男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2013年08月

もしも一国の君主が読書に熱中したとしたら?

エリザベス2世女王が偶然にも移動図書館に遭遇し、読書の喜びを発見する。周囲の不興を買いながらも書物の世界を探究するうち、より本質的な人間性を開花させ、書くことの意味を発見し、やがて"ある決断"を下すまでの物語。

女王80歳を祝うお茶会のシーンが秀逸だ。ラストの"女王の決断"には、一堂に会した枢密院顧問官や閣僚のみならず、読者としての僕も衝撃を与えられた。

個人的には女王の個人秘書、ケヴィン氏に男として同情せざるをえない。おそらく真面目一本エリートコースを驀進してきた彼は、ニュージーランド出身を負い目に感じつつ、若い改革者としての期待を背負い"コモンウェルス"の中枢に辿り着いた。最良の選択は何かを追求し、王宮のしきたりに飲み込まれまいと抗う自意識。一方で英連邦の統治を象徴する組織のメンバーたる昂揚心が意識の水面下で働き、きっと毎夜のように葛藤していたに違いない。
ノーマンを大学へ追いやる件などは、"女王への思い遣り"が不器用ながらも現れているのではなかったか。ラスト近くに事実が発覚し、情け容赦なく断頭台に送られる(といっても現代の馘首だが)。滅私奉公の末路は哀れを誘うな。

哀愁を秘めながらも、ところどころに散りばめられたユーモアが英国文学の知性を引き立てる。
その上で「読むことと書くことの本質を深く鋭く考察しているところに読みごたえがある」(p165)とは、訳者の記す通りだ。
ひとり思索にふけり、内面を高めてゆく。人生の時間の貴重な価値がそこにある。

THE UNCOMMON READER
やんごとなき読者
著者:Alan Bennett、市川恵里(訳)、白水社・2009年3月発行
2013年8月14日読了

1872年、ジュール・ベルヌ『八十日間世界一周』が新聞紙上に連載されてセンセーションを巻き起こしたその年に、トーマス・クック主催の世界一周旅行が敢行された。
スエズ運河が完成し、北米大陸横断鉄道が全開通するなど、1870年代に急速に世界の距離が縮まり、上層中流階級の旅行意欲を刺激した。かつて貴族の若様だけが享受した"グランド・ツアー"の時代は終焉し、旅行者が世界中を闊歩する時代が到来した。
グローブトロッターの時代である。

本書は、明治時代の日本を訪れた数多くの旅行者の記録を基に、彼らの旅がどのようなものであったかを、様々な旅行者のタイプを含めて解き明かす。
また、異邦人の彼らの目に映った明治日本の姿を探究することで、現代日本人への追体験:excursion エクスカーションを提供する。

・維新直後の「未踏の地」「妖精の住む」ミカドの国が、明治20年頃には「普通の観光地」ニッポンへと変容する様子が面白い。

・なるほど、明治初期の"エド"で描写された画図からは、全身に彫り物を入れた人足など、どこかの異民族にしか見えない(p31)。西洋人の目には「極東の未開の現地人」は、アジア=インド・アフリカの原住民と同様に映る。これが現実か。

・大正期から戦前昭和期に拡がったグローバリズム一歩手前の面白い時代を駆け抜けたグローブトロッター。著者は世界漫遊者とするが、"世界旅行者"のほうがなじみ深いように思う。


鉄道、電信、人力車、箱根の駕籠、馬車鉄道。交通を巡る明治初期から明治20年代の変化はめまぐるしい。明治40年代には自動車旅行が実現するに至る。

・人力車。明治3年に営業開始後、爆発的に普及した日本人の発明品だ。これを来日したトーマス・クックが目の当たりにし、帰国後に注文し、ロンドンで展示した(p50)。これが時を置かず大英帝国領インド、香港、上海へと拡がるのだから、歴史は面白い。

・遊歩区域、外国人旅行免状(p59)、築地ホテル、自由亭ホテル(p66)、旅館奈良屋、富士屋ホテル。初期のシステムの整備に苦心が窺えるが、"異人さん"の移動を制限する官庁と、一方で歓待に工夫を凝らした民間資本の様子は好対照を成す。

・ハソネの法則って……なんのことはない、要はインフラ整備のことだ。わざわざ言い替える必要は無いように思う。


本書のところどころに旅行代金が示されている。明治7年「クックの世界一周ツアー」の代金は現在価値で約4千万円か(p52)。2013年の感覚では、豪華客船による世界周遊ツアーや宇宙=成層圏体験旅行が該当するな。まさに富裕層だけに許された世界。


これまで広く紹介されてこなかった明治ニッポン外国人旅行者の多彩な姿は、本書の魅力のひとつだ。

・東海道を人力車で旅した旅行作家シドモア嬢、現地人式の旅を敢行したエドモン・コトー氏(p110)、冬の中山道を踏破したキャンベル氏。まだ交通・宿泊地の整備されない明治初期に人力に頼って京都・東京間を旅した原動力は、やはり好奇心だったのだろうか。

・金満家の旅は"旅行"の想像を超えている。明治4年に米国外交官を従えて東北・蝦夷を周遊したロングフェロー氏(p75)。自家用船舶で世界周遊したトーマス・ブラッセイ一家(p84)。この両名は民間人旅行者でありながら、英米公使を動かして明治天皇に謁見しているのは驚きだ。

・明治6年に来日した英国下院議員の御曹司、エガートン・レアード氏が横浜のHSBC 香港上海銀行、ジャーディン・マセソン商会に旅行のアレンジを依頼するエピソード(p56)は、同銀行が日本国内でいかに勢力圏を確保していたかに興味が沸く。

・金満家と対極なのがバックパッカーだ。英国マレー社のガイドブックを片手に、小荷物ひとつで東海道の僻地をうろついたアルバート・トレーシー・レフィンウェル氏は、好奇心に満ちあふれた人物だったんだな(p122)。

・『日本奥地紀行』を著したイザベラ・バード。彼女の業績は認めつつ、ガイド兼通訳の"伊藤鶴吉氏"に負うところ大であったことが明確にされる(p163)。英雄視された彼女の姿はいずれ修正されるのかもしれない。

・蝦夷地冒険を剛胆に成し遂げたヘンリー・サベッジ・ランド-氏(p170)はもっと著名となって良いだろう。146日間で道内をくまなく廻り、千島列島にも足を延ばし、骨折しても旅を優先したという強者。通訳もガイドも付けず、食糧も現地調達の"男ひとり旅"だから圧倒される。ぜひ旅行記を読みたいものだ。和訳でね。


レディー・トラベラー。本書では"化石ハンター"としてのマリー・ストーブス嬢の冒険譚に興味をそそられる。目的のためには快適性に目もくれない27歳の英国女性のたくましさ!(p312)
観光地はあくまでもおまけ。目的地での探究が本分。旅はかくありたいな。


「快適な旅を追求するか、冒険的な旅を求めるか」(p120) あるいは旅の快適さか、満足さか。古今東西の旅行者の悩みどころではあるが、著者は一定の解を示す。それが「旅それ自体とは異なる目的」を持ち、それを完遂することを追求することだ(p299,330)。まったく同意する。

面白くてどんどん読み進められる本書だが、惜しむらくは誤記誤用が目に付いたことだな。
p41 ×遭難 → ○遭遇
p44 ×進水 → ○就航
p210 ×ペニシュラン → ○ペニンシュラ(P&O汽船会社)

個人的には第8章、ラドヤード・キップリングと神戸オリエンタルホテルの件が嬉しかった。

グローブトロッター 世界漫遊家が歩いた明治ニッポン
著者:中野明、朝日新聞出版・2013年6月発行
2013年8月10日読了

駐日フランス人将校、ピエールと邂逅した八日間の恋愛日誌。凝縮された人生の瞬間。

軍人一家に育ったが故の家長主義的束縛から逃避し、1920年代東京ならではの束の間の自由恋愛に身を焦がす著者30歳の、それでも一線を引く姿勢。
"奔放な自由恋愛"の過程は、著者の観た一夜の夢として語られる。なるほど、時代だな。
半処女という表現もなかなか新鮮だ。

丸ビルのレストラン、銀座のカフェー、新橋、新宿、東京市電。
ドイツ語とフランス語が織り込まれた文体は、戦前昭和のモダーンな雰囲気を否応なく盛り上げる。
そして省線横浜駅のプラットホームでの、永遠の別離。


空爆で瓦礫と化した東京を超越し、古稀を迎えた著者。封印した恋愛を振り返り思うのは、森鴎外のこと。夫人に告白したエリスとの恋愛のこと。自ら翻訳したファウストの最終章、マルガレエテのこと。
「永久に把握すべからざるものに想を懸けた私の彷徨の姿を私は見たのであつたから」(p176)」
永遠の高みを目指した自身との重なりを想起しつつ、物語は閉じられる。

本書冒頭には、著者とピエールの肖像画、肉筆原稿が掲載されている。この辺りの配慮は嬉しい限り。


現実に存在したピエールを彼方に置き、"観念のピエール"に想いを抱くことで著者の愛は成就される。
それは90歳で亡くなるまで独身を通した著者の幻影の中にこそ活きる、永遠の少女の夢想なのか。
「愛の永遠性は観念の世界に於いてのみ永世不変だといふこと」(p173)
この思想に科学が作用する時代がいつか訪れる。記憶とhumanの定義付けの問題が提起されうるとして、著者"なおちゃん"の想いが活かされるなら良いな。

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アルスのノート 昭和二年早春
著者:野溝七生子、川本三郎(解説)、展望社・2000年7月発行
2013年8月6日読了

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