男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2012年09月

「内と外からの夏目漱石」(平川祐弘、河出書房新社・2012年7月発行)の『漱石と学生騒擾』に、一橋大学の前身、東京一橋高等商業学校での学生デモが取り上げられている。
官庁の"御用新聞"そのものの朝日新聞(p308)と、野党色濃い読売新聞(p301)。それぞれに掲載された記事の違いが面白いが、"空気"をつくりだすマスコミ操作が明治から存在したことを思うと複雑な心境になる。


で、麻生自民党。これほどマスメディアから攻撃された政権はなかっただろう。当時の新聞とテレビの報道は酒、家系、漢字の誤読など、ほとんど政権運営能力と関係ない揚げ足取りに血眼になっていた感がある。実は、僕も面白おかしく受け止めていた一人であったが。
一方で、海外ニュースや経済誌等では当時の麻生総理大臣や中川財務大臣は総じて高評価であったように思う。
この乖離はどこから来るのだろう。
偶然に本書を手にしなければ、小さな疑問のまま、何も知らないまま、忘れてしまうところだった。

大衆を踊らせるのは、大手メディアの上層部。民間人でありながら政治に多大な影響を与えられる、この稀有な地位(p226)よ。そして大臣の失脚を仕掛け、自らの出世につなげる官僚の権力の強大さ。
「国家の仕組みなど、有史以前から現在まで、何も変わってはいない」(p208)
事件より何よりも、人の所業と思えぬことを平気で成しうる"権力者"の存在する事実。
恐ろしいことだ。

偏向がかったマスメディアを鵜呑みにしてはならない。
新聞紙と民放テレビ局は大手スポンサーの宣伝媒体であることを忘れてはならない。

ただ「乱舞する日の丸の中で」の最終ページの"裁かれなければならないのは○○である"(p274)との記述には疑問が残る。一義的な罪は、偏向した報道を反省なく続けた連中に存在するのであって、そこまでのリテラシーを一般大衆に求めるのは酷だろうと思う。


2011年3月の震災報道で男を上げたNHKの花形アナウンサー。数週間前の19時のニュースで、AKB48の卒業うんぬん、と読み上げたとき、彼の心境はいかなるものだったのか。
いつぞやの20時の歌謡番組で、「日中友好」としつこく唱えていたとき、眼鏡をかけたNHK看板アナウンサーの良心はどこにあったのか。
なるほど、NHKニュースは"有料ニュース・ショー"あるいは"政府公報"として、真面目顔のキャスターを笑いながら観るのが正しいのだな。

「意思ある者が、難局を克服する」(p203)と述べた人。そして"矜持"を崩さぬ生き方(p287)。男の理想のひとつが顕現されているのは素晴らしい。
そう、これからだな。

真冬の向日葵 新米記者が見つめたメディアと人間の罪
著者:三橋貴明、さかき漣、海竜社・2012年9月発行
2012年9月22日読了

駐留米軍人と日本人の母を持ち、アメリカ人として東京に育った著者。アメリカ人と異なるアメリカ人の視点、フランス留学と1968年の革命、リベラルなアメリカ大学生時代、教師として赴任先で目にした地方の保守的な傾向。これらの体験を胸底深く秘め、自粛ムードに"抑圧"された昭和末期に来日した彼女は、小さな抵抗者たちとの出会いをキッカケに、歴史的な著作を日米の世に送り出すことになる。
『天皇の逝く国で IN THE REALM OF A DYING EMPEROR』
第二次世界大戦の被害者としてだけでなく、加害者としての自らを省みる新たな試み。それが力によって圧殺されようとしていた自主規制の時代にあって、著者は孤独なルネッサンスに臨む個人の行動哲学を丹念に描いた。
「自分にできることはごく僅かでしかない、でもひょっとしたら自分にしかできないことがあるかもしれない」(p333)という認識。
1995年に6月に読み終えたときの、その衝撃だけは印象に残っている。

本書では『天皇の逝く国で』の出版された背景と、2010年の日本社会の、特に貧困をめぐる"現実認識と文学"論、社会主義の意義についての鼎談が展開される。

特に第八章、小林多喜二とプロレタリア文学、その"摘まれた芽"をめぐる議論は圧巻だ。
・日本では1930年代に絶えたプロレタリア文学が、アメリカでは1950年代のマッカーシズムまで残っていたとは知らなかった。
・ポスト=モダン、終焉したとされる社会主義の意義と、人々の夢と犠牲をどう見るのか。冷戦後の物質的不足によらないアジア・アフリカ諸国の貧困=先進国による収奪と援助の二面性(伊勢崎賢治氏の『紛争屋の外交論 ニッポンの出口戦略』で読んだばかりだ)に向き合う決意(p57)

社会正義に関わる個人の闘いの物語こそ、著者のこだわりの源泉なのだな。

ノーマ・フィールドは語る 戦後・文学・希望
著者:Norma Field、岩崎稔、成田龍一、岩波書店・2010年4月発行
2012年9月15日読了

最初に開いたのが「最高を知る」(p48)だ。人生は有限だから、最高峰のものに触れること。センスを磨き、モノを判定するきちんとした尺度を持つこと。何世紀もの鑑賞に堪えてきた古典に接するのがベター、か。
視野を広げるために頂点のものを知っていくと、目が開かれていく(p54)。僕の好きな言葉の一つ、「高い視点と広い視野」への繋がりを感じ、嬉しく思う。

・思索のスケールは大きく持ち、集中する対象は絞り込んでいく(p19)
・表現する対象は、狭くても深ければ問題ないが……他の人と決定的に違うレベルに達していなければならない(p23)。まさに仕事の極意だな。
・作品にする、仕事にするという意思抜きの勉強などしないことがコツだ(p28)
・世界で一番ものすごい量の勉強をした人間が独創的な仕事をしている(p62)。すなわちエジソンのいう99%の努力と1%のヒラメキ、だな。
・『何世紀も不変の価値、不変の名声を保ってきた作品を持つ過去の偉大な人物にこそ学ぶことだ』とはゲーテの弁(p107)。古代と近代の交錯。異なる時代、異業種こそが刺激の宝庫、であるか。
・ライバルと差別化できるポイントを探す。絶対に投げないと決めておくこと(p162)
・どこか計り知れないものの魅力。思考を飛躍させるためのコツ(p184,p196)

そして、自分自身を常に更新し(p212)、進行形の何かを持つこと、か。
よし、エネルギッシュな毎日をつくるぞ。

座右のゲーテ 壁に突き当たったとき開く本
著者:齋藤孝、光文社・2004年5月発行
2012年9月13日読了

ハクティビズムとは何か。なんでしょう? と書店で手にとって購入した。

大衆ネット社会の黎明期を終えつつある現在、コンピュータ技術と歩みを同じくして変化を遂げたハック人=ハッカーたちの系譜と、彼らが現実社会に与えてきた影響がわかりやすく解説される。

ただし、ハッカー集団による政治的攻撃=社会インフラの機能阻害さえ、必然的現象かつ正義的行為のように論じる一部の記述には違和感を覚えた。

なるほど、MITで生誕したハック人の聖地は西海岸に移り、ネット社会の広がりに先行するカタチで世界中に拡散していったのか。

1990年代に本格的なネット規制が試みられる。1996年に成立した通信品位法は検閲に直結するとして、大規模な反対運動が展開された。この法は結局、言論の自由を保障した米合衆国憲法修正第一条に反する、との違憲判決によって無効化されるのだが、その過程で公表された「サイバースペース独立宣言」に興味を惹かれた。既存諸政府からのネット空間の独立を掲げ、公共の福祉による統治を高らかに謳う内容は、英国の支配に反旗を翻し、独立を宣言した米国の理想を彷彿させる。
国家権力の介入を拒絶し、ネット上で自発的に自治を成し遂げる公正で人間的な精神文明を謳うのは良いが、著者の述べるように、初期のMITエリートが占有していた時代と異なる「2012年現在のインターネット=サイバースペースの状況を見てもわかる通り」、ネット利用者の爆発的な増大により「サイバースペース上の自治を自分たちで達成することは不可能」なのだろう。(p88)
だからこそ、倫理の保たれたあるべき姿、初期ハック人たちの理念として、大衆化ネット社会における規範として、あえて高潔な宣言を掲げておくことが重要だろうと思う。

で、hacktivism ハクティビズムとは。
・自らがつくりあげたツールを用いて社会に影響を与えること、ハッカーたちの社会運動(p8)
・明確な政治目的をもって情報技術を用い、新しい社会のあり方を創造する(p99,108)
・サイバースペースの自律と自由が無理ならば、今あるこの世界を逆にサイバースペースの力を借りて再創造するしかない(p106)

そして、ウイキリークスの登場につながる。その活動は、情報の透明化や不正撲滅の一歩を踏み出した(p110)とあるが、"情報の透明化"は真に正しいことなのか、繊細な外交機密や企業秘密の暴露は許容されるのか。高い技術力を保持する者が社会倫理を問われることなく、自己の信ずる世界への変革を強いるのは、果たして正しいことなのだろうか。

もうひとつの潮流が、アノニマスだ。その掲げる大儀「情報の自由を守る」は良いとして、DDoS攻撃や特定企業あるいは個人の情報を流出させる行為は、もはや非暴力運動の域を超えているのではないか。
「膨張し続けるアノニマスが権力体として振る舞うことで、抗議という名の恐怖を社会に与える存在になる」(p208)

責任主体のない社会変革運動とサイバーテロリズム、その曖昧な境界をどうとらえるか。興味深い論点となりそうだ。

ハクティビズムとは何か ハッカーと社会運動
著者:塚越健司、ソフトバンク新書・2012年8月発行
2012年9月11日読了

1930年代の日本国民がそうであったように、平和が壊れ始める音にはなかなか気付くことができず、気付けば大衆が等しく犠牲者に転じる厳しい事態が、現在も世界のアチコチで生起しているという現実。紛争が武力衝突にエスカレートする前に当事者間の交渉を通じ、合意に至るプロセスの重要さがわかっているようで、その実現が困難であることは、歴史上あまたの例が示してくれる。

なぜ戦争はなくならないのか。この根源的な問いに海千山千の現場たたき上げの著者は明快に解を返す。貧困を発生させる構造的問題、すなわち先進国の諸組織による収奪と賄賂文化に染まった被援助国の悲惨な連鎖が、いわば需給関係を形成し、今日も犠牲になるのはか弱き庶民である……。帝国主義時代から連綿と続く"人道主義"の正体みたり。だが人権に根ざす人道主義なくしては、最低限の平和すら確保できないジレンマか。(p39,p76)

本書では、北朝鮮による日本人拉致問題、沖縄基地移転問題、日米軍事同盟、壊れるアフガニスタン、憲法九条と自衛隊の現実、軍法の必要性が論じられる。その総仕上げとして「ソフトボーダー」なる概念が提示され、平成日本が"まだ平和なうちに"、近隣東アジア諸国との関係改善を図る必要性が説かれる。

・熱狂に煽られ、「みんなで渡れば怖くない」式に政府と国民が一体となって戦争状態へなだれ込む状況を回避すること。
・戦争を防ぐことによる利益が戦争による利益より大きいことを理解すること。
ん、リテラシーというか、メディアに扇動されない冷静な認識力を養う必要があるな。

紛争屋の外交論 ニッポンの出口戦略
著者:伊勢崎賢治、NHK出版・2011年3月発行
2012年9月8日読了

著者が演出・作詞家として名を成し、小説家デビューした30歳前後の時期に、約7年間を過ごした逗子なぎさホテルでの日々を綴ったエッセイ集。
金のない若者を受け入れてくれた元外洋航路船乗りのホテル支配人、その人生が戦争に左右された、多くが老人である従業員、隣家の元GHQ将校を待ち続ける老齢の女性、鎌倉の鮨店、故郷・山口の海、父親との確執。
「あの日、海底から浮上してきた弟を抱いたときの感触」(p158)と蘇生を医師に懇願する母の姿には強い印象を受けた。
M子さん(夏目雅子さん)との交際と結婚、発病と死別にも触れられている。

随所に、小説家としてのポリシー、あるいは文章に対する心構えといったことが垣間見えた。
種々のイズムや文学論に本質はない。感覚、感性でもなく「日々文章を書き続ける行為の中でしか、問を解く扉の周辺に近づけない」(p173)
つまりは"手"の仕事、地道な反復の成しうることの崇高さを示唆していると理解した。共感を抱きつつ、最終ページは冬の逗子浜の写真を眺めて、ページを閉じた。

なぎさホテル
著者:伊集院静、小学館・2011年7月発行
2012年9月1日読了

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