男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2011年01月

幕末維新時代の事件や風俗を残した貴重なイラストの数々。本書は、The Illustrated London News イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ(ILN)の特派員であり、日本史上初の風刺絵画誌The Japan Punch ジャパン・パンチを創刊したワーグマンの多種多様なイラストとテキストを、時代背景に照らしながら紹介する。

チェールズ・ワーグマンは1861年=江戸幕末期にイラストレイテッド・ロンドン・ニューズ東洋特派員としてアロー号事件で揺れる中国に赴任し、長崎から江戸にたどり着いて以降、横浜に永住する。妻子も日本人だ。
イギリス公使であったオールコック、パークスとも関係が深く、将軍慶喜との会見にも同席している。

長崎からの長旅を終え、品川の東善寺=イギリス仮公使館に落ち着いた翌日の夜、いきなり水戸浪士の襲撃を受ける。縁側の下に身を隠し、一部始終を観察して絵画作品に記録したのは立派。画家としての意地か。

・良家の勝手口だろうか。布でお坊ちゃまの足を拭く女中の図では、子供の高価な服装と商家らしい立派な柱が印象に残った。(40頁)

・宴席の場には"おちょこ"を洗う大きなタルが用意される。現代では見かけない物だ。(55頁)

・薩英戦争を契機にして、幕府軍の軍備の近代化が行われる。1859年と1865年の武装の著しい変化を描いたイラストは実に秀逸だ。(58頁)

・鎖国から解き放たれた後進国の、新文明との接触と驚愕は横浜外国人居留地から始まる。馬車、自転車、西洋眼鏡に触れ、急速に洋装を取り入れる日本人の様子が滑稽に描かれる。"出っ歯と眼鏡の日本人"のイメージはワーグマンが先鞭か。(62頁~)

・幕末にシェークスピアが演じられていたとは! デンマーク王子の"ハムレットさん"を"ダンマルクの守"と称す当時の日本のセンスには参った。(70頁)

・イギリス人は明治初期の日本人を"勤勉である"とは見ていない。『馬鹿鳥の肖像』(98頁)や『夢より現実を』(102頁)、『仕事中』(105頁)に代表されるように、プロテスタンティズムの勤勉精神から見て、堕落に安逸した日本に対しては手厳しい。

王国海軍の艦船上から眺めた薩英戦争の様子などは、ILN特派員ならではのものだろう。(『下関において攻撃を受けるオランダ軍艦メヂュサ号』、186頁)

人物画を中心に描かれた庶民の生活、役人の勤務、横浜居留地の様子。写真の希有な時代、この手のスケッチは歴史理解への一助となる。

ワーグマン日本素描集
編者:清水勲、岩波書店・1987年7月発行
2011年1月29日読了

1901年の作品。物語の舞台は19世紀末の北部インド。大英帝国の君主であり、インド帝国の皇帝でもあるヴィクトリア女王の治世が終焉しつつあり、新興帝国主義勢力としてドイツ、ロシア、日本が台頭してきた時代だ。

インド軍の英国人下士官の遺児、キンバル・オハラ。通称キム。パンジャブの大都市、ラホール(現パキスタン領)では"みんなの友達"と呼ばれ、白人でありながら原住民の社会に溶け込み、大商人から警官、街の清掃人まで顔見知りの、機転の利く13歳の男児が主人公だ。

冒頭、ラホールの遺跡 Zamzama ザムザマ大砲にまたがって街の子ども(ヒンドゥー教徒とイスラム教徒が仲良く遊ぶ)と遊ぶキムは、見慣れぬ衣服に身を包む老人=チベット仏教のラマと出会い、彼の言う「釈迦の放った矢が生み出した"聖河"」を探す冒険に同行する。
途中、アフガン人の大商人~英国諜報部のローカル・エージャント~から機密情報の伝達を頼まれ、これをきっかけに帝国主義国家間の諜報戦=グレート・ゲームに身を投じることとなる。

・ラマはヒンドゥーの子どもに「ケッ、中国人か!」と侮辱されてこれを否定、チベット人だと強調する。なお、ラマその人は極端に高潔な人格として描写されている。ヒマラヤの奥地、チベットに対する欧州人の一種の憧れとも言える思いがあったのかもしれない。

・以前に購入したNelles Map PakistanのLahore市街図で確認すると、ラホール博物館の向かいにあるザムザマ大砲は、別名"Kim's Gun"とある。思わず嬉しくなった。

旅の途中、キムは父親の所属していた連隊に遭遇し、英国人学校に送られる。英国国教会牧師とローマ・カソリック神父の微妙な連携、パブリックスクールらしく"英国人の旦那"としての教育、休暇中の諜報員としての特別教育。優秀な成績を修めたキムは、17歳でインド政府測量部=英国諜報機関に配属される。

・実は僧院長でもあるラマは、チベット仏教界ナンバー2であることが中盤で明かされる。最高の英国人学校の学費をポン、と供出し、現地英国諜報機関の長を驚かせる技もやってのける。

・パンジャブ語、ウルドゥー語、英語、フランス語の入り交じった日常。文字を書ける少数の人間が幅を利かす地で、カルカッタ大学修士のダッカ人エージェント、ヒマラヤの女マハラジャ、首都シムラの骨董商人、現地人インド軍の老兵士など、個性ある人物の豊かな行動が、作品世界を盛り上げる。南下をもくろむロシアと協調するフランスの暗躍と、これを利用する辺境藩王国の"外交"等、政治面での動きも面白い。

"聖河"を探すラマと一緒に北部の高地へ向かうキム。平地人のキムと違い、ヒマラヤが近づくにつれて体力が回復する老人。ラホールやラックナウと違う、多くのイギリス人の知らない世界が開けてくる。
汽車では敵国から追われるエージェントと接触する。「グレート・ゲームに関わっている者には保護など与えられない。死んだら、死にっぱなし。名前は名簿から抹消される」(213頁)
これが、最初の大仕事に携わる旅路のきっかけとなる。

・インド式の罵詈雑言がこれでもか、と言うくらいに出てくる。英国流ユーモアとはまた違った"挨拶レベル"なのだろうが、礼儀正しい日本人には太刀打ちできないエネルギーだ。

・インド生まれの英国人"アングロ・インディアン"であるキップリングの"本国人"に対する意地、あるいは批判精神が作品の随所に垣間見ることができた。たとえば「こういう連中こそ正義を守る者。国を知り、その習わしに通じておる。欧州から渡ってきおった者たちは、白人女の乳を飲み、わしらの言葉を本から学ぶだけ。疫病よりたちが悪い。諸王の毒になる」(85頁、地域警視の英国人に対する高地クルの老マハラジャの言葉)と手厳しい。

Dunドゥーン、Mussoorieムッスリー、Rampulランプール、Chiniチニ。極寒の中、急峻な山肌(山道ではない)を昇降する旅路の果てに、シャムレグの村へ。インドとチベットの国境でのロシア人エージェントとの格闘。はじめての銃撃戦。

獲得した新しい地図(何より貴重)、藩王国の"外交文書"、測量記録等を携え、シャムレグへ凱旋する。体力・知力の限界を乗り越えたキムとラマ。聖なる場所とはほど遠い雑然としたシャムレグの俗界。そこに顕現した"聖河"。その意味を二人は悟る……。

・イスラム教徒を上位に、ヒンドゥー教徒を下位に見る描写が目に付いた。確かE・M・フォースターの長編「インドへの道」でも同じ傾向だった。
もともと分け隔て無く暮らしていたイスラム教徒とヒンドゥー教徒を、あえて分離するというイギリスのインド政策が社会一般に浸透し、それが作家の深層意識に働いたものだろうか。あるいはインドで生まれ、彼の地を生涯の基盤としたキップリングの"肌で感じた社会観"が反映されたものだろうか。キップリングの場合は後者のように思う。

・盤石に見える大英帝国のインド支配だが、半独立の藩王国とのギリギリの共存、アフガンと接する北西辺境部の紛争、イギリス人の"旦那様"への民衆の隠れた反感など、帝国の基盤を揺るがす要素にはこと欠かない。やがてその潮流は、半世紀後の主権国家独立へと至るのだが、作中では独立の機運は見えない。あるいはキップリングからしてみれば、そのような"現地人の暴挙"は考えられない事態というところか。

作品では"現地人は英国人の下位にある"ことが一貫している。帝国主義文学として批判の対象でもあり、時代背景ともども考えさせられることは多い本作品だが、エンターテインメントとして満足感ある読書の喜びを味わえた。さすが、300以上の小説を残したキップリングの最高傑作と言われるだけある。時間を経てまた読みたい。

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KIM
少年キム
著者:ラドヤード・キプリング、斎藤兆史(訳)、晶文社・1997年6月発行
2011年1月25日読了

ガンディーが、自分の生涯を通して伝えたかったメッセージとは何だったのか? 21世紀のわれわれは彼のメッセージとどう向き合うか? 本書は、その問いの意味を考えるTV講座の教本だ。

・時代を代表する宗教家であると同時に、卓越した政治家であった。世俗主義や"政教分離"の理念を硬直的に捉える日本や先進工業諸国の政策とは逆に、ガンディーは宗教的な理想を政治の中に取り込むことにより、様々な難題を解決しようとした。宗教的な対立や抑圧を越えたところに政治との有機的な繋がりを試み、挑戦し続けた。(14頁)

・広大なインドに偏在する多様な宗教と言語、それらを「越えた」ところで皆が支持できる宗教行為を共有することで理想を現実世界に現出しようとした。それが"塩の行進"だ。この行為は単なる宗教観に留まらず、植民地支配の搾取の構造をあぶり出し、民衆を政治的に目覚めさせることに成功した。そして"糸車"とともに独立を目指すシンボルとなる。(20頁、25頁)

・運動としての"非暴力・非服従"は状態ではなく、その「意志」が重要視される。こうした考え方は西洋の帝国主義からすると逆転の発想であり、イギリスを困惑させた。(33頁)

・人間には限界がある。ガンディーの非暴力運動も宗教対立を越えたインド独立も果たせぬ夢に終わった。しかし、果てしなく時間をかけて、なおかつ未完に終わったことに、意味がある、と著者は説く。改革は既存の制度や秩序に依拠しつつ、時間をかけて地道に行うものだ。急激な革新が最良とは言えない。(51頁)

・かつての日本の5倍から10倍の速度で進行する経済成長と社会環境の変化によって、多くのインド人がアイデンティティの再定義に苦しんでいる。近年のガンディーブームは、伝統の再定義の一環でもある。これは日本でもお馴染みの「和の暮らしの見直し」と同じ、と著者は説く。(74頁)
なるほど、グローバリズムを意識しだした国民は、遅かれ早かれ、地域的、精神的な伝統を残しつつ、世界的な"近代文明人"になる。いまはその過程であると理解する。

で、本書の結論だ。
・人間は不完全な存在であり、できることには限りがある。だから謙虚になり、反省する。人間の究極の限界性は"死"であり、少しでも真っ当な生き方をするべく努力するしかない。理性は万能ではない。時間をかけてでも自分の信じるところに向かって歩み続けるしかない。(82頁、88頁)

1947年のインド独立式典の席にガンディーはいなかった。ムスリムとヒンドゥー教徒の対立する村を裸同然の姿で歩き、和解を説き続けた。そしてヒンドゥー教徒に命を奪われた。彼の人生観から、そのメッセージを少しだけ垣間見ることが出来たように思う。

NHK知るを楽しむ 私のこだわり人物伝
マハトマ・ガンディー 現代への挑戦状
著者:中島岳志、日本出版放送協会・2008年12月発行
2010年12月21日読了

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