男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2010年08月

ロンドンの史実=18世紀の大規模なカトリック教徒への迫害事件を背景に、精神障がい者だが心優しく純真な青年=バーナビーを主人公に、一方で人の堕落と暴虐性、もう一方で集団の悪行に対する不屈の闘志、人の高潔な意志と行動とを礼賛する長編だ。

恥ずかしながら、ディケンズの作品をじっくり読むのは初めてだ。だが19世紀大文豪の生み出すストーリーもキャラクター造形も、その細かな仕草までがすばらしく、文学の醍醐味を十分に味わえた。
これは訳者である小池滋さんの力に寄るところも大きいのだろう。

ディケンズの作品の特徴の一つに上げられるのが、痛烈な社会風刺だ。
巻末の解説により、作品生まれた背景=ヴィクトリア社会だけでなく、ディケンズの過酷な少年時代が、まさに社会派文学の素養を築いたのだとわかる。
・……法の強い腕は危急の時にはみっともないほど麻痺してしまったくせに、すべてが安全となった今はあまりにもわがもの顔に横行しているのだから。(816ページ)

・要するに、暴徒として処刑されたのは主として、もっとも弱い者、…哀れむべき連中だった。悲惨を生み出した原因たる宗教的情熱が、いかにまやかしであったかを如実に風刺する事実があった。処刑囚のうちの何人かが自分たちはカトリック信者だと名乗り、死に際にはカトリックの僧侶に付き添ってもらいたいと願ったのである。(816ページ)

そして人生観を満たしてくれる宝玉の言葉たちの宝庫でもある。
娘のように愛する姪と宿敵の息子の婚姻を祝福し、自らは「人生のゴール」へと旅立つ決意をした、作中の高潔な人物、ヘアデイル氏に語らせる。
・目的が正しかったのだから正しいのだ、なんぞともっともらしい口実を設けて、正義の道からこればかりもそれることは絶対にいけない。すべて正しい目的は正しい手段によって達せられることができるのだから。(825ページ)

64章のニューゲイト監獄襲撃の場面は圧巻だ。もはや目的は二の次で、破壊と暴力に酔いしれ、自らの命すら軽視する集団陶酔の恐ろしさ。襲撃される側の恐怖もセリフが一切無いにもかかわらず伝わってくる。その集団暴力のなかでただ独り、本当に独りで正義を主張し、殺戮の恐怖にさらされながらも主張を曲げない本当の勇気が、こころを奮い立たせた。

ところで、プロテスタントとカトリックは互いを「異教徒」と呼ぶのか。
すさまじいまでの対立は、容易に暴力を引き起こす。
ウェストミンスター大聖堂と言えば、王族の戴冠式や結婚式が行われる英国教会の総本山であり、ロンドン観光のハイライトでもある。で、音声解説器(ありがたいことにタダだ。日本語もある)を借りて1時間かけて内部を観光する。観光コースの最後には、わびしい広場にたどり着くこととなる。2010年5月に訪れた際、ここがカトリックの修道士の生活の場であり、徹底的な破壊されたことを知った。
カトリックの修道院を、国教会が奪い取ったのだ。
剥がされた宗教画の一部が、そのまま遺されていたが、すべてを奪われたカトリック修道士の無念さが伝わってくる想いがした。

終わり良ければすべて良し。やはりハッピーエンドは清々しい気分にさせられる。まさに健全小説だ。

それにしても、二人の人物が好印象だ。
まずはヘアデイル氏。一見、洗練されていない野生の男に見えるが、れっきとした紳士であり、亡き兄より預かった娘を幸せにすることを生涯の目標としている。兄殺害の巻き添えとなったバーナビーの未亡人と息子を事実上養い続け、もう一つの目的を完遂するため、人知れず努力を続けている。

そしてゲイブリデル・ヴァーデン氏。ひとり娘を溺愛し、気さくで暖かく、毎日奥さんとメイドの尻に敷かれながらも家業=鍵屋の仕事に精を出し、夜はビール一杯のトビーを気持ちよく傾ける中年男。騒乱のときには市民の正義を貫き、死を目前しても悪行に屈しない姿は感動的だった。
物語ではバーナビーが主人公だが、この二人こそ、人生の勝利者であり、真の主役と呼べるのではないか。

BARNABY RUDGE
バーナビー・ラッジ 一七八〇年の騒乱の物語
著者:チャールズ・ディケンズ、小池滋(訳)、集英社・1990年6月発行
集英社ギャラリー[世界の文学3] イギリスⅡ所収
2010年8月28日読了

現代を生きる日本人にとって、19世紀から20世紀初頭にかけての帝国主義時代の持つ意味は何か。
明治憲法制定、日清・日露戦争の過程を経て、幕末以来の不平等条約の是正に至った経緯こそ重要である、と著者は記す。さらに言えば、冷戦後20年を経て大陸中国と力関係が逆転した現代においてこそ、当時の中国大陸を巡る列強との力関係の遷移を再確認する意義があると思う。

著者によれば、本書のテーマは「歴史における大衆の意識の変化」であり、それが不倒に見える列強帝国主義を解体に追いやる原動力であると説く。ロシア革命や共産主義が必要以上に賞賛されるのは、本書の出版された時代=1969年を考慮すると仕方のないことか。
で、もう一つ。西欧列強を利用しつつ、されつつ肥大化した極東の新興国家=日本が、第一次世界大戦後の帝国主義の終焉期に「利用価値の消失」を理由に圧迫を受けたことが、本書の主眼に置かれていると想う。

[主役に躍り出た大衆運動が帝国主義を揺るがす]

旧来の大陸型帝国と異なり、西欧の帝国主義は植民地の住民にあらゆる犠牲を強いるとともに、自国の中間層=資本層を取り入れることで体制を維持してきた。
資本層が保守化し、さらに帝国主義の一翼を担うようになると、革命の主役は大衆の側に移る。
それまでの知識人、資本階級による反権力闘争と異なり、パリ・コミューン、義和団事変に代表される大衆の運動が、民衆自身の権利意識の変化と呼応して生まれてきたことの重要性が説かれる。ロシア革命へと繋がる潮流が、ロシア帝国とドイツ帝国を崩壊に導き、時代を経て大英帝国の緩やかな解体へと繋がってゆく。

それにしても、本質的な社会主義を是とする第二インターナショナルが、持てる先進国の「社会民主主義」の影響下で植民地主義と個別国家の防衛を肯定したことで自ら崩壊し、第一次世界大戦を防ぐ力になれなかったことは、これは現代世界の先進国の住民とその他の貧困国の住民との意識の隔絶に直結しているようで、実に興味深い。

[大日本帝国。孤立する極東の帝国主義]

普仏戦争後もオーストリア、イタリアと組み、フランスを囲い込んだプロシア=ドイツ。その執拗な戦略がフランスを追い詰め、ロシアとの軍事同盟に至らしめたが、これが遠く日本に影響を及ぼすことになるとは知らなかった。
日清戦争後の三国干渉など、露仏同盟に挟まれたドイツが、状況の打開に向けた策略だったことがわかる。無論、極東の辺境国の利害などは無視だ。さらにロシアの関心を極東に向けさせるため、日英同盟の締結に一肌脱いだのもドイツだったのか。
日清、日露戦争期に西欧列強の体制維持のために日本が利用されてきたことが分かる。

第一次世界大戦の終了が、大日本帝国の膨張と躍進に制約を課す。
日英同盟を口実に参戦した日本が、西欧の目には「調子に乗っている」と映ったようだ。
帝国主義体制の再編成において英米から突き放された日本は、ますます中国にのめり込むようになる。これが米国との対立の決定的な要素となり、日中戦争、ひいいては太平洋戦争へと繋がってゆく。
ヴェルサイユ体制がドイツにとっての足かせなら、ワシントン体制こそは日本にとっての悪夢だろう。

第一次世界大戦後、イギリス帝国主義にとって日本の価値が"消失"(低下ではない)したことは、そのまま、冷戦終了後のアメリカにとっての日本の姿と重複する。沖縄から海兵隊を引き上げようとしたアメリカに「引き続き駐留するよう」懇願したのは、他ならぬ日本政府だ。かつて強大なロシアに対抗するためにイギリスを必要としたように、年々肥大化する中国に現代日本が対抗するには、アメリカに頼るほかに術はない。
それなのに、あのふざまな辺野古基地騒動だ。鳩山前首相と民主党の汚点はいつまでも歴史に残るな。

西欧帝国主義を利用しつつ急成長し、最後にババを引かされた1920年代の日本の姿が痛々しい。そして米中のはざまで漂流する現代日本に、まるで危機意識のないことに絶望すら感じる苦い読後感を得た。

帝国主義の時代
著者:江口朴郎、岩波書店・1969年2月発行
2010年8月8日読了

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