19世紀の西インド諸島。キューバ、ジャマイカ、ハイチ、プエルト・リコ、…トリニダード・トバゴと連なるプランテーション農場の集積地であり、帝国主義経済の一方的な犠牲者を生み出した土地。代々、広大な農場と黒人奴隷を"所有"し、現地支配層として君臨してきた白人支配者層には、何不自由ない自由と富裕な生活が保証されるはずであったが……。
現地白人の優越性を確保してきた奴隷制度が廃止され、"労働者"となった黒人は、かつての支配者であった白人にどのような感情を抱き、どのように接するか。
大英帝国支配下のジャマイカとドミニカ島を舞台に、著者の体験も下敷きにして、幸運に見放された女性の半生が綴られる。
一方的に親友と思っていた黒人の子供に裏切られ、"白いゴキブリ"と蔑視される女性主人公アントワネット。放火される家。身体の不自由な長男=溺愛の対象を亡くし、やがて狂人となる母親。
敬遠されつつも、数少ない親しい黒人と混血人との生活。かつて乳母だった黒人女性との絆があるうちは、平穏な毎日があった。
ロンドンからやってきた男との結婚生活は1週間で破綻する。
「彼女はぼくにとって赤の他人、ぼくと同じように考えたり感じたりしない他人だった」(346頁)
「あれは白いゴキブリの歌。私のことよ。……イギリスの女たちも私たちのことを白い黒んぼと呼ぶんですってね。だから、あなたといると、私はだれで、私の国はどこで、私はどこに所属しているのか、いったいなぜ生まれてきたのかいつも考えてしまうわ」(355頁)
帝国の現地先住民を理解しない"ヨーロッパ人"は、植民地に育った"二流・三流の白人"をも理解しない。
このあたり、同じく大英帝国支配下のインドに生まれ、"アングロ・インディアン"の心情を持ち続けたラドヤード・キップリングその人と作品に通底するものがあるように思う。
財産を消失し、生まれ育った土地との絆を失い、母親同様、アントワネットもまた、心を狂わせてゆく。ロンドンでの幽閉。幻影の中で黙示された行動は、彼女自身を悲しい結末へと導く。
生まれ育った土地に深く根ざし、人との絆により確認され続けるアイデンティティ。その存在が失われるとき、人は確かに狂うのか。
WIDE SARGASSO SEA
サルガッソーの広い海
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅱ-01所収
著者:ジーン・リース、小沢瑞穂(訳)、河出書房新社・2009年1月発行
2011年4月29日読了