横浜、神戸と並び昭和初期に西日本の玄関港となった長崎と、20世紀初頭より急速に東洋一の国際都市へ発展した上海が蒸気船の定期航路によって結ばれた。
本書は、1920年代の旅行案内書、彩色絵葉書、航路図、市街地図、レトロな商店広告、ポスターなど豊富な資料を駆使し、活気に満ちた都市と時代とを解説する。

ひとつ難をあげるとすれば、何かに付け「原爆」を強調するところか。近代上海年表に"長崎に原爆投下"って、画竜点睛ではなく蛇足だろう。

・比較的安定した1920年代から30年代にかけて、日本では空前の旅行ブームに沸いた。1923年に竣工した長崎丸と上海丸はわずか26時間で長崎と上海を結び、日本、支那両国の交友も活発となった。
なるほど、長崎にとっては遠い東京よりも、"近い外国"である上海に魅かれるのは無理もない。上海の"日本人租界"、虹口地区は長崎出身者が多かったのも肯ける。

・P&O社の航路で上海にやって来た英仏人にとって、アジア(インド帝国)や東アジア(北京、上海、香港)の先にあるミステリアスな極東地区の雲仙は、温泉とゴルフ場の整備された格好のリゾート地に映ったことだろう。

・神戸を11時に出航し、明るい瀬戸内の眺望を愉しみながら、翌9時に長崎着。その翌日には黄浦河を遡り、15時には上海の、それも外灘と市街地に近い埠頭に接岸できるのだから、旅情を深く味わえたことだろうな。

・特筆すべきは、日本郵船の旅行案内書と彩色絵葉書の見事さだ。複雑な事物の単純化された図柄は、現代でも通用する優れたデザインだと思う。

・概ね上海ガイド本は外灘と南京路を重視しがちだが、本書は日本人に関連の深い「日本郵船埠頭」や「呉淞路」にも視点を据えている。選択された絵葉書も見事だ。

64頁に示される昭和初期の上海租界のモダンさ、美しさはどうだ。中共支配下にあって巨大な開発の手が加えられた浦東地区の繁栄の見た目は良しとして、猥雑かつ品の喪失した21世紀の上海を惜しみつつ本書を閉じた。

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上海航路の時代 大正・昭和初期の長崎と上海
編著者:岡林隆敏、長崎文献社・2006年10月発行
2013年6月29日読了