男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2015年01月

現代日本では話題に上ることの少ないキップリングだが、祖国への矜持を保ちつつ、視野の拡大と帝国的正義感の正当性を描いた作品には、間違いなく示唆される点が多い。

「英国のみを知るものが英国について何を知ろう?」
自国に引きこもる者を嘲笑する詩編『英国国旗』の警鐘は、はるか遠くの現代日本にも響き渡る。

■キプリングの時代のキプリング(橋本槇矩)
序論。19世紀末は帝国主義時代のイギリスに身を置くことで「その時代の声」を探る。
・キップリング作品は小説に非ず。そこに通底するは心理的描写を排し、古代叙事詩に通ずる技芸を駆使したマジック・リアリズムである。彼の作品を帝国主義的冒険「物語」として味わうことの意味がここにある(p36,45)。
・自分を世界の歯車の一つとみなし、日々の職務を通じてその義務を果たす人々へのリスペクト。当時、下層中間階級および労働者階級の「行動する人々」を活写した作品は斬新であり、キップリングは帝国を"主義"などではなく、具体的な理念と行動の集積とみていたことを示す(p34,35)。その意味で、彼はまぎれもなき帝国の擁護者である。
・女王の統治のもとに、法の遵守による公共性と自由に重きを置くキップリングの作品思想は、新帝国主義と勃興しつつあったポピュリズムの兆候を捉えた。それは潜在的に社会に不満を抱く人々を含め、大衆を帝国主義国家へと糾合した(p16,18,39)。

■『キム』 「他者」の認識と主体の位置(伊勢芳夫)
・同一時刻・同一空間に、相反する「事実」の存在することを受け入れること。文化的差異への寛容さを認めることによって成立する複数のアイデンティティ。(p78,84)
・物語に登場するラマ。只者ではない人物なのだが、そのモデルとしてテシュー・ラマ六世が挙げられる。すなわち阿弥陀如来の活仏である。キップリングは自身の鎌倉訪問をきっかけに、このアイデアを熟成させたのかもしれない。(p81)
・異文化に寛容でありながら、イギリス人支配は絶対であり、ロシア人の"邪悪な挑戦"やインド人の主体性は認められない『キム』の作品世界。これが今日まで作品の評価を二分してきた。(p66)

■短編
アングロ・インディアンのジャーナリストとして活躍した前期作品は「男だけの世界」観。イギリスに移り住んで以降は「人間への、特に女性への優しさに溢れた」後期作品を生み出したと言える。
・言語や論理や理性を攪乱するインドの状況(p144)は、まさにケイオス。
・ならずものが辺境の地に王国を築く作品『王になろうとした男』は印象に残っていたが、「不当な」植民地冒険と「本当の」植民事業との差異および同一性(p145)の観点を持てば、なるほどと思う。読者まで「植民地的暴力の共犯者」にさせられてしまうのか。
・『園丁』も印象に残る作品だ。世界大戦で息子を喪失した哀しみも、それを公にすることはキップリングには許されなかった。作中に「あの方に許された」女性を描き切ることで、自身が癒されたともいえよう。(p195)

■詩編
高尚な芸術ではなく、生活に密着したことがらをロンドン訛りやアイルランド訛りを交えて詩編にしたキップリング。大衆に受け、現代作家にも通じる"何か"がある。
・短編集「兵舎のバラッド」に代表される兵士ものは、帝国の辺境で忘れられた下級兵士と、メトロポリスの中枢で繁栄を謳歌する市民とを結びつける役割を果たした。僕は『ウヰンゾルの後家さん』(ウインザーの寡婦)がお気に入りだ。(p247)
・「イギリスとその帝国への奉仕と義務という一貫したテーマ」(p275)を持ち、帝国への責務を果たさない輩を叱咤する特徴がキップリング作品の"味"である。人種主義者と言われるのも無理はないが、世界の支配者の義務を謳う『白人の責務』などは、その哲学が発揮された一品だと思う。たとえ「進歩させた者たちの非難、守った者たちからの憎悪」が報いがであったとしても、責務は果たさねばならない。うん、男の、そして独身者の世界だ。
・「帝国の経験をイギリス人にとって身近なものにした」(p276)キップリングの功績も、その帝国主義的かつ白人支配主義的なことから、しだいに敬遠されていったのだとすれば悲しい。

時流あるいは時代の風潮に乗ることの悦楽、多数派にいることの確認しての安堵。こういったものを断ち切る力が、キップリングの作品にはあると思う。
緊張した人生観、人生の最期に「おまえは何を成し遂げたか?」との問いに応えられるか?(p276)

翻訳書は少ないが、本書の刺激を受け、すべて読みたいとの意欲を掻き立ててくれた。

ラドヤード・キプリング 作品と批評 
編著者:橋本槇矩、高橋和久、松柏社・2003年6月発行
2015年1月24日読了

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台湾、朝鮮、満州への日本人植民者、現地人、朝鮮人植民者の異なる立場から「皇民化政策」が考察される。

・台湾は清国より割譲されたが、抵抗する現地人の制圧・完全支配までに要した期間は20年、その間の日本軍戦死者は、実に日清戦争の戦死者数を上回る。(p70)
・悲惨なのは日本人官憲の妻となった台湾・高山族女性たちだ。高山族からは異端者、あるいは裏切者として扱われ、日本人からは"蛮族"のレッテルを貼られる。あげくは日本人の夫に捨てられた例もあるという(p73)。母子のその後の運命は想像するのも辛い。
・日本軍の軍属となった一般民衆の、同国人あるいは外国人に対する傲慢さは悲しい(p77)。
・満州への日本人「開拓団」が、既存の満州人の農地を奪い取る様子(p87)は読むのが辛い。先住民や先行する朝鮮人移民団の目も厳しい。は

全体的に「帝国主義・皇国化政策と一体化した日本人」への厳しい記述が目立つのは許容できる。しかし最終段、日本人の優越意識や大日本帝国の幻想はともかく、「八・一五以前にすでに日本人は朝鮮人・中国人民衆の前に敗北していた」(p92)との記載は実に不快だ。

植民地
【岩波講座 日本通史 第18巻 近代3】所収
著者:山田昭次、岩波書店・1994年7月発行
2015年1月19日読了

小野君は貧しい生い立ちから勉学に励み、文学士に上り詰めた。卒業の際に賜った銀時計を胸に東京で教鞭をとる日々の最中、縁深い恩人である井上親娘が上京してくる。5年前の娘との"約束"は高度文明社会の中に置き去りにされ、小野君は教え子で資産家でもある甲野藤尾との結婚を目論むが……。

出世欲と人情とのはざま、甲野欣吾と藤尾の兄妹、宗近一と糸子の兄妹が物語に絡み、20世紀初頭の都市で生きる苦しみが滲み出てくる。

・藤尾がクレオパトラなら、その母親はマクベスの魔女か。九章に母親の狡猾さが如実に表れている。

・十一章、小野君が小夜子と東京勧業博覧会の茶屋にいる現場を目撃した藤尾の、凝固した様子の描写は見事だ。

・クライマックスの十八章、おもしろ武骨な宗近君の「真面目さ」が発揮され、ある意味すがすがしい結末を迎える。「真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ」(p420)。男ならかくありたいが、しかし、"金の鎖の付いた蛇"を投げなければ、藤尾の運命も変わっていたのかもしれない。宗近君の"行動"はすべて正しかったのだろうか。疑念は拭い切れない。

漱石らしい文明万能主義への批判は健在だ。「日本でもさうぢゃないか。文明の圧迫が烈しいから上部を綺麗にしないと社会に住めなくなる」「今に人間が進化すると、神様の顔へ豚の○丸をつけた様な奴ばかり出来て…」(p348)と容赦ない。

うわべに目を奪われず、人間性を信じて行動に出ること。漱石のメッセージは深く、そして暖かい。


虞美人草
漱石全集第四巻所収
著者:夏目金之助、岩波書店・1994年3月発行
2015年1月18日読了

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ヴィクトリア朝初期の厳格な価値観が徐々に弛緩し、20世紀にはその服飾だけでなく、女性の意識が大きく変化していった。
本書は学術誌や一般誌によらず、19世紀に隆興した女性誌を題材に、ヴィクトリア朝上流社会・中産階層・上級労働者階級の女性用下着からファッション、健康意識から旅行ブームをはじめとする文化全般を追い、そのモダン文化への変遷を探る力作となっている。

・写真技術の発達とブロマイドの普及が、"美女"の概念と自意識とを急速に女性に広め、細すぎるウエストへの執心を生み出す。クリノリン・スカートとタイトなコルセットによる美しい体型の追及が女性の必須事項とされた時代の到来だ。

・だが人体の"塑性"がもたらす歪みは、人生のみならず、国家の行く末への影響も懸念されはじめ、やがて健康ブームを引き起こす。さらに鉄道技術の発達、旅行行為の大衆化などの要素が相まって、19世紀に人々の行動範囲は一挙に拡がると、"行動"に適したファッションが求められるようになる。

・1870年代には女性たちは気候をはじめとした身体感覚と密接に関連づけた形で世界を再解釈した(p115)。健康をうたい文句にロマンスへの期待を込めて旅行に立ち、南の暖かな空気の元に流れる怠惰な時間、ゆるやかなモラル・完全な解放感のなかで羽目を外した(p116)。

・家庭用照明器具と暖房器具の普及による「室内の温室化」が、室内着の薄着化と"見られる"下着の装飾化をもたらす。ここに現代へ連綿と続く下着ファッションの幕開けとなる(第6章)。

・下着だけではない。女性らしい装いを保ちつつ、ウールやツイードを着こなす人々の出現(p164)は女性の「自意識の高揚」となり、最終的には、女性の地位向上、20世紀的な男女同権の要求へとつながっていく。

・旧世代の価値観=女性の閑暇は、19世紀末には名声ではなくなり(p190)、女性美の理想が大きく変わろうとしていた。現代の"自立した女性に備わる魅力"はなるほど、こうやって形成されてきたのか。

地方に根付いた新聞などと違って、女性誌は統一された内容で編集されたことが特徴である。幅広い読者層の興味をひき、消費社会へと誘うこれら女性誌が、文字通り帝国各地で読まれることにより「大英帝国における女性文化の統合に一役買っていた」(p232)のであり、その影響はヨーロッパ人のみならず、あまねくアジア・アフリカ社会にも及んだことだろう。
近年、クール・ジャパンなる寒い活動に日本政府が公的予算を費消しているが、サブカルチャーの大衆的な浸透経路としては如何だろう。ヴィクトリア朝時代の女性誌の影響を見習って良いように思う。

下着の誕生 ヴィクトリア朝の社会史
著者:戸谷理衣奈、講談社・2000年7月発行
2014年12月26日読了

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