男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2012年03月

明治5年に銀座を焼き尽くした大火は、西洋人呼ぶところのエド・ホテル、すなわち、日本初の西洋式高級ホテルである東京築地ホテルをも灰燼に帰した。だが、数多の焼死体の中に発見された一人のイギリス人の腹部には刀傷が確認され、焼け出された別のイギリス人の証言により、"鎧兜で武装し、太刀を身構えた日本人の侍"の存在が浮かび上がる。"異人さん"専用ホテルにSAMURAIが姿を隠して侵入できたのはなぜか。あるいは、西洋文明の尺度で図ることのできない、東洋の神秘なのか。
インド大反乱、アヘン戦争、アロー号事件など、近代アジアと大英帝国の修羅場をくぐり抜けてきたイギリス人写真家、ベアトは、現場で遭遇した新政府の警視に極秘捜査の取引を持ちかけられる……。

江戸川乱歩賞作家の最新ミステリーを一気読みだ。
アメリカ人、イギリス人、ドイツ人がわがもの顔で闊歩し、清国人が地を這うように苦役に従事する横浜外国人居留地と、数年前まで徳川幕府の本拠地であり、いまや新政権が近代化に邁進する東京で垣間見られる活気と沈鬱。それは、新時代の日本の姿の縮図でもあるが、その下層にみて取れる薩摩・長州勢力と佐賀勢力によるせめぎ合いが、ひとつの姉弟を悲劇に巻き込むことになる。

家禄を失った旗本御家人の悲惨な行く末は、プライドを失わずに生きることの難しさを余すことなく顕現する。それでも"誰の力も借りずに、一人で歩んでゆく"であろう東次郎の人生に、希望の灯ることを望みたい。

築地ファントムホテル
著者:翔田寛、講談社・2012年2月発行
2012年3月31日読了

近代日本文学の秀でた独立峰とされる夏目漱石の漢詩を、作家の古井由吉氏が解説する。
原文だとさっぱりだが、日本語に読み下され、さらに丁寧な解説が付くおかげで、漱石の心情まで理解できた気になった。文学の面白さがここにある。

修善寺での病気療養時代と最晩年の『明暗』執筆時の詩作が中心だが、病床でここまで詠める漱石の教養深さには、驚嘆させられる。

・1910年9月、吐血した1ヶ月後に漱石が読んだ漢詩の一節だ。
『首を九原より回らせば 月 天に在り』(p20)
彼岸参りの夕刻遅く、墓地で周りを見回せば、ふと、天空の月の輝きに気付く。自分の生死に関わりなく、太古からの刻の流れは不変、と意訳した。

・仰向けに寝続け、空しく過ぎ去ってゆく日々に焦燥と安逸を感じる詩は、僕も同じような経験があるのでわかる(ような気がする)。能動的でない自分がそこにいる、そんな感覚。(p23)

・我天を失いし時 併せて愚を失う……の詩は気に入った。(p143)
得ることは失うことと同じであり、すべて"空"になってはじめて得たことになる、か。うん、難しいな。
『空に砕くるは燦爛たる夜光の珠』
心の内の宝が、砕け散りながら、燦爛たる音を立てる。末期を予感する漱石の、まっさらな心情に浮かんだ言葉だろうと思う。

・易経や八卦は、実は見事な自然哲学であり、その実践編。東洋の知恵は無視できない。(p125)

・秦の始皇帝の時代から延々と受け継がれた精神も、東洋文化の魅力の一つだ。
『焚書の灰裏 書は活くるを知り
 無法界中 法は蘇るを解す』(p108)
あるものがそのままにあるのなら、真にそのものになれない、か。考えさせられる逆説だな。

・文とはすなわち、綾、模様、飾りのことであり、秩序ある形を表す。文をもって化する、文をもって民を治める、これすなわち"文化"であり、文治政治か。なるほどな。(p59)

・日本語には和文脈と漢文脈とがあり、後者抜きでは日本語は成り立たないのだが、次第に日本人は漢文脈に疎くなっている。これは日本語にとっての危機だと著者は示す。(p150) 正直、ピンとこないが。
漱石や鴎外が英語、ドイツ語を自在に駆使した背景には、漢文の素養があったことを挙げ、日本人にとって、実は漢文脈こそインターナショナルである、との記述はなんとなくわかる気がする。

「漢文的な知識が、日本人の言語の論理をつなぐ、一つの大事な糸だった」(p161)
漢詩、漢文を知ることは、逆説的に「長い呼吸の文章を話す」(p164)日本語の成り立ちと奥深さの理解を助けるし、世界を深く見ることに繋がるんだな。

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漱石の漢詩を読む
著者:古井由吉、岩波書店・2008年12月発行
2012年3月27日読了

不思議な読後感を味わわせてくれる短編集。
『幸せな日々』
幸せを実感している専業主婦。永遠の今日に縛り付けられた幸せ。この世界から、日常から逃れたい心理の発露。
束縛の中で生きる人生こそ、真の自由と言えるのではないのか。

『銀世界へ』
近未来の日本社会を予想させる、胸の詰まるような日常。快適なオフィス勤務も、結婚生活も、すべて特権層のもの。あとは餓死か、肉体労働か、犯罪者になるか。
配給物資を背負って歩くボランティア女性。否、ボランティアとは便利屋稼業の別称と成り果てた。それでも、わずかな年金を持ち合って貧しさに耐える老人社会に"貢献"しているのだ。

『煩せえ』
どこかから聞こえてくる低音として表現された、若者独特の情緒の不安定さ。わかる気がする。

他に『天地創造』『足跡、買います。』『旅人たち』『転生』『日没』『ジャングル・ホーム』を収録。

見知らぬ町 岩波書店Coffee Books
著者:板東眞砂子、装画:磯良一、岩波書店・2008年11月発行
2012年3月24日読了

中編2作品を収録。
『勤労感謝の日』
父親の通夜で母親にチョッカイをかけた上司をビール瓶で殴り飛ばし、退職を強要された元大手電機メーカー女性総合職36歳の見合い騒動。面白エピソード満載。
確かにこんな見合い相手が来たら、途中で放り出したくなるだろうな。
それにしても自虐的。"繭から孵化した蛾"に例えるなんて、世のアラフォー女性が黙っちゃいないだろうに。

『沖で待つ』
住宅設備機器メーカに入社後、福岡に配属された異性の同期社員"太っちゃん"と主人公。
バブルの御時世、忙しさに耐えながら職場に慣れた二人にも、やがて転勤命令が下る。別離を惜しみつつも軽口をたたき合う二人は、30代半ばに東京で再会し、ある秘密の約束を交わす。
……約束を実行に移す日が来ようとは。

第134回芥川賞受賞作。"同期入社愛"なる新鮮な切り口が話題になったと記憶している。
「それなら何も言い足すことはありませんでした。私たちの中には、あの日の福岡の同じ景色が……」(p107)に本作の主題が凝縮されている。

僕としては、うひゃひゃひゃ、と笑う副島先輩が「腕をきつく組んで、全身に力を込めて涙をこらえ」る姿がベストシーンだ(p92)。グッときた。

沖で待つ
著者:絲山秋子、文藝春秋・2006年2月発行
2012年3月22日読了

パリ・モンマルトルの表記に誘われて、異人館で有名な北野の一角、具体的には"ラインの館"の隣にある神戸北野美術館に出向いてきた。平日の午後にも関わらず、観光客の姿は途切れることがない。地元民としては心強いな。(2012年3月21日)
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・"carnet"との記載がある洒落たチケットは、ParisのMETRO、BUS、TRUM共通回数券と同じモノのようだ。入館料500円は高いと思うが。

・1898年築の旧アメリカ領事館官舎を利用し、展示室は4室。その他、回廊にダリの複製絵画やモンマルトルル風景パネル等を展示。

・日本人を含む、モンマルトルに関係深い(であろう)画家の絵画が展示販売されている。モノにもよるが、お値段10万円前後より。有名ポスターの複製も15万円前後から。

・ムーラン・ルージュつながりなのだろう、ロートレックの有名なリソグラフやデッサン画が数多く展示されていた。

・江戸時代まで田畑に囲まれていた北野村。明治になって居留外国人に土地が貸し出され、眺望の良さも手伝って、しだいに異国文化溢れる街並みが形成されていったことが、展示資料を通じて理解することができる。
モンマルトルもパリ郊外の農地だったし(風車はその名残)、この点でも両者は共通していたんだな。

お土産にポストカード2枚を購入。
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Painters of Montmartre
神戸北野異人館街・パリモンマルトル地区友好交流展
神戸北野美術館
http://www.kitano-museum.com/

早朝活用のノウハウだけでなく、仕事を成し遂げるための鉄則が整理されている。
もっと早い時期に読めば良かった。

人を生かすコミュニケーションのコツ、か。
僕自身を省みると、社内報連相の観点で「徹底して聞くこと」に不足があったように思う。さっそく改善しよう。

[メモ]
■プライオリティチェックのコツ
■仕事のフレームワークの把握
■「いざ」という時と「具体的な理由」=動機付けが"やる気"を起こす

・朝いちばんから「仕事モード」
・「やる気モード」「仕事モード」のピークは朝7時
・エネルギーチャージ=睡眠
・体内時計、すなわち体感時計

・チームワークのできるスペシャリスト
・朝一ミーティングのポイント
・"やる気の波動"は伝播する
・ジョブ(作業)を削ってワーク(仕事)に従事

・メモの習慣
・刺激のシャワー=勉強、情報、人
・社内人脈
・ウォーキングによる脳の活性化

朝4時起きの仕事術 誰も知らない「朝いちばん」活用法
著者:中島孝志、マガジンハウス・2009年8月発行
2012年3月20日読了

夏目漱石と同時代、単身でアメリカ、パリ、ロンドンに渡り、苦節十年の末、独特の水彩画がブレークし、"霧のマキノ"としてイギリス美術界、社交界に名を馳せた人物がいた。
霧の画家、牧野義雄。
本書は牧野の代表作品を紹介するとともに、彼のロンドンでの活動、在英日本人との交誼、家族関係を解説する。著者はSoseki Museum In London ロンドン漱石記念館(いつか行きたい)の創設者。

気に入った作品を何点か。
・『ピカデリー・サーカスの夜景』(p20):夏の夜だろうか、まだ薄明るい中に立ちこめた霧が電灯に照らし出され、エロス像と馬車が広場を行き交う人々を引き立てる。一番のお気に入り。
・『ハイドパーク・コーナー』(p52):霧に灯が浮かび上がるハイドパークの夜の闇。それでも馬車と人の群れは絶えることがない。ヴィクトリア時代からエドワード時代にかけての大英帝国の活況が画面から溢れ出てきそうだ。
・『月夜のヴィクトリア・タワー』(p67):雲に月光が反射し、薄明るい夜に国会議事堂の黒いシルエットが浮かび上がる。灯りの下に佇む(たぶん)若い女性は、ウエストミンスター・ブリッジの向こう側から来るはずの良人を待っているのだろうか。ムード溢れる一作だ。
・『ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館』(p80):霧の満ちたサウス・ケンジントンの一角で、宵の中に歩む貴婦人達は、鑑賞したばかりの質の高い芸術をたたえ合っているのだろうか。後期印象派の影響が感じられる一作だ。

牧野はコナン・ドイル氏の肖像画も描いていた(p95)。彼はシャーロック・ホームズ物語の出版先がなかなか見つからなかった苦労を語ったそうで、まだ無名の牧野には幾ばくかの慰めになったことだと思う。

悲しいかな、再度訪英した際には"過去の人"として、メディアに相手にされなかったらしい。その後、個展を開催するもパッとしない。第二次世界大戦後に帰国し、最晩年は鎌倉の安アパートで餓死同様の最期を遂げたそうな。
芸術家は孤高の人生を歩み、臨終の際も孤独に堪え忍ばねばならない。作家ワイルドしかり、画家ゴーギャンしかり。華やかな最盛期を送った印象派画家の大家、たとえばルノワールにしても、本質は同じだったのではないだろうか。

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Yoshio Markino's London
牧野義雄のロンドン
著者:恒松郁生、雄山閣・2008年2月発行
2012年3月19日読了

明るい未来は見えず、閉塞感でいっぱいの日本。いっそのこと、一度財政破綻し、IMF管理の下でやり直せばいい。そんな思いも生じがちな惨憺たる現状に対し、それでも解決策を探る二人の対談には、矜持を正す思いを抱いた。

そうだ、他人任せではいけない。社会を良くすることへの志と、貪欲さを失ってはならない。
・自分が主役となり、やりたいことを力一杯やらなければ、人生の幕を閉じるときに後悔することになる。(p15)
・理念なき"金儲け"ではなく「稼ぐ」ことに企業の存在意義がある。人の役に立つモノやサービスを提供し、その代金を受け取り、そして納税するという「社会貢献」を行うこと。これが「稼ぐ」ことの意味だ。(p72)
・知識労働者とは何か。組織の中で成果を上げ、社会的な成功を掴める者のことだ。志を高く持ち、常に勉強や創意工夫に勤めること、自分自身で課題を発見し、その解決に向けて行動することが求められる。(p121)
・知識の価値の相対的低下に対し「深い洞察から答えを導き出すスキル」の価値は、間違いなく上昇している。「稼ぐ力」「世界で生きていける力」の研磨を怠ってはならない。(p114)
まさに僕自身の実存意義を問われた感がある。気を引き締めて仕事に取り組もう。

一方で、"事態"への備えも怠ってはならないことが示される。
・国際競争力が衰退し、経済敗戦を迎えた日本。イギリス病ならぬ"日本病"の症状は重く、将来の生活水準の著しい低下は避けられない。誰もが考えたくない悲しい未来が見えてくるが、正視しなければならない。(p38)
・日本がデフォルトする可能性の現実味。ハイパーインフレと預金封鎖。間違っても政府をあてにしたり、頼りにしてはいけない。(p41)

レベルの高い、長期にわたる国家的ヴィジョンを含めた議論を展開するイギリス議会の例が紹介される(p76)。
・2010年より連立政権を主導するキャメロン首相とクレッグ副首相は、政権発足時、実に43歳か!
・優れた決断力とリーダーシップ、そしてブレない演説と政策実行力は、イギリスの教育の伝統によるもの。
翻ってハチャメチャな日本の政権を思うと、その絶望的な乖離からは悲しみすら覚える。

心強いことに、ブロークン・イングリッシュについての言及もある。相手に何を伝えるか、どんな結果を出したいのか。流暢に話せなくとも、リーダーシップを取り、結果を出すことが重要。(p158)
・サムスン電子の入社条件のひとつが、TOEIC 900点以上か……。
・僕自身の英語力は悲しいレベルだ。インドでは、流暢に会話するアメリカ人旅行客とホテルスタッフの姿を横目に"英単語を並べてゆっくりと話す"コミュニケーションを図った。ロンドンのホテルでも、マネージャーにクレームをつけている最中に「ゆっくりと話してくれ」と情けないリクエストを出したこともある。
・最近ではGlob-ish グロービッシュが流行だ。要は大航海時代以来のpidgin English 簡易ビジネス英語がデジタル時代に適応したものだな。このレベルを自在に操ることのできるようにし、複雑な英文法を習得する代わりに専門分野の能力アップに時間をかけることにしよう。

今後、否、現在を生きてゆく上でのヒントも示される。
・リーダーシップを取る傾向のある人は、人生で必ずそれを反復する。「英語力」「IT」「ファイナンス」に関する力を備えた上での「リーダーシップ」が求められる。(p188)
・自分で稼ぐ力がなければ"野垂れ死に"という環境が今の日本には必要(p189)

この本、机上に置いておこう。

この国を出よ
著者:大前研一、柳井正、小学館・2010年10月発行
2012年3月17日読了

西洋名画から選りすぐった裸婦画の傑作集。
ブグロー、デュバル、カバネル、ドミニク・アングル、ダヴィッド、ドラクロワ、マネ、ゴヤ、ルノワール、ベラスケス、クリムト、ティチィアーノ、ボッティチェリ、等々。

個人的には、エドワード・ポインター1884年の作品『ディアデーマを結ぶ少女』(p98)が、精細な背景画を含めて最も気に入った。厳格な性道徳を前面に押し出していた当時のイギリスで大論争を引き起こしたらしいが。

ブグロー『ヴィーナスの誕生』(1879年:p18)、バーン・ジョーンズ『運命の岩』(1876年:p50)、ボナール『光を浴びる裸婦』(1908年:p111)、ローレンス・アルマ=タデマ『お気に入りの習慣』(1909年:p111)も好みだな。

巻末の解説はわかりやすかった。
中世までは"人の女性の裸体"を描くことはタブーで、ルネッサンス以降も裸婦はモティーフに留まり、あくまでも、ギリシャ神話や聖書物語を主題に据えないといけなかったらしい。
宗教的な禁忌と抑圧が弱まり、市民階級が権力を高めるに至った結果として、裸婦そのものが絵画の主題となりうるのは、実に20世紀に入ってからのことか。

私見だが、ヴィクトリア朝時代からエドワード朝時代へ移り、堅苦しさ、あるいは建前論を掲げる必要性の薄れたことが、20世紀初頭イギリスでの裸婦画の許容に繋がった一因ではないかと思われる。またフランスにおいても、パリ市民の間でダンディズム、乗馬などの英国趣味を取り入れることが最新流行であったことを考慮に入れると、エドワード朝の"開放的な世相"が少なからず影響しているのではないか。(素人意見、御容赦のほどを。)

名画 絶世の美女 ヌード
著者:平松洋、新人物往来社・2012年1月発行
2012年3月16日読了

山形県の小学校を卒業し、女中奉公のために1930年の東京に躍り出た14歳のタキは、玩具会社の常務夫人となる時子奥様の家に移り住む。

戦前の好景気の波に乗って会社は事業を拡大する。家族が北西の郊外に建てた一戸建ては赤い屋根を持つ和洋折衷の、当時を代表するモダーンな文化住宅だ。
使用人ではあるが、ときに姉妹のように接してくれる奥様と、ぼっちゃんと、再婚した旦那様。慎ましやかな、幸せな日々は楽しく過ぎてゆく。
戦前昭和の、まさにベル・エポック期。
そして、会社の若手デザイナー板倉氏と奥様の秘密がはじまる。

戦争は、美しい日常の裏に隠れている。勝って終わるはずの事変は、いつのまにか、太平洋戦争へとなだれ込んでゆく。

昭和モダンを満喫する一般市民が、最初はゆるやかに、やがては急峻に奈落の底へ投げ落とされるさまが伝わってくる。
人肌伝わる日常と、乾ききった悲劇は、実は密接しているのだ。時代の空気に流されることの恐ろしさ。無関心とまでいかないが、ある程度は世相と距離を保つことの重要さを確認せざるをえない。

「そうだ、小さいブリキの、進駐軍のジープの話をしよう」(p271)
7章まで読者をタキの世界に引き込んでおきながら、最終章でいきなり突き放す。66年後の東京と金沢での物語も切ない。
「気の毒だったのは、大叔母が、一人で泣いているのを見たときだ」(p279)
「僕は、痩せて丸まった背を不器用に撫でた……どうして神様は大叔母に、やすらかな最晩年を与えなかったのだろう」とタキの甥の息子である健史は思う。だが少なくとも「泣きながら亡くなったのではないだろう」(p280)ことが慰めだな。
読者のひとりとして、タキの半生とその心の内を垣間見た側からすれば、その涙の理由も伝わってくるようで、実に切ない。その真の理由はさらに後のエピソードで明かされるのだが。

ああ、小説でもらい泣きしたのは久しぶりだ。

「坂の上の上の庭の金木犀の香り」(p301)
余韻に浸りながら、書店カバーを外し、あらためて本書の美麗な表紙を眺めると……そこには最終章に登場する『小さいおうち』16枚目の内容が現れ、もう一度感動させてくれるという仕掛けだ。ありがとう!

小さいおうち
著者:中島京子、文藝春秋・2010年5月発行
2012年3月14日読了

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