPKOの機能を分析し、伝統的なPKOから、冷戦終結直後の「第二世代PKO」、ガリ報告を実践して失敗したソマリ後の「ポスト・モガディシュ国連PKO」の特徴が明白にされる。面白いのは、1990年後半以降、伝統的な兵力引き離しや軍事監視機能を持たず、もっぱら紛争処理・紛争解決機能を重視した国連PKOが増加したことだ。
軍事部門はEU、AU、ECOWASのPKOが担い、その他の機能を国連PKOが分担する姿が、これからの主流となるのだろうか。

■紛争解決への障害
平和維持、平和創造、平和構築のバランスの崩れた事例として、キプロスPKO(UNFICYP)の事例が取り上げられる。PKOの何が紛争解決の障害となっているのか?
国連介入の背景から平和維持軍の機能、国連と他の和平努力との関係(相互に干渉しない)等の事例を取り上げ、前章で構築された理論的枠組みに沿って、その原因が検証される。

1963年に国連PKOが投入されたにもかかわらず、いっこうにキプロス和平が達成されない原因として、国連の官僚的な体質、平和創造への取り組みと、平和維持活動の目標の乖離があげられる。
当初の目標こそギリシャ系住民とトルコ系住民の和解による統一国家の熟成であり、そのために派遣されたUNFICYPは、暫定的に武力衝突を回避させることが目的であった。1974年のクーデターとトルコ軍の大介入(ギリシャ系からみて侵略であり、トルコ系から見て平和的解決)により、国連緩衝地帯を事実上の国境として、キプロスは南北に分断された。そして1983年のトルコ系住民の独立宣言を経て、UNIFCYPの任務は、国家間の兵力引き離しの様相を呈する(平和維持)。この激変した状況にも関わらず、国連は従来の目標=国家統一を前提に活動を続け(平和創造)、二つの目標が互いに足を引っ張る事態に陥った……。

原因は国連の体質にあるとされる。紛争に関与する国家(ギリシャ系が支配する政府)しか相手にせず、非政府主体(トルコ系住民の意志)は無視された。普遍不党の大原則によらないUNIFCYPは、信頼性を喪失した状態で開始された。

介在機能は成功したが、政府組織へのトルコ系住民の参画、兵力動員の解除等の移行支援機能は成果を上げることはできず、分裂が続いた状態でクーデターと外国軍の介入を招くこととなった。
とはいえ、当初の目標を達成した平和維持維持任務に続き、平和構築支援任務こそが必要であったが、現場を重視しないニューヨーク本部は、任務の追加を行うことはなかった。
(現場の状況より、原理原則を貫いた。国連の官僚的な体質か。)
現場判断による住民の意思疎通・信頼性熟成の努力、国連以外の第三者による仲裁努力も、水泡に帰した。

この章は、実に興味深く読めた。
私見だが、事実上の分断国家が安定して続き、まがりなりにも平和が達成された現在、あらためて統一国家を論じる必要性は無いように思う。

■紛争解決の踏み台
20年以上に渡り戦乱の常態化したカンボジア社会。それを平和的なものへ転換したものは何か。冷戦時代の超大国、米国とソビエト連邦の代理戦争でもあり、中国、ベトナム、タイによる周縁から干渉が入った、主要四派による終わり無き戦争状態は、確実に国と人々を疲弊させた。だが、主要四派は交渉の舞台すら持たず、すべてが行き詰まる中で転換をもたらしたのが、1989年の冷戦の終結だった。
米ソによるアジア地域での代理戦争の必要性が低下した結果、中国によるポルポト派、ベトナムによるプノンペン政権への支援を見直す動きが表面化する。自力での内戦継続は難しい。そして交渉のテーブルに就くことにより、プノンペン政権には「国際社会かの承認」が期待され、反政府側にとっては軍事力では得られない、政権参加の可能性が表れると、疑心暗鬼の中、特典目当ての和平交渉が開始された。
一方、ポルポト派にはメリットが少なく、そのことが和平プロセスからの離脱の一要素であったとも言える。

1992年当時、史上最大のPKOと言われたUNTACは、平和構築、平和創造のための人員と言える大規模な民事部門を内包していた。

内戦当事者の引き離し、武装解除を担う軍事部門も、後半は選挙支援任務に就いた。これは当初のマンデートになかった任務ではあるが、従来の紛争処理に留まらず、紛争解決の橋渡しともなった。これが、UNTAC成功の鍵となったとされる。

カンボジアでも「不偏不党性」の問題が発生した。国連平和維持軍は国連憲章6章と7章の間を、常に綱渡りで歩いてきた。和平プロセスに敵対的な勢力=ポルポト派に控えめでいると、その妨害活動に拍車をかける。一方で武力を行使すれば「不偏ではない」と見なされ、PKO部隊とポルポト派の交戦状態が出現し、和平プロセスは崩壊していた。
同時期に展開したUNPROFORがクロアチア側と見なされ、セルビア側と交戦状態に陥ったことと比べると、その綱渡りの見事さは印象的だ。

UNTACの実績が示すところによれば、「たとえPKOの活動が完璧ではなかったとしても、戦乱で疲弊した社会をより平和なものへ変えていく手だてが、PKOの包括的な機能の中に位置づけられていれば、そのPKOは紛争解決に向けた踏み台としての機能を果たすことは十分可能である」。(255頁)
また、平和維持と平和創造の関係では、明石特別代表の活動が特筆される。すべてのSNC本会合(30回)に出席し、当事者の声を直に聞き、UNTACの活動に反映させた。また、国連P5への支援要請も積極的に働きかけた。

国連史上最高の成功と言われるUNTACの活動。その概要を本書で一読できたが、周辺環境の変化を最大限に活かし、関与する人と組織の熱意が、成功へ導いたと思えた。

■意志の力
ところで、カンボジア和平プロセスでは、シハヌーク殿下がクローズアップされた。確かに、SNC設立の立役者であり「国民統合の象徴」とも言える人物であるが、僕は、その息子のラナリッド氏の行動に感銘を受けた。本書によると、選挙活動において、ポルポト派による妨害から100名以上の死者を出し、和平プロセスからの脱退を説く党幹部も出現する中、あくまでも和平プロセスに留まる決意を示したと言う。これがすべてではないだろうが、この決意こそ、カンボジア和平プロセスの最終段階を支えたことになる。
まさに「個人の強い意志」が和平を支えた好例だと言える。

Dscn1156

The United Nations Peacekeeping and the Nexus between Conflict Settlement and Conflict Resolution - A Comparative Case Study of UN Peacekeepingin Cyprus and Cambodia
変わりゆく国連PKOと紛争解決 平和創造と平和構築をつなぐ
(オンデマンド版。印刷は問題ないが、製本はいまひとつだぞ!)
著者:上杉勇司、明石書店・2004年6月発行
2009年11月10日読了

1665年にロンドンで猛威を振るったペストを題材に、ロビンソン・クルーソーの作者によって1722年に発表された作品だ。

「オランダでペストが流行っているらしい」との噂話から時を置かず、ウェストミンスターやシティー内部で急激に拡大した、黒死病=ペストの災い。
原因も感染経路もわからず、もちろん対策手段もない。感染したら、神に祈るか、あきらめるか。絶望的な二者選択の運命。

最初は丁重に葬られていたペストの犠牲者だが、その数が急増すると、貴族も貧乏人も身分も関係なく、巨大な墓穴に裸体で放り投げられる有様。それでも墓地は不足し、ロンドンの街は一変する。

それでも、知恵を絞って街を抜け、野原の集団生活で命を長らえた者もいれば、水上生活に耐久した者もいる。
そして真に賞賛されるべきは、死臭漂うロンドンに居残り、懸命に病人の看病と死者の埋葬に従事する者と、逃げ出さずに使命を全うした医療関係者と、市長をはじめとする行政担当者たちだろう。彼らにも多くの被害者が出た。
それでも、命をかけて職務を成し遂げたのは、誇り、に支えられたからに他ならない。

当時の大都市、ロンドンの人口は50万人。死者、実に8万人。
戦慄するべき記録である。当時まだ一般的でなかった新聞記事の作風にしたのも、手法ではある。
しかし、文学作品としては面白みを欠くのではないだろうか。カミュの「ペスト」には、闘う医師と周囲の人物の敢闘と"感動"を余すことなく満ちあふれているだけに、その差が目立ってしまう。

A JOURNAL OF THE PLAGUE YEAR
地球人ライブラリー
ロンドン・ペストの恐怖
著者:ダニエル・デフォー、栗本慎一郎(訳)、小学館・1994年7月発行
2009年11月9日読了

今日が最終日なので観賞してきた。(2009年11月8日)
Marc Chagall シャガールの「花束を持つ少女」と「花嫁の回想」、Pablo Ruiz Picasso パブロ・ピカソの「剣を持つ男」と「青い背景の婦人像」を含め、60点の作品が展示されていた。
1階に特別展示されていた10作品は、有名どころなのだろう。、

個人的には、"巨匠"の作品より、次の3点が気に入った。

・Maurice Utrillo モーリス・ユトリロの「アトリエ座」
10歳から飲み始め、17歳で立派なアル中。酒を断つため母親に"強制されて"始めた絵描き行為が、有名な美術作品を生み出したってわけか。

・マルタン・ディーテールの「父エリック・ディーテールの肖像」
ダイニング・チェアーに浅く座る父親の背景には、巨大な女性の頭部と胸部。そして前方の池に映る抽象物は思想を顕現させたものだろうか? この手の作品は大好きだ。

・Jean Jansem ジャン・ジャンセンの「マリオネット祭」
長野県に「安曇野ジャンセン美術館」があるらしい。オリジナリティ溢れる繊細な作風は秀逸だ。

う~ん……。正直なところ「いまひとつ」な感想だ。
"20世紀フランス絵画の精髄"ということで期待していたんだが、なんか物足りないぞ。
つまり、「フランス絵画の精髄=ルノワール、ミレー、モネを観たければ、山形美術館へ来いっ!」ってことか!

明石市立文化博物館
山形美術館 服部コレクション
美のプロムナード 20世紀フランス絵画の精髄
http://www.akashibunpaku.com/

山形美術館
http://www.yamagata-art-museum.or.jp/ja/index.html

ところで、ピカソのフルネームって、Pablo, Diego, Jose, Francisco de Paula, Juan Nepomuceno, Maria de los Remedios, Crispin, Cripriano, de la Santisima Trinidad Ruiz y Picasso だそうですね。これもすごいのですが、彼が「剣を持つ男」を描いたのが、実に88歳。実に恐るべし!

このページのトップヘ