2014年12月28日
日曜日だから、休みの店が多い。
オールドボンドストリート、ニューボンドストリートには名だたる高級店が連なり、実に雅やかな雰囲気を醸し出す。
カフェの前に駐車する自動車もレベルが違う。
そうだ、ここは富裕層の街なんだな。
メイフェアを歩き、ダブルデッカー・バスに乗ってナイトブリッジへ。
ハロッズは12時開店? 遅いなぁ。
■V&A ヴィクトリア&アルバート博物館
ヴィクトリア女王とその旦那君の名を冠したVictria and Albert Museumは、膨大なマテリアルの展示もさることながら、1851年ロンドン万国博覧会の名残が視られるのでお気に入りだ。
18世紀から20世紀にかけてのファッション史に関する展示。
全体で言えば1750年~1900年の英国に関するエリアが一番良かったな。
20世紀になるとファッションも変わる。
Dante Gabriel Rossetti 『The Day Dream』(1883年)
1851年の万国博覧会は、ちくしょう、もう一度開催してほしいくらいだ。
SAVOY THEATREで公演された”THE MIKADO” 観てみたいなぁ。
13時にハロッズへ。大丸や高島屋より巨大な高級店じゃなかろうか。
内装を観るだけでも愉しい。
■ウェストミンスター界隈
いったんホテルへ戻り、宿泊客専用のラウンジで休憩。昼間からハイネケンを飲む気分は格別だ。
15時再出発。
エリザベスタワー=ビッグ・ベンは良いな。
で、Westminster駅は閉鎖中? 仕方ないからWaterloo駅までのエリアを久しぶりに歩いた。良い散歩になったぞ。
■Museum of London Docklands ドックランド博物館
地下鉄Jubilee lineジュビリーラインでCanary Wharf駅へ。
かつては世界の造船界で卓越した地位を占めたDocklandsに、博物館ができている。
Docklandsの黎明期から興隆期、蒸気船と帆船の混交する時代、全盛期から衰退する姿、水上警察、戦時協力、各種積荷に関するエピソードなどなど、予想以上に船と港湾に関する展示が充実していた。
コンラッドの展示もあり。
昔の自動車輸出(船積み)は、なんと1台ずつ吊り下げていたんだな。
3階には展示エリアの三分の一を割いて、船員が上陸した際に通ったという盛り場が再現されている。
16時から18時までの2時間、たっぷりと観たぞ。
■かつての巨大港町は、金融センターに変化してしまった
かつて世界最大級の港湾だったLondon Docklandsロンドン港。現在は超絶な金融センターとなり、港の面影はモニュメントと化したクレーンとMuseum of London Docklands ドッグランド博物館に残るのみ。
神戸港の将来もこんな感じなんだろうか。
(船舶の寄港もめっきり減ってしまい、神戸港は「医療センター」に変化しつつあるのです。)
帰りは地下鉄ではなく、West India Quay駅よりDLRに乗ってみた。高架上を行く軌道列車だ。
途中で地下鉄に乗り換えるはずが、
Not in Service
ってひどい話だ、まったく。故障が多いのかな。
しかたがない。Monument駅を出て歩き、ダブルデッカーに乗ってホテルに戻った。
セントポール大聖堂もクリスマス装飾。
夕食はルームサービスだ。量が多いな。
満腹になったところで続きます。
2015年04月
2014年12月ロンドン その1 [男ひとり旅の美学]
8か月ぶりのロンドン。4泊6日の歳末弾丸旅行を敢行した。
【参考データ】
往路便
2014年12月26日 関西空港11時20分発KL868便、アムステルダム行き
2014年12月26日 スキポール空港18時50分発KL1027便、ロンドン行き
復路便
2014年12月30日 ヒースロー空港10時発KL1028便、アムステルダム行き
2014年12月30日 スキポール空港14時40分発KL867便、関西空港行き
宿泊先:Amba Hotel Charing Cross(4泊)
(Formerly Charing Cross Hotel)
■2014年12月26日、ロンドンへ向けてGO!
関西空港セキュリティチェックは長い行列! さすがは年末で、まだマシなほうかも。
スカイマイルのゴールドメダリオンなのでラウンジへ。白ワイン、寿司とフルーツの軽食で、タキシングする航空機を眺めつつほろ酔い。
両替すると、なんと1ポンド195円ときた! ぼりやがるな。
KL868便のエコノミーコンフォート席は満員御礼。昼食は赤ワイン+ビーフストロガノフでまぁまぁ。
しかし、恐怖の10列シートはさすがに狭い。前後方向も詰め込み座席のようで、最前列でも足元に余裕がなく、足を延ばせずくつろげないぞ。昔と違ってエコノミーは「詰め込む」ことに主眼を置いているんだな。
映画『万能鑑定士Q』を鑑賞。面白かった。ラストの「モナ・リザ」鑑定は一人でやっても良いと思うが、ノベルだからこんなものか。
19時10分、先は長い。
エコノミー客の常識、機内散歩をしようにも、10列シートだから通路が狭く、思うようにいかない。これはひどいぞ。
21時45分、夕食はいつものパスタだ。少し固い。
機内はひどく乾燥するので、マスクはかかせないな。
22時55分、現地時間14時55分にスキポール空港へ到着。11時間30分は長かった。
乗継便を待つ間、お気に入りのKLMラウンジへ。
WEBでMiss Saigonを予約。最高席だけあって124GBP(23,000円)もした。
あと、各博物館をチェックすると……12月26日はどこも休館ときた! 甘かったか。
セキュリティチェックを終え、18時20分にバスに乗って駐機場へ。シティ・ホッパーのかわいい機体だ。
18時30分take off、紅茶を飲み終えるとヒースロー空港だ。時計を一時間遅らせて、と。
19時15分入国完了。手持ちのオイスターカードに10GBPチャージして、地下鉄に乗車。
19時55分にLHR駅を出発し、21時にCharing Cross駅に到着。途中でじいさんに席を譲ってかっこよく立つ。実は結構きつかったりする。
■チャリング・クロスホテル
今回は有名なAmba Hotel Charing Cross チャリング・クロスホテルに宿泊する。
ん、良い雰囲気のホテルだ。
で、1510号室は…ドアのセキュリティが壊れているぞ!
1610号室に変更してもらい、ひとまず安心……こっちは窓のセキュリティが壊れているぞ!
高層階とはいえ、いやだなぁ。(明朝に修理となったが、チェックアウトまでほったらかしだった。)
で、バスタブがないぞ。予約シートを確認すると、「シャワーのみ」とある。ぬかったか。
でも熱いお湯ふんだんの快適なシャワーだったので、問題なし。
窓のセキュリティを除けば、とても快適なホテルだったと思う。(後述)
■2014年12月27日、クリスマスムードの残るロンドンを歩く、歩く!
7時40分起床。外はまだ暗い。日本より一時間ほど夜明けが遅い?
朝食は有名レストラン、ザ・テラス・オン・ザ・ストランドで。窓側席は満席だった。残念。
ヒルトン系ホテルの豪華なイングリッシュ・ブレックファストには及ばないが、朝食の味は合格点だろう。
9時45分、散歩へ出発。
で、あまりの寒さにホテルへ戻り、マフラーを巻きなおして再出発。
ホテルの目の前、クリスマスモードのトラファルガー広場を歩き、お気に入りのナショナル・ギャラリーへ。
昨年に続いて、またルノワールの『雨傘』がない。係員に訊くと「3年先まで戻ってこない」だと? う~む。
『ジョン・グレイの処刑』をじっくり観る。
うん、ナショナル・ギャラリーは良作が多い。フロア32と41が特に良い。
『サン・ラザール駅』
『沐浴するスザンナ』
HER MAJESTY'S THEATREで29日夜のThe Phantom of the Operaのチケットを購入。67.5GBP。
リージェントストリートを北上し、リバティ百貨店へ。土産物のcameoを探す。450GBP。う~ん。
雨だ。TUBEに乗車してMuseum of Londonロンドン博物館へ向かう。
おや、地下鉄が途中で停車したぞ? 他の車両の故障で待たされている? 冗談を。
NETも接続不可の状態で、15分も待たされた。
結局、次の駅でも長時間待たされそうだったので降車。歩くことにした。
■Museum of Londonロンドン博物館 Victorian Walk!
13時に到着。入場料12GBP。子供の多いこと。
ここは先史時代からローマ、ノルマン、近世~現代までのロンドンの街と人々の姿を活写した展示となっている。
これは女性権拡張運動の関係かな。
「ロンドニウム」時代のローマン・ウォールが遺されている。
特別展「シャーロック・ホームズ展」は作品連載誌等の出版物、ドイル愛用品、映画に使われた衣装、小物等が展示され、実に興味深い内容だった。
1908年のタクシー。形や性能は違えど、賃走/空表示を含め、その機能が丸ごと、現代のロンドンタクシーに受け継がれていることがわかる。
特筆すべきはVictorian Walkヴィクトリアン・ウォークだ。当時の街並みが再現され、小物類もアンティークで実に良い。
現代のLONDONを要約する絵画があった。
EnTWINed,2010『The Singh Twins』
ポストカード(1.4GBPは高いな)、館内のカフェでラテとケーキ(5.45GBP)。
15時まで滞在した。満足。
■南海商会、東インド会社の面影を探して……
セントポールからチープサイド通りを東へ歩き、王立証券取引所へ。ここからはチャールズ・ラム『エリア随筆』を呼んで興味を抱いた南海商会、そして東インド会社の面影、あるいは幻影を求めて散策した。
独特の構造を誇るロイズ・オブ・ロンドン、そして超近代的なガーキンがそびえたつ界隈は、昔もいまも世界金融界の中枢であり、行き交う人も自動車も観光エリアとは別の雰囲気を醸し出す。
南海商会本社、東インド会社本社の存在したであろうあたりにたたずみ、過ぎ去った過去を感じ……られたかな?
(残念ながら、それらしき青いプレートは発見できなかった。)
■TOWER BRIDGE タワー・ブリッジのエンジンルームは圧巻!
Minories STを南下し、TOWER BRIDGEへ。16時30分なのに、もう辺りは暗い。
内部の博物館、歩行橋、エンジンルームの入場料で9GBP。
その価値は十分にあり。
"Victoria Era最高技術"と呼ばれるだけあり、納得の展示だ。
いま、僕に同じものを設計・製造しろといわれても無理。エンジニアとしてまだまだだな。
タワー・ブリッジの美しさは格別。
ロンドン塔の歩行橋から西を観る。ロンドンの新しいランドマークとなった、EU最高建築のThe Shardシャードがひときわ目立つな。
夕方のロマンティックなムードあふれるヴィクトリア・ロードをひとり歩く、歩く。アホっぽいぞ。
バスで一度ホテルへ戻る。
すきっ腹にワイン(室料に含まれる)とクッキーを入れると、時刻はすでに19時10分。
TAXIでPrince Edward Theatreへ。開演5分前、ぎりぎり間に合った。
■観劇 Miss Saigon ミス・サイゴン
1994年にニューヨーク・ブロードウェイで観劇して以来となる。
相変わらずセリフが聞き取れず、僕の英語力に進歩のないことが再確認できた。トホホ。
気になったのは第二幕。エンジニアの米国での店で「ハイ、ハイ」と平身低頭する日本人サラリーマン(首からカメラを提げている)の登場したことだ。20年以上前のネガティブなイメージがそのまま使用されている。演出者はきっと反日主義者か、日本人を馬鹿にしているものに違いない。
ホーチミンの巨大像の前での兵のダンスは良かった。実はこのシーンが好きだ。
終焉は22時30分。
夕食は、まさかの「千鳥饅頭」2個(日本から持ち込んだ)とクッキー(室料に含まれる)、そしてミネラルウォーターだ。
まったくひどいな。
ロンドンの中心、チャリング・クロスで1630年福岡発祥の「千鳥饅頭」を食したのは、前代未聞じゃないだろうか。
1630年といえばチャールズ1世の治世下、ピューリタン革命の前なのか……。
ついでだから、千鳥屋。
http://www.chidoriya.net/
続きます。
十二月八日の幻影 直原冬明 [読書記]
海軍少尉、潮田三郎。外国文献の翻訳という"虚しい"任務に辟易していた日、見慣れぬ佐官に文句を付けたことにより、軍令部直属の特別班への突然の転属を命じられる。
構成員わずか二人。日本武士道の正面攻撃とは相容れない、家の名誉と軍の誇りとも無関係にみえる防諜任務に、理解しがたい上官の渡海海軍少佐の個性は、若者を打ちのめす。わずか一か月の仮配属期間の満了を心待ちに、潮田は初日からある重要機密に接する……。
陸軍は在日外国大公使館の暗号解読班、憲兵隊、内部に巣食う「コバヤカワ」、海軍の大物予備役にして元首相、外務事務次官、アメリカ大使、MI6=SIS将校、そして大物間諜「エゴイスト」。彼らの油断ならない行動は、日本の運命を、そして潮田を、ある極点へと導いてゆく。
・渡海少佐の発想力と行動力は実に魅力的だ。咄嗟に分析・理解し、状況に応じて臨機応変に対応する人物像は、ヒーローそのもの。
・「電気ソロバン」の暗号解析、さらに飛躍した応用(ある装置)への展開に新鮮味を覚えた。理学部卒、コンピュータ関連の職を経験した著者ならではの作品だと合点が行く。
・「否、諦めない」に続く潮田の行動には実に好感が持てる(p244)。極限におかれても人間ならこうありたいと鼓舞してくれるような、本書で気に入った部分の一つだ。
宣戦布告なき日中戦争が泥沼化し、かつての同盟国イギリスと最大の通商国アメリカにより、日本帝国が徐々に追いつめられてゆく情景。一片の情報がわずかの人間に運用され、それが一国の命運を左右しかねない現実の畏怖。そんな中でも活路を見出そうとする若者の行動力と潔い決断力は魅力的だ。
だが本書で気に入ったのは、実は「コバヤカワ」の信念だ。それはまさに戦後日本の姿となって顕現したわけだが、p270にある主張などには、当時共感を覚えた知識人も多かったのではないだろうか。
「男の革命の結末」(p141)がどんなものであれ、人の信念の力の偉大さを思わせてくれる、そんな作品像を想いつつ読了した。
The Phantom of December 8
十二月八日の幻影
著者:直原冬明、光文社・2015年2月発行
2015年4月11日読了
ふらんす人形 大佛次郎 [読書記]
自分や家族を支えるのは身分や既得権益ではなく、本人の"気概"であることを本書は教えてくれる。それは2015年の日本でも同じことだ。
『ふらんす人形』
1930年代の横浜を舞台に、辛苦の毎日を懸命に生きる男女の姿を描く350ページの長編。
・戦前の神戸港。第一突堤やオリエンタルホテル、元町・三宮の街の情景が描かれ、地元民の僕には感慨深い序盤だった。
・「高粱の切株と赭土の他に何もないと云ってよい荒涼とした大気」(p35)の満洲と、「まったく日本的な、味の細かい景色」との対照的な自然の描写は印象的だ。
「広漠とした原野の中に、支那人だけの中に入って二十年生きてきた」(p57)満洲帰りの老人、三村宗助。偽名を使わざるを得ない"過去"のある男だ。時効を待てずに内地へ帰還した理由は、娘たちに会いたいとの一心にある。過去の犯罪からの逃亡、贖罪の意識と実践。垣間見えてきた明るい未来。だが黒い仲間の敗走の事実とともに、運命は無残に暗転する。
足を洗ったはずの過去の亡霊に襲われた感(p347)。この暗転は絶望的だ。
本作の狂言役でもある小説家、木谷。数か月ぶりの日本の地を満州と比べて「アメリカニズム、ボルシェヴィズムの植民地には違いひない」(p44)と謳う三十路のインテリだ。大連からの帰国船で三村宗助を知り、横浜の山下公園ではその印象をライカに写し取る。これが遺影となろうとは。
断髪のモダンガール、キキ。神戸での恋愛は結婚に成就せず横浜へ逃げ、人殺しの父親と他界した母親の姿を胸に秘め、今夜も酒場で男たちの相手をする。"役者"のような派手な化粧は往来を行く奥様方やお嬢様方の冷笑を受け、男勝りの言動は自らを窮地に追い込む。田舎から出てきた妹だけが唯一の心の拠りどころ。手芸学校へ通わすのにも、金が要る……(p169)。
「今の世の中では、どんな大切なものでもマッチや煙草と同じように商品に扱われて、金を持ってゐる人だけが、自由にする。呪いながらでも、この法則に屈従しない限りは、生きていくことができない」(p98)
不安、辛さ。そして迷走する希望が物悲しい。
映画『巴里の屋根の下』のメロディーを登美子が口ずさみ、それを勤務先のホール・ライラックのレコードに同じと知ったキキ=浦子の驚きよう(p268)。知らぬ間に自分の手を離れてしまった妹を想う複雑な気持ちが随所に現れる。
キキ、職場仲間の陽子とも元は御令嬢でいられた身分。それが「酒場の女」として厚化粧し、フランス人形のように生きる強さは哀しみでもある(p92、173)。
それでも、キキと登美子の姉妹にささやかな幸福が予感できる終幕(p358)に「良し」と言いたい。
『熱風』
「そんな亡びて行くより他はない家に変わる新しいものを考えた方が正しいんぢやアないか?」(p383)
外交官試験にトップ合格しながら入省を拒絶された達二。学生運動に身を投じて退学となった弟の存在。つきまとう刑事。富豪とプロレタリアート。没落してゆく中産階級……。時代は違えども個人の悩みは変わらない。
他に短編『海の謝肉祭』を収録。
大佛次郎セレクション
ふらんす人形
著者:大佛次郎、未知谷・2008年7月発行
2013年11月10日読了、2015年4月3日再読了