男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2012年01月

有名な美術作品の背景となるセーヌ川、19世紀パリを舞台に働く女性たち、20世紀初頭の海浜リゾート地の解説書として面白く読めた。

で、印象派は何を描かなかったか。
ルノワールやマネの味わい深い作品はいつ観ても良い。特にルノワールの明るい筆に活写された若い女性像は、はっきり言ってほれぼれするほどだ。だが本書によると、上流階級出身でない彼女たちの私生活はふしだらだったらしい。
著者の見解はこうだ。
「良家の子女でない職を持つ女、溌剌と働く庶民の女、たとえばお針娘などは、みな娼婦またはそれに近い存在であった」
その具体例として、モーパッサンの小説や、ルノワールの絵画「舟遊びの昼食」や「ラ・グルヌイエール」などが挙げられる。

う~ん。マネの"ナナ"など、有名な絵画作品のモデルや有名女優はそうかもしれないが、陽気な庶民の女がすべて"ふしだら"だと決めつけるのは、強引な気がするなぁ。

気になるのは、マネの作品「ナナ」の解説だ。本書では、絵画の右端でナナの腰を嬉しげに見つめるパトロンの男の表情を意図的にカットし、さも鑑賞者にパトロンの存在を忘れさせるような書き方をしている。(p90)
そこまでして"庶民の女は娼婦だ"と強調したいのだろうか。

「フォリー・ベルジェールのバー」(1882年のマネの作品)は僕の好きな絵だ。それだけに悪いことを書かれると、あまり面白くない。

最後に……。本書で最もインパクトを受けたのは、"ブージバルのダンス場"を宣伝する鉄道会社のポスターだ(p55)。女性用の水玉ストッキングとヒールを履き、赤いリボンを腰に巻き巻き、ほろ酔い気分で軽やかに踊るヒゲの中年男……いいじゃないか!

誰も知らない印象派 娼婦の美術史
著者:山田登世子、左右社・2010年10月発行
2012年1月31日読了

本書は電信を取り上げたものである。エピローグに「世界が革命的に小さくなった驚くべき時代の嚆矢は、…19世紀の世代なのだ。ヴィクトリア朝の人がタイムトラベルをして20世紀の末にやってきたとすると、明らかにインターネットには感動しないだろう」と著者が述べるように、われわれの日常生活に変革をもたらした電気通信網は1830年代に整備されはじめ、telegraph テレグラフが社会に与えた影響は、こんにちのインターネットを凌駕するものであったことが、面白エピソードを交えて明快に語られる。

何事もそうだが、最初にコトを成し遂げた人物の努力と執念は想像を絶する。世界初の光学式テレグラフを発明・実用化したシャップ、1850年頃爆発的に普及した電気式テレグラフ=電信をこの世に生み出した英国人クックと米国人モールスこそ、エジソンやベルに劣らず賞賛されるべきだろう。

海底横断ケーブルは世界中=欧州と北米、インド、アフリカ、中国、そして日本を電信網に接続し、時間と空間の概念を一変させた。グローバリズムの意識が生まれ、平和への期待が高まる一方で、政治的・軍事的利用価値を為政者に知らしめた。イタリア統一戦争、クリミア戦争において実証された電信技術の重要性は、スーダンで英仏の対立を招いた1898年のファショダ事件で決定的となる。英国の電気情報通信技術の優位性が、アフリカ大陸における大英帝国の勝利をもたらしたと言える。(p163)

APやロイター等の通信社が創業された背景も興味深い。

それにしても、ネット詐欺、ネット恋愛、オンライン会議、セキュリティホール、ネットワーク負荷による通信障害など、2012年でもホットなテーマが、実は19世紀の欧米でもホットな話題だったとは知らなかった。
"電信結婚"が1848年に米国で行われていたのも驚きだ。

米国では馬で10日間もかかった遠距離通信が、1861年の大陸横断電信網の構築によって一瞬にして可能となり、従来の"通信運搬業者"は廃業に追い込まれた。デジカメがコダック社を倒産に追いやったのは、つい最近のことだ。

従来の技術に固辞する者は、新しい技術に乗り遅れる。世界に先駆けて光学式テレグラフによる通信システムを実現したフランスは、電気式テレグラフ網の構築では、イギリス、アメリカ、プロシアに大きく遅れる。独自のブラウン管、"トリニトロン"方式にこだわり、薄型TV競争に後れを取った某日本メーカの姿を想起させるな。

電信はいくつもの派生技術を生み出したが、インターネットがその中で一番の共通点を持つことを理解した。
面白かったぞ。

The Victorian Internet: The Remarkable Story of the Telegraph and the Nineteenth Century's On-line Pioneers
ヴィクトリア朝時代のインターネット
著者:トム・スタンデージ、服部桂(訳)、NTT出版・2011年12月発行
2012年1月29日読了

帝国主義戦争(第二次アフガン戦争)に参加した医師であり、ヴィクトリア朝紳士なワトソンに対し、卓越した頭脳と(現代的基準からみても)奇行の目立つホームズは、"病める世紀末人"であった。

19世紀初頭ロンドン上流階級で競われたダンディズム、中葉パリに現れたダンディ、ロンドンの芸術家を中心とした世紀末ダンディズムには、それぞれの政治的・経済的背景と特徴を有する。20世紀後半以降の"ファッショナブルなダンディズム"は、パリのダンディが曲解されて流行したものであることがわかる。つまり本質的なものでなかったということ。

"勤勉こそ善"とするブルジョア階級が興隆し、階級制の名残と民主主義の価値観が混在して動揺する社会で、ピューリタン的な道徳に反発する一派が芸術と生活で"偽悪的姿勢"を示す。
抑圧のヴィクトリア的常識に対し、頽廃の美、常識の破壊、不健全性な生活、悪魔的なものの崇拝、労働の否定を表明し、物議を醸しながらも、後世に残る芸術作品を生み出したのも彼らだ。
「悪徳というものは、厳然たる道徳が存在するときに、その光輝を発するものだ」(p22)

で、ホームズ。このヴィクトリア時代後期、ベル・エポック前期に生み出された偉大な物語の主人公は、"偽悪的姿勢"を示しつつダンディズムを体現するものであり、それが21世紀初頭においても稀代のヒーローでいる所以だといえる。

ジェントルマンの出身ながら社交界には顔を出さず、といって労働者階級の味方でもない。必要のない限り下層階級には接触しないし、地下鉄や乗合い馬車などには乗車しない。
警察をあからさまにバカにし、とんでもない高額の探偵報酬を受け取り、美食と科学的趣味に溺れる。騎士道精神を持つ一方で、女性との接触を避けるだけでなく、現代なら糾弾される反フェミニストでもある。
難事件の無い日はベーカー街の下宿にひきこもって科学的実験に没頭し、古書を読み耽り、壁に拳銃弾を撃ち放つ。猥雑な都会の下宿こそ彼の居城であり、郊外や自然には興味を示さない。
他人との接触を嫌う個人主義者、ブルジョア思想に抵抗する貴族主義者、人生の謎を追いかける孤独の哲学者。
その本質は、人生の演出者。憧れる生き方だな。
「孤独と不安こそは、ダンディの背負わねばならない宿命でもある」(p145)

デカダンスやダダイスム、"負のエネルギー"(p170)は、僕には受け入れられないな。文明を享受しつつ、過去の文物・文化(すなわち人類遺産)に楽しみを見いだし、自分の世界(新世界)を開拓するほうが良い。
「高雅な個人主義者は、孤独であることの歓喜を知っている」(p161)

流れに逆らって生きるのは難しい。せめて"粋"な男でいたいな。

Sherlock Holmes and Fin de siecle
孤高のダンディズム シャーロック・ホームズの世紀末
著者:山田勝、早川書房・1991年5月発行
2012年1月28日読了

パリ、ロンドン、ニューヨークの百貨店にまつわるエッセイ集。その創生期からベルエポックを経て、第二次世界大戦前までの時期が主な対象だ。
なるほど、百貨店の文化は女性の文化だ。

・電気照明、大量の板ガラスによるショーウィンドー、エレベータ、エスカレータ。ホテルやレストランとともに、百貨店は新しい時代の都市文化の訪れを告げるものとなった。ウィンドーショッピングも新しい光景だ。
・蒐集と分類。この近代科学の成立を背景に登場した百貨店は、新しい生活文化を提供した。単に商品を売るだけでなく、コンサート、カルチャースクールを主催する等、文化や教養も組織化したことに、従来の小売商店との大きな違いを見いだせる。

・Le Bon Marche ボン・マルシェ。1869年に登場したこのパリのgrando magasin グラン・マガザンが百貨店の始祖とされている。第二帝政期、小売りの規制が緩和されて流通革命が起こるとともに、オスマン男爵によるパリ大改造が大型店の登場を促した。周辺の小規模商店は飲み込まれ、大量の商品を安く販売するスタイルが加速する。
・皇帝ナポレオン三世と皇后ユージェニーがフランス商品の広告塔となり、特に1855年の万博では"芸術の都、パリ"を謳う。流行、特にファッションのそれはパリから発信されるようになる。

・エドワーディアン。1901年に始まるこの時代、喪服をまとったヴィクトリア女王の閉塞感から一気に解放されたロンドン市民は、新世紀の躍動を満喫するかのように浪費と快楽に向かう。Selfridges セルフリッジス、Harrods ハロッズ、Liberty リバティといった大百貨店に新興中流階級の女性が群がってはイケメン店員との会話を楽しみ、化粧品のポスターを眺め、陳列された下着を買い求める。友人と店内レストランのランチを食し、食後は階下アトリエの絵画展を鑑賞し、午後はカフェサロンでティーカップを手に主人たちの愚痴に花を咲かす。なんのことはない、現在のデパートの原型がベル・エポックに登場したわけだ。
面白いことに、ロンドンの男性は百貨店にまだ偏見を持ち、従来の小規模高級店に通い続けたそうな。良い意味で保守的か。

・20世紀初頭に女性運動が勢いを増し、その矛先は百貨店に向けられる。「女性らしいドレスや装飾品を販売している」とのムチャな理由で、1912年にロンドンのフェミニストたちが大百貨店のショーウィンドーを壊してまわる事件が発生したそうな。Liberty リバティも被害に遭ったのだが、対応が実に紳士的だ。(p62)

・日本趣味、中国趣味、アラビア趣味をロンドンに広めるとともに、アール・ヌーヴォースタイルを積極的に輸出した老舗が、いまもリージェント・ストリートに店を構えるLiberty リバティだ。王室の規制により、リージェント・ストリートに面する建物はニュー・クラシック=ルネッサンス様式の外観としたが、経営者はこれに反発し、隣接する建物は英国中世・チューダー様式の外観にしたという。(Libertyには2010年5月に足を運んだが、あまりピンとこなかったなぁ。)
こだわりを持つ経営者、上司に反抗して我流を通す販売員、全商品に関与するデザイナーなど、熱い人々の物語が本書の特色でもある。

・モードの先端はパリにあるとしても、20世紀初頭から大量消費社会を牽引したのはまぎれもなくアメリカだ。メイシーズ、ギンベルズ、ウールワース、アルトマンズ、等々。店舗と流通網の巨大さは英仏の百貨店を凌駕し、通信販売を大規模に取り入れる様もアメリカらしい。

・ベル・エポックの時代には服装が、特に女性のファッションがシンプルになり、腕や足首が露出し、素肌に直接触れるネックレス、ブレスレッドが登場する。かつてヴェールに覆っていた顔面を他人に見せるようになると、自宅外での化粧の必要性が発生し、化粧品を持ち歩くためのハンドバッグを女性は持ち歩くようになる。
女性の社会進出と百貨店の登場は、軌を一にしていたんだな。

ベル・エポックから1920年代ジャズ・エイジにかけて興隆し空前の賑わいをみせた百貨店。世界中の商品を集めて整理分類し、世界中に流通させ、一種の文化のネットワークを形成した。(p249)
現在、これと同様の役割を担っているのは、実はAmazonではないだろうか。ネットショッップ多しといえども、事実上ひとつの経営単位として書籍から電化製品、ファッションまで世界中の商品を扱っているのは驚異的だし、僕も何度か、その恩恵に浴している。
実に良い時代になったものだと思うが、さらにリアル・ショップのように、ファッション面でのアドバイザー的な機能が付加されれば言うことはないな。

百貨店の博物史
著者:海野弘、アーツアンドクラフツ・2003年6月発行
2012年1月22日読了

ともに19世紀の発明品であるメディア産業とモード産業。その共通点は、常に新しく、すぐに消費され、忘れ去られるモノと情報であることだ。

本書は、ド・ロネー子爵の著した『Courrier de Paris パリ通信』を羅針盤に19世紀前半、七月王政期と第二帝政期のパリ住民の姿を追う。

・時の話題=トピックスを提供する広告入り商業新聞、ブルジョア階級の消費熱を煽るファッション、庶民に溜飲を飲ませる有名人の風刺画、等々。21世紀に生きる現代人にもおなじみの"快楽の装置"は、この時代に創造されたことがわかる。

・バルザック、デュマ、シューなど19世紀ロマン主義文学の成り立ちを、作家のインスピレーションによるものではなく、メディア=新聞の要求する条件によるものとしている。掲載新聞の売り上げ増大を図るため、「続きへの期待」を読者に抱かせることが必須であり、短い章中に活劇、ロマンスの要素が満載となる。また原稿料は行単位での支払いであるから、必然的に短いセリフが多用されることとなった。

・ジャーナリズム。その本質は、語るべき内容を持たず、語るという行為そのものによって存在する言説であると著者は説く。
「言うべき内容をもたない空虚な言説はまさにその空虚さによって無際限の力を持つ」(p76)
ネット空間に氾濫する"書き込み"が大きな影響力を持つ今日、言説とは何かが問われるな。

・鉄道とガス燈。この新テクノロジーがパリの姿を変えてゆく。夜、ライトアップされたdes Italiens デ・ジリアン通りを紳士淑女が最新モードのファッションで闊歩し、地方からの"おのぼりさん"も負けじと最新情報を血眼になって漁る。
ショーウィンドーにディスプレイされる商品は情報となり、新聞広告や壁面ポスターによって人の意識を占有する。
やがて出現するであろう百貨店と電灯の時代を予感させる。
「万博やデパートといった消費文化のスペクタクル空間が生成してゆく世紀末は、文学とインダストリーの公然たるコネクションが加速度的な展開をみせてゆく時代である」(p145)

・イギリスから流入したbluestocking 青鞜派による女性の権利の主張。だが、パリでは"エレガントでない"ため主導権を握ることはない、とド・ロネー子爵=女性であるジラルダン夫人は説く。
政治的主張は男性に任せ、パリジェンヌはあくまでも女性らしさを追求する。ここに、パリがパリたる所以があるように思えた。

メディア都市パリ
著者:山田登世子、青土社・1991年5月発行
2012年1月18日読了

1951年、当時27歳の大女優、高峰秀子によるパリ滞在記。
短いブリュッセル旅行、帰路立ち寄ったニューヨーク、ロサンゼルス、ハワイの記述もあるが、やはり6ヶ月を一般人として過ごしたパリの記述が中心だ。
高峰秀子さん自身による挿画も素晴らしい。

・彼女は5区の大学町、Pierre Nicoleにある民家に下宿する。民家と言っても日本でいうマンションに相当し、古いエレベータのある5階の一室からは、Tour Eiffelを眺望できたそうだ。

・Etoile エトワール広場(現在のCharles de Gaulle ドゴール広場)からConcorde コンコルド広場を抜けるAvenue des Champs-Elysees シャゼリゼ通りは当時からパリ一番の繁華街だったようで、彼女はここでスーツとコートをつくり、超高級レストランLedoyen ドワイアンで食事し、公園で優雅な時間を過ごしている。

・第二次世界大戦が終わってまだ6年。戦勝国であり、市街地の破壊は免れたとはいえ、生活苦に追われるパリ住民の世相は暗く、"花の都"とは異なる印象を受けている。当時もアメリカ人を中心とする外国人旅行者が多く、彼らに依存していたようだ。

・街と人の細かな観察と、彼女のセンスある描写こそ、本書の醍醐味だ。
「若い学生達が…ツバメのように自転車で飛んで行く」(p35)
「フランスはとてもエンジと金で調子をとったところが多い」(p44)
「猫は黒いのが一番多くて…八百屋のトマトの上に丸くなっているし…」(p93)
「美しい肌から涙といっしょにはずした華族の令嬢のネックレス」(p102)とは、蚤の市を歩いての描写だ。上手い。
「タクシーはたいていくすんだエンジ色で屋根が黒い。…大分くたびれた古物。自家用車はほとんど小型。色も黒か灰色で…」(p35)後にベルギーを走る綺麗な自動車、米国を疾走する大型車との比較がある。
「モンマルトルの坂の上…サクレ・クールは照明されて、ぽっかり星空に浮いている」「ガス燈がぼんやり煙っている」(p128)

・La Rotond、Le Dome、Fouquet's ……高級カフェのギャルソン。高級自家用車で通勤するなど大金持ちで、生き甲斐からギャルソン(の給仕長)を務めている人も実は多いらしい。(p55)

・Comedie Francaise コメディ・フランセーズでThe Winter's Taleを鑑賞し、その衣装と演出の巧妙さに印象を受けるとともに、映画俳優としての血が騒いだらしい。(p74)

・夜のセーヌ河。偶然みつけた小舟の中は粋なレストラン。美男美女が揃い、「甘いお酒の匂いと、誘うような香水の匂い」(p77)に充満した狭い室内の灯りはロウソクのみ。店主の唄うシャンソンに聴き惚れる。
木村尚三郎の著書によると、フランス人は嗅覚で人のセンス(サンティール=匂いを嗅ぐ)を判断するらしく、欧州に日本茶が定着しない理由もここにあるらしい。(逆に薫り高いコーヒーは爆発的に普及した。「世紀末泰西風俗絵巻」p14による。)

・中原淳一、朝吹登水子、石川達三、与謝野秀(外交官、与謝野晶子の次男)らとの交流も描かれる。

・ブラッセルの街を「きれいだ。日本なら神戸あたりか」と書いてくれている。嬉しい。
ブラッセルでは赤い五重塔を発見し驚く。1925年のパリ万国博(現代装飾美術・工業美術国際博覧会:アール・デコ博)の日本の出品物を、ベルギー王が購入したらしい。一度見てみたいなぁ。(p121)

・アメリカ入国の際、旅券の不備から、エリス島に二日も拘留されている。これは貴重な体験だろう。(p157)

ルーブル美術館へも3回訪れたと書かれているが、それよりも本場カソリック教会の宗教芸術に直接触れたことが、彼女にとって意義深いものがあったようだ。(p126、p153)
「私はにげずに知りたい、何でも、どんな小さいことでも」
この精神だな!

今度「二十四の瞳」のDVDを借りてこよう。

巴里ひとりある記
著者:高峰秀子、新潮社・2011年11月発行
2012年1月16日読了

1930年、William Somerset Maugham 56歳の長編小説。
著者の分身でもあるロンドン在住作家Ashenden アシェンデンは、友人キアから一本の電話を受け、亡くなった国民的大作家ドリッフィールドの伝記編纂への協力を要請される。かつて少年時代に故郷ブラックスタブルで知り合った無名のドリッフィールドと、医学生時代にロンドンで交誼を重ねた30年前を彼は回想する。そこにはロウジーの姿があった。

ロウジー。ドリッフィールドの最初の妻であり、元女給がゆえに作家を取り巻く紳士淑女から邪険な扱いを受ける彼女こそ、本作のキーパーソンだ。
「にっこりすると、急にそのむっつりした顔がえも言われぬ魅力を帯びるのだった。…彼女は輝いているのだが、淡い光で太陽というより月光なのだ」(p205)
「月光にしか芳香を与えぬ夜の銀の花のようだった」(p214)


ボヘミアン然と生活していたドリッフィールドが再婚した妻に仕切られ、"大作家に相応しい"生活を強いられてきたことが窺える。この老作家にしてみれば、仕事に介入しすぎる後妻は、ある意味鬱陶しく感じているようにも思える。貧しくひもじく社交界から村社会から嫌われてはいても、自由奔放に生きられた"あの頃"を懐かしく思う様子が、アシェンデンにはありありとわかる。

"あの頃"。本書は三つの時代:ヴィクトリア時代最終期、エドワード時代、第一次世界大戦後のロンドンとイングランド地方都市が取り上げられるため、時代ごとに異なる倫理規範と社会風俗が面白い対比をみせる。
・紳士階級と労働者階級の社会的地位の明確な格差。それは子供の意識にも植え付けられる。成上り者の商売人が紳士の屋敷の玄関に現れることも許されない時代だったから、"屋敷管理人の息子ドリッフィールド"や"下卑た飲食店の元女給ロウジー"との親交を、アシェンデン少年はとまどいつつも続ける。
そしてドリッフィールド家の夜逃げ事件は、少年を傷つける。
・5年後のロンドンでドリッフィールド夫妻と再会したアシェンデン青年は、作家のサロンに足繁く集う。青年はロウジーに魅せられ、取り込まれ、夢中になり……。ロウジーの他人との駆け落ちは、作家と青年を強く打ちのめした。
女性批評家の助力で立ち直り、看護婦と再婚する作家。この選択が、後々まで彼に疲労を強いることになるのだが、それを知るよしもない。一方、青年は医学から作家への転向を決意し、成功を収める。
・55歳を越えた有名作家アシェンデン。30年ぶりに戻った故郷はうらびれ、懐かしい顔も少ない。唯一出会った幼なじみが孫を持つことを知った彼は軽い衝撃を受ける。(p267)
やるべき未来の計画と、終着の見えた人生を思う彼の姿は、僕自身にも考えを促すように思えた。


訳者の解説によるとCAKES AND ALEとは"人生の愉悦"を意味するもので、ドリッフィールド、そしてアシェンデンにとっての"ロウジーとの親密な日々"を指すとのこと。なるほど。

・物語中、エネルギッシュで革新的なアメリカと保守的に歩むイギリスとの差異がハッキリ示されるのも興味深い。Henry Jamesを意識したのだろうか。

・『主人に言ってやるんですよ。死んでしまったら笑えないんだから、今のうちに笑っておきなさいってね』(p171)とは、医学生アシェンデンの下宿管理人ミセス・ハドソンの言葉だ

・オルグリッド・ニュートン氏の素晴らしい語り口が気に入った!(p240~p249)


最終章。ニューヨークに滞在するアシェンデンに"ある女性"からの手紙が届けられ……。
そして、彼女の悲しい過去を、知る。

自由奔放で、かつ愛情心あふれ出るロウジーは、実はモーム自身が求愛した実在の女性がモデルだったそうな。彼女の幸福な老後は、愛に破れたモームが、それでも女性の幸福な行く末を願ったことを示すものだと思われ、心地好い読後感を得られた。


疑問が残った。
16章の冒頭に"Haymarket Theatre"との記述があるが、もしかして"Her Majesty's Theatre"(夏目漱石が『十二夜』を観劇した)のことを指すのだろうか?(p213)

CAKES AND ALE
お菓子とビール
著者:ウイリアム・サマセット・モーム、行方昭夫(訳)、岩波書店・2011年7月発行
2012年1月13日読了

"昭和モダン"の表記に釣られて、六甲アイランドは小磯記念美術館に出向いてきた。(2012年1月9日)

1936年に「反アカデミックの芸術精神」を掲げて結成された新制作協会と、その展覧会に賛助出品し続けた大御所、藤島武二の作品が展示されていた。

藤島武二「山上の日乃出(碓氷峠)」(1934年)等も良いが、やはり人物画に惹かれるな。
■小磯良平「化粧」(1936年)
全裸になって簡易鏡台に向かう若い女性が背中越しに微笑む。シュミーズもワンピースも市松模様の床に脱ぎ捨て、カーテンを開けたガラス窓からは、鎧戸を通して朝日が部屋に差し込む。スリッパではなくハイヒールを履いた妖艶な姿は、しかし美しい。

■伊勢正義「キャバレー」(1936年)
斜め上からの俯瞰。アコーディオン弾きの躍動感。店内に響き渡るダンス音楽とホステスの囁きが画面から溢れそうだ。
ダンスを踊るペアのうち、青い水玉ワンピースの女は、別のテーブルで噛み煙草を吹かす男を視線に捉えて離さない。このドラマ性に惹かれた。

■内田巌「風」(1946年)
戦後の世相を表す曇り空の下、左方を向く少女に向かい風が吹き付ける。まなこを見開き、まばたきひとつせず、新しい時代を前のめりに歩め!
戦後の作品群から唯一、この作品が気に入った。凜とした表情が実に良い。

"反アカデミック"の芸術精神と謳いつつ、アジア・太平洋戦争の遂行には新制作協会も積極的に協力したようで、1942年第7回展のスローガンは「大東亜建設に捧ぐ」ときた。国策に巻かれ、戦後は掌を返すように平和主義に転じたってわけか。興醒めだな。

小磯良平のポストカードを購入したぞ。
Dscn1955

神戸市立小磯記念美術館
http://www.city.kobe.lg.jp/koisomuseum/

「すべて人間には二度の誕生日がある。…元旦は…私どもすべての人類の誕生日なのだ」(p16「除夜」)

家庭の事情で大学進学をあきらめ、14歳から南海商会に、17歳から51歳まで東インド会社に事務系サラリーマンとして勤務したロンドンの読書家、Charles Lambの随筆集。
本書にはギリシア神話や古代ローマの逸話がわんさか登場する。これら西洋古典や近世英国文学に対する教養が欠如しているせいでサクサク読み進めることはできなかったが、古雅な文体を含め、実に味わい深い一冊だった。

著者は架空の人物、エリアに自己を投影する。

収録される16編どれも捨てがたいが、僕は「現代の女性尊重」を推したい。
ラムの生きた19世紀前半は、まだまだ男尊女卑の風潮の強い時代だから、レディ・ファーストと言っても上流社会、それも表面を繕うだけの話。賤業や過酷な単純労働が女性によって担われていること、さらに不幸にして結婚できなかった女性への蔑視をラムは強く非難する。そしてかつての勤務先、南海商会の上司であった人の女性全般に対する崇高な態度を彼は絶賛する。
その理由はひとえに彼の悲しい境遇にあり、同情を誘う。

ときおり狂気の発作を現出させる姉の行く末を気遣い、ラムは恋人と別れて独身を貫き、姉弟たった二人で老境を迎えることになる。その平凡な一日のお茶の時間を描いた「古陶器」は、冒頭のんびりした陶器趣味の披露から、貧しくとも幸せだった遠い記憶を姉が滔々と語る展開へと一変する。若さが貧しさを補って活気に満ちあふれていた美しい時代、戻ることのできない思い出を語り合う二人は、それでもなお幸せなのだと信じたい気持ちにさせられる。

≪大人の本棚≫
Essays of Elia
エリア随筆抄
著者:チャールズ・ラム、山内義雄(訳)、庄野潤三(解説)、みすず書房・2002年3月発行
2012年1月8日読了

昭和30年代、多数の文人・著名人と交流を持った古書店、山王書房主人の随筆集。
先日、野呂邦暢「夕暮れの緑の光」を読んで本書の存在を知ったのだが、復刊書が神戸・元町は海文堂書店に平積みされているのを見て購入した。

宇野千代、尾崎一雄、野呂邦暢、三島由紀夫、室生犀星など戦後著名文学人との交流や、書店経営にまつわるアレコレ、若き日のロマンスなど多彩なエピソードが開陳されるが、やはり書籍に対する愛情が頁の端々からあふれ出てくる。

本当の本好き。

「息つぐ間もない世相の中に生きていると…記憶は永久に…砂丘に埋もれ、…海岸の波間に沈んでしまうかもしれない。…は、眠っていたスワンの娘の記憶を呼び起こしてくれた。それは私の人生に無用なものかも知れない。が無用の中にこそ、言い知れぬ味わいがひそんでいるものだと思う」(p156 スワンの娘)

尾崎一雄と一読者である少女に関する随想。失明の危機から脱した少女が真っ先に実行したことが感慨深い。「情熱というものである」(p142 可愛い愛読者) 本当に。

お寺の本堂で行われた知人の結婚式と披露宴に出席する。「思うに真理の探究というものは、俗の中に身を処していなければ…」(p91 某月某日)
濁世に身を置き、人類遺産である書物を通じて過去の人物と対話する、あるいは時空を超越して歴史上の出来事に身を重ね、自らの処世を考究する。
これぞ読書の楽しみであると、新年を迎えて再認識した次第。

昔日の客
著者:関口良雄、夏葉社・2010年10月発行
2012年1月3日読了

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