男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2010年02月

社会福祉を重視するとして、肥大化した政府に反比例して低下する行政サービス。ストばかりで働かない労働者。ヴィクトリア時代に栄華を極めた一方で、現代は老朽化した社会資本。金融以外に強い産業はなく、そのロンドン市場すら東京市場に凌駕された。サッチャー登場前夜のイギリスはこんな感じだった。そしてバブル時代の日本には「この斜陽した旧帝国には、何も学ぶことはない。我々はやがてアメリカをも追い越すのだから」との慢心いっぱいの風潮が蔓延していたことを記憶している。
そんな時代に書かれた著書だから、いわゆる警世の書の類の一角を占めるのは事実だ。だが豊富なヴィクトリア時代の文学、社会情勢と大衆の風俗、グローバル化の萌芽と大衆への帝国意識の浸透、進歩の影の「闇」の意識など、専門の19世紀イギリスに関する記述が面白く、いまは消え去った「自称・愛国主義者」による著書とは一線を画する。

スマイルズの「セルフ・ヘルプ」に代表される自助努力啓発本が売れ、当時のやる気のある若者は勤勉に励んだことだろう。トーマス・クックもその一人で、禁酒運動参加者のディスカウントチケットを実現したのをきっかけに、鉄道網の発展、労働環境の改善と、レジャー指向の萌芽、ロンドンとパリでの万国博覧会の開催等、時代の加速度的変化を敏感に読み取り、家族総動員で世界一の旅行代理店業を築き上げた。こういった新進の精神は、いまではアメリカに移ったのだろうか。

昭和の日本でも顕著だった「企業城下町」のルーツもイギリスなら、探偵小説、猟奇殺人等をセンセーショナルに報道して売り上げ部数を伸ばすマスコミ産業産業の発端もイギリスか。

産業革命によって勃興したホイッグ=自由党。社会の底辺を占める労働者に対し「溝から這い上がった自分たちのように、おまえたちも這い上がって見せろ」と鼓舞するが、温情を示すことはない。
トーリー=後の保守党も、より大きな鳥瞰から、長期的な社会全体の底上げを図ろうとした跡もない。結局、重視されない大衆自身の政治的・経済的身分の向上は、自分たちの代表=労働党を議会に送り出すしかなかったわけで、この点でもぬるい日本と異なり、大きな社会変革力が認められる。

恥ずかしながら、よく目にする「アルバート」が何であるか、本書で始めて知ることができた。ヴィクトリア女王の夫であるが、その人物を知るほど、現在のイギリスを築いた功労者であることがわかる。自らのアイデアに基づくロンドン万国博覧会。その王立準備員会での演説記録等からは「よくぞこのような人物がいたもんだ」と感嘆させられる。
著者が示すには、アルバート氏の最大の功績は万博に非ず。民主主義時代のイギリス王室のあり方の範を示したことであり、それが、革命に倒れたフランス等とは異なるとされる。日本皇室もまたしかり、か。

島国の世紀 ヴィクトリア朝英国と日本
著者:小池滋、文藝春秋・1987年9月発行
2010年2月13日読了

ロンドン郊外の高級住宅街の住民たちと、同じ地域のフラットを間借りする最底辺の女。
弁護士、開業医、デザイナーに、ギャラリーのオーナー。かたや、年中貧乏な服装を纏い、政府から支給される子供手当すら賭け事に費やす、街の嫌われ者。
スコットランドから友人を訪ねてきた女性弁護士は、その友人=ミズ・ジキルの依頼を聞かされ驚愕する。自分の家を恵まれない女=嫌われ者のミセス・ハイドに譲るための手続きをしろ、と。行き過ぎた個人の慈善行為に賛成できない弁護士は、ミセス・ハイドの素行を調査するが……。

「ポスト・フェミニストの女性が使う手よ。マリリン・モンローの奸智でスターリンの目的を達するってわけね」(p113)

「人間は自由意志を持ち、自分の行動に責任があるとする初期キリスト教徒の立場に戻らない限り、人類に希望はない」(p96)

嵐の夜、高級住宅街を恐怖に陥れた連続暴行魔が殺害され、犯人=ミセス・ハイドであるとその現場を目撃した複数の住民は主張する。それが事実であるにせよ、不可解な謎はミズ・ジキル友人である精神科の医師を狂人に変貌させた。

夫に捨てられ二人の幼子を抱えて生活保護に頼り、周囲に疎んじられ、アパートの家主からも立ち退きを迫られ、精神を病んでいく女性。服用する薬の効果に疑問を持ち、偶然、他の薬を併用したところ……。
華やかな職業を手に自立し、若く闊達で美しく、周囲の受けも良い成功者としての女性。
この境遇の違い、あまりにも惨い近隣住民の仕打ちが、社会的弱者の自分をさらに追い込んでゆく。
最終章に収束する告白は、現代社会における二つの女性の現実をあからさまにする。

幸福に生き続けることの難しさ。
いつか訪れる挫折への心構えを養うには、やはり社会の混濁に身を投じるしかないのだろう。

TWO WOMEN OF LONDON
ロンドンの二人の女 ミズ・ジキルとミセス・ハイドの不思議な事件
著者:エマ・テナント、相原真理子(訳)、白水社・1992年8月発行
2010年2月4日読了

風邪なので休暇。夕方に快復したので、録り溜めたTV番組をチェックする。
"ロンドン"と"漱石"でピンときて、録画しておいたNHKの番組を見た。
(放映日は2009年8月13日。)

イギリス支店に転勤した商社勤めの若い日本人女性が「引きこもり」になり、支店長(日本人)に当時の漱石の行動を調査するよう言われ、その足跡を追う話。

当時の文部省の命令により、単身でロンドンに乗り込んだ夏目金之助。
ときは1901年のヴィクトリア時代。フランスをも寄せ付けず、世界覇権をものにしていた大英帝国の全盛期だ。
「どこかアジアの片隅から来た小さな人種」は、当然、イギリス人から理解されるはずもない。背が小さく黄色い自分の姿はコンプレックスとなる。留学期間は2年だが、下宿を転々とし、英国人の先生のところへも顔も出さなくなり、やがてひきこもる。
日記もパタリと書かなくなる。妻、鏡子への手紙の中で「頭がおかしくなりそう」と訴える様は痛切だ。

この小さな下宿の部屋で、これまでの自分は、浮き草のように文学を彷徨うだけの存在であったことに漱石は気付く。英文学の狭い範囲の蔵書を一時封印し、それまでひもとくことの無かった分野の本を読み出すようになる、
そして、自己本位に立ち、著書その他の手段による文学作品の執筆(公開)を自分の生涯の事業とすることを決意する。

ロンドン留学。そこでの引きこもり期間=悩み抜くだけの時間と決意が、偉大な夏目漱石を育んだというのだから、本当、何が起こるか分からない。
「つまり、ヨーロッパのものまねをするのではなく、日本がすごいと思うのでもなく、自分自身が考えたことをかたちにするってことか」
出演女優のつぶやき。結局、これが結論ってことか。

齋藤孝氏、姜尚中氏らの留学時代の経験談も挟み込まれ、若い自分の苦悩が貴重な経験であることを示唆している、

近代の本質を日本人として最初に理解したのが漱石。(姜尚中氏の言葉)
100年後の現在でも読み継がれるのは、西洋近代と日本の関わりの原点が漱石の体験と作品に内包されているから。そう言うことか。

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