男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2016年06月

元CIA諜報員・国家情報情報会議情報分析次官、グレン・カール氏によるANALYSIS「THE ROAD TO DAMASCUS ISIS後のシリアと世界の行方」(p22)が本誌特集の中核をなす。
・米・クルド民兵・イラク民兵の反ISIS連合軍によってシリア・イラク内の「ISIS領土」は縮減しつつある。ISISの衰退。だがこれは手放しで喜べるものではなく、そのシンパによるテロの脅威が世界中で増大することが懸念される。そして国家の体をなさないリビア、ロシアのカフカス地方への浸透を図るなど、ISISの次の一手はぬかりない。拡散する脅威への対処はモグラ叩きの様相を見せるのか。
・ISISによるテロ犠牲者数は2386人、日本人を含む処刑者数は実に4225人にのぼる。
・外国人志願者数は激減したとはいえ、それでも月200人を下回ることはない。
・100年前のサイクス=ピコ協定によって「決定」された線引きが見直され、シリアとイラクが再編成される可能性もある。
・ISISとシリア問題の「今後の展開」についての記述は興味深い。ISIS後を巡って米ロ仏などの域外大国、サウジアラビア、イラン、トルコなどの地域大国の思惑が衝突し、新たな火種が作り出される……。シリアの分割は決定的だが、自国民を大量殺戮したアサド氏は、無罪放免となる可能性が高い……。
・今後数年間、欧米で数百人規模の犠牲者が出るテロを筆者は予想する。ISISが核物質、生物・化学兵器を用いないとしてもである。

STRATEGY「ISISとアルカイダが1つになる日」(p28)はどうだろう。犬猿の仲とされ、ISISにお株を奪われたアルカーイダのザワヒリ氏がバグダディ氏になびくとは思えないのだが。

「仲裁裁判がまく南シナ海の火種」
・中国の強硬な反発が何を惹き起こすかは油断ならないが、予想されるフィリピンの悲劇は他人ごとではない。東シナ海紛争への介入を明言したと言え、米国の本音はある政府高官の次の言葉に要約されているのだから。「ただの岩のために、アメリカが本気で世界大戦に突入したいとでも思うか?」(p35)

われわれは歴史のダイナミックな動乱の渦中にいる。本誌を一読してそう感じた次第。

1916年の英仏によるサイクス=ピコ協定から、2016年の米ロによるケリー=ラブロフ協定へ。本書は、世紀を超えて域外大国の重層する思惑に揺さぶられる中東政治を考察し、中東「再編」の近未来まで見据える。最新のトピックもふんだんに盛り込まれ、好奇心が刺激される好著だ。

冒頭、「サイクス=ピコ協定は、中東の国家と社会が抱えた『病』への処方箋だった」(p17)は唐突だ。同協定を中東の混乱の原因でなく、「オスマン帝国の崩壊後の混乱に対する(上手くいかなかった)一つの『解決策』として捉える」(p28)の記述はわかりやすいのだが。

第1章では列強の思惑と行動、周辺大国の欲望、トルコ民族主義の台頭の観点から、サイクス=ピコ協定、セブール条約、ローザンヌ条約をセットとして捉え、トルコと中東諸国家の成立をみる。
・オスマン=トルコ帝国の解体と、中東における列強の勢力拡大を意図して、英仏露の間で秘密裏に締結されたサイクス=ピコ協定の線引きを取り消す。もちろん不可能な仮定であるが、数多の仮説・試みを「オスマン帝国の専制・イスラーム法の支配」への委託を前提に論述することは、議論を矮小化させるように思える(p25)。また、これらの議論を「ISISの事例」をもって片づけることは、いささか強引だろう。
・「素人のあてずっぽう」(p22)「そのような議論」(p25)などの表現。これはいただけないな。
・サイクス=ピコ協定の現代的意義を考察する記述、特に中東秩序再編の鍵となる各国の政治・経済・社会体制の再編、地域大国の間の均衡の達成、域外の大国の協調の記述には納得がいく(p50)。
・第1章の末尾、「現在の中東の混乱の収拾は……格差や不公正……戦略的・地政学的な競合……多種多様な難題への取り組みを経てやっと到達できるものだろう」に強い共感を得た。複雑なパズルを前にして、一歩ずつ解き明かし、理想的現実を構築する冷静な熱意は確かに必要だな。
・事象を深く理解する必要性。「関与して解決する能力を担う力」の育成(p22)には、まったく同意する。

クリミア戦争をはじめとする露土紛争と2010年代のロシア-トルコ間の対立の相似性が論じられる第2章も興味深い。「トルコと西欧諸国が根底で抱える相互不信」(p69)の上に、ロシアによるクリミア半島併合とシリアへの侵食、それによるトルコ民族主義の再燃が、さらに中東の秩序をかき乱す構図か。

第3章、シリア内戦とクルド民族の自治・独立の記述はとても興味深い。安定したシリアを望まないトルコの思惑。プーチン・ロシアとオバマ・アメリカの対照的な取り組み。非国家主体が統治の実績を積み上げ、大国に存在を認めさせるプロセス。シリア内戦に決着がつくとき、中東の地域秩序の再編が見込まれるとする記述(p99)は、ダイナミックさに満ち満ちている。

第4章は民族問題を取り上げる、本書の中核ともいえる章だ。
オスマン=トルコ時代からの民族間対立、帝国内移民・避難民、少数民族の迫害。2016年6月2日にドイツ連邦議会で「ジェノサイド」と認定された「オスマン帝国によるアルメニア人大虐殺」はその最たるものである。
オスマン帝国の崩壊によって欧米に流れた「難民」と、21世紀・シリア政権の自国民虐殺によって発生し、ジャーナリズムに過大に取り上げられたシリア「難民」は、根は同じであるとわかる。
帝国主義の時代から民主主義の時代へ変遷した欧米社会が、これまで第三世界諸国の混乱から何によって守られてきたのか。これからのEU諸国にとってのトルコの価値を示す「難民の防波堤」の記述には衝撃を受けた(p122)。

最終章。ハリウッド映画「アラビアのロレンス」に示される、中東の未熟な政治体制を翻弄する欧米指導者と、域外大国を利用する老獪なアラブの政治家の姿が印象に残る。
国民や民族の観念、宗教や宗派の帰属意識の組み替え、難民や移民の大規模流動による人口構成の変化。社会の大きな変化を我々は目撃している(p139)とは、その通りだな。


米ロ主導によるシリア内戦の終焉、クルド人の自治・独立、旧オスマン帝国の「秩序」の再編成……サイクス=ピコ協定の功罪と現代的意義、か。中東の未来予測は容易ではないが、20世紀初頭と現在・近未来の国際政治の強烈なリンケージを実感できた。


【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛
著者:池内恵、新潮社・2016年5月発行
2016年6月11日読了

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2016年5月29日(日)

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ニッカウヰスキー余市蒸留所

■石狩湾の美しさよ

部屋のカーテンを開けると、目前に小樽港の朝が開け、遠くに石狩湾を望む。このホテルの眺望は気に入った。
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早くも弾丸旅行最終日か。銭函へ寄りたいが、なんとJR函館線の小樽~札幌間が運休だ。余市から札幌への移動もバスにするか。
朝食はイオンで買ったパン。昨日の寿司とギャップありすぎ。

ゆっくりしすぎた。

9時35分、小樽築港駅到着。……JR函館線は大幅乱れで、千歳方面行きは半数が運休。なのに電光掲示板は「正常運行」のままで、英語案内は皆無。そしてJR北海道の駅員はダベって笑っている。赤字体質が染み付いたクソ会社とは言え、困るなぁ。

4分遅れで、9時52分小樽築港駅発、10時2分小樽駅着。
余市行きのバスは…10時発の便が出発したばかり。どうしてくれるんだ?

10時23分小樽駅前発の大型バスに乗り、余市へ向かう。料金わずか430円。
バス乗客の半数以上が中国人だ。活気があって良い……かも。
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■ニッカウヰスキー余市蒸留所

11時前にバスを降り、目の前に余市蒸留所を見る。
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ガイドなしのフリー入館だ。
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蒸留棟。ここは日本唯一の石炭直火蒸留棟なのだが、石炭補充作業を見ることができたのは嬉しいサプライズだ。
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なるほど、風土と樽がカギなんだな。
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RITA HOUSE。研究室に亡き妻の名前を付ける。良いです。
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大日本果汁→ニッカか。
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11時40分に早めの昼食です。ニッカ余市シェリー&スイート30mlストレートに、ウイスキー・ワインラム肉しゃぶで泥酔。
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ただ酒の誘惑には勝てなかった。竹鶴ピュアモルト17年をロックで試飲。電車を1時間分、逃すことになったが……。
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で、ここのウイスキー博物館が実に充実。
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マッサンコーナーも良かった。
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余市の素朴な駅も新鮮だ。
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13時46分JR余市発、14時11分に小樽着。ICOCAなどの交通系電子カードは使えないんだな。

良し、函館線は復旧したようだ。札幌から向こうはダメみたいだが。
14時20分小樽発鈍行で、38分に銭函に到着。

■銭函

ここは1997年頃に仕事で訪問して印象に残った場所だ。海しかないのは当時と同じだが、駅周辺が近代化され、漁村の風情が残っていない。残念だ。
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■札幌ランドマークを観ておこう

14時58分銭函発、15時19分札幌へ到着。
さあ、わずか1時間の札幌観光だ。

札幌タワー
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時計台
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北海道庁旧本庁舎。
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旧本庁舎は、樺太関係資料館は価値高し。他は……。
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札幌駅と北海道銀行と北洋銀行と。
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16時20分、観光終了。

■神戸空港へ戻ります。

駅で確認すると、新千歳行きエアポート号も運行再開とのこと。念のために指定席を予約。
16時50分札幌発のエアポート166号は7分遅れの17時34分に新千歳空港に到着。

お土産は定番の白い恋人、六花亭マルセイバターサンド、いくら、うに(高かった)。

保安検査場は恐ろしいほどの行列! 並ぶのが嫌になる。復路はプレミアムクラスなので、よく聞いてみると、専用の入り口があるらしい。申し訳ないけれど、この格差を利用させてもらい、スムーズにパスできた。

ANAのラウンジに期待していたのだが、いまひとつ。サッポロクラシックビールとスナック菓子。ショボイぞ。

18時49分に離陸。このプレミアムシートは快適だし、窓外のダイナミックな景色も実に良い。
右手に巨大な湖と富士のようなシルエットを持つ山が見える。

夕食の鰊とロールキャベツは美味、白ワインはいまいちだな。
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日が暮れてしまった。
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20時35分に神戸空港へ到着。こっちは雨か。
次は函館を歩いてみたいな。

北海道一泊二日の弾丸旅行は終わりです。
駄文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

有名な運河を観て、美味しい寿司を食べて、マッサンのウイスキーを試飲すれば、良い気分転換になるだろう。
というわけで、気楽な北海道一泊二日の弾丸旅行を敢行することとなった。

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小樽運河には小樽ビールが良く似合う。


【参考データ】
往路便
 2016/5/28土 神戸空港8時20分発ANA577便、新千歳空港行き
復路便
 2016/5/29日 新千歳空港18時35分発ANA578便、神戸空港行き

小樽宿泊先:グランドパーク小樽(1泊)


■運河と小樽ビールと涼風は心地よく、蝦夷寿司も美味い。

2016年5月28日(土)
ANA577便はボーイング737-800か。エコノミー席でもANAのシートは良いな。
機内でガイドブック「札幌・函館おさんぽマップ てのひらサイズ」を読む。
小樽、楽しめそうだ。

今回の旅のテーマは次の三つだ。
・歴史的建築物をじっくりと観る。(小樽は寿司だ)
・海運都市のかつての賑わいを想う。(地ビールに期待)
・マッサンの活躍した足跡を辿る。(芳醇なニッカウイスキーが楽しみ)


定刻通り10時10分に新千歳空港に到着。あまり揺れなかった。
新千歳10時30分発のエアポート105号で移動、ほぼ満席だ。
11時45分にJR小樽駅に到着。
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アール・デコ調の風情ある駅舎を出ると、はるか東に海が見える。

都通りを南へ。雰囲気はモトコーに似ているが、ここの商店街は半分が閉まっている。
花園・寿司屋通りは、とても観光地らしくない。

花園の南の端に、目的の「都寿司」があった。ガイドブック「札幌・函館おさんぽマップ 手のひらサイズ」の地図(p66)が間違っているぞ!
蝦夷の特上寿司とサッポロビールを生で。
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小樽の特産、水たこは、明石たこと違って柔らかい。ウニは5月中旬から採れ始めたばかりの「旬もの」だ。
シャコ、ホタテも旬のもの。実に良かった。

13時よりお散歩開始。花園・寿司屋通りを北東へ向かい、浅草通りを東へ。このあたりから歴史的建築物が増え始める。

旧日本銀行小樽支店
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旧北海道銀行本店
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ホテル・ヴィブラントオタル
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小樽出抜小路は屋台村だ。その2階の展望台から、有名な光景を見てみよう。
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電線が邪魔だなぁ。

浅草橋へ出る。ここから観る運河の光景がベストかも。
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小樽ビール(ピルスナータイプ)をぐい飲みしながら、運河沿いを散策。絵描きが多いな。
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中央橋を超えて、北運河へ。多数の小型船が係留され、ここは昔の運河の幅が残されているそうな。
運河公園の北に、とてもクラシックな建築物が姿を見せている。


■旧日本郵船株式会社・小樽支店

石造りの重厚な建築物。ポーツマス条約に基づく、日露の樺太国境画定会議が開催された歴史的な場所だ。
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もらったパンフレットから説明を拝借。
・明治39年に落成した近世ヨーロッパ復興様式の石造2階建て建築。
・設計者は佐立七治郎、施工大工は山口岩吉。地下ボイラー室による蒸気暖房、米国製スチールシャッターなど、当時最新の設備を誇る。
・昭和30年に小樽市が日本海運から譲渡され、博物館とした。国の重要文化財でもある。

1階の小樽の歴史に関する解説が興味深いものだった。
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貴賓室、会議室は豪華絢爛なのに対し、1階の営業室はシンプルだが上品な造り。
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■旧手宮線跡

小樽運河の西側を寂しく通っているのが、廃線となった旧手宮線だ。ここを通って色内へ出た。
廃線・廃駅って、寂しさの中にロマンを感じられるな。
明治13年に敷設され、小樽と札幌を結んでいた北海道最初の鉄道路。もっと産業遺産として大々的に宣伝して良いだろうに。
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■小樽市総合博物館・運河館

15時40分より入館。300円。

第一展示室は興味深く見学できた。郷土史料は確かに有意義だ。
・旧地名「オタルナイ」はアイヌ語なんだな。
・北前船により、上方文化の上陸地点となる、か。(明治中頃まで)
・1865年の人口は1,000人。これが1907年には9万人に膨れ上がるのか。

大正14年の小樽市街地図。
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大正時代の街並みが再現されている。
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旧小樽倉庫。最盛期には200か所も存在したのか。
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■色内本通りから堺町通り・メルヘン交差点へ

歴史的建築物と大正硝子とオルゴール。この界隈は男でも楽しいぞ。
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小樽オルゴール堂本館前の「蒸気時計」が面白い。
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■水天宮

キツイ坂を上って水天宮へ行き着いたが、眺望はいまひとつ。う~ん。
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おや、雨が降ってきたぞ。困るなぁ。
さらに困るのが、堺町通りの閉店の早さよ。18時でどこもクローズ? 観光地なのに?

夜の小樽運河。イメージと少し違うなぁ。
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雨足が強い。困ったな。
夕食は浅草通りの寿司処「旬」にした。
お奨め寿司と小樽ビール2種類を試す。ここは穴子が絶品だった。

JR小樽駅へ着くと……函館線大幅乱れ? 札幌まで不通?
ホテルは二駅向こうの小樽築港にあるからいいか。
メルヘン広場で出会ったマレーシアからの旅行者に、札幌までJR不通の旨と、タクシー・バスの時間を説明する……拙い英語ですみません。

21時10分、小樽築港駅に隣接する「グランドパーク小樽」にチェックイン。
17階・海向きの良い部屋だが、外は真っ暗で何も見えないや。
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JR札幌方面行きはトラブルが続いているようだ。状況によっては明日の余市行き(の戻り)を断念し、朝から札幌へ向かうほうが良いのかもしれない。
それはともかく、蝦夷寿司は実に良かったな。

舌に残る美味に満足しつつ、続きます。

空き巣グループから独立して東京を活動の場とするプロのスリ師。生死不明の昔の仲間を思い、淫売女とその息子を知る。希望の見えない日々に、とてつもなく大きな悪が接触し……。
人の生まれは、その後の彼の生態を縛り付けるのか。著者の答は是であり、思いは否である。

・「時間には、濃淡があるだろ」(p27)
・「惨めさの中で、世界を笑った連中だ」(p87) 希望のある言葉だ。
・13章、桐田のバッグから携帯電話を盗む描写力に唸らされた(p133)。時間を支配する意識とは、こういうものなのか。

支配する者とされる者。その複合的構造への叛逆こそ、生命力の源泉となる。そんな読後感を抱かせてくれた。
大江健三郎賞を受賞した本書は『土の中の子供』の衝撃こそないものの、間違いなく著者を代表する傑作と言えよう。

掏摸
著者:中村文則、河出書房新社・2013年4月発行
2016年6月3日読了
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「人生における最高の幸福は何であるか。……わたしの意思は祖国に有益な仕事をすることに決まった。……(日本を含めて)世界のより大きな部分をわが支配下に吸収することは、あらゆる戦争の終末を意味する」(p50)
1895年をピークに南部アフリカの「私的支配」を確立し、イギリス本国をすら牽制したセシル・ローズの言葉である。胸奥深いところから表出される彼の哲学であり、行動の指針である。ここに、当時のアングロ・サクソンの抱く帝国主義的理想が見事に表現されている。

ローデシア。すなわち現在のザンビアとジンバブエである。1986年までとはいえ、一市民の名をもって国名とされた例は、後にも先にも皆無であろう。しかも国や国際機関ではなく、一営利企業によって命名されたというから(p113)驚かされる。

本書は、1814年にケープ植民地の支配権をオランダ東インド会社から奪取したイギリス人が、その支配地をいかに膨張させてきたのか。また、南部アフリカを事実上支配したセシル・ローズその人の思想と行動を、時代背景とともに詳らかにし、一時代の英雄の功績、あるいはその深い罪状を考察するものである。

・19世紀後半、原住民との戦いに疲弊したボーア人(トランスヴァール、オレンジ)とイギリス人(ケープ、ナタール)は、過去の遺恨を捨て去り、画期的な南アフリカ連邦の創生に合意しつつあった。同年、西グリアナランド(オレンジ自由国の西方、ケープ植民地の北方)にダイヤモンドが発見されることがなければ、歴史は現在と異なったものになっていたに違いない。イギリスは西グリアナランドの併合を一方的に宣言し、ボーア人との対立は高まる(p23)。

・原住民の奪い合い。すなわちボーア人は"半農奴"として、イギリス人のダイヤモンド企業は採掘労働者として。近代南アフリカ史は、原住民労働者を求めての領土拡大の歴史でもあった。

・1870年、17歳の病弱な少年がナタール港に降り立った。イギリス帝国主義にとっての英雄、アフリカ民族主義にとっての「仇敵」であるセシル・ローズの伝説はここから始まる。兄の農業を手伝った後、ダイヤモンド採掘事業に活躍の場を得た彼の、キンバリー鉱山を代表する事業家として頭角を現すまで、わずかに数年を要したのみだ。ダイヤモンド鉱山の買収に次ぐ買収。20歳でオクスフォード大学に入学して6年で卒業する頃までに、彼はケープ植民地で知らぬ者なき大富豪となる。1892年には全世界のダイヤモンド産額の実に90%を、ローズの会社が占めることとなる(p76)。

・長年続くトランスヴァールとの対立、イギリスの一部隊が全滅したズールー戦争、ケープ・ダッチに代表される農業家の利権とダイヤモンド企業による鉱業権益の衝突。これら政治的な紛争の最中、27歳のローズは、ケープ植民地の下院議員選挙に西グリクアランドから出馬し、当選する(p49)。

・「ブリティッシュ南アフリカ特許会社」 すなわち1889年にヴィクトリア女王の勅令として認可された特許状は、議会の認可を必要としない(p92)。ここに、ローズの会社が所有する軍隊による帝国主義戦争が、ローデシアの地を舞台に開始される。

・第三章「南アフリカのナポレオン」に、現在のケープ、ジンバブエ、ザンビア、ボツワナをわがものとしたセシル・ローズの権勢が記される。南部アフリカ第一の富豪にして、南アフリカ特許会社の事実上のトップ、そしてイギリス・ケープ植民地の首相の地位に就いたとある……。彼はダイヤモンド・金鉱山利権と農業利権の複合体を支持層とし、無慈悲な南部アフリカの侵略者としての姿を鮮明にする。

・原住民=黒人は徹底的に服従させる。「階級支配は必要であり、……野蛮の状態にある原住民を取り扱うのに、私たち自身とは違った態度をもってすべきである」とはローズの言葉である(p125)。通行券制度、治安維持法、そして隔離政策。ボーア人の哲学「土地は白人の権利、労働は原住民の義務」を取り入れたことは、1991年まで施行されたアパルトヘイト政策のはじまりでもある。

・南アフリカの政治・経済・新聞社を支配するだけでなく、イギリス本国のジャーナリズムの買収まで手を伸ばす。帝国主義者の手に握られた新聞。「複数の新聞やニュースに書かれたことを信用してしまうことの危険性」(p152)。本書に引用されたJ・A・ホブソンによる警鐘は、現代日本でも十分に通用することだ。

・つくづく感心させられるのは、英国外交の狡猾さだ。ベチュアナランド(北部が現在のボツワナ)を巡ってのトランスヴァール共和国との協議では、同国への宗主権の撤廃の表現をぼかし(p67)、後の南アフリカ戦争で優位に活用することになる。また、同盟国ポルトガルの植民地を分割する秘密協定を潜在敵国ドイツと締結し、直後にポルトガルと友好関係を確認する。この二枚舌外交によって、トランスヴァールへのドイツの干渉を排除することに成功する(p216)。

ローズの栄華も綻ぶ時が来る。自らへの服従を拒絶する「金鉱」トランスヴァール征服への野心。腹心の引き起こした「ジェームソン侵入事件」は当時の国際的慣習を無視したものであり、列強の強い非難を招いただけでなく、ケープ植民地内のボーア人支持層の喪失へとつながる。イギリス人でさえ離反し、ローズは首相の地位と南アフリカ特許会社特別顧問の"玉座"を失った(p178)。

そして、本国の全面的帝国主義的介入によるボーア戦争の勃発。すなわちローズの私的帝国主義の終焉であり、より巨大な帝国主義の前奏曲でもある。

・セシル・ローズが局地的・露骨的な帝国主義者(p186)であったとすれば、大局的・巧緻な帝国主義者であったのはイギリスの植民地相チェンバレンであり、トランスヴァール、そしてボーア人を屈服させたのも彼であった。

・ボーア戦争。2年半に及ぶ正面戦とゲリラ戦は、戦争のあり方をも変えてしまった。村落を焼いて非戦闘員を連行する等、イギリス正規軍による後背地・非戦闘員への攻撃は猖獗を極め、ナチスを彷彿させる「収容所」での民間人の死亡率は実に35%を記録した(p241)。東京大空襲・原子爆弾攻撃・ベトナム戦争に連なるこれらの行為が、「人道上の罪」でなくて何であろう。


ボーア戦争の終結によって成立したのが、現在の南アフリカ共和国である。旧ボーア人国家の指導者がイギリス帝国主義の先兵となり、日本人を含む有色人種への差別=アパルトヘイト政策を強化し、周辺のアフリカ諸国を侵略してゆく様は、大いなる悲劇である。

ダイヤモンドと金。この人心を惑わせる鉱物を支配したのがイギリスなら、第二次世界大戦後にウラニウム資源を狙って南アフリカへ進出したのがアメリカである。少数金融資本の帝国主義的野心に衰えることはない。

「なすべきことはあまりに多く、なしたることはあまりに少なく」(p249)
ボーア戦争のさなか、セシル・ローズの死に臨んでの言葉だ。悔いの残らないよう、僕も貪欲に生きようと思う。

セシル・ローズと南アフリカ
著者:鈴木正四、誠文堂新光社・1980年11月発行
2016年5月25日再読了

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