男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2010年06月

Fascism ファシズム。ブリタニカ国際大百科事典によると「第一次世界大戦後の労働者階級の革命運動の高揚に対抗し、議会制民主主義を否定して反革命独裁を志向したファシスト党の運動、体制、イデオロギー」(抜粋)とある。語源のFascio は「結束」か。

政治・経済の混乱を収拾し、正常かつ「本来あるべき偉大な」イタリアを求める大衆の欲求-ある意味不条理な熱狂-は、ムッソリーニの20年に及ぶ独裁を存続させた。

本書は、その時代に生きた芸術家たちとファシスト権力との距離と作品を俯瞰し、政治体制と芸術について考察する。

小説家、劇作家、美術家、建築家、そして映画人。ムッソリーニは芸術家を庇護し、彼らもムッソリーニに期待する。少なくとも表面上は支持し、むしろ自分の芸術を拡げるために体制を利用する。

古代ローマの栄光とルネッサンスの革新、その二つの要素を内包したファシスト礼賛。そんな作品を求められ、伝統と近代の融合を模索する画家や建築家は苦悩する。
自ら体制の要求に応えようとする者は表舞台に立ち、名声と権力をほしいままにする。一方でファシズム芸術に迎合しない者は離反し、非難され、亡命の道を選ぶ。

どこにでもある光景だが、世に遺された名作の鑑賞には、そのエピソードを探ることで、より楽しみが深まるようだ。

世界史リブレット78
ファシズムと文化
著者:田之倉稔、山川出版社・2004年8月発行
2010年6月26日読了

「告白」
深い雪の中、親友へ家庭事情を吐露する女子高生。思い出がフラッシュバックし、日常が変わる予感。しっかりしてるけど照れ屋の主人公と、その父親の性格が泣ける。ラスト、迎えに来た父への"本当の告白"にはやられたな。

「回転扉」
華やかな大女優のささやかな内緒話。赤貧の子供時代。一人で大銀行の石段に座り、街行く紳士淑女を眺める日々。回転扉から登場した「あの人」に出会ったのはそんな一日。出会いではなく見かけただけなのだが、正統派ブリティッシュ・スタイルの紳士が強烈な印象に残った。以降、10年ごとに出会うたびに運命が開け、また暗転してきた。普通の家族と普通の喜怒哀楽。それが彼女の望み。何かに翻弄される人生譚が切ない。

「あなたに会いたい」
故郷を捨てた男に、ふと沸き上がった郷愁の念。レンタカーのカーナビの指し示すままに山奥へ誘われるにつれ、上京前に捨て去った年上の女性の影が大きくなる。
わきめもふらずに働いてきた人生では、悔悟や反省などの負の記憶は置き去りにしてきた。女もまたしかり。非情な行為の言い訳はいくらでもできるし、陰鬱なふるさとの象徴を捨て去ったことに悔いは無いはずだった。だが意識の深層が醸し出す感情は、怜悧な思考に見直しを求めるのか。

他に「情夜」、「適当なアルバイト」、「風蕭蕭」、「忘れじの宿」、「黒い森」、「同じ棲」、「冬の旅」、表題作「月下の恋人」を所収。

月下の恋人
著者:浅田次郎、光文社・2006年10月発行
2010年6月18日読了

首都、東京は丸の内に新しい美術館が誕生した。
皇居の真正面、帝国陸軍練兵場の跡地を買い受けた三菱が、経済と文化の中心地の創造をめざし、最初に銀行として1894年に建築されたのが、三菱東京一号館だ。実は東京駅よりも前にできたそうな。
で、老朽化のために1968年に解体されたのが2009年9月に再建築され、「三菱一号館美術館」として2010年4月に公開された。そのこけら落としである「マネとモダン・パリ」を鑑賞してきた。(2010年6月2日)

この展示会は数日前にpen誌で知り、出張の帰りに立ち寄った。見慣れた丸の内。改装中の東京駅南口から丸ビル方面へ出て西へ向かうと、三菱一号館美術館が見えてくる。
1894年のオリジナルの設計図をベースにレンガ造りの外観は斬新だ。

入り口は中庭=丸の内ブリックスクエア側から。薔薇が見事。コインロッカーは100円硬貨専用。お札を崩せる両替機が欲しいところ。

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鑑賞は3Fから。
最初はマネと同時代の人物と建築物の作品からだ。
Auguste-Josegh Magueオーギュスト=ジョセフ・マーニュのヴォードヴィル座(正立面図)とベルトランの1855年万国博覧会の産業館(断面図)が気に入った。
1851年の世界初のロンドン万博に刺激され、パリはじめ欧米各地で開催されることになった万博だが、2010年ではその価値は縮小し、単なる国威発揚の式典になってしまったようだ。マネと関係ないな。次の展示室へ。

1850年代、マネ駆出し時代の作品。当時パリ流行のスペイン趣味に、レアリスムを追求した作品群だ。有名な「死せる闘牛士」や「扇を持つ女(ジャンヌ。デゥヴァルの肖像)」もあるがピンと来ない。
「La Chantease des rues 街の歌い手」はレアリスムの真髄だろう。売れない流しの歌手が店を出る。喜怒哀楽の表情もすでに失われ、偽りの営業スマイルだけが仮面として定着したのか。店内奥の客は歌に興味が無さそうだ。
「Emile Zola エミール・ゾラ」部屋に飾られたベラスケスの絵画と浮世絵、それにどう見ても日本の屏風絵。japonismeの影響が色濃く表れ、興味深い作品だ。

1867年、ナポレオン三世治下で開催されたパリ万博は、それまでのフランス文化の集大成として華やかに演出されたことだろう。すぐ後の激動の時代を予想する者はいなかったのだろうか。
1870年、プロイセンの電撃作戦はパリを破壊した。普仏戦争に続く内戦=パリ・コミューンの攻防はフランス国民の連帯を破壊した。(3月にロンドンで鑑賞したレ・ミゼラブルを思い出したぞ。)
「バリケード」、「肉屋の前の行列、パリ包囲戦1870-1871年」は戦争そのものが題材だ。
その頃の作品では「Berthe Morisot au bouguet de violettes すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」が光っていると感じた。黒色が周りの色彩を引き立ててる。肖像画における現代性と言うのか。

2Fフロアへ。
1870年代前半の戦乱を乗り越え、フランス文化は再び花開く。マネのレアリスムにもますます磨きがかかる。「ラテュイユ親父の店」は実に華やかだ。周りの目を気にせず、カフェで真昼から女を口説く遊び人風の男。都市文化の華やかな一面ではあるが、1879年に発表されたときは物議を醸したんだろうな。
これ、BRUTUS誌2010年6月15日号の表紙ですね。「印象派、実はわかっていません。」

好きな「フォリー=ベルジェールのバー」は習作のみ展示。本物を観たけりゃLondonへ行けってことか。(そうします。)

「Tableaux de La vie pariseienne. パリの人々の生態」をカフェや街角に捉えた活力ある、しかも洗練された作品の数々。この時代のマネは好きだが、晩年の静物画(レモン、猫、草花)は面白くない。

エドガー・ドガの「ル・ペルティエ街のオペラ座の稽古場」が目立たないところに展示されていた。作品も意外と小さい。(A3からB4程度?)
ナヴレの「L'Escalier de l'Opera de Paris パリ、オペラ座の階段」も気に入った。構図と色彩が良い。

1Fの「三菱歴史資料館」には当時の机や勤め人のスーツ等の複製品に加え、勤務光景のパネルが展示されている。西洋のデスクとチェアーに着物姿とスーツ姿が入り交じり、筆記具も万年筆と"筆"が混在している。面白い時代だったんだろうな。

1Fのマネ展ショップで素晴らしいリトグラフを見つけた。当時のポスターの縮小版で絵と文字のバランスが秀逸だ。189,000円也。でも欲しいなぁ。

美術館のパンフレットによると、1880~1890年代の工芸品、グラフィック作品を中心に収蔵するらしく、ロートレックの「ブリュアン」や「ムーラン・ルージュの英国人」、オリオールの「ざわめく森」等、光る作品がコレクションされているそうな! 今後も企画展が予定されており、実に楽しみだ。

三菱一号館美術館 開館記念展Ⅰ
Manet et le Paris moderne
マネとモダン・パリ
http://mimt.jp/
2010年7月25日まで。関東の人は行くべし!

日清・日露戦争に勝利を得て「一等国」を自負する日本。次なる野心を隠さずに世界から警戒されゆく中、少数派のキリスト教徒として、ある意味グローバルな視点から人生の目的を語る。

自分の生きた証。この世に自分が存在したことを、わが子孫に、否、幅広く後世の人々に伝えるには、何を成し、何を遺せば良いのか。
巨万の金を稼ぐ能力ある者は、金を遺せばよい。遺産を巨大な孤児院に代えたアメリカの慈善家と、一方で遺産を「巨大な自分の墓」に代えた「タダの金持ち」の例が述べられる。三菱財閥には、豪奢な別荘を建てるだけで広く世の中に還元しようとしないと苦言を呈するが、本当かなぁ。

金を稼ぐ能力の無い者はどうするのか。金満家から資本提供を受け、事業で貢献すればよい。土木、建築等で貢献すれば、それは後世の生活改善に繋がり、価値ある人生に昇華される。

事業を興す才のない者は? 思想を遺せばよい。ジョン・ロックの著作は遠くフランスを革命に導き、アメリカ合衆国を築き上げた。ミル、カーライルの著作はいまも世界を動かす原動力であり、聖書に至っては言うまでもない。内面宇宙のすべてを著述し、数十年後に若い世代が共感すれば、事業が始まることになる。
文学はたとえ一篇の詩でも、人々に記憶され伝承される。これぞ、60年の平凡な生涯に勝ることだ。

そして内村鑑三は述べる。金も事業も思想も崇高な遺物には違いないが、誰にでも実現できる、そして後世への最高の遺物は、勇ましい高尚な生涯である。
トマス・カーライルが例に出される。10年かかって著した「フランス革命史」の原稿を友人に貸し出した結果、暖炉の中で灰に消えた事実を知り、10日間も茫然自失となる。ここからが「カーライルの偉大さ=真の強さ」が発揮されるところ。自己叱咤し再び筆を執り、「革命史」を書き直したという。著書の内容もさることながら、艱難辛苦に打ち勝ったという、その事実こそが、後世に生きるわれわれを奮い立たせる。

勇ましい生涯と事業を後世に残す、か。たしかに価値ある人生だろうな。

後世への最大遺物/デンマルク国の話
著者:内村鑑三、岩波書店・1976年3月発行
2010年6月3日読了

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