男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2011年04月

19世紀の西インド諸島。キューバ、ジャマイカ、ハイチ、プエルト・リコ、…トリニダード・トバゴと連なるプランテーション農場の集積地であり、帝国主義経済の一方的な犠牲者を生み出した土地。代々、広大な農場と黒人奴隷を"所有"し、現地支配層として君臨してきた白人支配者層には、何不自由ない自由と富裕な生活が保証されるはずであったが……。
現地白人の優越性を確保してきた奴隷制度が廃止され、"労働者"となった黒人は、かつての支配者であった白人にどのような感情を抱き、どのように接するか。

大英帝国支配下のジャマイカとドミニカ島を舞台に、著者の体験も下敷きにして、幸運に見放された女性の半生が綴られる。

一方的に親友と思っていた黒人の子供に裏切られ、"白いゴキブリ"と蔑視される女性主人公アントワネット。放火される家。身体の不自由な長男=溺愛の対象を亡くし、やがて狂人となる母親。

敬遠されつつも、数少ない親しい黒人と混血人との生活。かつて乳母だった黒人女性との絆があるうちは、平穏な毎日があった。
ロンドンからやってきた男との結婚生活は1週間で破綻する。
「彼女はぼくにとって赤の他人、ぼくと同じように考えたり感じたりしない他人だった」(346頁)
「あれは白いゴキブリの歌。私のことよ。……イギリスの女たちも私たちのことを白い黒んぼと呼ぶんですってね。だから、あなたといると、私はだれで、私の国はどこで、私はどこに所属しているのか、いったいなぜ生まれてきたのかいつも考えてしまうわ」(355頁)

帝国の現地先住民を理解しない"ヨーロッパ人"は、植民地に育った"二流・三流の白人"をも理解しない。
このあたり、同じく大英帝国支配下のインドに生まれ、"アングロ・インディアン"の心情を持ち続けたラドヤード・キップリングその人と作品に通底するものがあるように思う。

財産を消失し、生まれ育った土地との絆を失い、母親同様、アントワネットもまた、心を狂わせてゆく。ロンドンでの幽閉。幻影の中で黙示された行動は、彼女自身を悲しい結末へと導く。

生まれ育った土地に深く根ざし、人との絆により確認され続けるアイデンティティ。その存在が失われるとき、人は確かに狂うのか。

WIDE SARGASSO SEA
サルガッソーの広い海
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅱ-01所収
著者:ジーン・リース、小沢瑞穂(訳)、河出書房新社・2009年1月発行
2011年4月29日読了

世紀末文化の香りがプンプン。少し遠いけれど(JR阪急電車乗り継ぎで70分)、鑑賞して正解だったぞ!(2011年4月26日)
伊丹市立美術館は初めてだ……この酒蔵のような建物がそうか!

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特設展示会場は2階と地下に分かれ、多数の絵画、ポスター、出版物により新進芸術家と商業主義の融合による一大歓楽地の姿を再現する試みだ。

ベル・エポックの最盛期に出現したのが、前衛芸術とカフェと出版の融合だ。1851年にパリ・モンマルトルの地に開店した"シャ・ノワール(黒猫)"は、一種の革命だったんだとわかる、

観客500人から1500人を収容できるカフェ・コンセールで、ダンスや演劇、コンサートが盛んに催され、世の紳士淑女を虜にし、新進作家、作曲家、サーカス団や大道芸人が腕を競い合った。で、このカフェ・コンセールはモンマルトル地区を中心に350件も建てられたという。

で、印象強く引きつけられた作品は……
・ピエール・ヴィダル『"モンマルトルの生活"の表紙』(作品55、1897年リトグラフ)
cover for La Vie a Montmartre
モンマルトルの自由を謳歌する文化人の喜びに溢れた、パリ上空でのライン・ダンス。
アリスティド・ブリュアンの"黒帽子に赤いスカーフ"は目立つなぁ。

・ルイ・ルグラン『ギター奏者』(作品101、1895年水彩・木炭)
GUITAR PLAYER
淡いグリーンの装飾の店内で楽しげに歌うギターウーマン。飲み屋の流しの雰囲気いっぱい。聴衆の態度に関係なく、自分の歌を披露することへの満足感が見られるな。
人生を謳歌する女性は美しい。

・ルイ・ルグラン『プライベート・バー』(作品101、1905年水彩)
PRIVATE BAR
店内の奥のボックス席でカクテルを飲み干し、黒人のホスト(?)の語りかけを扇子を揺らしながら耳にする女性。若い少女にも見える。その視線は店内にあり、意中の人物を気にしているのだろうか。更けゆく夜の一こま。画になる。

・ジョルジュ・ルルー『万国博覧会「光学館」-1900年の大望遠鏡のポスター』(作品125、1900年リトグラフ)
poster for PALAIS DE L'OPTIQUE, LA GRANDE LUNETTE DE 1900
人類の叡智の象徴とも言える"光の玉"を手に、女神が1900年パリ万博会場の一つ"光学館"を見下ろす構図。科学技術の発展の矛先が宇宙に延び、無限の可能性が感じられるポスターだ。

カフェ・コンセールや劇場のプログラム・メニューも展示されていた。印刷技術の粋を凝らした色鮮やかなパンフを手にするだけで楽しみだったんだろうな。

あちこちにジャポニスムの影響の強さを感じた。パリの小劇場に大々的に吊り下げられる多数の"赤ちょうちん"は、ミスマッチ感覚が新鮮だ。和扇子も面白い。
影絵芝居の『聖アントワーヌの誘惑』の一幕、『日本の神々』も強烈だ。風神・雷神、神話時代の女神、荒れる波、どろどろとした雲、富士山らしき背景。切り絵のような表現。北斎と光琳の影響と書かれている。

シャ・ノワールの3階で上演され、絶大な人気を博した影絵芝居が舞台装置ともども再現されていた。
土人の引くアフリカ象が地表に"真珠"を垂れ、そこに草花が生える。ただそれだけの映像に、音楽と口述が合体した"総合芸術"って?
いくら初公演で好評を得た記念碑的作品でも、現代日本でスカトロチックな芝居の再現はちょっと、なぁ……。

展示点数は中規模といったところだが、内容は実に濃い。もう一度行きたくなった。

伊丹市立美術館
陶酔のパリ・モンマルトル1880 - 1910
~シャ・ノワールをめぐるキャバレー文化と芸術家たち~
http://www.artmuseum-itami.jp/2011_H23/11chatnoir.html

2011年6月5日まで。ぜひ行くべし!

コンゴ民主共和国。2006年になって、実に46年ぶりに"第二回"総選挙が行われたアフリカ大陸中央部に位置するこの国で、過去に何が行われてきたのか?

19世紀末に実用化された自動車用ゴムタイヤ"ダンロップ"は、原料の天然ゴムの需要を驚異的に伸ばし、資源採取競争は熾烈さを増した。

天才的な悪魔、ベルギー国王レオポルド2世の外交手腕により、列強が触手を伸ばす直前に、コンゴ川周辺のアフリカ大陸中央部は、ベルギー国王の"私有地"となった。(植民地ではない。) その建前はこうだ。現地人の福祉向上のため、奴隷として連れてこられたアメリカ黒人の帰還先として、自由な黒人のための共和国。文明化のための白人の責任、云々。
現実はどうか。現地農村を武力で蹂躙し、農民をゴム林での強制労働に駆り立て、利潤を貪った。で、逆らうとどうなるか? ベルギー王とベルギー企業の白人士官および黒人私兵による『手首の切断』が断行された……。

レオポルド2世の言葉だ。
「強制労働こそが、怠惰で心の腐った東洋の人間達を文明化し向上させる唯一の手段だ」
「先住民の権利の尊重云々などは笑止の沙汰であり、必要ならば武力を使って労働を強制すべし」(36~37頁)

19世紀までの奴隷輸出に代わる、現地人の奴隷化による強制労働。コンラッドの代表作「闇の奥」は、このコンゴの惨状を物語の背景とするが、その描写には黒人に対する同情はない。むしろ、白人"人種"の優越性と、大英帝国の植民地経営、帝国主義的侵略行為の正当性を裏付ける作品となっており、英文学の傑作としての地位を確保してきた。
「闇の奥」への批判は、ヨーロッパの学会とジャーナリズムにより迫害され、封じられてきた。白人の過去の行為の正当化。

文字通り搾取され、命と尊厳を奪われ続けたコンゴ人。生活基盤は破壊され、文明・文化も進歩を妨げられた。

1960年のコンゴ独立式典での、ベルギー国王による高邁な演説は、黒人コンゴ国民の精神を逆なでさせた。そして独立1週間後のベルギー軍の侵攻とアメリカの不介入、CIAによる首相の暗殺と続く。独立によって得たものは、ベルギー民間企業による経済搾取と、米国傀儡政権による40年間の専制政治……。
民衆が政治的権利を取り戻したのは、実に冷戦終了後だ。

"大変な時代だった"では済まされないところに、問題の根深さがある。
この強制労働は、なんと21世紀の現在でも形を変えて存続するのだ。表向きは植民地経営から手を引いたベルギー国家だが、現地産業を牛耳るベルギーの民間企業が、ウラン、コバルト、金、ダイヤモンド等の採掘のため、農民の追い出しと文字通りの奴隷労働を強制していると言う。その顧客はアメリカ、ヨーロッパ、ロシア、中国、インド等のグローバル企業であり、ソニーをはじめとする日本の企業も含まれる……。

本書では、上記の歴史的犯罪がおおっぴらにされず、ナチスのホロコーストが「これでもか」と言うくらいに喧伝される理由が明らかにされる。

大英帝国によるアフリカ南部の強奪と、金とダイヤモンドの寡占。アフリカの収奪は現在も継承される。
大英帝国のアフリカ侵略の先兵であったセシル・ローズは、その遺言の中で、オックスフォード大学のローズ奨学金の創設の意図を明確にした。
「その真の意図は、イギリスの統治の全世界への拡張、連合王国からの移民システムの完成、イギリス臣民によるすべての地の植民地化である」(137頁)

大英帝国の継承者であるアメリカは、この意志の継承者といえる。中南米、東南アジア(フィリピン、ベトナム)、中央アジア(アフガニスタン、イラク、パキスタン)へと拡散する帝国主義システムの構図が、それを示している。
やがては日本も組み込まれるのだろうな。

『闇の奥』の奥 - コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷
著者:藤永茂、三交社・2006年12月発行
2011年4月19日読了

『闇の奥』と並ぶコンラッドの代表作であり、全45章、450頁(英語原文で13万語)にもなる長編だ。

物語は大きく三部に分かれる。パトナ号での事件と『飛び降りる』までの客観的記述、海事裁判とパトゥザンでの成功までを伝えるマーロウ氏の語り、ジムを襲ったパトゥザンでの事件の顛末を知らせる、友人に宛てたマーロウ氏の手紙から構成される。

物語中、ある男はジムを『理想主義者:ロマンチスト』と評する。まっすぐに人生に対峙し、あまりにも純粋に青年は生きてきたため、『こうあるべきだ』とする理想像と、現実の無惨な結果との乖離に苦しむ。ついには、思いがけずとった行動から人生を棒に振る。

誤ったとっさの判断が人生を狂わせることは往々にしてあることだが、『理想主義者』からすれば受容しがたいことだ。
文明社会を捨て去り、マーロウの知人に紹介されたジャワ島・現地マレー人集落で生き抜くことを決意したジムは、ようやく挫折から快復し、心の充足を実感する。流れ者の白人ヤクザを撃退し、支配者の信頼を得るとともに人心を掌握しただけでなく、混血娘の愛情も得ることが出来た。
順風満帆な人生。3年後に突如『やってきた』試練も、乗り越えられるはずだった……。

名誉を喪失した人生に生きる価値はあるか? その答をジムは知っていた。

ドイツ人、現地住民の駆使する"おかしな英語"も表現されて面白いが、これはコンラッド自身が英語の習得に苦労した経験から滲み出たものだろう。(解説によるとシェークスピアとディケンズ、それに船員仲間との会話によって独習しただけであり、大作家となってからも講演会を開くことはなかったと言う。)

本作は1900年にイギリスで発表された。すでに110年の時間を経過しているものの、内容はまったく陳腐化していない。ジムが苦悩を抱えて行動する様は、マーロウが語るように、まさに「(ジムは)われわれの一人」であり、現代日本人にとっても共通のものといえるだろう。

LORD JIM
ロード・ジム
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅲ-03所収
著者:コンラッド、柴田元幸(訳)、河出書房新社・2011年3月発行
2011年4月14日読了

The British Museumには2010年の3月と5月に出向いたが、"ギリシャ"を中心に鑑賞したわけではない。どうしてもロゼッタストーンや古代エジプト王朝の遺跡に目が向いてしまう。
で、この『古代ギリシャ展』は、2012年のロンドン・オリンピックに向けてEU、アジア、アメリカ大陸にて開催されているそうな。まだまだ千秋楽(?)まで余裕はあるが、神戸方面へ出向いたついでに鑑賞してきた。(2011年4月1日)

『円盤投げ』(ディスコボロス)(作品58)
Marble statue of a discus thrower (diskobolos)
日本初公開だそうで、特別のブースに展示。360度眺めることの出来る展示は素晴らしい。
右足全体に力を込め、いっぱいに伸ばした筋骨たくましい全身は、まさに芸術だ。右腕の血管の浮き上がる様子まで再現されている。
現物は帝政ローマ時代のコピーらしく、ティボリはハドリアヌス帝の別荘で発見されたとのこと。(コピーは2体。もう一体はヴァチカン美術館。)
なお、オリジナルの行方が気になるが、キリスト教・イスラム教時代に「異教徒の作品」と断定され、破壊されたらしい。
そういえば、東日本大震災のどさくさで官房副長官に就任した人("尖閣"官房長官ね)の大好きな中共の"文化大革命"でも、価値ある歴史文化財の大量破壊が行われたな。ろくでもない!

・ギリシャにおいて、外見上の肉体の完璧さは、内面の道徳的な正しさを反映するとされ、アスリートは特別の意味を持つ。
・女神役の女性一人を例外とし、オリンピアの参加者はギリシャ市民権を持つ男性のみ。すべての競技は全裸(フリ○ン)で行われたんだな。

『コリントス式兜』(作品86)
Bronze helmet of Corinthian type
ギリシャ世界(ローマも)では市民権は兵役義務を伴うものであり、その費用は自前だ。貴族や金持ちはエリートの騎馬隊に参加し、貧乏人は艦隊の船漕ぎの任に就く。大多数を占める中間層の市民は、槍と大型盾、鎧等で武装し、軍団の中心である重装歩兵として参戦する。このヘルメットは重装歩兵が着用するブロンズ製のフルヘルメットで、紀元前510年頃にイタリア半島南部で出土されたものだ。
このヘルメットを被ることにより、個々人の個性は覆い隠され、軍団の一歩兵となるわけか。都市国家間の生死を賭けた戦争では、個人の自由はなく、共同体の利益が最優先される。当然のことか。

『赤像式アンフォラ:出征する兵士』(作品84)
Red-figured amphora
紀元前510年頃にアテネで制作されたものだ。
参戦しようとする重装歩兵の若者と祝福する女神が描かれ、その隣で父親が複雑な表情を浮かべている。1944年頃の日本の地方都市で、若い兵士の送り出される場面が想像される。万歳!を連呼する地域の人々と、送り出す(複雑な思いの)家族。この構図は古今東西で普遍のものってことだな。

『シレノス小像』(作品127)
Bronze figure of Seilenos
太鼓腹のよっぱらい男。およそローマ市民のイメージと異なる彼は、自制心の欠如した堕落した人物と評される。理想のローマ市民(筋骨たくましい肉体を有し、かつ知性的)と対照的な人物として3世紀頃に制作された。
……自分の"メタボなお腹"を再認識し、とても悲しくなった。

『走る少女の小像』(作品39)
Bronze figure of a running girl
競技に参加するのは当時のギリシャ男性の特権だが、スパルタでは違った。
膝上の短いスカートを履き、上半身も右肩から豊かな胸を顕わにし、短距離走(中距離走?)に参加する。
兵士ではないが、女性もスポーツに積極的に参加したことが、この作品に表れている。

『アフロディテ像』(作品43)
Parian marble statue of Aphrodite
数少ないギリシャ女性をモデルにした等身大の像が、このヴィーナス像だ。素晴らしいスタイルには賞賛を送りたい。至高の芸術作品だと思いたいが、現実は……。
(解説パネルによると、入浴しようとする女性を"覗き見る"イメージで、街中の神殿に設置されたとか。いまなら抗議の声がネット上で吹き荒れるだろうな。)

『役者の小像』(作品132)
Terracotta figure of an actor
当然のことだが、ギリシャ、ローマ世界に暮らすは筋骨たくましい典型的な"ローマ市民"だけではない。なんらかの理由でハンディキャップを持つ人々も当然、毎日を生きていかねばならない。
社会的地位の低い"喜劇俳優"として訓練を重ね、わずかなギャラを芝居と踊りの報酬として受け取る。あるいは"拳闘士"として、金持ちの宴席の余興を血で彩るか。
いずれにせよ、限られた職業で生きる彼等の姿が芸術作品として残されていたことは、ひとつの意義でもあるのだろう。

・で、"男と男"……。
当時の芸術作品にも残っていることから、ギリシャでは"男女間の愛"は大事にされず、「壮年の男が主導権を取り、若い男子を恋の相手とする」ことが容認、いや、推奨されていたんだな……。なるほど、キリスト教から見たら"異端"だわ。いやはや、なんとも。

神戸市立博物館:古代ギリシャ展
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/tokuten/2010_05greek.html
2011年6月12日まで!

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