男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2012年10月

世紀末の唯美主義の旗手といえば、ワイルド。オックスフォード在学中から、その言動やファッションをして世間を騒がせていた人物だったんだな。ドリアン・グレイや数々の戯曲を発表する以前にアメリカを講演してまわっている。
サロメは1891年のパリで創作された。祖国イギリス帝国での上演が許されたのは、本人がこの世の底に没して実に30年後の1931年だったことに驚かされた。
ヴィクトリア朝にあって、同性愛スキャンダルの凄まじさがわかろうというもの。

わが国で王女サロメといえば松井須磨子だが、20世紀初頭よりドイツ、フランス、アメリカ等で上演されるも、次第に忘却されたことには、栄枯盛衰の感がある。

「長い黒い夜だって、月が面を隠し、星も恐れる夜だって」(p39)

世に君臨すれども世を畏れるユダヤ王エロドと、恋に狂い預言者の首を求める王女サロメ。その噛み合わない感情が生み出す悲劇。近代文学や現代小説と比べて違和感があるものの、舞台を想像しつつ台詞を再現すれば、やはり上等の戯曲に思えてくる。

ビアズリーの独特の挿画、特に「ヨカナーンとサロメ」(p37)が良い。作品にマッチしており、実はこちらのほうが有名なのかもしれない。
こんな作品と芸術至上主義を生み出したヨーロッパの世紀末。やはり面白い時代だと思う。

SALOME
サロメ
著者:Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde、福田恒存(訳)、岩波書店・1959年1月発行
2012年10月11日読了

前半は著者の所蔵するポショワールを題材に、女性服飾ファッションを中心とするアール・デコ文化が紹介される。
室内装飾、キネマ、調度品、自動車、鉄道旅行など、1910年代の上流階級の生活文化の一端を窺えて興味深い。
ポショワールが静岡産の和紙に刷られた手彩色の版画であることを知った。
・Charles Martin シャルル・マルタン「音楽」:深く強い色彩と細部の装飾が気に入った。
・George Barbier ジョルジュ・バルビエ「突風」:浮世絵の強い影響が窺える。春風の表現も実に良いなぁ。

ところで、この時代の女性ファッションの特徴だろうか。昼は帽子を被り、夜は派手な飾りの付いたturban ターバンを着用している作品が多いように思う。

後半はエルテ、スワンソンへのインタビュー、ココ・シャネル、ジャンヌ・ランバン、マレーネ・ディートリッヒなど、時代を席巻した人物の解説パートとなっている。
自立心旺盛な女性が活躍しはじめ、現代社会との繋がりも密接な時代だったんだな。
エルテ氏の「仕事をますます発展させながら衣食住に個性と贅沢を発揮し、決して沈むことのなかった」(p123)生き方にダンディズムをみる。こうありたい、と思わせてくれる好例だ。

1920年代を中心とする戦間期は興味深い。自動車と鉄道の発展がもたらした時代のうねりに加え、浮世絵と日本工芸品、東洋趣味、エジプト遺跡の発見、ロシア・バレエ団の色彩など、20世紀初頭の出来事がデザインにあふれ出る。そんな時代の色彩と感性に触れることができ、満足な読後感を得た。

大石 尚 コレクション
アール・デコ ファッション
著者:大石尚、繊研新聞社・2010年11月発行
2012年10月9日読了

森鴎外と並び、近代日本を代表する知の巨人、夏目漱石。その生涯と作品に含蓄された膨大な知見は、没後96年を経てもなお尽きることのない研究の宝庫だ。
著者は述べる。漱石は、彼の時代の地球社会で最も傑出した知識人、文章芸術家であったと。
「和漢洋の三世界の文化に通じ、自在に文章を揮えるような人は、二十世紀の初頭には西洋にも中国にもアフリカにもアメリカにもいなかった」(p484)

本書は、過去に発表された論文の再録版ではあるが、絶版となって四半世紀ぶりに披露された『漱石の師マードック先生』や昨今の実情に合わせて書き換えられた文章(後発国民の夜郎自大)も収録される。
著者二冊目の大部の漱石論として、その深い知識と広い視野から展開される文章を満喫することができた。

Ⅰ章『漱石と外国人』
ケーベル、ハーン、魯迅、クレイグ、ジョン・H・ディクソン、セルゲイ・エリセーエフと漱石の関わりが展開される。やはり『漱石の師マードック先生』が圧巻だ。
漱石や鴎外の見た西洋諸国と後発である自国の問題が、現在のいわゆる途上国からの留学生にとって「実に今日的課題であることか」(p183)との見解が印象に残った。

Ⅱ章『東西の詩の世界』
比較文学研究として『文鳥』とラフカディオ・ハーンの『草ひばり』が取り上げられる。丁寧に作品のテクストを読みあげ、共通点と異質点を意識して鑑賞すると、孤独と寂寞を生き物に託すとともに、芸術家としての死生観=命尽きる日まで仕事を成そうとする作家の覚悟が確認される。

「文明圏を異にする複数の言葉を学び、三点測量をすれば、比較文化史的な展望は自ずと開ける」(p3)

漱石とは関係ないが、あとがきの「人はどんどん死んでいく。そんなつまらぬ本を読んでどうする」(p486)との言葉が体内に響いた。そうだ、時間と力には限りがある。「良書を読むための条件は、悪書を読まぬこと」(ショーペンハウアー)だな。
厳選しての読書こそ命。
よし。数年前に神戸・三宮の後藤書店で\2,000円で手に入れた『夏目漱石-非西洋の苦闘』を読んでみよう。

内と外からの夏目漱石
著者:平川祐弘、河出書房新社・2012年7月発行
2012年10月1日読了

インド帝国警察官としてビルマに勤務するも、作家になる決意を秘めて帰国した若き紳士、オーウェル。メジャーデビュー作となる本書は、彼の都市下層生活体験が文学作品として昇華されたものだ。
1929年だから昭和一桁の時代。そう遠い昔ではないのに、英仏の首都にしてこれほど悲惨な日常が展開されていたとは、なんとも驚きだ。

パリの安ホテル"三雀荘"、質屋通い、南京虫との闘い、ホテルX(ロティ?)での皿洗い人生、小レストランでの一日17時間6日勤務、等々。サービス業に従事する底辺労働者の人生は、まさに経営者の奴隷であることが明白にされる。

・時は大恐慌下、大学卒の皿洗いなんてゴロゴロいる。
・若い娘も過労と病気でどんどん死んでゆく。
・中産階級以上が謳歌する"花の都"とは、ほど遠い過酷な現実。

金を落とすのはもっぱらアメリカ人旅行者であり、ロシア革命後の亡命者の多くが底辺の生活を強いられていることが随所に記される。コミュニストと警察のいたちごっこも日常茶飯だったんだな。

ロンドンでは無職男として、doss house 簡易宿泊所、spike 浮浪者臨時収容所、救世軍のホステル、エンバンクメントでの野宿、教会での説教付の食事の世話になる。
人間の自尊心を傷付ける法の数々。
ロンドンで行動を共にするパディ氏。紅茶とマーガリン付きパンだけで数年を過ごすと、人間の精神と肉体はどのように変質するのか(p199,204)。そして社会全体の経済レベルが下降すると、民衆の感情、敵意はどこに向かうのか(p203)。恐ろしや。

・ロンドンのスラングと罵詈雑言の研究事例は面白かった(p238)。
・哀しいことに、日本人はこの当時から金づる扱いされていたのか(p217)。
・なるほど、インド帝国の版図といえど、バングラデシュは1937年頃まではベンガル州と別扱いされていたのか(p180)。

奴隷に課す無益な仕事。下層労働者の待遇がいっこうに改善されない理由をオーウェルは的確に指摘する。すなわち経営者と知識階級にとっての「現状維持の都合の良さ」と「大衆に対する恐怖心」(p160)
「餌+鞭=エネルギー」(p157) これは現在も変わらないのだろう。

数年前、悪徳業者にたかられ、役所から迫害される現代日本の生活困窮者の実態が話題となったが、本書においても、"公的施設指定"のコーヒショップが生活困窮者から搾取する様子や(p248)、公園や駅舎から浮浪者を追い払う官憲の姿がありありと描かれる。
時と場所は変われど構造は同じか。

DOWN AND OUT IN PARIS AND LONDON
パリ・ロンドン放浪記
著者:George Orwell、小野寺健(訳)、岩波書店・1989年4月発行
2012年9月30日読了

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