男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2011年08月

交通事故、否、文字通り"交通殺人事件"の被害者の声なき声はわれわれには届かないが、遺された遺族の悲痛な叫びと強いメッセージは、拡められてしかるべき。

自動車は走る鉄の塊であり、容易に人の命を奪う。それだけでなく、遺された遺族の人生をも奪う。収められた18家族の物語。あるはずだった幸せを破壊され、"その後"の色彩の喪失した時間が、読む者に重くのしかかる。
塩井浩平さんの挿画が、本文のエピソードをより感慨深げにする。

僕もひとりのドライバーとして、常に注意して運転することを、本書を読了しての決意とする。


それにしても美麗な装幀は、用紙の質感を含め、これぞ本の醍醐味! と言える。電子書籍にはマネのできないアドバンテージだな。


遺品、か。
今年の十月は、亡き父の十三回忌となる。
しまったままの父の持ち物を出してみよう。
もう一度、キチンと目に焼き付け、整理することにしよう。

遺品 あなたを失った代わりに
著者:柳原三佳、晶文社・2011年8月発行
2011年8月27日読了

ベル・エポックを席巻したアール・ヌーヴォーから一転し、1920年代からアール・デコ建築様式が世界の主流となる。幾何学的な直線と曲線、その繰り返しが生むリズムと人工的な素材感を特徴とするスタイルは、たしかに移動のスピード化(飛行機)、大規模化(百貨店)、大衆化など新しい時代の訪れを予感させ、世界大戦後のグローバリズム時代にマッチしたのだろう。

本書は、主に関東大震災後に東京に建築されて現存する、日本のアール・デコ・スタイルを代表する建築物の外観と内装の"ツボ"を紹介する。

山の上ホテル、学士会館、聖路加国際病院礼拝堂、伊勢丹本館など、なるほど、どれも一見の価値がある。
旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)の内部デザインなど、21世紀の只中でも通用するのではないだろうか。

老朽化により、あるいは耐震性などの理由により、当時の暖かみある面影を遺す建築物は取り壊される運命にある。現存するうちに鑑賞しておかねば。

アール・デコの建築 NHK美の壺
編者:NHK「美の壺」制作班、NHK出版・2008年1月発行
2011年8月15日読了

出版社の若旦那である新蔵が、恋仲となった奉公人の"お敏"の雲隠れについて、友人に一部始終を語って話す、隅田川に巣くう蟇蛙の妖力を題材にしたポーばりの奇譚だ。

大正11年頃の本所区(墨田区)両国を舞台に、一杯飲み屋をハシゴする大店の若旦那衆、妾と魔女の獲得をもくろむ株屋、着物姿の若い女性の描写が秀逸だ。疾走する市電と人力車、活動写真の広告、街燈などが大正の都市の雰囲気を良く表している。

概ね不吉な"不思議な話"の連続だが、ラストの"朝顔"だけは読む者に安心を得させる逸話だ。

「大凶結構。男が一度惚れたからにや、身を果たす位は朝飯前です。火難、剣難、水難があってこそ、惚れ栄えもあるとお思ひなさい」(p112)とは、新蔵が妖婆に向かって言い放つ言葉。うむ、男子の本懐ですな。

妖婆 芥川龍之介全集第五巻所収
著者:芥川龍之介、岩波書店・1996年3月発行
2011年8月14日読了

1920年の本郷、銀座、丸の内を舞台に、東京帝國大学文学部の学生である安田俊助を軸に物語は進められる。

全篇を通底するのは、この俊助の傍観者的性格であり、何かを成し遂げようとする意志の弱さだ。

哲学者である野村氏の、初子に対する純粋な心持ち。後半で明らかになる、大井篤生のお藤への熱愛と、醒めた愛へのケジメ。両者を思い比べながら、初子の親戚で儚げな辰子に対する自身の憧れを俊助は自省する。

著者本人も訪問したという精神病院の描写は詳らかで、不安を誘う。この訪問を機に、俊助の世に対する構え、センチメンタリズムの否定を、辰子は敏感に感じ取る。

野村氏や初子嬢の生活には上流階級の気楽さ、大正中期の都市風俗(現代社会の原型)が窺える。また現在の"全入時代"と異なる、当時の超エリートである大学生の学業レベルの高さが読み取れる。

物語の結末は明らかにされない。また、看護婦だったお藤が、現在で言うキャバクラで給仕をしなければならなくなったのは何故か。
この作品に続編があれば、さらに面白かったのだが……。

路上 芥川龍之介全集第五巻所収
著者:芥川龍之介、岩波書店・1996年3月発行
2011年8月11日読了

明治末期から大正期、そして大正文化の爛熟した昭和初期にかけて活躍した42人のアクティブな女性の群雄伝であり本書は、一方で、昭和後期に至る女性の正当な権利の獲得までの物語とも言える。興味深く読んだ。

現代ならセミ・ロングカットに相当する"断髪"スタイルは「結婚せず家庭に入らず職業を持ち自立します」との宣言に等しかったそうな。当時の保守的な社会の中で洋装(当時はほとんど男装)に身を包み、靴を履き着帽して男性中心社会を生き抜くには、それ相当の覚悟が要ったと思う。

自立した女性として成功するには、やはり上京して大正文化=都市文化に触れることが必要。その上で上級学校を経た者が文筆家=編集者、作家、新聞記者として成功を収めるパターンのようだ。もちろんカフェやレストランの女給、工場での単純作業に従事しながら文芸を志し大成した者もいるし、十代から"天才少女作家"として華々しくデビューした者も少なからずいたし、名を残せず帰郷した者もいる。

・現在でも第一線で通用する"タフ"な女性たち。中條(宮本)百合子、平塚らいてう、宇野千代……、圧倒された!
・与謝野晶子は明治の歌人だと思っていた。実はスゴイ人だった。
・野溝七生子の"女学生時代の生態"は実に面白い。野広実由「うちの姉様」の主人公、涼音嬢を彷彿させるな。
・石垣綾子。家庭環境が人格を形成する、その見本のような人だ。戦間期の反日本活動は誉められたものではないが「日本の主婦は非活動的だ」との戦後の主張は斬新だったろうな。

・当時の女学校のレベルの高さがうかがえる。英語、仏語、露語……。まぁ女学校や日本女子大学校、東京女子大学に通える者は少数のエリートだっただろうが。
・ロシア・シベリア鉄道を経由しての洋行は、とんでもなく贅沢な行為だったことがわかる。(裕福な旧家が旅費を工面するのに借金するくだりがある。)
・1927年(昭和2年)のニューヨークには、すでに一千人もの日本人女性がいたらしい。(p335)

・大正・昭和初期にrubashka ルパシカなるロシア男性の上衣が流行したことがわかる。「そのころ流行しだした先端女性の真似で」断髪した女性はルパシカを着用した無職男性と同棲し、街を闊歩する、か。(p293)
・明治からの封建的な社会への反動として"アナーキズム"に傾倒するインテリたち。「女性の『解放』はまず性的な事柄からはじまる」(p293)にあるように、男性関係は実に派手だ。ニューヨークで言う"フラッパー"ってヤツか。巷言われる"性の乱れ"は実は男性の幻想で、大正デモクラシーの頃からあまり変わっていないのか?

帝劇、三越、銀座のカフェ、ホテル、地下鉄、自動車、新住宅。帝都を闊歩する洋装のモダンボーイ、モダンガール……。大正時代に興味が沸き、"1920年代のモダンガール"を意識して読み始めたのだが、少し違った。第一章「洋行したモダンガール」や第五章「芸で立つ」あたりがイメージに近いかな、

(^^)
ちなみに「異国迷路のクロワーゼ」が最近のお気に入りです。
http://www.ikokumeiro.com/
19世紀末、百貨店全盛のパリ。その影で廃れゆく商店街、ギャルリ・ド・ロアに着物姿の日本人少女がやって来た。その名はYune 湯音……。
サンテレビで絶賛放映中。スゴク面白いですぞ!

断髪のモダンガール 42人の大正快女伝
著者:森まゆみ、文藝春秋・2008年4月発行
2011年8月6日読了

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