男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2013年07月

京都旧家の出身ながら慶應義塾在学中に社会主義思想に染まり、拘留中の"転向"宣言を経て学業と実家から追われた23歳の朝比奈は、幼少に京都の映画撮影所に出入りしていた縁から、満洲映画協会に脚本家としての職を得る。
建国10年に沸き立つ独立国家、満洲帝国。超特急あじあ号から首都新京に降り立った彼は、大陸的な雰囲気と多国語の声高に混じり合う新興都市の活気に魅せられる。
意気揚々と新天地での活躍を夢想した朝比奈だったが、若き女性監督桐谷サカエ(ここ重要!)よりすべての自信作を否定され、新機軸の探偵ものの執筆を命じられる。
意気投合した中国人スタッフ陳雲と彼の妹、桂花との共同執筆作業を開始した彼は、桂花への恋慕を愉しみつつ、日本ではお目にかかれない最新の英米仏のフィルムを研究し、乱歩の20面相をネタに「中国人の愉しめる」脚本に取り組む。前途洋々、意気軒昂。

だが朝比奈は偶然にも、"日本の国策会社"満映の真実の姿を垣間見ることとなる。
対米英戦争一色の日本と対照をなす日常生活を満喫する彼が、新京の持つ"映画セットのハリボテのような"昼の姿と人の奥の闇を顕現化した夜の姿の二面性を認識したとき、それは満洲国の偽善性が顕わになった瞬間でもあった。

そして知る決定的で過酷な事実。目を閉じる。目眩。
「だって、おかしいだろう」(p232)には感情が揺さぶられた。
希望が絶望に変節した脳裏に浮かぶ蝶の群れ
「この世は本当は蝶が夢を見ているだけなのかもしれない」(p245)

・関東軍の人体実験こそ悪名高いが、満洲国の事実上の支配者=日本人官僚が現地住民を支配する道具として"阿片を活用"し、より多くの中国人の心身を蝕んだ事実。その舞台装置としての満洲映画協会の真の姿がえぐり出される。

・歴史上の著名人、特にキーパーソンとなる元憲兵隊将校から満洲映画協会理事長職に就いた甘粕正彦と、満洲国より"国防を委託された"大日本帝国・関東の軍防疫給水部731部隊を率いる軍医少将、石井四郎の物言いと動作仕草が、いまそこに立つ人物のように活写されているのも本書の魅力のひとつとなっている。

・李香蘭については、満映スターであったこと、似非中国人として日本人の観客から喝采を浴びたことが簡潔に述べられるに留まる。満映が舞台なのだから、できれば彼女と甘粕正彦の関わりについて一捻りほしかったな。

・せめて映画好きの陳雲青年には、"解放後"の希望ある未来の展望あることを願ってやまない。

御参考までに満洲・満映と甘粕正彦氏についての図書です。(手持ちの分だけですが。)
■李香蘭と東アジア 四万田犬彦編、東京大学出版会・2001年12月発行
p108に掲載される甘粕理事長へのインタビュー記事に、満映機構改革と満洲至上主義に基づく映画国策の理念が現れています。
(『魅惑の姑娘スター李香蘭の転生-甘粕正彦と岩崎アキラ(漢字)、そして川喜多長政』牧野守)

■満洲国のビジュアル・メディア 貴志俊彦著、吉川弘文館・2010年6月発行
p176に、大衆の教化を強める目的で1941年12月に行われた満映の部門改正(製作部の啓民映画部、娯民映画部、作業管理所への分割)と、娯楽の統制のことが記載されています。
(『8章 決戦体制下における弘報独占主義」)

最後です。
プロローグの「ソーイチくん!」……お見事です。

楽園の蝶
著者:柳広司、講談社・2013年6月発行
2013年7月28日読了

テロリズムの被害者であり、かつテロリストの温床とされる人工国家パキスタン・イスラム共和国を対象とし、「想像の共同体」ならではの国家統一"維持"への腐心、国民に強く根付いた部族意識、アフガニスタンとの強い紐帯、英領インド帝国からの分離独立とその後の経緯を巡っての隣国インドとの対立が、歴史的経緯から縦深に掘り下げられる。
その上で、国家内国家であるFATA=連邦直轄部族地域に潜む諸問題を平和理に解決することが、この地域だけでなく、ひろく国際情勢の安定化のために不可欠であることが、駐パキスタン公使を含め長年外交の最前線で責務を担ってきた元外交官によって示される。

実に情報密度の高い本書。カシミール問題に触れる程度の期待から試し読みしたのだが、その深い内容に感銘し、その足でレジに直行したことを憶えている。

■パキスタン社会
独立前からの半封建的な大地主制度、60%に満たない識字率、宗教的な制約。表面的な民主主義を謳いつつ、支配者が一族の利益を優先する不安定な政治体制。これらの要素が相まって、国家の成熟に不可欠な中間市民層の育成を現在に至るまで妨げている(p13)。
中産階級層の薄さが、工業化社会、情報化社会への飛躍を妨げることとなり、インドとの格差は拡大する一方か。
・建国の祖、ジンナーは国語であるウルドゥー語を話せず。パキスタン国民への演説は英語で行われたとある(注p3)。
エリート層と庶民層の絶望的な乖離が、国民の結合を妨げる要素のひとつでもあるのだろう。
・文民政治家の腐敗を横目に、無力な庶民には諦観と他者への誹謗・中傷が蔓延する。蓄積された不満は騒擾を引き起こし、政治の不安定化、ひいては軍事クーデターと軍政への支持が繰り返されてきた。
・国家のアイデンティティは「イスラム教徒の国であるとの一点のみ」(p20)であり、民族の多様性と地域間格差は、常に政治を不安定にしてきた。

■軍・安全保障・外交
パキスタンにおいて最も強力かつ統制のとれた組織。
ムスリムでありながら、英領インド軍の世俗性を受け継いだ近代的軍隊。

分離独立時のインドによるジャム・カシミール藩王国の軍事占領が、インドへの強い不信感と抵抗への気運を発生させた。(p54)
1965年、カシミール奪回のための二段階作戦が発動。ジブラルタル作戦:武装ゲリラにより暴動を発生させ、グランドスラム作戦:インド軍との全面戦争を回避しつつ、正規軍が支援する。第二次印パ戦争。インド軍はラホールにも進撃。虚を突かれたパキスタンは敗北(国連調停)。
1971年の第三次印パ戦争で東パキスタン分離独立。シムラ協定による事実上のカシミ-ル分割統治の完成。これがパキスタン軍をして低強度紛争・非正規戦争の研究強化に向かわせ、カシミール分離独立義勇戦士、国際テロ問題に繋がる。(p57)
ウル・ハック軍事政権による軍のイスラム化政策は、現在にまで続くパキスタンの苦悩をもたらす一つの大きなきっかけとなった。宗派間抗争とテロ、アフガン難民を抱える経済負担と「麻薬と銃の文化」の流入による治安悪化。

・ブットー大統領以来の外交安全保障の基本的思考。
インドは脅威。対インドで外部勢力の力を利用する。米国は信頼できない。中国(敵の敵は味方)とサウジアラビアを主要な戦略的同盟国とする。(p69)

・戦略的縦深性をアフガニスタンに求める。
インド軍に領土深く侵攻された場合にの一時避難地として。パキスタンに従順なアフガニスタン政権の樹立を画策

・核管理の脆弱性への懸念。
通常は核弾頭を外している。核システムへのアクセスは国家指揮委員会メンバーに限定されており、システムがブラックボックス化されている。(p70)

■FATA 連邦直轄部族地域
パキスタン、アフガニスタンにまたがって居住し、部族ナショナリズムの側面をもつパシュトゥーン人の団結は、パキスタンの統合を脅かす要素となりうる。
英領インド帝国のデュランド外務大臣がアフガニスタンの太守に合意を強要した「デュランド・ライン」の存在が、現在もこの地域の不安定要素となっている。
・アフガニスタンは1947年のインド帝国の解体をもって、部族地域に関わる全ての法令が廃棄されたとの立場。デュランド・ラインによる分割を否定している。
・FATAの地域はもともとアフガニスタンの領土。1849年にイギリス軍が侵入し統治を開始。
・1901年に一般定住地区と部族管区とからなるNWFP北西辺境州が定められる。総督名代としての政務官と、部族長老(マリク)による支配制度。
・FATAには1901年の「辺境刑法」が現在もパキスタン政府により適用されている。(p98)
建前上、FATAは北西辺境州父音管轄下に置かれるが、実際にはFATAにはパキスタンの法令は適用されず、ジャーナリストを含む一般のパキスタン人の入域も制限されている。
・インドからの分離独立時、パキスタンに併合される見返りとして、それまでの部族特権(年間給付金、所得税免除)を継続することを認めさせた。
議会、裁判所、警察は存在しない。国境警備の12万人を除き、軍の常駐もない。
・FATA内の治安は、辺境警備隊(連邦軍主導)、辺境警察(連邦警察主導)、部族民兵警察であるカサダール(パシュトゥーン語で警察)とレビース(パシュトゥーン語で徴募兵)による。部族民兵警察は政府ではなく部族に奉仕する。制服はない。世襲的に部族長の権限で任務配分が定められる。
・2002年以降、テロ対策として軍部隊が活動するようになり、部族にしてみれば「パキスタン中央による侵攻」と映る。中央政府への反感はイスラム武装勢力の浸透を手助けすることとなった。

■経済の混迷
経済合理的な政策判断に軍、エスタブリッシュメントが頻繁に介入を繰り返したことにより、社会的歪みが積み重なる。
・輸出の60%を占める繊維産業は中国に圧され、棉花は国際価格変動の影響を受けやすい。背景にエネルギー不足と女性労働力の軽視。改善しようとする意識や気運は見られない。
・治安の不安定さと教育水準の低下と相まって、国際経済活動からの断絶という悪循環に陥る。近代的な社会経済活動の停滞へ。
・社会階層間、地域間の格差は大きい。英語系私立校の卒業生はエリートとして国外へ流出。地方では公的教育制度の不備により、イスラム教育学校=マドラッサを通じて過激派の思想が浸潤する。職も希望もない若者は大都市に流入し、政治活動や騒擾に参加する。そこから、カシミールでのテロ活動に参加する者も現れる。
・下級公務員の給与も低水準。不正と賄賂が蔓延する。高級将校は別として、治安関係者も例外ではない。
・民主主義的な文民政治であるはずの90年代は、ポピュリズム的経済政策と賄賂政治により政情不安となり、工業化と社会の安定化は阻害された。
・皮肉にムシャラフも軍事政権下において一貫した経済政策が採られ、経済は好転する。ただし米国への支援の代償としての経済援助の効果でもある。
・外国からの援助は国家財政に組み込まれ、軍事費並となる。(p83)
・2008年には暗転し、経済危機へ。食糧・燃料価格の高騰による財政赤字の拡大と外貨準備高の激減、インフレ(25%)をもたらし、電力不足と資本の海外逃避。カラチ株式市場は40%下落。選挙により、ムシャラフ大統領は退陣に追い込まれた。


遠くは大英帝国の支配、近くは冷戦下の西欧諸国の戦略が南アジアにもたらした災厄が、テロリズムとして先進諸国に"返礼"されたことは皮肉だが、傍観していては何も改善されない。

本書には、特にイスラーム色の強い中東から南アジアに渡る地域の"国際社会への融合"を目指す上で、日本を含む国際社会が取り組むべき課題が明確に示されており、強い知的刺激を受けた。
また巻末の解説(注記)、欧文表記一覧を含めて圧倒的な情報を有しており、読了の後もたびたび参照してきた。
市井の個人にできることは微々たるレベルだが、本書のすばらしいガイドラインを照合しつつ、少しでも近隣諸国との関係改善に貢献したいと思うようになった。

パキスタン国民は常に二者択一を求められてきた。
民主政下での腐敗した政治と不安定な経済に不満の日々を送るか、軍政下での一見クリーンな統治と経済成長を謳歌するか。これを打破する道はあるか?
その細い道は民主化の深化にこそ隠されているに違いないし、2013年の選挙(ムシャラフ氏は残念でした)でその入り口に辿り着いたものと思いたい。

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苦悩するパキスタン
著者:水谷章、花伝社・2011年3月発行
2012年7月7日読了、2013年4月6日再読了

19世紀パリ博を中心に語られてきた万博。本書は20世紀の各種博覧会にまで俯瞰の視野を拡げつつ、著者の築いた都市論に触れながら、現代世界における国際博覧会の意味を問う。

ただし「十九世紀の万国博はまだ専門家向け、二十世紀の万国博は一般大衆に開かれている」(p9)の記述には違和感があるな。パンチ誌にもみられるように、トマス・クック旅行代理店の業績拡大もあり、ロンドンでもパリでも多くの庶民が会場に足を運んだ。
まぁ外国人を対象にすれば「開かれていなかった」のは確かだが、渡航費用が最大の障壁となったはず。1989年のパリ万博を訪問した民間人(久保田米僊)も存在したし、少なくとも「専門家向け」ではなかっただろう。

プロローグでは国際博覧会の発祥と19世紀エクスポが概括される。
・1851年のロンドン国際博覧会。万国博覧会の発祥の地と自認し、世界に先駆けて実現した産業革命の成果、イギリス自慢の工業製品をあまねく披露した。これらを収容するパビリオンは、これも科学技術の集大成である水晶宮であり、参加者にその偉容を見せつけることとなった。
・一方、パリ万博は都市改造計画と相まって会場空間に拡げ、成功を収める。この複数のパビリオン展示方式が以降の標準となり、名称もフランス語「エクスポジシオン・ユニヴェルセル」に由来するエクスポが一般呼称として定着する。
「万博はフランスのもの」とされる所以である。
・フランスは美術販売に重点を置き、イギリスは技術的な発達を誇示する。アメリカは自国の歴史的出来事の記念として開催する。この性格の違いが面白い。
・19世紀と20世紀の万博の違い。前者が科学技術の発明発見の展示に注力したのに対し、後者は文化芸術要素にも関心を向け、観光との結びつきが図られたとある(p17)。なるほど。

本編では1900年パリ博から1925年アール・デコ博、1933年シカゴ博、1939年ニューヨーク博、1970年大阪博など、時代を象徴する10個の博覧会とそれらの示した意義、その後の時代の推移が述べられる。
・19世紀と20世紀の結節点。しかもアール・ヌーヴォー時代の頂点であり、新技術と芸術の融合が試みられた1900年パリ万博が、やはり万国博覧会を代表するものであろう。万博に食指を延ばしたドイツに対抗して開催を決めたことも興味深い(p20)。パビリオンの配置ひとつをとっても、先進国と途上国、宗主国と植民地の関係、少数民族問題がクローズアップされ、ヨーロッパ主観の時代の去りつつある予感が内包される。わが日本は……ゲイシャ・ガールですか。。。
・戦間期、束の間の平和の時代に開催されたことは、万博が平和を希求するものであったことの証左か。
・1925年パリで開催された現代装飾美術・工業博覧会は魅力的だ。ル・プランタンなどの百貨店のパビリオンの登場は「中流階級という新しいマーケット」(p71)を象徴していたし、ネオ・クラシックを基調とする建築の中に存在感を示した装飾デザイン、すなわちアール・デコ様式は20世紀モダン・デザインの到来を告げ、東京、上海、ニューヨークに同時代的な都市文化を発現させた。
ロシア・アヴァンギャルドに対する逸話(p77:50年後の再評価)からは、オリジナリティの追求こそ重要であることが示唆される。「ぜいたくなフランス文化への平手打ち」(p85)とは、わかりやすい。
・大不況の1930年代に相次いで国際博覧会の開催されたことは面白い(p92)。新しい消費文化の成立が欲望としてカタチに現れたということか。
・1931年のパリ植民地博が帝国主義の最後の芳香を感じさせ、興味深い。アルジェリアは意図的に「フランスの一地方」と位置づけられているし、イギリスとドイツは当然のように不参加だ。その内容から現在では無視あるいは軽視されがちだが、むしろ現代のグローバリズムの姿を直視する上でも、内容を精査することは重要だろう。
・1937年パリ万博。20年代のモダニズへの反動か、ドイツ館はバウハウスからナチス=ゲルマン中世主義へ、ロシア館はアヴァンギャルドからソビエト=社会主義リアリズムへと変貌を遂げる。万博のメイン会場で対峙するこれら異質のパビリオンは、パリ市民には"悪い冗談"に映っただろうが、2年後には現実のこととなる(パリ陥落)。万博のテーマ「文化と芸術」は現実の力を御し得なかったのであり、「力」への信奉が加速した。戦間期を象徴する出来事として興味深い。

1970年の大阪万博は熱狂とともに忘れ去られた。パビリオンに足を運ぶ時代の終焉(p212)。テレビジョン時代、そしてネット時代の到来により、博覧会の意義は失われつつあるのか。
その問いに関する著者の見解が10章と11章に披露される。未知の物事への"出会い"と"体験"こそ博覧会の魅力である、と。

幻となった「東京都市博」の顛末も記載されている。
東京ルネッサンス企画委員会には著者も名を連ね、特に議題もなく懇親会(雑談と食事会)が重ねられてきたのだが、知らぬ間に「委員会の総意として東京都市博の開催が知事に提言され、これが了承された」ことを、なんと新聞紙上で知ったという。
まるで結論ありきの第三者委員会(昨今の流行だな)。結局、"青島だぁ"がジョークで新知事に就任し、深い思慮の欠落した公約のままに開催中止を強行した。事後処理に無駄で莫大な血税が費消され、世界中から嘲笑を買った日本の恥辱に対し、芸人のイジワル婆さんは何を感じ、どう責任をとったのか。そのあたりも有耶無耶なままに「なかったこと」にされてしまった。
このあたりの顛末も『懇談会』の内幕と併せて開陳されている。憤懣やるかたなし。

万国博覧会の二十世紀
著者:海野弘、平凡社・2013年7月発行
2013年7月22日読了

本書は、長らく日英文化の架け橋を担ってきた著者による、ロンドン漱石記念館設立までの経緯と、ロンドンのあふれる魅力についてのエッセイである。
特に英国留学を迷っている若い人には、そっと背中を押してくれるはずだ。

著者はロンドンのホテルマンとして出発し、漱石の留学時代の足跡を追い、最後の滞在先であるザ・チェイスの正しい番地を確認する。さらに旅行会社を経営しつつ、埋もれていた漱石と同時代の日本人画家、牧野義雄の滞欧中の作品と生涯に魅せられ、広く日本に紹介してきた。
僕自身も氏の著作(『牧野義雄のロンドン』雄山閣)により、その存在を知るに至った一人だ。画集も買ってしまった。

・留学中の著者が倫敦塔のベンチで捉えた夏目金之助への"共感"。すべてはここからはじまる(p34)。クレイグ氏の自宅の発見、漱石最後の下宿先の"正しい番地"の再発見など、漱石にまつわる貴重な業績を「ホテルに勤務する一民間人」として成し遂げるに至る。

・ロンドンの旅行会社に勤めながら(後に経営者)夏目金之助と牧野義雄の研究を続け、膨大な史料を収拾し、滞欧日本人学者などに閲覧を請われて応対するようになる。
ザ・チェイスの漱石最後の下宿先の斜向かいに自宅を購入し(これはスゴイ)、ついには自宅を改装して「ロンドン漱石記念館」開館となる。
ロンドン漱石記念館はガイドブックによりその存在を知ってはいたが、著者が私財を投じて設立したことには驚かされた。冷静な情熱は何ものにも勝るということか。

・牧野義雄の研究には新聞広告も利用したとのこと(p88)。ホームズものでよくある逸話だが、地道な努力と時間と投資(私財だ)が現実に大きな成果に結びついたことを思うと感慨深いな。

・日本を代表する文豪の漱石だが、西洋での知名度は皆無だそうな。漱石自身「私の作品で西洋人に読んでもらいたい本は一冊もない」(p99)と述べていたことも興味深いが。
その漱石の作品を西洋に拡めることも記念館の目的に含まれるとある。なるほど。

・サマーセット・ハウスでは誰でも遺言書を読めるそうな(p110)。日本とずいぶん違うな。

・イギリスの美点の一つに、街並みが百年前と変わらないことが挙げられる(p168)。同感だ。私事だが、歴史的建築物(タウンハウス)に囲まれた一般市街地で、それも石畳の広い道路をジャガーやBMWが疾走する様をこの目にしたときはちょっと感動したのを憶えている。(Baker streetの西隣、Gloucester placeでのこと。)

・英語について、著者はアメリカ語ではなく、全世界をカバーできるイギリス語の習得を勧めている(p196)。WEB世界ではアメリカ語が覇権を確立したと思っているが、実のところはどうなのだろう?

・1860年代の日本人留学生のエピソードは、より拡く知られても良いだろう(p221)。

ハイド・パークのスピーチで鍛え上げた著者のユーモアと相まって、楽しく読める。
後半のエピソードは、外国における日本人の立ち居振る舞いについての示唆とも言える。
現地に深く溶け込むことでわかる現実。
第二次世界大戦における日英の対立の残滓は、現在でも健在ということ。その溝を埋める努力は欠かせないし、この時代を生きるためにも外国経験が必要だとわかる。
手元に置いておきたい一冊となった。

こちらロンドン漱石記念館
著者:恒松郁生、中央公論社・1998年8月発行
2013年7月20日読了

本書は、大正から戦前の昭和の活き活きとした時代を活写しながらも埋もれてしまった文学作品を取り上げ、地に足を付けて散策しつつ、現代社会を特徴づける巨大都市の"生態"とその時代の人間模様を「私的な、感性的な目による都市の記述(p52)」=都市文学を軸に現代に蘇らせてくれる。

・隅田川岸、浅草、日比谷、上野、銀座、新宿、本郷、小石川、品川の底から見上げる、あるいは郊外から俯瞰する大東京の姿。そこにはパリ、ニューヨーク、上海など世界的大都市との同時代性が、グローバリズムの原形がそこにある。

・現代まで引き継がれる都市文化の礎を築いたモダニストたち。一方で、個人に目覚めた下層工場労働者たちの連帯と騒擾。モダニストとプロレタリアの邂逅と対抗は新たな社会的・文学的価値観を育む。

・機能主義、構成主義、ダダイスム、都市のアンダーワールド。イメージと言葉を通しての幻視(p33)。20年代の新しい都市文学は美術、演劇、映画など視覚的、空間的、総合的な他の芸術との交流のうちに成立する(p80)。2013年ならばさしずめ、全員参加型のネット動画が該当するか。

・1920年代を彩る役者に貴族は欠かせない。日本でも第一次世界大戦を境に没落する華族の最後の輝きが当時の文学作品に悲喜劇の華を添える。見せかけの権威にしがみつく者と、富を誇示する新興ブルジョワジーの珍妙な取り合わせも面白い。(p132『ミスターニッポン』)

・新宿駅の告知板のメッセージ。書かれては消される運命にある言葉の数々も都市の記号となる。不特定多数の人にも読まれる、物言わぬ都市の群衆のつぶやき(p206)。現代ならSNSだが、この視点では何の記号、シンボルとなりうるのだろうか。

・雑踏の中の孤独も都市の特徴だ。新宿駅の陸橋に佇む林芙美子が感じた、都会の中の根無し草的な自己の存在(p216)の侘びしさよ。

・都市のディテイルを見る目と都市をまるごと見る目のモンタージュ(p275)。空間化されたフィクションとしての都市の表現方法は面白い。

・都市化の次の段階としての、インターナショナリズムとリージョナリズムへの偏向(p307)。これはなお現在も続いている。

・夜間尋常小学校なるものの存在に衝撃を受けた(p17)。途上国では日常的だが、日本でも1911年に最低就労年齢が12歳に"引き上げられる"までは、児童労働も合法的だったのか。

・関東大震災による大建築の被害は、震動よりも火災によるもののほうが甚大であった(p89)。帝劇、警視庁、大蔵省、内務省、丸の内の豪壮なビル群。耐震のみでは不十分。教訓としたいな、

・新聞などのマスコミは「資本家の持ち物で、従って資本家の爪牙であるべきことは理の当然」だ。それなのに「常に労働者や下女の味方らしい顔をしたがるから、滑稽だ。偽善もここまでくるとお愛嬌になる」とは1931年の日比谷公園での大ストライキの取り締まりの様子を報道する新聞記事を、内部の記者自身が批判したものだ。面白い(p96)。

・第一次世界大戦後の好景気に沸く日本に、特に1922年以降に朝鮮から大量の労働者が移住してきたことは興味深い(p294)。低賃金であり、日本人の労働運動から疎外されていたことは過酷ではあったが、強制連行ではないし、ましてや慰安婦ではない。昨今のかまびすしい歴史認識問題を考えるにはこの辺りの視点も必要だと思う。

1930年代に入ると「時代は転向しつつ」(p323)あり、社会は政治・軍事色に染まってゆく。
20年代を特徴づけるアヴァンギャルドな特性が断絶した東京。1950年代に復活を遂げたそれは、薔薇色の発展を前提にしたポストモダンに彩られていた。かつての日本的モダニズムは影を潜めてしまったが、1920年代の都市を歩くことで、その名残を実感できることを本書は示してくれた。

モダン都市東京 日本の一九二〇年代
著者:海野弘、川本三郎(解説)、中央公論新社・2007年5月発行
2013年7月17日読了

大英帝国の絶頂期に登場し、帝国主義文学を超えて読み継がれるキップリング。本書にはインドを舞台とする18の中短編が収録される。

■At the End of Passage 旅路の果て
シムラから遠く離れ、気温40℃の中に土埃が舞い上がる辺境に働く鉄道技術者。週に一度、自宅に三人の友人が集い、ゲームに興じるのが唯一の慰めの日々。現地藩王に対峙する高等文官、コレラ治療に奮闘する鉄道会社の勤務医、インド政府測量部の技術者の会話の中に、インド統治の実態が語られる。
鉄道技術者の"仕事への献身"ぶりは、80年代の日本の24時間闘うビジネスマンを想起させるし、ストレスが心身を蝕む様子は他人事ではない。同僚を気遣っての過労、不眠症、幻覚の果てに待つものは何か。
本作に示される白人の責務と犠牲は、"植民地でふんぞり返るイギリス人と、支配されて悲惨なインド人"のイメージを吹き消す存在でもある。日本を含む過去の植民地政策の別の側面として、これはもっと語られても良いだろう。

■In the Rukh ラクの中
ジャングル・ブックの主人公マウグリが青年となって登場する!
野生動物に育てられた人類。キップリングの得意とする境界の存在(混血人)の一形態としてのマウグリの登場に、若い白人官吏は驚きおののく。だが長年保安林での職務を続け、長官に上り詰めたミュラー氏に動じるところはない。
「私が信じるのが異教だろうとキリスト教だろうと、ラクの内奥は私には決してわかりはしないということだ」(p41)
この神秘の地では当然のこと。すべて受け入れるべし。

「やつはカースト外の賤民ですよ。ヒンドゥー教徒でもありゃあせん。犬にも劣る、腐肉をあさるような輩なんだ」(p47)
年老いたイスラム教徒の執事が"若い白人の旦那"に訴える、カーストに縛られたインド世界を凝縮した言葉は、この世界を特徴づける問題でもあるのだ。

■Without Benefit of Clergy 教会の承認なしに
"16歳の現地妻"とデリー郊外に家庭を持つにいたったインド帝国官吏。気楽な独身男にのしかかる苦渋。守るべき者との絆、金、現地人との意識の乖離を描く。

息子を亡くし、妻を亡くし、義母も消えて従僕も去り、家も壊される。最後の家主の言葉の示唆するは、若い頃を思い返す日の去来。思い出さえも灼熱のインドに消えるのか。
帝国の支配者、しかし"異人さん"の苦渋が滲み出る。

ロンドンから"視察に来られた"議員先生は「インド帝国人民への選挙権付与」を宣うも、コレラ発生の一報で無様な本性を顕し、慌てて本国へ逃げ帰る。
一方でインド政府のプロパーとして、悪態をつきながらも職責を全うするはインド政府の白人官僚たち。
イギリス本国人と、自らの属するアングロ・インディアンのインドへの入れ込みようの差異。本作に限らず、この対照的な表記がキップリング作品の見所のひとつでもある。

■The Phantom Rickshaw 幽霊リキシャ
避暑地にしてインド帝国の夏の首都、シムラを舞台に、人妻との火遊びが原因で窮地に追い込まれ、亡くなった夫人と人力車の幻影に精神を冒される男の悲劇が描かれる。

恐ろしきは女の振る舞いなり。
過去の女性関係を知った婚約者は豹変、追いすがる主人公の顔を乗馬用の鞭で打ち、男性として命を絶つべきだと迫る。狭い市内で再会した暁には、道端の犬同然の扱い。(p249)

総督を頂点に上級官吏と高級士官、それに一部と大商店主を社交界のメンバーとするインド有数の人工都市の記述も興味深い。

■Lispeth リスペス
The Peninsular and Oriental Steam Navigation Companyがインド航路を設立して間もない1840年代、Simla の北東40kmの高地、Kotgarh コトガルでの物語。
"現地野蛮民の文明化"布教活動を続ける司祭館の夫人が引き取って育てた、コレラ被害にあった名も無き高地の村の遺児。
Elizabeth エリザベスは高地インド語の発音だとLispeth リスペスになるのか、なるほど。
まるで古代ギリシャ女性のような美しい17歳。それでもリスペスの示す"嘘も方便"を受け付けない性格は、民族の血でもあるのか。

■On the City Wall オン・ザ・シティ・ウォール
ラホールの東の城壁の一角に存在するは世界最古の職業の"女性の家"だ。
"家"に集うは多宗教、多民族の男達。インドを構成する民族の特徴、おしゃべりに時間を忘れるのは、彼の地の男達の特徴だという。
白人の旦那(サーヒブ)もその中の一人。植民地支配も長くなれば、疑似でも友人関係は成立する。
なるほど、1857年=インド大反乱のことは、白人も現地人も避ける話題なのか。

断食と並ぶイスラームの主要な行事、1月10日のムハッラムが近づく。
「フサイン」を讃える掛け声から、シーア派なのだろう。
城壁内を整然と行進するムスリムに、ヒンドゥ教徒は黙っていない。飛び交う煉瓦、棍棒、殴り合い、制止する巡査、官憲に加勢する白人紳士、そして登場する女王陛下のインド軍。

イギリスへの留学経験から弁護士を目指し、ギリシャ詩を諳んじ、他のムスリム教徒の盲目的な宗教心を小馬鹿にするエリート青年でさえ、集団的・宗教的熱情に絡め取られ、暴徒の一団に加わってゆく様は、恐ろしくさえもある。

暴動を機に、あるいはそのために群衆を扇動したのかもしれない老人。"民族の英雄"は囚われの城塞から脱出したまでは良いが、時代が変わり、人心も変わり、自分の時代が過ぎ去ったことを認めることとなる。武勇を誇った男には残酷な運命。
老人はいつか、インド独立に向けての指導がイギリス式高等教育を施されたエリートに託されることを知るのだろうか。

■The Head of the District 地方長官
現代のパキスタン北西辺境州を舞台に、パシュトゥーン部族内の主導権争い、白人と現地人の絆と偽善、宗教指導者による反乱の扇動、ムスリムとヒンドゥーの対立、イギリス人騎兵隊などの要素が盛り込まれ、本書で最もエキサイティングな一作に仕上がっている。

インド帝国の副王、すなわちイングランド貴族出身の総督が英国式合理性を植民地統治に、それもアフガン国境の不安定な地域に持ち込んだことを発端に事件は発生する。
すなわちベンガル人の北西地域行政官への就任。これではパターン人(パシュトゥーン)も黙ってはいないだろう。
主人公たる名も無きインド高等文官らの精力的な働きによって事態は収拾することになるが、パンジャーブとベンガルの相容れない運命は、やがて100年の時を経て桎梏となる。
1971年の東パキスタン=バングラデシュ独立が予見されるようで、現代史の視点から見ても興味深い。

■The Mark of the Beast 獣のしるし
酒に酔った勢いでヒンドゥー神、猿のハヌマン像に葉巻の火を押しつけた騒ぎから、その本人に降りかかった"東洋の呪い"。友人のために奔走する二人の男の友情もさることながら、その解決に至る方法がいかにも英国式=手段を問わない凶暴さを伴うものであることが本作の鍵であるように思えた。キップリング本人の意図はどうなのだろう。

■The Incarnation of Krishna Mulvaney クリシュナ神マルヴァニー
■The Madness of Private Ortheris 兵卒オーテリスの狂気
同じインドに住まうイギリス人であっても、軍下級兵士の様相は、エリートであるインド高等文官や軍士官のそれと大きく異なる。ロンドン下層民やアイルランドの出身の者たち、教養なく浴びるように大酒を飲み、人様のもの、それも民間人の所有物をかっぱらう、手の付けられない荒くれ男たち。
この二作に登場する三人の下級兵士-マルヴァニー、リアロイド、オーテリスの所作振る舞いから、ヴィクトリア女王の支配するインド帝国軍兵士の日常が詳らかにされ、ヒンドゥー社会への関わりと相まって興味深い内容となっている。

マルヴァニー。本国のハリファックスからバミューダ群島までの連隊を渡り歩き、インドにあってはビルマ北部戦線、西部国境、北西辺境州での軍務で功績を挙げてきた老兵こそ、幹部将校からも一目置かれる存在だ。
社会秩序を乱す私的な騒擾を繰り返しつつ("老兵"だから若気の至りではない)、しかし他者への模範となる軍務への忠実な態度は、十分に上官の信頼と連隊仲間の信義を掌握する。
現地人工夫に対する白人管理者の不正(賃金の90%を搾取!)に対するマルヴァニーの正義の攻略が思わぬ復讐を招き、失踪騒ぎを引き起こすことになる。結果的にはヴァーラーナシーにおけるヒンドゥーの秘祭を目の当たりにするという幸運(?)に恵まれることになるが、その連隊における後日談が素晴らしい。

オーテリスの逸話として描かれるのは、若い兵士の不安に駆られた精神のやりどころのない発露だ。孤独と暗闇と単調な軍隊生活と個人のアイデンティティの葛藤。兵士を救うのは同じ釜の飯を喰らう"トミー・アトキンズ"であり、民間人でないことの示唆がある。

キップリング自身がインドに生まれ、16歳より地元での従軍記者として、後日には兵士としてボーア戦役に従軍した経歴が、インド軍の内部事情を自らの体験として詳らかにすることができたのだろう。巻末の解説によれば発表当時大きな反響を呼んだそうで、十分に納得できる。

■解説『キプリングとインド』
インド世界におけるイギリス人社会と混血人社会のあり方、キップリングその人の特殊な生い立ちと他に例をみないインド世界への浸透、それでも捨てることの無かった支配者側の視点が、彼自身の書簡と後続作家の批評を題材に、キップリング作品の「面白さ」を披露してくれる。
最初にこの秀逸な解説を一読されることをお奨めする。

キプリング・インド傑作選
著者:Rudyard Kipling、編訳者:橋本槇矩、高橋和久、鳳書房・2008年3月発行
2013年7月15日読了

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