男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2015年02月

1920年代のカリスマ挿絵作家!ってことで買ってみた。

大正から昭和初期にかけてのファッションリーダーとして、講談社の少女・婦人誌の挿画で大人気を博した華宵。その画は現在でも魅力を失っていないことが、本書を通読・鑑賞してわかる。
銀座、便箋、モダンデザイン、浅草オペラなどのテーマ別に、華宵世界が紹介される。

・大正ロマンと昭和モダン。二つの時代をまたがり、若い女性の服飾小物の流行を仕掛けた点で、現在のファッションデザイナーの先人とも言えよう。
・当時の銀座を歩いた女性の90%が和装であり、華宵もその挿画で積極的に着物のデザインを手掛け、それが実際にデパートで販売されていたという。
・さらにすごいのはその挿画、雑誌口絵、便せん画などにおいて、同じ図柄の着物は一枚たりとも存在しない事実だ。画家のプライドここにあり。
・個人的には「渚の風」(p17)、「光」(p53)、「ニューファッション」(p61)、「胡蝶」(p92)がお気に入りだ。

意外なのはその生い立ちだ。若き日に実家を勘当され、神保町の救世軍労働宿舎に寝泊まりしたこともあるという(p107)。この時代の労苦も挿画に活かされているのだから、何事も経験だな。

機会があれば、文京区の弥生美術館に行ってみようと思う。

高畠華宵 大正・昭和 レトロビューティー
編者:松本品子、河出書房新社・2011年12月発行
2015年2月22日読了

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神戸新聞の書評を読んで購入した。構想10年、二段組み541ページの大作だ。

20年に渡りブラジルやオーストラリアで資源買付を経験してきた超高性能水晶発振子メーカの凄腕社長、藤岡が次に飛び込んだのは東インドだ。気の抜けないなどの普通の言葉では表せない。その葛藤のすさまじい社会は「グローバル・スタンダード」を鼻で嗤う。

部族社会に溶け込んだイギリス人インドNGO職員、エリートの論理で藤岡を突き放すインド人NGO職員、東インドの採掘会社の社長、等々、それぞれの常識、あるいは正義を持って事業にあたる男たちの、それがゆえにぶつかりあうドラマは骨太い。
混沌たる世界でぶつかりあってこそ人は人たり得るのだな。

そして、すべてを超越した先住民の少女、ロサの存在が、作品にマジック・リアリズムの光彩を与えてくれる。

・部族社会とNGOの協力を経て高純度の水晶原石の商取引の信用を築けたと思う間もなく、相手の要求はエスカレートし、約束は平然と破られる。教育なく搾取され続けた民衆の性向か、そこに罪悪感はない。解決策は「理不尽で圧倒的な暴力しかない」(p358)のか。
・この世のものとは思えない格差社会。そして混沌たる世界そのもののインドには、法などあって無きがごとし。主人公の藤岡ではないが、読書中に何度も「ふざけるな」と声を上げそうになった。
・第三章。スラムに好んで住む地主の息子の人柄に惚れたのもつかの間、高等教育を終えたエリートである彼は藤岡の正体を見抜き、「国家戦略物資」の取引を巡っての確執が生じることとなる。
・「生産コストの安さは単に賃金の安さではなく、人の命の安さでもある」それは「日本を一歩出れば当たり前のこと」で、人間とはこういうものか(p460)。
・だからなのか。貧しい村落に溶け込む過激派の活動はとどまるところを知らない(p516,529)。
・持続可能で再生可能な貧困(p419) 根は深い。

「人は往々にして命以上に執着するものを見つけてしまう」(p181)
藤岡が心血を注いだ事業の結末は、この世界では当然のことなのだろうか。

そして、ロサの幸せな人生を願わずにはいられない。

インドクリスタル
著者:篠田節子、角川書店・2014年12月発行
2015年2月21日読了

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"長い20世紀"の端緒を日露戦争に置き、その世界史に与えた影響と1929年までの日本の国際関係の関わりが考察される。

・アジアとヨーロッパが結びつき、知識や経験が地球規模に広がった20世紀初頭において、ボーア戦争、米西戦争、義和団戦争が行われた。そして1904年の日露戦争は、日本人に世界史への主体的参加を即し、20世紀の主要な主体たらしめた(p5)。

・ウィルソンの十四カ条の平和構想は、必ずしも理想主義的なものではない。ソヴィエトの掲げた急進的な体制転換構想への対抗策であり、秩序ある変化に世界の人々を導こうとするものであった(p36)。

・第一次世界大戦のグローバルな性格は、日本をより深く世界に結び付ける。なかでも二十一箇条要求は、中国人の抗日運動を誘発しただけでなく、日本の予想を超えてアメリカとイギリスの警戒心を強める結果となった。西原借款で有名な西原亀三いわく「火事場泥棒式侵略」との悪印象をアメリカに抱かせた(p36)。

・パリ講和会議での国境策定問題。新独立国の意見は容れられず、強者の論理でまとめられてしまう経緯がすさまじい。日本全権の牧野元首相、近衛元首相の記録によると、クレマンソーの恫喝にルーマニア代表は落涙して悔しがったとある(p41)。ウィルソンの理想や国際連盟の理念と異なり、国際政治の現実はかくも厳しい。

・パリ講和会議を経て、東アジアや太平洋におけるロシアやドイツの脅威が排除され、イギリスにとって日英同盟のメリットはなくなった。中国在留イギリス人やオーストラリア、ニュジーランドによる日英同盟反対の声。アメリカとの特別な関係が最優先される中、ワシントン会議にて日英同盟は破棄された。軍事大国だが経済弱国である「帝国主義の二面性」の弱さから、日本に選択の余地はなかった(p44)。

この後、米英に対する経済の劣勢と依存の構造を十分に認識しながら(p54)、ますます中国に深入りする日本は破滅への道を辿ることになる。せめて、日英米の協商が成っていれば。

アジアとヨーロッパ 日本からの視角 
岩波講座 世界歴史23巻所収
著者:山内昌之、岩波書店・1999年11月発行
2015年2月18日読了

1.第一次世界大戦期における日英関係の冷却
・揚子江地域はイギリスが伝統的に自らの勢力圏と考えてきた聖域。日本の二十一箇条の要求は山東半島だけでなく、揚子江地域の利権に関する条項を含み、イギリスの不興を買った。
・さらに第五号条項には政経軍への日本人顧問の招聘、日中合同警察、兵器の日本からの供給など、当時の帝国主義世界の常識からしても過剰な「希望」が含まれており、日本の意図に関するイギリスの疑惑を招いた(p214)。
・戦闘への参加においても、まるで中立国のように振る舞い、自ら獲得できるものにのみ興味を示すように同盟国イギリスには映った。さらに敵国ドイツへの同情すら示され、強い反感を招く(p215)。
 →現在の対米同盟にも、このような姿勢は見られないか?
・インドの独立運動に対し、あからさまに擁護する姿勢を示す日本。東京へ亡命・潜伏中の政治犯引き渡し要求に際しても、右勢力の反対運動に政府高官が理解を示すなど、インド帝国の宗主、イギリスを逆なでする(p217)。

2.パリ講和会議、ヴェルサイユ条約
・国際社会の秩序や規範は絶対不変のものではなく、国際会議の場で、感情を持つ人間の交渉に経て作り出されるもの(p220)。国際的協力によって、より良い世界を築こうとする19世紀以来の理想主義の具現化。米英の模索する新しい国際体制への理解が日本の外交当局には欠落しており、パリ講和会議へは「戦利品」獲得を主眼に臨むこととなった(p221)。
・東アジアと太平洋の問題はワシントン条約へと持ち越される。

3.ワシントン条約、日英同盟破棄
・大戦中の日本海軍の活躍は大いに評価されるようになったものの、イギリスにおける日本との同盟に関する見方は様々。イギリス海軍省は今後の太平洋やインド洋での戦闘に、同盟国の日本海軍にその役割を期待する。一方でイギリス外務省では、日本との結びつきはイギリスの利益をもたらさないと考える者が大勢を占めた。日英同盟が日本の中国への進出を後押しする機能しか果たしていないと問題視するアメリカとの関係、カナダによる反対、なにより、揚子江地域における日英間の経済競争の激化等から、同盟の破棄が優勢となる(p222)。
 →現在の米海軍と海上自衛隊の良好な関係と、外交・経済面での米中関係の緊密さを見ているようだ。
・1921年より開催されたワシントン会議で、アメリカの主導により日英同盟は破棄され、英米仏日の四国条約が調印される。
・1922年の段階では中国ナショナリズムの急激な台頭は予想外であり、大国間の協調による中国の現状維持が達成されたとのイギリスの認識。
・一方でアメリカが国際連盟加盟を拒否して以来、1920年代を通して英米関係は冷却したため、突出する日本へ共同して圧力をかけることは行われなかった(p225)。
 →その結果が、日本軍部のさらなる増長を招いたとすれば、皮肉ですらある。

4.中国ナショナリズムと日英
・1920年代の上海において、中国人のストライキに対して日本とイギリスの経済界の利害は一致した。外交ルートよりも経済界首脳の協力姿勢が目立つ。
・ジャーディン・マセトン商会等のイギリス経済界の姿勢は徹底している。「中国の親善を軟弱外交で買うことはできず、威信の喪失からは経済的不利益以外の何ものも得られない」として、妥協よりも軍事力の行使を望んだ(p230)。
・1920年代半ば以降の日中軍事衝突、満州事変を受け、イギリスは中国を支援する。よって中国ナショナリズムの「第一の敵」はイギリスから日本に変化した(p233,238)。
 →これが今日まで続くのだからたまったものではないな。


イギリスと日本 東アジアにおける二つの帝国
イギリス帝国と20世紀 第3巻「世界戦争の時代とイギリス帝国」所収
著者:後藤晴美、ミネルヴァ書房・2006年12月発行
2015年2月16日読了

1930年代東京の華族社会を舞台に、自由奔放さと相反する閉塞感に悩む青年子爵、清彬を主人公に、親友の陸軍中尉、その妹である万里子、権力に陰りの見え始めた元老、特高刑事を軸に物語は進捗する。

本書のタイトルは絶妙だ。人生のRomanceをどう捉えるかは個々人によって異なるし、同じものはあり得ない。
作者の提示したRomanceもその一つ。これがわれわれ読者へ投影されるとき、どう「舞台」を生きるべきか、考えさせてくれる。

・アブサントの香る殺人現場で、落ち着き払って親友との会話を愉しむ余裕はこの階級ならではか。

・天皇の藩屏。没落ロシア人とのクォーター=異端者として特権階級を生きる清彬にとって、何不自由ない華族の生活は、まるで操られた人形劇のよう。その操り糸を断ち切る”決意”と”計画”は革命的であり、哲学的なものですらある。

・”計画”のその日、意想外の人物が訪れることで、清彬の奥底に潜んでいた真実が明らかにされる。


清彬の”決意”は力強い。だが「この世界をからくり小屋たらしめていた特別な一本の糸」(p215)を断ち切ることで、本当に「茶番劇は終わりを告げ」るのだろうか。明治憲法から戦後憲法に変わったところでこの国の本質は変わらないように、舞台装置が変わるだけ。何千年も続いた神話が終わることはないのではないか。

欲を言えば、もう少し、時代の特徴である帝都の華やかな場面描写が欲しかった。


ロマンス
著者:柳広司、文芸春秋・2011年4月発行
2015年2月16日読了

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大正から昭和初期にかけてのイギリス型立憲君主制とデモクラシーの萌芽と発展から、政党政治が瓦解してゆくまでの軌跡を通読でき、この時代の一面を理解できたように思う。
但馬地方の憲政会議員や青年党の活動を対象としたフィールドワークの成果も興味深い(p244他)。

・天皇機関説的な天皇像。昭和になって「大帝」のイメージが作り込まれた明治天皇も、実際にはこの意味するところを十分に理解し、不要不急な政治関与を抑制していたという(p25)。大正天皇も昭和天皇もしかり。だが軍部国粋主義者共同体は満州事変によって勢いづき、美濃部達吉と天皇機関説を「叛逆思想」として葬ってからは、天皇主権説が覇権を取る。参謀本部が実権を掌握し、若い昭和天皇も押し流され、傍観する。全体主義国家のはじまりである。

・世界大戦期に産業は急成長する。鈴木商店のすさまじさを筆頭に紡績、造船、鉱業。経済成長率は、実に年平均28パーセント(p74)。こうやって稼いだ外貨も、中国へのよくわからない借款となり、満州事変を経て83パーセントもの膨大な焦げ付きとなるのだから、たまったものじゃない(p88)。現在のODAと変わらないじゃないか。

・対華二十一ヶ条要求は抗日機運を高めただけでなく、潜在敵国アメリカを刺激し(中国を擁護)、同盟国イギリスに不信(市場の侵食)を抱かせた(p71)。いわばすべての失敗のはじまり。若き昭和天皇も指導力を発揮できず、政党対官僚閥の争いとのあいまって、国民の将来に災いを招くことになる。本当に悔やまれる。

・パリ講和会議。山東省のドイツ利権の継承に関する件を読むと、中国への進出は最初から無謀な行為であったことがわかる(p120)。

・軍部。この不気味な言葉が急に使われ出したのは、1930年4月頃とされる。参謀本部と軍令部が官僚と政党内閣の統制を離れ、「憲法解釈」=統帥権の独立性を盾に自立した行動をとり始めた時期であり、天皇への忠誠も名目だけのことになっていたのか(p317)。

・満州事変の発端となった柳条湖の事案。関東軍は良いとして、日本の内地軍に属する朝鮮軍が関東軍の要請を受け、日満国境を超えて雪崩大陸になだれ込んだのはまずかった。天皇の事後承認となり(p343)、軍部主導の戦時体制がここに出来上がる。文化文明が吹き飛ばされ、非常時が常時となる暗黒時代の到来。


ワシントン会議では日英同盟が破棄されただけでなく、中国の権益を巡って日本とアメリカに潜在的対立を残す結末となった(p200)。せめて日英同盟を日米英の三国協定に発展させることができていれば、老練なイギリスの力を拝借し、日本の運命は変わっていだろうに。
国家百年の計という。長期的な視点をもって外交路線を進むことの重要さ、そして困難さを思わずにはいられない。


日本の歴史22巻
政党政治と天皇
著者:伊藤之雄、講談社・2002年9月発行
2015年2月14日読了
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1904年当時の最新の文明機械=自動車を駆って、イングランド南部はサセックス州の海岸を行く男。
スピードの緩急を自身でコントロールする楽しみを得られる特権階級でもある。
騎馬道を上り下り、エリザベス朝時代の美しい石館にたどり着く。
館と庭園を駆ける子供たちの悪戯に満ちた仕草は、かつて子を持った身には懐かしくもあり、館の盲目の女主人とともに愉悦のひと時を過ごす。

・美しい声の曳く水脈を静寂はゆっくりと閉ざした。(p297)
・視覚的日常とは異なる、盲人の知覚的世界。見えざる"色"の世界の描写も素晴らしい

ふたたび、みたびの訪問。
姿を見せない幼子たち。そのひとりから掌に「小さな優しい接吻」(p320)を受けた刹那、男は一切を悟った。
幼子は、死に別れた愛娘。「彼等」の正体も、本当は最初からわかっていたのだ。
「ありがとう」
子を持たなかった夫人との時間は、スピード時代の車窓の風景のように過ぎ去ってゆく。
男はキプリング自身の投影だ。

イギリス人初のノーベル文学賞の後期短編は、文章が練りに練られている。
著者初期のインドもの短編は魅力的だが、本作も行間を"読み取る"愉しみに浸ることができた。

'They'
「彼等」
怪談の悦び 所収
著者:Rudyard Kipling、南條竹則(訳)、東京創元社・1992年10月発行
2015年2月11日読了

機械と人間の違いは何だろう。主人公、神楽の考えた結論は「本質的に何も変わらない」である。人の心や運命でさえ、遺伝子によって決定される。若き生命工学者は警察庁特殊解析研究所において、それまでの犯罪捜査を一変させる手法を開発した。採取したDNAのプロファイリングと膨大な登録データの検索システムによって、検挙率は飛躍的に向上した。さらには全国民を対象とした「DNA登録法」が成立し、犯罪そのものの撲滅まで期待された。

システムは完璧だった。連続殺人犯NF13-Not Found 13号が現われるまでは。
そしてNF13が開発者本人であると結論づけられたその日より、神楽の逃亡劇が始まった。

・国が本人に無断で個人データを利用するなんてことは、いくらでもある。
・支配されるぐらいなら、支配する側にまわれ。
・「連中に都合のいいルールで試合をするほど、こっちはお人好しじゃない」 いつもこうありたいな。

浅間警部補の「紙の資料を並べ、それら全体を俯瞰する」(p244)方法には、まったく同意する。


人間は平等ではない。システムよりも何よりも、『プラチナデータ』の意味するところの恐ろしさよ。この「仕組み」だけは古来より変わらぬ人間社会の掟であり、われわれ庶民が最も注意を向けなければならない「知恵」でもある。
そして、リュウとスズランの幸を願わずにはいられない。


プラチナデータ
著者:東野圭吾、幻冬舎・2010年6月発行
2015年2月7日読了

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明治33年に登場し、爆発的に普及した絵葉書は、一部では新聞や雑誌媒体よりも早く直截的に世相を伝え、それが故に現在では歴史的資料となった。
本書は、多様な絵葉書を"一級のメディア媒体"と捉え、短くも光彩に満ちた大正時代の雰囲気を探る。

・まだ写真技術が稚拙であり、グラフ誌のなかった時代、時として絵葉書は時事速報性と美的要素を併せ持ったメディアとして駆使された。特に皇室行事、日露戦での戦地生活(p13)、博覧会・旅行先からのものは、いま見ても新鮮に感じる。

・「第一回国勢調査記念」(1920年)はアイヌ、台湾、朝鮮、満州、南洋諸島の各民族、さらに南樺太のロシア人が大和民族と共存する姿が描かれ、大正の日本帝国は多民族国家であったことがわかる(p66)。

・日英同盟がいかに当時の日本にとって重要であったか(p95)。悔しくもアメリカ主導下、1922年のワシントン会議で同盟破棄が決定され、以降は外交路線がフラつきヨロメキながら、太平洋戦争への道をまっしぐら。日英の王室外交の展開された1920年代の路線が継続していたらと思うと、残念でならない。

・関東大震災の描写・写真絵葉書も多数残されている。混乱の中の写真が含まれるから規制を逃れ、まる焼け死体などのえげつない絵葉書までのこされている。辛いな(p121)。
・関東大震災からもうひとつ。震災直後、帝国ホテルでのアメリカ海軍兵の写真が残されている。解説によると、震災直後に東洋艦隊(第七艦隊の前身かな?)が急行し、救護活動にあたってくれたとのこと。義捐金もアメリカが一番多く、何か、東日本大震災でのアメリカの支援が思い出されるな(p122)。

・大正文化は発展・爛熟し、昭和天皇の時代に頂点を迎えるも、やがて絵葉書はグラフ誌とともに、左右両勢力のプロパガンダに利用され、最終的には軍事体制の一翼を担うようになる(p160)。まるで、"モダン・ガール"がモダン・マダムとなり、そのまま戦争期の"報国婦人"へと変遷したように。


明治末期から昭和初期にかけての「長い大正」時代の雰囲気がよく伝わってくる。続編=昭和・戦前日本編の出版が待ち遠しい。


絵葉書で読み解く大正時代
編者:学習院大学史料館、彩流社・2012年12月発行
2015年2月3日読了

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1851年、世界初の万国博覧会がロンドンで開催されたが、ただの展覧会に非ず。先行する小規模展示会を含めて準備に数年を要しただけでなく、携わった先人のただならぬ熱意と創意工夫が込められた「人類史初の壮大なイベント」であったことが、本書を通読して理解できた。

・強烈なリーダーシップで国際博覧会を成功に導いたアルバート公の存在もさることながら、内国博覧会を国際的一大イベントに仕立てたコール(p11)、一職人から身を起こした水晶宮の生みの親、パクストン、当初はパクストンの会場案に反対しながら、建築委員会の一人として公正かつ必要な助言を惜しまなかったブルネル(p34)など、携わった男たちの誠意と熱意の物語でもある。
・鉄道会社の役員会の間に、パクストンが机上の吸い取り紙に描いた一枚のデッサンが、後の世に伝説となる万博会場「クリスタル・パレス」を生み出す。p29から記述される、政府高官への意見具申から、アイデの素描、王立委員会メンバーの説得に至る経緯は、いかに「スピード感」をもってことが進められたかが伝わってくる。
・で、クリスタル・パレスの何がすごいのか。秘訣は「設計のスマートさ」にある(p48)。8を基調とする合理的な設計、ガラスと鉄による構造や"バクストン・ガター"をはじめとする革新的な構造、建築効率化のために考案されたガラス屋根葺き専用ゴンドラ、その他随所の工夫が盛り込まれ、「万博最大の展示物が、実は水晶宮そのもの」と言われる所以となった。革命的なエンジニアリング。正直、技術者として感動を覚えた部分だ。
・残念ながら日本は「万国産業製造品大博覧会」出品国に名を連ねていないが、イギリス人の手によって6点の日本製品が展示されていた。これが後のジャポニズムの源流になるのだと思うと、縁深いものを感じざるを得ない(p77)。

平和産業の祭典、世界最初の万博の終了を待つかのように、大規模戦争が各地で勃発する。特にイギリスを窮地に立たせたクリミア戦争は兵器産業の重要性を認識させ、アームストロング砲の登場によって陸軍兵器体系は一新される。
・よって1962年のロンドン国際博覧会は、アームストロング社を讃える「兵器産業の博覧会」となったが、そこに幕末遣欧使節団の姿があった。彼ら薩摩藩、佐賀藩出身の幕府役人が"文明"と"兵器"を目の当たりにし、やがてイギリスの支援を得て討幕へと動くわけだから、実に興味深いつながりだ(p186)
・第二回ロンドン国際博覧会への日本の出品物の評価も興味深い。現代で言うところの製品、システムを超えてソリューションを提供する国民性ってところか(p193)

1867年のパリ万博を経て、日本の国際博覧会熱はヒートアップし、ついに1910年の日英博覧会の開催に至る。
日本帝国の"いま"を、とりわけ世界最強にして同盟国のイギリスとその国民にアピールする絶好の機会。今後ともないであろう国宝級の搬出・展示を行ったそうな。
・日本歴史館に東洋館、美術の館……面白そうだ。
・話題をさらったのはその展示物より、2種類の日本庭園だったそうで、写真からもその力の入れ具合がわかる。
・祝賀会での加藤駐英大使のスピーチが良い。「…日本国民が世界に向かって示したいのは、彼らは技術と職業に没頭しており、その目的は、人類の幸せと和合を推進させる以外にない」こと(p259)、そして大英帝国との変わらない友情を望み、日本人がその資格を有することを形で顕したのが、この博覧会である、と。

産業と美術の融合と国民の教養の増進を願ったアルバート公や、中産階級として新しくパトロンとなったマンチェスターの工場主たちの意気込みも、一章を割いて解説される。


産業革命の熟成した時期を図り、先進技術と"感性"のハーモニーを競い、国民の啓発に努めたイギリスの先見性はさすがだと思う。
今後もますます重要なファクターとなるであろうデザイン・センスを磨き、趣味と仕事に活かせるようになりたい、と思わせてくれる一冊となった。


大英帝国博覧会の歴史 ロンドン・マンチェスター 二都物語
著者:松村昌家、ミネルヴァ書房・2014年5月発行
2015年2月2日読了

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