男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2011年02月

大英帝国をローマ帝国の発展型とみなすキップリングの短編作品集。鳳書房の"インド傑作編"や岩波文庫に収録されていない作品ばかりだ。

「祈願の御堂」 The Wish House
サセックスの田舎町。老婦人二人が集まれば昔話に花が咲く尽きることのない話題。素行の悪い孫息子、亡き夫=暴君から解放された未亡人の恋、報われぬ恋。
悪化する足の病気、だが決して口にされない病名、"癌"。ミセス・フェットレイの涙声が耳に届きそうだ。

"祈願の御堂"の伝説。誰かのために自己犠牲を求める精神。思い人のために身代わりになったと信じ切ることが、生きることにつながるとミセス・アシュクロフトは言う。来年の再会はないと知りつつ……。

「サーヒブの戦争」 A Sahib's War
南アフリカ戦争を舞台にシーク教徒の老兵がインド軍の若き英国人士官の思い出を語る。ボーア戦争に従軍したキップリング自身の体験を活かした短編だ。

語り部は"非正規軍"の形態で戦闘に参加したシーク教徒のインド軍兵士。南アフリカの列車に乗り合わせた白人に自らの経験を語る。所属するインド軍騎兵連隊のイギリス人の隊長は、兵士にとって幼少から息子のように接してきた"チャイルド"であり、"親父さん"と呼ばれて信頼しあっている。"病気休暇"を取得して南アフリカへの個人参戦に臨む隊長に、ひとり随行する兵士。

従属するように振る舞い、その実、オレンジ自由国の手下である南アフリカ人たち。西欧式の正規軍間の戦闘と大きく異なる。昼間は農民、夜間は戦闘員となる現地住民が敵となる。影から「ビルマ戦争と同じだ」と兵士は語る。
21世紀の我々にとっては米国=大英帝国の実質的な後継者によるベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラクの泥沼の様相が思い起こされる。

ボーア陣営に与する現地アフリカ人に騙し討ちに遭い、絶命する隊長。死霊となってもなお、復讐に躍起となる兵士を制止し、大英帝国の建前"白人の戦争"に従順に従おうとする……。

戦争遂行に関し、キップリングはインド軍の大規模な投入による効率的な勝利を考えているようで、"白人の戦争"を建前にした本国政府への批判が随所に表れる。
ボーア戦争。「ダイヤモンド鉱脈と金鉱脈の奪取」というあからさまな帝国主義戦争であり、キップリングによる"大英帝国の総力戦"の思想を垣間見ることが出来る。

「塹壕のマドンナ」 A Madonna of Trenches
1918年、キップリングの息子も戦死した第一次世界大戦の激戦地、ソンム。。
過酷な戦場で兵士たちが唯一すがることのできるのは、故郷に残してきた家族、友人、知人との絆だ。

ドイツ軍の毒ガス攻撃。毎日のように発生する死者。その身体は凍結し、軋む。
「…ぼくが飛び降りたのは機関銃の砲座の上で、そのそばに古い砂糖ボイラーと、二人のアルジェリア歩兵の骸骨がころがっていました。…死んだフランス兵が両側にそれぞれ六列も並べられている上に、さらに敷板の下にまでぎっしり敷きつめられている……、遺骸はこちこちに凍って血の滴りはすでに止まり、軋みが始まっていました」(130頁)

銃後の世界で暮らす愛しい女性。その乳癌による死を悟るように、男が塹壕に見る幻。護る者を失った彼に、この世の地獄での選択肢は一つしかない……。

「アラーの目」 The Eye of Allah

13世紀のロンドン、まだプロテスタント・英国教会のない時代。ローマ・カソリックの修道院で写本の装飾画に精魂を傾けるジョンは、ムーア人=イスラム占領下のスペインで密かに手に入れた「アラーの目」により、それまで誰も見たことのない世界を発見し、自らの装飾本に"悪霊"の姿を描くことに成功する。

修道院の夕食会に集う三人の博士たち(パロディだな)。麻薬の仕業とするローマの権威者、実験と観察の意義を説くオックスフォードの修道士(後に有名なロジャー・ベーコンと明かされる)、厳格な僧院長。披露された装飾本の"悪霊"の姿に対する三者三様の反応。

実は僧院長は知っていた。「今回の出現は、諸君、時宜にかなったものとは言えない。これを表沙汰にすれば、ただいたずらに死を重ね、拷問を増し、さらに分裂を招き、この暗黒の時代にあって、いっそう闇を濃くすることになるだけだ」(194頁)
ジョンの発見した"ミクロの世界"と"新しい生命"も、暖炉の炎で失われる……。

科学上の発見が認められず、カソリックの教義と矛盾があれば"異端"として処刑された時代だ。"聖書に記されたことが真実である"との原理原則が、中世欧州の発展を阻害した。
イスラム教世界も同様だが、"解釈"によって目の前の現実を受容し、中世キリスト教世界よりも科学技術の面で先を行った。現在のイスラム世界こそ原理原則に縛られているようで皮肉に思えるが、やがては近代化の波に洗われ、脱皮するのであろう。

「園丁」 The Gardener
事故死した弟の子供マイケルを叔母として育て上げたヘレン。オクスフォードへの進学の直前、甥は1914年の西部戦線に招集され、非業の死を遂げる。軍当局からの公報、発見された遺体と遺品、墓地の案内。
砲弾製造工場にて「わたしも悲しみの遺族に製造されてゆく」(207頁)と独りごちる。

物語の終盤、苗木を植える園丁に甥の墓地の在処を尋ねるヘレン。甥こそ、実は彼女の実の息子であることを一瞬で見抜く園丁。ここに、"全知全能の彼"の現出と、それまでの彼女の言動が自らをも騙す偽りのものであったことが明かされる。
「嘘にひどく疲れてしまったんだもの…何年も何年も、口に出す言葉はみな注意をして、次にはどんな嘘をつくか、懸命に考えなければならなかったんです」(215頁)
これは前日の半狂乱のスカーズウァース夫人の言葉。振り返れば、実はヘレンの心中告白でもあったことが分かる、巧妙な文章構成だ。

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バベルの図書館27 祈願の御堂
著者:R・キプリング、J・L・ボルヘス(編纂)、土岐恒二、土岐知子(訳)、図書刊行会・1991年10月発行
2011年2月25日読了

ロンドンはウェストミンスター寺院の『Poets' Corner』に埋葬されているロバート・ブローニングの夫人にして、自身が著名な女流詩人であったエリザベス・ブローニングの半生を、彼女の愛犬フラッシュの目を通じて著した作品。フラッシュをまるで人間のように描いたのが面白い。

生まれ育った自由な村から規則で縛られたロンドンへ。広大な緑の地から狭いベッドルームに束縛される日々へ。それでも、フラッシュはエリザベスとの強い絆を捨てない。上流社会に隣接する貧民街(ミヤマガラスの森)と、犬窃盗団。ヴィクトリア時代の最底辺の暮らしは強烈だ。そして"お嬢様の駆け落ち"事件だ。波乱に富んだ犬の人生。

グレイハウンドやスパニエルの純血種が重んじられるロンドンと違い、雑種が通りを闊歩するイタリアの都市(ピサ、フローレンス)に、フラッシュは面食らう。"犬の貴族様が民衆の通りに君臨する"様は滑稽だ。

原注も含め、女中であるウィルソンの人生も語られるのは興味深い。"メイドさん"と言えば聞こえが良いが、もしエリザベスの駆け落ちに同行しなければ「日の暮れる前に(屋敷から)通りへ放り出されたであろう」、皮一枚で首のつながった弱い立場のヴィクトリアン・サーヴァントにすぎない。イタリアで警官との恋に落ち、捨てられた後に「大英帝国の首都のすばらしさを知る」彼女も、人生を謳歌していると言えよう。

後年のブローニング夫人は心霊現象・オカルトに夢中になる。『見えないモノが見えている』恍惚とした表情を浮かべる異様さの前からは、フラッシュ同様、逃げ出したくなる。
"人は変わる"と言うが、上流階級の病床のお嬢様が駆け落ちし、酒を飲むようになり、夫との理解の妨げとなるオカルトへ没頭する……。人生喜劇、あるいは悲劇か。それでもブローニング夫人の側を離れず、ベッドのすぐ横で息を引き取るフラッシュの姿は感動的だ。

■蛇足
2010年5月にウェストミンスター寺院の売店で購入した書籍『Poets' Corner in Westminster Abbey』の38頁に、詩人ロバート・ブローニングはVeniceで亡くなる前、Florenceの亡き夫人の墓の隣に葬られることを望んだが、その墓地はいっぱいであったため、死後、bodyはロンドンに移送され、ウェストミンスター寺院のチョーサ-の墓の前に埋葬された、と書かれている。次に行く機会があれば確認してみよう。

Flush - A BIOGRAPHY
ある犬の伝記
著者:ヴァージニア・ウルフ、出淵敬子(訳)、晶文社・1979年10発行
2011年2月18日読了

スコットランド沖の小島における夏のある一日と、第一次世界大戦を挟んで10年後のある一日における一家の行動を、沖の灯台へ出向くまでの出来事を描く。人の行為や事件・事故に委ねるのではなく、ラムジー夫人とリリーの心情の吐露を軸に、登場人物の"こころ"の繊細な内面をこれでもか、と表現するのが本作の特徴であり、発表(1927年)から80年を経た現在でも特別な位置を占めていると思う。

第1部はラムジー夫人の物語。
英国哲学界に確固たる名声を戴く10歳年上の夫とは、倦怠期を過ぎている。だが8人の子供たち(末子ジェームズは6歳)と、ロンドン市内や大学街で知り合った友人に取り囲まれた忙しげな毎日に充足感を味わう。近郊の"恵まれない家庭へのお世話"も、本人にとっては自己満足さと満悦感を充実させる行為だ。「奥さんはどうも直感に頼りがちで、人のことより自分の都合にあわせて判断するきらいがある」(109頁)との周囲の思いには目を塞いでいるようだ。
夏期を過ごす英国北部の小島。古くとも大人数の集う一軒家。夜には灯台の灯りが部屋を照らす、ラムジー夫人にとっての天国だ。幸せの情景。

第3部はラムジー夫人の娘キャムと息子ジェームズ、独身女性リリーの物語。
幼少にして母親が急逝し、戦争に長兄を奪われ、出産で長姉を亡くした17歳と16歳の姉弟にとって、厳格な71歳の父親は畏怖、そして憎しみの対象でもある。10年ぶりに訪問した我が家で「灯台へ出向く」と宣言した父に抱く思いは複雑だ。夫人に特別な想いを抱いていたリリーは貴重な縁談話も逃し、絵画に日々を費やす"おひとり様"。ラムジー夫人の思い出の庭園で、10年前に完成に至らなかったキャンバスに絵筆を向ける。

「他人のささいな心の揺らぎなど目にしても、人はいずれ忘れてしまう/…そんないっときの微妙な表情をだれが教えてくれるだろう」(228頁)
「あそこ("客間への上がり段")の空っぽな感じをどう表現できるだろう。これは肌身の感覚で、頭で考えることとは違う」(229頁)
死者の記憶……"美しい人だった"だけでなく、その様々な表情やしぐさ、心の内の現れをどう残すのか? 個人の思い出の永遠のテーマだ。

第3部11章では、リリーの特別な場所である"客間への上がり段"に影を落とす、客間で腰掛ける夫人の姿が現れる。10年前の日常と変わらず、編み針で子供たちの靴下を編む姿。リリーの"想い"が呼び起こした束の間の奇跡か、あるいは幻か……。実に感慨深い。

TO THE LIGHTHOUSE
灯台へ
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅱ-01所収
著者:ヴァージニア・ウルフ、鴻巣友季子(訳)、河出書房新社・2009年1月発行
2011年2月14日読了

面白そうなので鑑賞に出向いた。最終日の日曜午後だけに、人でいっぱいだ。(2011年2月6日)

江戸は日本橋から京都の京師まで五十三の宿場を題材にした、歌川広重の55点の浮世絵全集がメインの展示だ。加えて五十三次名所図会、葛飾北斎の東海道五十三次と、大正時代の写真パネルで構成される。

冒頭の解説パネルによると、当時の浮世絵1枚の価格は幕府の統制から十六文(≒かけそば一杯の値段)とされ、現在の500円程度になるそうな。

で、本展示会は"当たり"だった。お気に入りは……
・『東海道五拾三次之内 日本橋』 暁の江戸。長い領地へと赴く大名の参勤交代の行列が日本橋を渡り始める。橋のたもとでは店員が問屋から野菜や魚を仕入れて小売店に持ち込むところか。構図が良い。超有名作だ。

・『東海道五拾三次之内 府中』 渡し人夫の表情が面白い。

・『五十三次名所図会 桑名』 桑名城を背景に上陸直前の大型船。船上には様々な表情の客が思い思いの姿でたむろする。側によってきた小舟には、物売りだろうか、親子二人の姿。小舟の中央には鍋。できたての"朝がゆ"の販売かもしれない。

・『東海道川尽 大井川の図』 三枚続きの錦絵大判。大井川を渡る大名行列の一行が大写しにされる。身分によって使用する"渡し"には差があるようだ。女性の乗る"渡し"は単なる平板から、持ち手つき、屋根と簡易椅子付きまで様々。槍持ちは二人で平板に乗るだけだし、一組の大名の籠を乗せた"大渡し"は30人で担ぐ壮大さだ。で、小役人は哀れ、肩車だ……。

大名行列を題材にした画も多い。下級役人の"あくび"や居眠りもハッキリと表現されている。

東海道ものではないが、ホラー画も面白い。葛飾北斎の『百物語 笑ひはんにや』はインパクトがあった。

東海道中膝栗毛の写本(?)もガラスケースに展示されていた。当時の文書を読めないのが悔しいが、挿絵だけでも、弥次郎兵衛と相方の珍道中ぶりがわかる。岩波文庫でも読もうかな。

明石市立文化博物館
http://www.akashibunpaku.com/

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