明治期の渡欧者の「志」と「行動力」はずばぬけている。官費留学生、新聞特派員、私費での漫遊者など立場は様々だが、神経衰弱に陥ったとされる漱石とて例外ではない。明治から昭和初期にかけて倫敦に渡った数多の日本人。本書は、彼らが見て、感じて、理解したその表象と意味を探求する。
・和田博文さんによるプロローグは実に興味深い。1928年になっても日本のイメージは「ミカド、マダム・バタフライ、人力車、ゲイシャ、富士山」だったとは驚愕だ(p56)。さすがにサムライはないが、国際連盟常任理事国なのに……。

「Ⅰ大英帝国と近代日本」では博物学、交通、ジャーナリズム、婦人参政権運動などをテーマに、日本人とロンドンの関わりが論じられる。
「Ⅱ日本人のロンドン体験」が本書の中心。実に30名ものロンドン体験が紹介される。はやくは公使の森有礼、地涌民権運動をリードした馬場辰猪、矢野龍渓、夏目漱石。彼らは「自己愛に裏打ちされた西洋への並々ならぬ憧れ」と「無謀なほどの実行力」(p197)に満ち満ちていた。
・ホームズ翻訳で知られる水田南陽の見たロンドンの工場。そこでは老若男女がこき使われる「日清戦時従軍の戦争よりも恐ろしき」光景を目の当たりにする。自国民までも酷使する大英帝国の圧倒的な力を感じた(p237)。労働党の勃興はまだ先のことである。
・排日激しいサンフランシスコから渡英した牧野義雄。彼は、異文化を理解しようとせず、自国の文化のままに振る舞う態度こそが、排日論者を生み出す一因であることを理解していた。ロンドンに長期滞在し、現地文化に溶け込み、20世紀ロンドンの「霧の画家」として名を成した彼は、祖国日本の独り善がりに陥る様相をどう見たであろうか(p246)。

日英同盟が締結された1902年からは、人の往来もすこぶる活発になる。本書に取り上げられただけでも14人。島村抱月、姉崎嘲風、戸川秋骨、東京朝日新聞社の杉村楚人冠、大阪朝日新聞社の長谷川如是閑、桜井鷗村、富本憲吉、神戸又新日報社の田中龍眉、長谷川天渓、ロンドンで成功した役者・坪内士行、帝国劇場の花形女優・森律子、水上瀧太郎、郡虎彦。文学者、劇作家、新聞記者と肩書は様々だが、日本人がロンドンの地で存分に活躍する様子が誌面から伝わってくる。
・神戸又新日報社の田中龍眉。地方新聞社の彼は現地ジャーナリストの応援を得られるわけでもなく、ろくな地図もなく、つたない英語と「度胸」でロンドンを渡り歩いた、稀有な人物だと思う。フットワーク軽く「身体を移動させながら異文化に出会っていく」(p339)は、僕の理想とするところだ。
・1910年に開催された日英博覧会は、二つの帝国の姿を衆目に晒す、という点で特筆される。エキゾチズムあふれる日本、かたや洗練された大英帝国。主催者の意図は明らかだ。ただ日本側も展示館に「アイヌ」「満鉄」「朝鮮」を配置することで、自らの帝国のカタチを示したといえよう。あと、英国人が石灯籠を「戦争で死んだ軍人の墓」と思い込む逸話は面白い(p351)。
・旅行者ではなく、市民になり切ってロンドン生活を楽しむ岡本かの子。しかし彼女の眼には、インドやアイルランドの「支配」を当然のこととするイギリス人の態度が鼻につくようで(p481)、印象に残った。島村抱月も、渡欧航海中に香港で見た、仕事を求める中国人労働者をステッキや棒で殴りつける船客たちをみて悲しんでいる(p275)。

第一次世界大戦が終結すると、英国の意図に反して東アジアで膨張を続ける日本への不信感は高まってゆく。日英同盟は解消され、糸の切れた日本軍部は満州に目を向ける。かたや英国では労働運動、婦人運動、政治運動が活発となる。矢内原忠雄、西脇順三郎、河合栄治郎、岡本一平、本間久雄、福原麟太郎、岡本かの子らは、何をどう見て感じたであろうか。
・各国の労働者階級にみなぎる帝国主義的思想(p440)。マルクス主義を研究する河合栄治郎がロンドンで肌に感じた人種的偏見、帝国主義的思想は、時代が急激に戦争に傾き始めた兆候であったろうか。
・漱石を崇拝し、岡倉天心を賛美し、上田敏を好きとする福原麟太郎の言葉が印象に残った。「思うに真正の文明批評家は、文明の予言者でなくてはならないし、また一方一芸に透徹せるアーチストでなくてはならぬ」(p472)

満州事変から迷妄を加速しはじめた日本。天津租界封鎖事件(p492)は英国人の感情を決定的なものに変えた。伴野徳子、野上弥生子ら、この時期に訪れた日本人は厳しい視線=あからさまな反日感情に晒される。
・英国人との集まりで満州事変に話が及んだら「まず日本の政策を忌憚なく批判し、次いで日本の立場を説明する」ことを、河合栄治郎は処世術とした(p488)。
・ピカデリーには「日本人お断り」の看板を出す店まで現れた。それでも「国家と個人とは別であるという概念」で行動する英国人の存在を、伴野徳子は確認している(p502)。国家と個人、民主主義の概念は、彼の地の市民をここまで熟成させていた。一方の日本では、デモクラシーという考え方はすでにタブーであり、親英派の官僚は自由主義者として排斥されつつあった(p507)。この閉塞感には絶望させられるな。

「Ⅲロンドン事典」は、ロンドン塔、セント・ポール寺院、サヴォイ座、日本料理店・常盤、ヴィクトリア駅など、104か所のスポットが解説される。

本書には、ロンドンの日本人・日本人社会地図(p170~185)、ロンドン・パリ・ベルリン在留日本人数(p13)、日本人会、日本人経営旅館・日本料理店(p28,35)、ロンドン在留日本人職業別人口リスト(p50)、倫敦諸船渠概観(p75)など資料・図版も実に豊富。開国から昭和初期までの日本人とロンドンの関係を垣間見られたようで、ロンドンと日本人の関わりを識るに有意義な一冊といえる。

言語都市ロンドン1861-1945
著者:和田博文、真銅正宏、西村将洋、宮内淳子、和田桂子、藤原書店・2009年6月発行
2019年11月4日読了
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言語都市・ロンドン―1861-1945
和田 博文
藤原書店
2009-06-25