男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2012年07月

大正末期から昭和30年代までの絵葉書を鑑賞しつつ、どこか懐かしく、でも記憶に新しい"トウキョウ"の姿を探る一冊。
彩色絵葉書の魅力を存分に味わえる、全ページオールカラーなのはポイント高し。

超高層建築物や首都高速のない街並みは、実に新鮮かつ魅力的だ。銀座、新宿、浅草は昭和モダンの豊かな賑わいにあふれているし(p35,109,150,170)、丸の内のオフィス街は二重橋と皇居の緑と相まって、とても日本的な都会に映る(p78)。
そして屹立する日本電波塔=東京タワーは、ゆがみを内包しつつ急激に発展する戦後日本経済の象徴であったことが、あらためてわかる(p161)。

個人的には、帝都復興祭の盛り上がりを残す奉祝花電車や「御大礼記念国産振興東京博覧会・御大礼記念館夜景」絵葉書が気に入った(p76)。

「終景」には航空機や気球から撮影したと思われる俯瞰写真が取り上げられる。この位の"ほどほどに発展した都市"が、実は住み良い場所なのだと思える。

"昭和モダン"な東京には関東大震災の記憶が生々しく残り、その影が数々のモニュメントや観光スポットにも投影されていることを、あらためて本書で知った。
「そこに生きていた人々の思い…は今も息づいている」(p205) うん、著者のあとがきにRTだ。

ロスト・モダン・トウキョウ
著者:生田誠、集英社・2012年6月発行
2012年7月27日読了

ディケンズの人間洞察の深さに感嘆するとともに、人生の要所に生起する試練へいかに対峙するかの強い示唆を受けた。軽く読み流すつもりだったのだが、味わい深い一冊となった。

「グロッグツヴィッヒの男爵」The Baron of Grogzwig(1839年)
ドイツのグロッグツヴィッヒのフォン・コエルトヴェトウト男爵の物語。この古城に住む中年男、文字通りの独身貴族でいる間は良かったのだが、ある貴族令嬢との結婚を果たしたことが彼の人生を変えてしまう。
基本的にコメディなのだが、実は、現代日本人男性のひとりとして笑えない逸話に充ち満ちていることに気付く。
たとえ似たり寄ったりの原因でふさぎ込んで憂鬱になったって……と語られるラストには勇気づけられた。
物事の二面性に気付くことができれば、まだまだ幸せを謳歌できる。ん、人生賛歌の良作だと思う。

「追い詰められて」Hunted Down(1859年)
本書収録の他編と異なり、正義漢が真っ当な働きを示す好作品。
古今東西、不正直な人間の冷酷平静なありようはかわらないが、生涯をかけての復讐に追い込まれる悪党の命は、やはり冷酷に終わるべきことを示してくれる。

保険金詐欺を扱ったミステリーが19世紀中葉に発表されていたとは驚きだ。
もし、世に知られた長編でなく、本作をシリーズ化させていたなら、ディケンズはミステリーの始祖と崇められていたのではないだろうか。

「ジョージ・シルヴァーマンの釈明」George Silverman's Explanation(1868年)
ディケンズ56歳の熟練した筆による作品。
人の世に対し斜に構える人生の難しさを示す。
不幸な生い立ちを経て極端な宗派財団に属する孤児施設に拾われた主人公。それでもケンブリッジ大学を卒業し、とある従男爵婦人のツテにより、晴れて英国教会の牧師となる。
目前に開けた幸運に一瞬の夢を見つつ、そのチャンスを退ける主人公。視野狭窄といえばそれまでだが、自己満足のための行為が、やがて不幸な後半生を彼自身におびき寄せることになろうとは。
誰もが冒しうる"偽善的好意"のもたらす恐ろしさを思い出させてくれた。

ディケンズ短編集
著者:Charles Dickens、小池滋(訳)、石塚裕子(訳)、岩波書店・1986年4月発行
2012年7月24日読了

ヴィクトリア時代のロンドンにグリーナウェイ・ドレス旋風を巻き起こした挿絵画家、ケイト・グリーナウェイの作品集。その魅力と彼女の生涯、時代背景、影響を与え合った芸術家との交流について述べられる。

彼女の絵本の一大特徴、それは素朴で愛らしい子供たちの姿にある。どこか懐かしいイングランドの田舎の庭園で、牧場で天子のような振る舞いを見せる少年少女たち。イギリスの失われた理想の世界を見事に描いた絵本は人々の琴線に触れ、むしろ大人たちが買い求めたそうな。(p56)

幻想の光景を淡い色彩で表現した木口木版の絵本はベストセラーとなり、彼女の絵は雑誌や広告に大々的に掲載され、ヨーロッパとアメリカの子供服を変えたとまで言われる。一個人のイメージとデザインが世を席巻した初期の例であり、現代日本のコスプレを想起させてくれ、興味深い。

整形庭園との関係について述べられた箇所は興味深い(p64)。なるほど、常に危険(な外部)と接する大人の、その実、安心と固有空間(自分だけの世界)を求める深層心理を巧に捉えたことも、グリーナウェイの絵本がベストセラーとなった理由のひとつか。

古風で、優雅で、牧歌的。ここにグリーナウェイ・ドレスの成功の秘密があると述べられている。世界一の産業国として繁栄する一方、殺伐とした社会システムに苦しむ庶民は、人間的な触れ合いのあった古き良き時代を懐かしく思い、憧れる。(p44)
この件を読んで、僕は数年前の昭和30年代ブームを思い出した。都市化、工業化を成し遂げた末に次の目標を見失いつつある、そんな時代に郷愁が生まれる。社会の老化現象のはじまり。その成熟性の上に新しい社会が育まれれば良いのだが。

Kate Greenaway
ケイト・グリーナウェイ ヴィクトリア朝を描いた絵本作家
編著者:川端有子、河出書房新社・2012年3月発行
2012年7月16日読了

1979年、ソ連のアフガニスタン侵略に心を揺さぶれたサウジアラビアの大富豪の息子がジハードに身を投じ、やがて世界を震撼させる数々の出来事を引き起こす。
本書は、米国を相手に本格的な戦争を開始した1998年から2011年5月の襲撃作戦まで、アメリカの15年にわたるオサマ・ビン・ラディン追跡作戦の内幕を明らかにする。

冷戦終了後、アメリカの情報機関の人員、予算、実行力がいかに低迷していたかがわかる。
CIAの職員が任務の手続き(入手した情報の関係機関への周知)を怠ったため、二人の人物の入国阻止に失敗したこと(p100、この二人こそ、9.11テロの実行犯だ!)、国務省の複数のデータベースでは情報共有がお粗末であり、苦労して捉えた情報の周知の遅れたことが、結果的に9.11テロの発生を防げなかったことが明らかにされる。(p110)
これらは新鮮な驚きでるとともに、組織のマネージメントにおける身近な問題として興味深い事例だと思う。
FBIの事なかれ主義、たとえば責任逃れのために書類報告を抑制する事例などは、昨今の霞ヶ関で流行しているらしい風潮=「議事録を残すな」に通じているようでならない。

謎は残る。
ビンラディンを隠れ家のアボダバードで捕獲せず、すぐに殺害したのなぜか。土葬を基本とするムスリムをなぜ水葬したのか。わざわざ航空母艦の上で葬儀を行う必要はあったのか。写真が公開されないのはなぜか。
そもそも、殺害されたのは本当にビンラディンだったのか。
いずれ明らかにされることに望みを託そう。

今後の展望として、米軍撤退後のアフガニスタンではかつての軍閥支配下の混乱が再燃し、そこにイスラム過激派の活動する場が生まれること、皮肉にも中東と北アフリカの民主化革命の進行は、かえって南アジアでのテロを激化させることが示される。
なるほど、アル・カイーダの中枢部は崩壊に追い込まれたが、その意思は次世代の組織、すなわち、パキスタン・タリバン運動(パキスタンのタリバン)や、パキスタンが生み出したカシミール過激派のラシュカレ・タイバに受け継がれたのか。
テロとの戦いは次のステージに移行しつつある。今後も注視しなければならない。

ビンラディン抹殺指令
著者:黒井文太郎、洋泉社・2011年7月発行
2012年7月12日読了

日本を熟知した生粋の英国人が、日本人の興味を抱く話題をオムニバス形式で披露してくれる。
大書に掲載されることのない「ふとした出来事や意外な細部」が歴史の魅力を引き出す(p13)。そんなサービス精神にあふれた一冊。
著者の生地への思い、そして一族のルーツへの憧憬に満ちた文章に好感が持てた。

・ケルト人からサクソン人へ、そして中世の民族浄化=ノルマン・コンクエストを経てノルマン人へ支配者は変わる。一級市民と二級市民、異なる言語、領主による搾取。著者は中世の話題を提供しているのだが、僕は帝国主義時代のインド、南アフリカ、カリブ海諸国を支配するイギリス人の姿を想起した。この二重性に、苛烈な世界支配の原点がみえてくるようで、面白い。

・マグナ・カルタに関する逸話。2010年5月に大英図書館で実物を見たが(展示室の奥の別室で厳重に監視されている)、これが公正な裁判の機会を保証する世界初の契約書であり、その後のアメリカ合衆国憲法、国連世界人権宣言に多大な影響を与えたとは知らなかった。(p64)

・ガイ・フォークス。1605年の国会議事堂爆破計画に参加し、仲間の裏切りから直前に逮捕されてしまう。プロテスタントの支配する国で、少数派カソリック過激派の主導により計画されたイギリス史上最大のテロ計画は頓挫し、彼は拷問に耐えて首謀者や仲間を明かすことなく絞首台の人として消えた。(p51)
彼は歴史に名を残す最初のテロリストであるが、暴虐に抵抗する者の偶像としても名を残した。現代ではAnonymous アノニマス・メンバーの仮面のモデルとして、その名をあらためて世界中に示している。

・1908年のロンドン・オリンピックにおいて、よくわからない42.195キロメートルにマラソンコースが制定されたのだが、その理由が突き抜けている。臨席する王族からよく見える位置にスタートおよびゴール地点が設けられ、その距離が42.195キロ。これが2012年まで続いているわけか。(p77)

・世界を支配する帝国の象徴としてのブリタニア、普通の=地方の中流階級イギリス男性を体現するジョン・ブル、下級兵士の代名詞、トミー・アトキンス。そして現代イギリスで労働者を表象するジョー・ブログス(p195)。その時代を象徴するキャラクターに愛着を持つイギリス人に羨ましさを感じる。
日本には「ゆるきゃら」がいる? 湯水のように税金を投じて粗製濫造される"行政の成果"に愛着を持てと言われても、それは無理な話だろう。

個人的には、19世紀後半に流行したオペラ『ミカド』(p185)を観劇してみたいなぁ。

驚きの英国史
著者:Colin Joyce、森田浩之(訳)、NHK出版・2012年6月発行
2012年6月16日読了

浮世絵を想わせる平面的かつシンプルな色づかいにより、イギリス美術界に新風をもたらしたウォルター・クレイン。本書は、知人の庭園を散策しながらシェイクスピア劇にイマジネーションを重ねて創作した、1906年に発行された作品集の復刻版だ。

擬人化された花々。"Winter's Tale 冬物語" 魅惑のカーネーション(p16)や、"Henry Ⅳ ヘンリー四世" ブラックベリー(p38)も好みだが、個人的には、イングリッシュ・ガーデンに鎮座するシェイクスピアの胸像に「ことばのブーケ」を捧げる美貌のワーウィック公爵夫人を描いた中扉の絵(p1)が最も気に入った。
 
近世イギリス戯曲と花園のコラボ。世紀を超えて現代の鑑賞にも耐える本物の芸術を、手元で気軽に味わえる喜びの一冊だと思う。
欲を言えば、ぜひ、当時の用紙と石版印刷技術まで複製したものを手にしたいな。

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Flowers from Shakespear's Garden 1906
シェイクスピアの花園
著者:Walter Crane(画)、マール社・2006年11月発行
2012年7月3日読了

ヴィクトリア女王が君臨する1937年~1901年の「日の沈まない帝国」の首都、ロンドン。本書は、時代の主役として英国文化を牽引したミドル・クラスの暮らしと、そのライフスタイルに欠かすことのできない服飾、装身具、小物、食器、家具調度のデザインに顕現した「ヴィクトリア・スタイル」とその時代背景を、現在でも入手可能なアンティークを交えて解説する。

・18世紀の貴族社会から19世紀の都市中間層へ、田舎の大邸宅から都市のタウンハウスへと、時代をリードする主役と舞台が移り、家具調度の"リバイバル・デザイン"の流行と小型化が進む。アップライト・ピアノ、ウッド・チェア、ホール・スタンドなど、現代日本でも馴染みのあるモノは、ヴィクトリア時代に発祥するのか。ウォードの箱は日本では見ないが、いまでもアメリカでは普通に使われているらしい。道具を通して歴史を知る面白さがここにある。

・すでに労働者階級まで浸透した"アフタヌーンティー"の内容の変遷、ミドルクラスにとってのパーティの意義、テーブルマナーなど、われわれの日常に姿カタチを変えて浸透した物事の源流を垣間みられ、実に興味深い。

・一方で、ヴィクトリア時代は男性主体だったと言える。豊かな家庭の主婦に求められる理想像といい、結婚せず自活する老嬢(失礼!)の限られた職業(ガヴァネス=家庭教師)といい、女性には窮屈な時代だったんだな。
情熱にあふれた主婦の中には、家庭の役割をなおざりにしてアフリカへの慈善事業に力を入れる者もいたとか。数少ない社会との接点であったからなのか、帝国の植民地政策に心を痛めてのことかは知らないが、自国の貧民を放置し、訪れたことのない異国の援助に熱を上げることの偽善性に彼女たちは気付いていたのだろうか。
一部のNGOや日本ユニセ○(笑)も同じ構図か。

・セシル・ローズ、デ・ビアス鉱業会社、ダイヤモンド・シンジケート。宝石類を巡っての黒い衝動は、現代日本に直結していることがわかる。ビルマ侵略にも宝石がからんでいたとは……。

・職人芸とデザインとモダニズムの融合。なるほど、日本のモノが与えた衝撃は想像以上だったのか。1862年ロンドン万博を契機にジャポニズム=日本趣味の熱狂の渦が沸き上がったことは絵画や写真、遺された手紙類でうかがい知ることができるが、その熱気を実感できたら素晴らしいことだろうなぁ。
(3Dフォログラフィを高度化させ、当時の光景とモノとヒトに囲まれて街を歩き、行き交う人物との会話を愉しむことのできる高度娯楽施設を開発すれば……言うは易し。)

その他、旅行ブームとその副産物としての園芸ブーム、リバティ百貨店と日本の深い関わりなど、興味深い逸話が満載の本書、お奨めです。

これから愉しむアンティーク ビクトリア朝 なぜ生まれどう使われてきたのか
監修:プティ・セナクル、メディアパル・2012年6月発行
2012年6月20日読了

かつて漠然と考えられていた「平凡な幸せ」を享受することが、いかに難しくなったか。
人が生きる意味はどこにあるのか。
著者は、近代初期に悩み考え抜いた四人の先駆者を例に、彼らが真摯に人生に向き合った葛藤と、そこで得たある種の悟り=生き方の決意を論じつつ、いま、2012年の現実世界で幸福を考えることについての指針を示してくれる。

・わたしの個人主義=自意識に悩み、その意味を作品で追求し続けた夏目漱石。近代合理主義と宗教の関係を探り、また、経済と愛の不可分性を説いたマックス・ウェーバー。世界と個人の断絶感に起因する精神不安と宗教的経験の意味を探究したウィリアム・ジェイムズ。V・E・フランクル。著者は、彼らの精神の臨死体験(修善寺、家族崩壊とうつ病、強制収容所)に共通項を捉え、それを突き抜けて見いだした人生の新しい価値、すなわち「二度生まれ」を考察し、3.11を経験した現代日本人こそ、かれらの言葉に耳を傾けるべきと説く。

・「個人志向型でありながら、実はきわめて他人志向」にある直接アクセス型社会の構成員(p89)と、公共空間の歪み(p90)。その先に見えるのは「匿名の不特定多数の個人意志」、その実、民主的な代表制に代わる市場、あるいは特定の強力なベクトルを持つ団体の意思が支配するポピュリズム政治。デモクラシーの危機。この柔らかい全体主義を「何となくそれを受け入れ、鈍った感覚のまま、何事もなかったかのようにすごそうとする」市民感覚に、著者は警戒感を込める。なるほど「悩みは深い」な。(p94)

・数年前、"オンリーワン"や"自分探し"といった胡散臭い言葉が流行ったが、著者は1900年の"ホンモノ探し"を漱石とモネの作品群、ジェイムズによるアメリカのスピリチュアル・ブーム批判などを紹介し、その系譜に位置する悪徳商法まがいのブームの危険性を説く。その上で、自我を追求し尽くした漱石の言葉から、自我の忘却こそ処方箋であることを説く。
「もし、ホンモノの自分というものに本当にこだわるならば、むしろそれを忘れたほうがいいのかもしれません」(p115)」

・"科学への信頼が失われた"ことが随所に示されるが、これが唯一の不満だ。"科学技術の未成熟"と"政治・行政の失策"は別問題と考えたい。

一回性かつ唯一性の人生。それは責任を持って決断すること。個人の態度、そして尊厳。
「よい未来を求めていくというよりも、よい過去を積み重ねていく気持ちで生きていくこと」(p213)
新生の力。
これから生きていく上で、著者のエールを胸に深く刻みたい。

続・悩む力
著者:姜尚中、集英社・2012年6月発行
2012年6月27日読了

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