男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2010年09月

小説における生理、心理、社会の統合を唱え、「真空地帯」で知られる作家、野間宏。その1970年代以降の短篇の集大成であり、おそらく最後の小説集だろう。

収録される4編は1979年から1982年にかけて発表された。環境問題を題材に"人間の業"が顕現化される。"エコロジー"や"地球環境問題"等の言葉が使われ出す20年以上も前から、警世的な作品が著述されていたのか。

「タガメ男」
落雷により絶命したと思われた大男、岩見=村の嫌われ者を取り囲み、まだ息のあることを知る滝代たち。完全な殺害の相談の最中で岩見が息を吹き返した瞬間の恐怖が、ありありと伝わってくる。偽りの仮死。
滝代の育ての親であり、"虫屋"の師匠であった"タガメ男"、岩見は、近郊の町で金融屋として大成し、村のVIPとして凱旋する。気前よく融資を受けてにわかに羽振りの良くなるのは、素朴な村の衆。地獄絵図の始まり。
岩見に強要されて墓穴を掘る滝代たち。金と暴力が支配する村。解決策は見いだされない。
貧しい山間の農村で、さらに田畑を持たない者たちは"虫屋"を生業にせざるを得なかった。その先の金融屋。はっきり表現されないが、野間宏の着眼した被差別部落の存在が伺える。
持たざる者の生業が、タガメ等の絶滅=生態系の変化によって脅かされたとき、新たなスキルを身に纏うしかない。その結果の下克上。暴君に変わるのは蓋然性が高いと言える。

理性・知性といったものをなぎ倒す暴虐性。露骨な欲望。これが現世。生々しい人間の世界。

「青粉秘書」
東京の大学を出ても勤め人生活に馴染めず、故郷に舞い戻った30代の江橋。実家の土産物屋と民宿は潰れて人手に渡り、両親は気力を失うように亡くなった。古里。でも古里に非ず。
ブルドーザーが日本各地を走りならし、日本開闢以来の土壌をコンクリートとアスファルトで覆い尽くしたのが高度経済成長時代だ。江橋の故郷も同じ光景に塗り替えられていた。"護岸工事"と称して自然の湖をコンクリートで囲ってから、水質汚染と観光客の減少に悩まされ、命綱の温泉の水脈も細るばかりだ。
太るばかりなのは、田畑を買い占めて市の行政所掌範囲に似非温泉街を計画する不動産屋と、修験道を取り入れたヨガ教室と自称する怪しげな新興宗教団体、彼等と手を組む信用組合の三者だけ。
その三者も、秘書と称する影の実力者に支配される構図。権勢維持のため権力にひれ伏す様は、あまりにも悲しい。

ヨガ道場で裸体の直立が江橋を取り囲む。人を圧する強靱な静けさの威厳。その描写は感動的だ。

「死体について」
深夜1時の出勤。急な葬儀屋への"特別な依頼"は、従業員の自由を奪う。途中の検問で1時間も待たされるが、警官の態度は傲慢だ。
"特別な依頼"と今夜の"事故"との関連が示唆されるが、真相は明らかにされない。
過去に左翼ゲリラと関係を持ったと思われる谷杉の姿は、警察権力への反発だけでなく、自身が拘束されることを脅えているようだ。むしろ、それを同僚に悟られることこそ、最大の恐怖かも知れない。
突然の出勤中止命令。それでも「俺を呼ぶ死体」のもとへ急ぐ。死体を水で清めることが、彼の人生の意味なのだから。

壊れたどぶ板、敷地からせり出して拡張されたバラック小屋、これから向かう家の「電話などでは言えない」"特別な何"か。差別されてきた社会の描写は間接的だ。

他に「泥海」を収録。

それにしても、近年の読み慣れた小説と違うのは、意図的に読点を多用した文体を形成していることだ。附属の解説書(藤原書店の月刊 幾)によると、口語散文による近代日本文学のの限界を知り、あえて西鶴、近松まで遡航し、多様な日本語表現の可能性を試みたらしい。
ここ数年の文学賞受賞作と異なる、洗練ではなく「濃く、深い」作品世界を味わえた。

死体について 野間宏後期短篇集
著者:野間宏、藤原書店・2010年5月発行
2010年9月28日読了

文化大革命を生き抜いた中国人作家の中・短編集。内容が難解で一筋縄ではいかない。

「痕」(痕:ヘン)
人付き合いを好まない"むしろ織師"、痕に、高値買取契約が締結される幸運が訪れる。
買い取られた作品は山中に放置され朽ちるのみだが、痕は気にしなくなる。やがて仕事をしなくとも支払われる高額の金子に、感覚は麻痺する。老齢の鍛冶屋、友人の弟子、御茶屋の女将は得体の知れない人物だし、発生する物事も奇怪だが、不思議世界の中では当然のこととして受け流される。解けない謎もそのままだ。
正義の無い世界。不条理がまかり通る1991年の中国社会を揶揄したものかもしれない。

「不思議な木の家」(奇異的木板房)
何の変哲もない材木を組み合わせただけの家-異様に高いと言う一点を除いて。七階より上は霧に隠れて見えず、どれだけ住人がいるかさえ分からない。最上階へと上る私。その意図も不明のまま、物語は進行する。
とかく世の中はわからないことだらけ。現実もそうか。

「暗夜」(暗夜)
知り合いの老人に「猿山」で連れて行ってもらえることになり、喜びと期待を胸に夜更けに家を抜け出す14歳の少年、敏菊(ミンチュイ)。
深夜に一輪車を押す人足の群れ。わらで出来た馬。なぜか夜中に出会う友人、知らない親戚、一輪車の荷台にあぐらを組んで座る父親。食べるように勧められたのは"友人の片足"だ。
いつまでも訪れない夜明け。やがて消える老人。

目的を果たせず家に帰ると「猿山なんて存在しない」と言い張る兄と、"末世の到来"とその事態への敏菊の準備不足をなじる母親に対面する。
そして家を捨て、独りで猿山へ向かう決意をする。
他人への依存から脱却し、すべて自分の責任で行動するに至る。それが大人への成長だけでなく、次のステップ=真実に堂々と向き合うことを示唆するのだろうか。

巻末の翻訳者による解説によると「語ることによって覆い隠す『わたし』を、語らないことによって暴き出す」ことが、"語る"ことの真意だとされる。あえて見ない自分の姿。言葉によって合理化される前の、見たくない自分の真の姿を知ることこそ、真理の探究につながるということだろうか。

他に「阿梅、ある太陽の日の憩い」(阿梅在一個太陽天里的憩思)、
「わたしのあの世界でのこと-友へ」(我在那個世界里的事情-給朋友)、
「帰り道」(帰途)、「世外の桃源」(世外桃源)を収録。

AN YE
暗夜
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-06所収
著者:残雪、近藤直子(訳)、河出書房新社・2008年8月発行
2010年9月24日読了

ベトナム戦争を生き抜いた北ベトナム軍人による戦争文学だ。

冒頭、凄惨な戦場の回想から引きつけられる。

全滅するとはどういうことなのか?
よく報道では「○○部隊の全滅」と曖昧に表現されるが、当時はネットがなかったから、新聞記者とカメラマンによる間接報道がすべてであったし、遠く離れた超大国の国民にはわかりにくかったろう。

で、全滅するとはどういうことなのか? 当事者だった著者は包み隠さず顕わにする。
物量に勝る米軍に包囲された恐怖。そのナパーム弾に焼かれ、爆撃の破片に身体を裂かれ、飛来する大量の銃弾で血肉と脳漿が飛び散り、人の形を残さない肉片が沼や地表に転がる、そんな戦闘。恐怖の描写は続く。戦闘後、数日間に渡って飛来する烏の大群は何を成したのか。季節が過ぎて雨季に入り、沼の表面に現れるのは"血の膜"だ。再びの乾期では、かつて人だった"物"が動物や植物の残骸と一緒くたになって腐臭を発し、ここに地獄絵図が現れる。

大隊の生き残りであるキエンは、脇腹に銃撃を受け、"運良く"崖下に転がり、殺戮の運命を逃れることができた。流血の止まらない傷口に寄る蛇その他を追い払いながら、戦場跡をはいずり回る。脳裏に、拳銃弾で自殺する大隊長の姿を焼き付けたままで。

抗米戦争が終了し、奇跡的に一命を取り留めたキエンは10年ぶりに故郷、ハノイのアパートに戻る。隣に住む彼女との涙の再開は、だが悲しみの別れの引き金となる。酒浸りの腑抜けた日々は、精神をも蝕む。
思考力の限界をすら超える彼方の国=過去という世界にキエンは生涯を見いだす。戦友の声なき遺言を現世に伝える使命感が、キエンを現実世界へと引き戻す。過去へのこだわり、過去へ遡る人生。意識の地平線の彼方から現れる記憶の大平原。未来はない。過去にこそ自らの人生のすべてが凝縮されている……。
無限の過去への旅を試みるキエンの、小説家としての人生のはじまり。

抗米戦争に備えて兵士を志願したキエンの出発の日。青春を大過なく過ごすはずだった彼と幼なじみのフォンの、この出発の日に駅で出会ったことが、フォンの人生を、キエンの心情を暗転させる。過酷な運命。
「明るい未来? 彼とフォンはそれを逃したのか。そうではあるまい。二人がひとたび夢見た明るい未来は、消え去ったのではなくて永遠に残り、過去へ還りゆく道のかたわらで彼等を待っているに違いない」(495頁)

「あの日々こそは、私たちすべてがまだ若く、純粋な心情を胸に抱いて生きることのできた日々、何のために戦争を受け入れ、また何のために自己を犠牲にしなければならないかを知っていた日々なのだった」(502頁)
これらこそ著者の心情の吐露。ホー・チ・ミンの理想を礼賛しなかったとはいえ、かつて自分たちを支配した欧米諸国の価値観に依らない何かを求めて銃を手に青春を犠牲にし、理想社会を構築するために命さえ捧げた抗米戦争、そして対中・カンボジア戦争のなれの果てが、西側帝国主義を模倣した1990年代の自由化・ドイモイ政策であったことへのシニカルな論評に思える。
これはとりもなおさず、過酷な戦場の体験者を十分に慰安せず、「何でもかんでも平和主義」が崇拝されはじめた戦後日本社会における、復員兵の心情に置換できるのだろう。

自らの体験を元にした、戦場の描写は具体的で緻密だ。頭上で旋回する米軍機の群れ、爆弾の飛来する音、爆風。そこらじゅうに溢れる黒こげの死体。恐怖に慣れると人間としての感覚が麻痺し、一人前の兵士ができあがる、
人の意識を、日常を、これほどまでに変えてしまうのが戦争。その本質は何かを垣間見れたように思う。

THAN PHAN CUA TINH YEU
戦争の悲しみ
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-06所収
著者:バオ・ニン、井川一久(訳)、河出書房新社・2008年8月発行
2010年9月18日読了

公私混同を越えた不正経理のオンパレード。すでに逮捕された数千万円は別にして、電子レンジ、リクライニングチェア、現物がどこにあるか分からないパソコンにデジカメ、はては個人用の冷蔵庫まで! 総額、なんと2億円!
もはや一部の職員の「魔が差した」ではすまされない話だ。数千円単位の「日常的な話」なら、もっとあるんじゃないのか?

それでも、名前は公表されないし、ごく一部を除いてクビになることもない。
簡単な「口頭注意」で話は流れ、ボーナスも満額支給、定年まで何事もないような顔をして勤め上げ、ありあまる年金でウハウハ生活。
まさに税金使い放題の犯罪者天国。せめて名前ぐらい公表すればいいのに。

神戸新聞より。

http://news.goo.ne.jp/article/kobe/region/T20100910MS02262A.html

神戸市は10日、不正な経理処理があるとみて全庁調査をしていた2005~09年度の物品調達について、168課で2793件計約2億1千万円の不正経理があった、と発表した。パソコンなどを私的流用した疑いのある男性職員(34)を同日付で懲戒免職処分とした。リクライニングチェアなど公金支出が不適正な28件約286万円分については、該当する職場や個人に全額返還させる。さらに「市民の信頼を著しく失墜させた」として矢田立郎市長を減給30%(3カ月)とし、今後、関係者の処分も検討する。

 市によると、建設局や環境局など335課の約10万件、64億円の支出を調べた。このうち約半数の168課で約2億円の不正経理があった。

 職員に返還を求める対象は、私的流用の疑い(2件、74万円)▽白紙伝票を使い、個人用の冷蔵庫など公金支出にふさわしくない物品を購入(15件、105万円)▽白紙伝票で買った物品が職場に存在しない(11件、106万円)。このほか、予算消化のため納入年度を前年度に装うなど会計処理には問題があるが、購入した物品は適正なケースが2765件、2億637万円‐とした。

 会見した玉田敏郎行財政局長は「再発防止に取り組み、信頼回復に努めたい」と謝罪。市長は03年度から行財政改革で給与の20%カットをしており、計50%の減給となる。また副市長3人も今回の不祥事で減給15%(3カ月)とし、行財政改革でのカット分を合わせると計30%の減給。

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003418594.shtml

神戸市環境局の元職員(33)が公費で購入したパソコンなどを転売し、約7300万円を着服していた問題で、新たに同市の区役所に勤務する30代の男性職員が、公費で買ったパソコンやデジタルカメラを私的流用した疑いがあることが9日、神戸市などへの取材で分かった。職員は取引業者から預かった白紙伝票を悪用、市の被害額は数十万円に上るとみられる。

 神戸市は6月に発覚したパソコン転売問題を受け、全庁調査を実施。職員は調査が始まった8月上旬以降、行方が分からず、市は長期の無断欠勤を理由に懲戒免職処分にする方針。

 神戸市によると、職員はかつて兵庫区役所に勤務し、物品調達を担当した。その際、実際はパソコンやデジタルカメラを購入したにもかかわらず、業者の白紙伝票を使って別の消耗品を買ったように見せかけていた。

 業者側が提出した売り上げ元帳と市の支出命令書を照合した結果、購入品名が違っていたため、市が職員を追及したところ、私的流用を認め「すべて私の責任です」と謝罪。その後、行方が分からなくなったという。

 市によると、このほか別の部署でも、業者側の元帳ではパソコンやデジタルカメラを市に納品しているのに、現物を確認できないケースが数件あるという。

国内左派に軸足を置き、権力者のみならず似非市民をも非難してきた論客、佐高信氏。一方で、大商社の一員としてイラン、イスラエル、アメリカを識り、実業経済の現場から世界的視野を持って日本の国土と歴史を語るのは、寺島実郎氏だ。
戦後第一世代として、同世代の民主党政権首脳部、虚像経済に身を置く不誠実な経済学者、未来予想屋を糾弾し、次世代への責任を語り合う。
一流の知性と知性がぶつかりあう現場の息吹が文章から伝わってくる。対話篇の魅力がここにある。

■民主党政権への失望
給付金=子ども手当的な発想についても、高福祉高負担社会を目指すことを明確にしての有意義な社会政策ではなく、単なる景気対策=人気取りである点が「ポピュリズム」であり、その先のファシズムの危険についても語られる。

さらに子ども手当は、苦しい中から教育費を捻出する親の姿を、子どもなりに感じ取ってきた、伝統的な日本の家族の姿=社会的人間関係=「人間の真っ当な社会観、労働観」を破壊すると、哲学無き政策の負の影響への懸念が表明される。

哲学無き社会、か。思えば、1920年代のイタリア型ファシズムは現れないにしても、日本では「官僚独裁」なる政治形態が常態化するのかもしれない。それに「耳障り良い政策を論理的に並べる強いイケメンな指導者」のコラボが完成すれば、日本型ポピュリズムは容易にできあがるな。
企業の海外"逃避"がそれを加速するし。

■駐留米軍の問題
普天間基地移設問題。この日本の外交や安全保障の根本に関わる問題を、まるでジグソーパズルを解くように移転先を探す姿勢に終始した民主党政権の迷走ぶりに対し、二人は厳しい。
冷戦終了から20年、いまだに米国追従を続ける日本には「根性を据えた思索と大きな覚悟が問われている」。

諸外国の深層意識では、特にアジア諸国と欧米では、日本は独立国家として認識されていないことが、ロシア人や中国人との対話から示される。従属国家である。これが日本人の意識に刷り込まれ、だから領土内に日本の管轄権のない米軍基地が多数あっても関心を寄せない事態になってしまった。政府閣僚だった米国の政治学者ですら日本を「保護領」と呼ぶ始末。
明治維新時代、幕府と薩長はフランスとイギリスをバックに内戦を闘ったが、それでも外国軍を駐留される事態は許さず「まともな常識を持っていた」。
その上で、将来の米軍撤退を見据えた、段階的な政策が提言される。
たds、管理権を日本が取り戻すまでは良いが、米国軍の最終的な国外への移転=グアムやハワイの戦力を緊急派遣軍として日本の防衛に加味する案には、個人的意見としては賛同できない。現実的な戦力が「そこに存在する」ことが抑止力である以上、傭兵のようになるが費用を払って駐留してもらうべきだと思う。圧倒的な攻撃的戦力を有することのない日本には、やはり同盟国の力は必要だろう。

■新しい世界秩序と日米同盟の姿
冷戦直後に言われた"アメリカ一極支配"等とはほど遠い世界。G8、あるいはG20による世界統治も過去の姿であり、世界潮流は、全員参加型の複雑な様相を呈している。アフリカの背後では中国が影響力を行使しており、「日米同盟で安心」な時代ではない。そのアメリカですら、ゲーツ国防長官の論文によると、同盟国は自主防衛が基本でありアメリカはサポートに徹する、との姿勢を打ち出したらしい。
日米安保条約はどこへ行った? との疑念も、国際政治の現実の前では霞んでしまう。日米関係をどのような姿にするのか、どのヴィジョンがあいまいにされたままだと、自然消滅する。そういうことか。

かつての不平等条約の改正では、明治、大正の先人は辛酸を舐めた。日英同盟と、その先の第一次世界大戦で多大な犠牲を払い、やっと正しい条約の姿になったことを思えば、日米安保条約、地位協定の改善の道のりは険しいなぁ。

■米中関係の側面としての日米関係
われわれはいつまでも日米関係が緊密であると考えがちだ。あるいは希望的観測。現実には米中関係のほうが緊密であり、歴史的には回帰した、と言える。太平洋戦争の遠因のひとつが日中戦争であり、中国から手を引かない日本を米国がABCDラインを主導し、破滅に追い込んだ。
恐ろしい話が書いてある。「もし」中国共産党が国民党に取って代わらなければ、日本の戦後復興は30年以上遅れていたそうな。戦後の米国資本は中華民国に向かい、朝鮮戦争も特需もないから、日本の産業は低水準のまま。韓国よりも途上国になっていたかもしれない。そう考えると「毛沢東のおかげ」とも言えるな。

GDPで日本を越えた中国や勝ち組Samsunを抱える韓国に対する対抗心、いわば"負け組日本の焦り"についても、寺島氏は「次元の低いナショナリズム」と一蹴する。
現実的にも、日米間の貿易を日中間のそれが凌駕しているのであり、考え方をあらためないといけないか。

■マンデラ、ガンディー、魯迅
かつて大英帝国として過酷な統治を行いながら、コモンウェルスとして旧植民地との連携を保つイギリスと、終戦から65年を経ても中国、台湾、韓国から恨まれ続ける日本。その違いは大きい。
支配した国や地域に対する責任感。これを日本は持っていたか? 精神的・文化的スケール観のある視界を持っていたか? 
なぜ、マンデラは白人を許したのか。なぜ、魯迅は「藤野先生」を書いたのか。ガンディーの南アフリカでの体験が、非暴力運動に繋がったのはなぜか。ある意味、本書の骨格を成す密度の高いエピソードたち。

■社会をより良くする解決力
イスラエル駐在時代の中東戦争。目の前を戦車の群れが轟音を上げて走り、上空では戦闘機の爆音がとぎれない。そんな環境に身を置いた商社の先輩の行く末がリアルに語られる。不条理を体験した戦中世代の格差は大きく、戦後世代は幸せだ、と。(92頁)

「途方もない貧困や不条理は個人の努力だけでは解決できない。社会の構造や時代を変えないとだめだ」
「同情したり、泣いたり、声を張り上げるのも大事だが、問題を解決する力がなければ意味がない」(81頁)
この辺り、日頃の仕事から分かる気がするなぁ。

他にも、村上春樹作品=民族や国家を消し、個と世界の直截な結びつき、いわばフィクションの終始した世界への批評(146頁)、物事の本質=大きな正義をかすめる「小さな正義」への異常なこだわり(152頁)、自己の限界を越えて生きてゆく意味(171頁)、世界を知る力(195頁)等、多大な刺激を受けた。久しぶりに興奮して読めた一冊だ。

新しい世界観を求めて
著者:佐高信、寺島実郎、毎日新聞社・2010年6月発行
2010年9月9日読了

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