本書は、たとえ弾丸旅行でも宮殿の世界に浸りつつ、ルーヴルの厳選された名画の良質な鑑賞を楽しめる一冊となっている。
西洋名画の鑑賞にはそれなりの知識、特にギリシャ神話、ローマ史、キリスト教のそれが要求されると思う。本書は初心者にも理解しやすい簡易な解説と、より作品を愉しむための著者の豊富な知識が融合され、近世から近代にかけての美術の流れもわかるよう配慮されている。
作品の写真がすべてモノクロなのは残念だ。これは読者の想像力を働かせようとの配慮なのだろうか。

・文化とは国力。美術館自体がフランスの歴史を刻む城であり、一級の芸術品だ(p4)

・『モナリザ』はマザーコンプレックスだったダ・ヴィンチの精神的自画像でもあり、『聖母子と聖アンナ』に彼の心中の二人の母への深い執着が垣間見える。特に後者は超然と全てを見通すような聖アンナの表情が秀逸だし、ピラミッド型の構図、不安定さの中の美しいバランスが見所だ(p20,26)。

・『ピエタ』キリストの死の悲劇性が極端なまでに誇張され、美しくも不安の顕わな作品である。1527年のスペインによるローマ侵攻・破壊が作者の人格変成に影響したこと、「動乱のイタリアの時代精神が生み出した」作品であることを示す(p52)。

・『ガブリエル・デストレとその姉妹の一人』の由来は衝撃的だった。ルーブル学芸員の意見と断りながらも、本作はある裸体の貴婦人像の系譜に連なるという。(p112)
その源流がダ・ヴィンチ自身による『モナリザ』の裸体バージョンだそうで、もし現存すれば、世紀の大発見となること間違いなしだろう。
大戦で燃えてしまったか、誰かが隠し持っているのか、どちらにせよ人類の遺産の損失だな。

・『宰相ロランの聖母』は実によい。支配する俗世間から距離を置き、キリスト、マリアと同室内で対面するロラン氏の姿。15世紀のことだから、この大胆不敵な絵画の巻き起こした反響は想像に難くない。パリの一法曹家からブルゴーニュ公国の宰相にまでのし上がり、百年戦争を終結に導いた実力者であった彼の権勢が窺えようというもの。
三人は同室内にいるように見えながら、実はキリストとマリアはロランと別次元にいることが、その目線から暗示される。すなわちロラン氏の幻影。
「近景の細部描写とはるかなる遠景が調和する」構図も素晴らしい。(p116)
権力をほしいままに振るう男の、静かな心の拠り所を顕す作品。僕は好きだ。

・『大工聖ヨセフ』は心象に残る作品だ。2009年5月に東京上野のルーヴル展で、その光の色と照らし出された人物の表情に目が釘付けになり、ただただ感動したことを憶えている(ポストカードも買ってしまった)。
「水平・垂直を基本とする秩序ある構図と細部を切り捨てる簡潔さ」があり「静寂で内省的」な明暗のコントラストは「古典主義的フランス精神」(p193)が宿っているというわけ、か。なるほど。

ルーヴルはもちろん、メトロポリタン美術館、大英博物館、ナショナルギャラリー、美術史美術館は、まる一日滞在してその世界に浸るのがベストだと思うし、これまでそうしてきたのだが、日程の限られた旅行でも名画を堪能する楽しみは必要だ。本書はその良い手引きになると思う。

ルーヴルはやまわり 2時間で満喫できるルーヴルの名画
著者:有地京子、中央公論新社・2011年11月発行
2013年4月30日読了