2014年06月
The PHANTOM of the OPERA オペラ座の怪人 うれしいサプライズ!
ロンドンはHer Majesty's Theatreで2014年5月3日に鑑賞した。舞台とストーリーのすばらしさを堪能したが、いかんせん語学力不足のためにセリフを把握しきれなかった。
実は数ヶ月前に購入したブルーレイディスク「25周年記念特別公演」が未開封のままだったので、あらためて鑑賞した。(2014年6月22日、日本語2)
劇場ではないロイヤル・アルバートホールで敢行しただけあってステージは狭い。演出もマジェスティーズ・シアターのものから見直されたようで、象と「あれ」がいない。(ない、ではなく、いない。)
それを差し引いても、迫力あるステージを堪能できた。
"選択"は確かに辛いが、受け入れるしかないな。
で、本編が終了してからのサプライズがスゴイ。歴代ファントムと初代クリスティーヌの登場。そして彼らによる歌唱は、夢幻を現に蘇らせてステージを華やかに彩った。
これをリアルに観ることができたら、一生ものだったろうな。。。
林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里 [読書記]
パリ、ロンドン、樺太、北京、外地としての北海道。時代に迎合することを拒んだ女性がこれら大都会と鄙の地を小さな足で歩き、オリジナリティを汲み取り、人の生活を想い、静かな叫びをを綴り記した第一級の文章だ。
北京は満州事変の前年にきな臭い雰囲気の中を歩き通したし、さらに満洲、シベリアを経由しての欧羅巴旅行は日支戦争のまっただ中に敢行した。
なるほど、時代に流される風潮への反抗心と行動力が文章の中に漲っている。
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渤海湾を望む海水浴場では、アメリカ水兵の後からビール樽を抱えた数人の現地人が「よちよちと何里とある道を」歩く様を克明に記す(p12 北京紀行)。この「下から目線」が著者の持ち味と言えよう。
その一方で、支那民族は面白い人種だとして「犬や猿と同じ生活のようなのだから、人間的なモラルを超えてゼンマイみたいなものがゆるみきっているのかも知れない」(p27)など、現在なら猛抗議を受けそうな記述がある。著者にしてはキツイな。
・「各外国の大資本を投じた文化侵略を視て、如何にも不器用な日本を感じないでもない」(p19)と、大陸進出に軍事面を突出させた日本のやりかたを稚拙だとする。
この辺りの記述は、帝国主義思想の版図から逃れることのできなかった限界か。
・北京では代々の親日家が「日本人への信頼を喪失してゆく」との言葉に「私は目をとじるより仕方がない」(p19)、か。やむを得まい。
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日本兵の闊歩する長春の鉄道駅から汽車に乗って哈爾浜へ向かう。中国兵のひしめく殺伐としたを街中ではロシア人のタクシーを飛ばし、北満ホテルへ落ち着く)。意外にも戦争の影響が見られなかったが、いざシベリア鉄道に乗車しては銃撃音に脅え、車両に乗り込んできた支那兵にさんざ悩まされる。この恐怖感(p61)。同室のロシア老女の剛胆さに助けられて以降、パリまでの10日間、庶民の情け深さを何度も識ることとなる。
・ハイラル駅では、支那兵とアメリアの記者団が笑いながら握手している現場に遭遇する(p62)。こんな小さな出来事の積み重ねがジャーナリズを通じて大きな世論に変節するのだろうが、これは2014年の日中米を巡る状況と変わらず、非情に気になるところだ。
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パリ左岸のホテルから「塗下駄でポクポク」歩いて買い物へ出向く毎日。
風呂屋(個室!)や床屋(p131)など日常の一こまから"おネエ男"(p134)なる風俗の一形態まで余さず描かれる。シャ・ノアール、ジュークボックスを並べた蓄音機屋、ヴァリエテ・ショーの記述もある(p109)。
・フォンテーヌブローの森ちかくの宿で夜を明かす。宿のお神さんは「私の着物姿が珍しいのだと言う」とある(p178)。郊外まで和着物で歩いたのか。すごいぞ。
・パリ郊外のバルビゾンと奈良との近似を見る(p276)。この視点も面白い。
・活動映画館へ入る。日支戦争の記録映画では、日本兵が銃弾を放つたびにブーイングが起こるという(p160)。ロンドンでもそうだが、プロパガンダの影響は大きい。
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パリ滞在中にロンドンへ出向く。いまでは想像もつかないが、霧の描写が繰り返し出てくる。
「夕飯前に、霧の中を金魚のようにフカフカと歩いてポストへ行く」(p143)
・大英博物館を「ルーブルでもかなわない」と評するはわかる。でも「世界各国から大泥棒した」呼ばわりは……まぁこれもひとつの意見か(p152)。
・トラファルガー広場では中国共産党のデモンストレーションを目撃する(p145)。今も昔も英米で行うこの手のアピールは効果的ってことか。
外国へ来ていると「毎日の新聞で日本の評判の悪いのが気になる」(p152)
反日活動の効果は絶大だな。在ロンドン大使館も外務省もいったい何をしていたんだか。
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樺太では中枢の豊原よりも、敷香(しすか)が気に入ったとある(p246)。
地元民下層階級の人々へ寄り添う姿が垣間見える(p199など)。人々を見る目に優しさと思いやりにあふれているのが文体からあふれ出てくる。
「見るべきものを見て、書くべきものは書く」「実際に目の前にあるものに対する直感の正しさ」(解説:立松和平氏)が林芙美子の魅力であることを、いま一度理解させてもらった。