男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2016年12月

MI作戦。ハワイ米海軍を抑える戦略拠点を奪取する作戦が、アメリカ軍に漏れているという。元潜水艦乗員の亀島兵曹は、突如、軍令部へのありえない転属を命じられ…………。
潮田、ギルバート、そして「エゴイスト」。前作で活躍(暗躍?)した人物だけでなく、電気○○○○の登場は嬉しいシチュエーションだ。

謎が謎を呼び、一気に解き明かされるタイプではない。ミステリーではなく、スパイ・サスペンスとして楽しむのが正解だろう。

「幻影」には、やられた。

p229からの謎開かしは唐突すぎて、これはいただけないな。
p242以降のタイトルの意味が明かされる段になると、武人たちの無念さが痛いほど伝わってきた。
終章は長すぎて、少し興ざめ。ここはカッチリまとめて欲しかった。

あと、表紙画の見た目麗しき帝都のモダン・ガールに期待大だったが、その正体には苦笑させられた。

いろいろ書きましたが、次回作も楽しみです。

幻影たちの哀哭
著者:直原冬明、光文社・2016年11月発行
2016年12月22日読了

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クラクフ中央広場でのNasza polska Malopolska(わたしたちのポーランド)歌曲発表会


■「Jama Michalika ヤマ・ミハリカ」でのfolklor Pokazフォークロア・ショー

北にフロリアンスカ門、南に中央広場・聖マリア教会を望むフロリアンスカ通りは、南のグロズカ通りと並ぶクラクフ銀座ともいえる通りだ。
その一角、フロリアンスカ門のすぐ近くのレストラン「Jama Michalika ヤマ・ミハリカ」でfolklor Pokazフォークロア・ショーを鑑賞した。2016年8月10日(水)の夜のこと。

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18時50分に入店するも案内はない。奥へ進みウェイターらしき人物に声をかける。ホテル経由で予約している旨を話すと理解したようで、予約席へと案内された。この時点で客の入りは半分てとこか。ショーは19時からなのに。

あいにくの相席だが英語が通じて助かった。中国系マレーシア人で、おそらく僕より10歳以上年上だろう。
彼はクラクフに2週間逗留し、チェンストホ-ヴァ、ザコパネ等を観光するという。うらやましい身分だ。

ビールと白ワインを注文。そうこうしているうちに客席は埋まる。ヌードル・スープも供される。
10分頃にショーが始まった。

ダンサーは3人と少ないが、楽しさ溢れるポーランド民族舞踊、村の祭などで披露される求婚ダンスらしいものなど、東欧らしい陽気なダンスが気に入った。
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ダンサーが「ミールを愉しめ」と言ってくれたものの、お世辞にもメイン(チキンカツ)は上等とは言えない。う~ん。
パンフレットによると、この店は1895年にカフェとしてスタートし、1905年にダンスホール(cabaretと書いてある)を始めたとのこと。その名残はあるな。
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ダンス2回目は、観客も入り混じって楽しいひと時。恥ずかしながら僕も一緒に踊ってしまった。
若い(?)ダンサーの化粧は、チト濃いかった。

代金は85PLN+ドリンク代。あの低レベルメインで、デザートもコーヒーもなしだが、まぁ恥ずかしいダンスを愉しめたから良いか……。


■クラクフ中央広場、Nasza polska Malopolska(わたしたちのポーランド)歌曲発表会

翌11日(木)の夕方、アウシュヴィッツ強制収容所跡からの帰路、中央広場に向かう道で民族衣装の少女たちを見かけた。
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中央広場の特設ステージでは、ポーランド民族音楽の祭典が行われていた。
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さっきの彼女たちはこれに出演していたことがわかる。
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30分ほど歌曲を鑑賞し、その特設ステージを眺められるカフェで軽い夕食を摂る。
ポーランドの白ソーセージ? ビールによく合うので良い。晴れなのに雹が降ってきたぞ。変な天気だ。
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■帰国です。

2016年8月12日(金)3時起床。

3時50分、事前にホテルで予約しておいたタクシーで空港へ向かう。外はまだ暗い。
4時10分にヨハネ・パウロ2世・クラクフ・バリツェ空港へ到着。料金は96PLN。
外気温はなんと7℃。他のヨーロッパ人は上着を着こんでおり、長袖シャツ一枚の僕は完全に浮いているなぁ。
この時間でも空港は機能しているんだな。

4時40分、申し訳なく思いながらもスカイプライオリティを活用し、40人抜きの一番にチェックインできた。

土産物を物色。酒とチョコレートばっかりだ。
まだ時間があるのでビジネスラウンジで朝食を摂る。フードメニューがしょぼいぞ。

6時5分にアムステルダム行きKL1992便に搭乗開始、40分に雨の中を離陸した。
チキンサンドイッチがでたが、パサパサで美味しくない。

8時32分にスキポール空港へ無事に到着した。

迷いに迷ったが、帰りは足を延ばして休みたいので、ビジネスクラスにアップグレードすることにした。
KLMのカウンターで訊くと、650ユーロか、40,000マイル+150ユーロからの選択となる。
マイルを放置したままなので、後者を選択した。

スキポールのカジノを覗いたが、入れそうな雰囲気ではない。空港内美術館へ足を運ぶと、なんと改装中だ。
しかたがないのでビジネスラウンジ52番へ。人が多い。子供が走り回っている。ラウンジの意味が失われつつあるな……。

ビールとコーヒー、軽食を摂りつつ、文庫本を読む。少しうたた寝。
ゆっくりできたぞ。

14時10分、関西国際空港行きKL867便に搭乗。
新鋭機787-9の新ビジネスシートは快適そうだ。個人スペースが格段に広くなった。
15時8分にtake off。おっ、スリッパが提供された。サービスが改善されたな。
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10時間40分の航空旅行が始まった。
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15時30分、シャパンとチーズ。これは美味しくない。
16時30分に夕食が供された。白ワインとコーヒーが美味い。赤ワインはいまいち。
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メインはチキンカレー? これじゃエコノミーとたいして変わらん。
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このKLMのビジネスクラス、シートは良くなったが、正直言って以前のフライトよりも食事が格段に劣る。2014年はこんなのじゃなかった。改善してほしいなぁ。

18時に照明が夜モードに。日本時間午前1時か。

23時30分(6時)、朝モードに遷移。
新しいフルフラット・ベッド・シートの効果は抜群。少し眠ることができた。

アメニティケースも以前から改善された。これは使える。今回は睡眠時のメガネケースとさせてもらった。

6時30分、朝食はタマゴ料理か。やはりコーヒーが美味い。
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トラブル発生。朝のオレンジジュースのグラスが欠けていたのだ。唇に痛みを感じたが出血はしていない。
チーフパーサーに注意をお願いした。
(これは客室乗務員ではなく、地上クルーに責がある。)

KLM恒例のデルフト焼ハウスをゲット。中のリキュールは今度試そう。
というか、2014年にもらったハウスも開封していないな。

それにしても787-9は快適な機体だ。あとは航空会社の努力次第ってことかな。

日本の上空に到達した。
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8時30分、関西国際空港にランディング。今回も無事に戻ってこれた。

両替のために国際線出発4階へ。
お盆だけあって、北出国ゲートは恐ろしい行列だ。これは搭乗前セキュリティチェックの締め切り時刻に間に合わない人が出てくるぞ……阿鼻叫喚。

日本食が恋しくなり、天ざるそばを二度目の朝食とした。満腹だ。

初めてのポーランド、特にアウシュヴィッツは良かったです。
次はどこに行こうかな?

最後まで拙文にお付き合いくださり、Dziekuje Ci!

< koniec / the end >

長い世紀末が世界大戦によって終焉し、その後の大量機械生産とスピードという時代のセンスが求めた新しいスタイルが、アール・デコである。
本書はその魅力を歴史、新しい女性の活躍、都市生活の観点から探求する。

・20年代の同時性、スピーディーな共鳴(p12)と機械技術へのロマンティシズム(p25)。クライスラー・ビルの尖塔やカッサンドルのポスターに代表される幾何学的かつ人工的なイメージは、この時代の先端テクノロジーとアートの融合を示すものであり、現代へと続く記号化・複製化=グラフィック・デザインの萌芽・急成長がみられる。

・アール・ヌーヴォーとの対比が面白い。たとえばポスターは、立ち止まっての鑑賞を前提とした複雑なものから、自動車を運転しながらも、遠くから瞬時に目に入れられる力強いデザインへの変遷(p53)、機械と女性、観光、イメージ化など。

・外の世界へ出るようになった女性のライフスタイルは、モード雑誌や映画の普及により、そのイメージが世界的都市に同時代的に広まるようになったのも1920年代の特徴。パリの最新流行が「モダン生活」スタイルとして東京・大阪へ即座に伝えられるのは面白い。

・イン・スタイル(p140)、日常生活の風景からの発見(p163)、ロンドン・メイフェイア地区のブライト・ヤング・ピープル(p185)なども興味深い。

・個人的には、自動車(p210~)と腕時計(p267~)の記述に興味が持てた。この時代に懐中時計から腕時計に切り替わるのだな。

世界恐慌によって、よりシンプルさが多用されるなど、そのデザインは変質するものの、ひとつの時代精神を体現するスタイルとして、アール・デコの世界を楽しめた。

アール・デコの時代
著者:海野弘、中央公論新社・2005年4月発行
2016年12月19日読了

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愛車330eの化粧直し。フロントグリル(キドニーグリル)とホイールナットをBMW i performance partsに替えてみた。
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ホイールキャップを青色のものに交換し、iバッジを追加。充電ポートはまだ使ったことがない。
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キドニーグリルに青い色が入ったんだけど、わかりにくいな。
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ついでにボンネットフード内。アクセル・ブレーキ制御すらバイワイヤの時代、もはや僕みたいな素人には整備できないや。

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先天性聴覚障がいという衝撃は、小学生クラスにとって大きい。人と違うことへの興味と、排斥への変節。いじめの連鎖と、それが破壊するもの。時が癒してくれること。そして、取り返しのつかないこと……。
母親の"耳から引きちぎられたイヤリング"は、いじめ少年に社会の残酷な現実を突きつける。

京都アニメーションの映画『聲の形』を観てきた。主人公、石田将也(イシダショウヤ)と"転校せざるをえなかった"少女、西宮硝子(ニシミヤショウコ)の手話教室での再会は、5年分のわだかまりを思い出させる。嬉しさ半分、胸奥深いところの古傷もうずく。それでも、硝子は友達になることを受け入れた。

将也。ガキ大将転じて小6からの孤立。人を見ず聞かず友人もなく5年、硝子との再会が転機になれば……。
少しの勇気。仲間も8人に増え、中盤は幸せな高校生活が続く。西宮一家にも暖かなだんらんがある。
だが、二つの断絶は突然引き起こされるのだ。

ラスト前の花火のシーンは幸福に満ち満ちている。それが直後の悲劇の前触れであるにせよ。

愛想笑いが癖になった人生? 哀しいことだ。
人を見ず、話を聞かず、殻に閉じこもった人生? 打破すべきだ。

THE SHAPE OF VOICE――。その意味が込められたラストシーンをスクリーンいっぱいに目の当たりにしたとき、思わず目頭が熱くなった。

http://koenokatachi-movie.com/

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2016年8月11日(木) アウシュヴィッツ強制収容所跡に立つ。

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膨大な犠牲の上に「人道に対する罪」の法概念が生まれ、いまに活かされているのだ。


最悪。寝坊で8時に起床、朝食抜きだ。天候は曇り。
ホテル前の商店でパン、紅茶、水を買い込む。17PLN。

ポーランド観光最終日は「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所・現地日本語ツアー」に参加するのだ。

ホテル前で待つこと10分、8時50分にロビーからツアーガイドが出てきた。行き違いでしたか。
このポーランド人女性ツアーガイド、日本語がすごく達者で本当に驚いた。

この現地ツアーは実に当たりだった。お奨めです。
http://www.veltra.com/jp/europe/poland/krakow/a/132630
アウシュヴィッツ強制収容所 日本語アシスタントがしっかり解説!日帰り見学ツアー<日本語/少人数制/クラクフ発>

8時42分にミニバスは出発。ツアー参加者は7名、全員が日本人。

アウシュヴィッツまで70km、約1時間かかる。失敬して車内で朝食のパンをいただくことにした。

残念、雨が降ってきた。

ガイドから説明。
このツアーでは「アウシュヴィッツ強制収容所1号」を2時間、「アウシュヴィッツ強制収容所2号」(=ビルケナウ強制収容所)を1時間かけて見学する。
そして荷物だ。持ち込めるバッグはA4サイズまでとは厳しいな。
で、こんな重要なこと、地球の歩き方(2014年度版)のどこにも書いていないぞ。

10時10分に「アウシュヴィッツ強制収容所1号」に到着した。
多数のバス、ミニバス、乗用車が停まっている。チケット売り場も入場ゲートもすごい行列になっているが、われわれツアー参加者は待ち時間ゼロで入場できた。これが現地ツアーの利点だと知る。
セキュリティチェック&荷物サイズチェック。個人参加の外国人が数人、荷物制限(A4サイズ)に引っかかっていた。
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■アウシュヴィッツ強制収容所

有名な「働けば自由になる」のゲート
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人道に対する罪。その象徴的かつ露骨な組織的大量殺人現場となったここ、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所には一度来たいと思っていた。

ガイドはナチスではなく「ドイツの犯罪」であることを主張していた。まったくその通り。
イスラエル軍の集団が軍服で闊歩していたのには、まぁ納得か。(写真は自粛)

ガイドツアーでは4号棟~7号棟(ユダヤ人収監、殲滅犯罪の証拠、生活・衛生状況)、11号棟(裁判所・銃殺場)の内部を見学し、あまり広くない敷地を巡り、焼却炉を見ることとなった。
5PLNで購入した日本語パンフより見取り図を拝借。
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ガイドの説明によると、このアウシュヴィッツ1号は、最初は純粋にポーランド人の反体制派を収監していたが、次にソ連人捕虜の収容を、次にヨーロッパ中のユダヤ人の収監を始めた。
1941年から1942年にかけて収監された1万人中、生存者は600人のみだったという。
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最終的に1945年までに130万人もの人々が収監されたという。うち110万人がユダヤ人、ポーランド人15万人、ジプシー2万3千人、1万5千人のソ連軍捕虜、と説明パネルにあった。

「移住」と騙されてアウシュヴィッツへ連れてこられる人々
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収監時の登録カードと顔写真。後半は効率良く刺青に変更された。
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収容者はまず財産をすべて没収され、髪を刈られる。その量、実に7万トン。髪は綿に混ぜられて布製品となる。
大量の髪(主に女性の)が展示されていたが、遺族の感情を考慮して撮影禁止とされていた。
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没収された私有財産の一部。生活用品の多さが悲しい。
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強制労働の日々。看守は囚人から選抜された者たちだ。彼らは自身が生きるために仲間を虐待する。
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女性も子供も囚人だ。労働量は成人男子と変わらず、バタバタと死んでいったという。
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双子は人体研究・実験の対象。使い捨て。
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食料は一日当たり1,500キロカロリー。カロリーだけが目的なので、小麦ではなく木粉などがスープに混ぜられたという。
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終戦まで生き残った女性。75kgから25 kgに。
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1944年に囚人が撮影した「焼かれる」女性の写真
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銃殺場。裁判は一人当たり1分。ほぼ全て死刑判決&即時執行
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看守への叛逆者には公開処刑場が待っている。
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脱走者は900人、うち230人が成功したという。
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いちおう病院もあり。その目的は病原を患者に移し、その進行の過程を研究するためのもの。治療は行われない。
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ガス室と焼却場。生涯をこんな場所で残酷に終わらされる、その無念、怨み、悲嘆が冷たい壁から伝わってくるよう。南無。
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12時50分にアウシュヴィッツ1号を出る。入場ゲートは夏のルーヴル美術館を思わせる恐ろしい行列。2時間待ちか? ツアーに参加して良かったと思う。
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バスで移動すること10分、ビルケナウ強制収容所跡(アウシュビッツ強制収容所2号)に到着。
ここは最初からユダヤ人を収監・殲滅する目的で設営されたという。
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効率よくユダヤ人を運んできた鉄道貨車。
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鉄道の引き込まれた「死の門」、政府に反対したドイツ人もここで処刑された。
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1棟に300人が収監された。ベッド(といえるのか?)は3段、トイレは1日2回のみ。
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焼却炉。地下はガス室だ。
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■膨大な犠牲の上に「人道に対する罪」の法概念が誕生し、われわれの世界に活かされている。

1947年、元所長のルドルフ・ヘスは敷地内で処刑された。アウシュヴィッツ強制収容所跡に、絞殺現場が保管されている。
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併設されたカフェレストランで遅い昼食を摂り、14時45分にビルケナウ収容所跡を後にした。
16時10分、旧市街地の外れでバスを降りた。雨は上がったな。



人類の負の世界遺産の姿、しかとこの目に焼き付けたぞ。


続きます。

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ヴィエリチカ岩塩抗の地底湖

2016年8月10日(水) 世界最初の世界遺産、ヴィエリチカ岩塩抗へ潜るのだ

7時40分起床、雨。また朝食を摂りすぎた

今回は現地ツアーに参加する。9時10分に集合場所のホテルのロビーへ。
車でピックアップされるはずなのに雨の中を市街の外れまで歩かされて不満だ。
そして最終的に「バスで近傍のホテルまで送迎」はウソだと判明する。

ここに明記しておこう。
ヴィエリチカ岩塩坑 半日観光ツアー<午前・午後/クラクフ発>
http://www.veltra.com/jp/europe/poland/krakow/a/16603

総勢50名、バスは9時32分に出発。
ところで昨日とうって変わって今日は寒い……8月なのに外気温12℃しかないのか……。

不満はあるが、ツアーに参加して良かったと思う。この雨の中では15km離れたヴィエリチカ岩塩抗まで自力で行く気は失せる。
現地ツアーは便利だと思う。

高速道路に入る。いやぁ、ポーランド人の運転は荒いなぁ。車間距離は開けないし、道路の合流地点では減速せずに突っ込むし。
バスとトラックの抜かし合いなんて神経に良くない。

10時10分にヴィエリチカ岩塩抗の入場ゲートへ。ここもすごい行列だ。
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セキュリティチェックを超えて入場できたのは、なんと60分後だ。

■Wieliczka Salt Mineヴィエリチカ岩塩抗

ここは世界最初の世界遺産(1978年)の一つ。なんと1250年頃から運用され、聖人像やシャデリアなど、すべて岩塩を用いて工夫が制作したというから驚く。

まずエレベータで一気に二百メートルまで潜る。
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16世紀以前の抗はまだ浅い位置にあり、彫像に当時の服装が表れていて興味深い。
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当然ながら初期のリフトは人力によるもので、稼働の大変さがわかる。18世紀頃から馬が導入されたみたいだ。
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壁には塩の結晶が噴き出ている。
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坑道で働く抗夫、牛馬等の、これは人形だろうが、岩塩採掘の様子が再現されている。
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苦役の合間に、抗夫の制作した彫像、主に聖人だが、見事な出来栄えだ。
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縦坑をどんどん降りる。近世~近代になって、動力は機械化される。
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排水に注力するのはどの抗穴も同じようで、その様子も再現されている。
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観光の目玉、SAINT KINGA'S CHAPEL 聖キンガ礼拝堂は、思ったより普通だった。確かに規模は大きく、すべて岩塩でできているのはスゴイが。
マリアの彫像など素人の手によるものとは思えない。
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地底湖のある広大な空間が気に入った。
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20世紀に入ると電動車が導入され、労働の様子も変化が窺える。
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待たされた分、その価値は十二分にあると思う。確かに世界遺産だ。
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13時30分にバスに戻る。14時になってやっと動き出した。何をやってるんだか。

それにしても午前中のツアーで良かった。ヴィエリチカ岩塩抗への道路は大渋滞となり、どの車も苛立っているように見える。
あいにくの雨だったが地下は関係ないし。

で、ツアーの最期はホテル前ではなく、市街地の周縁でほぼ全員が降ろされた。なんなんだ。
雨の中をホテルへ戻り、少し休憩。

■クラクフ散策ふたたび

17時に再出発。今度は中央広場と逆方向へ向かう。

フロリアンスカ門。旧市街地の城壁の名残。
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バルバカン。ワルシャワのより小さいな。
あれ? 中へ入れないぞ。これはない。
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観光地から少し外れ、駅前に巨大ショッピングモールがある。地元民ばっかりだ。本屋で英語が通じなかった。
本屋で雑誌を買い、袋を要求したら3PLNも取られた。
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夜はフロリアンスカ門のすぐ近くのレストラン「Jama Michalika ヤマ・ミハリカ」でfolkor Pokazフォークロア・ショーを鑑賞した。後述(その7)。

店のお嬢さんとポルカを踊るは楽し。幸せ気分で続きます。

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聖マリア教会・ヴィット・ストウオシ聖壇


2016年8月9日(火) クラクフ市街散策の日

8時20分起床、快晴
クラクフの朝。Grand Hotelの朝食バイキングの質は高い。これなら満足だ。腹八分目を心掛けないとね。
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フロント(コンシェルジェはいない)で翌日夜のフォークロア・ショーを予約してもらった。

遅くなった。11時に出発。聖マリア教会まで徒歩5分だ。

■St.Mary's Basilica 聖マリア教会

入場は11時30分から。向かい側のチケット売り場へ。
タワー入場&カメラ持ち込み料金を含めて25PLNも取られた。

そしてタワー入場時刻は16時30分ときた。予約表を見せてもらうと、他の時間はいっぱいだ……。
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11時30分、いよいよ入場。
正面奥の聖壇が物々しいが、まだ扉の閉められた状態だとは知らなかった。
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10分ほどして、重々しいオルガンの音が流れたと思うと、なんと、聖壇の扉が左右に開いた。
この儀式は絶対に見るべき!
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う~ん。15世紀に作られた木彫りのヴィット・ストウオシ聖壇に圧倒された。さすが世界遺産にして国宝。合格。
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キリスト教の知識があればもっと楽しめたんだろうな。
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退場するのがもったいなくて、13時30分まで滞在した。


■The Wawel Royal Cathedral ヴァヴェル大聖堂

中央広場から歩くこと30分、ヴァヴェル城に到着した。が、旧王宮のチケット売り場は行列だ。
30分も並んだのに「本日分はsold out」という悲しいお知らせが……。
仕方がないので、隣のヴァヴェル大聖堂へ。すんなりと入れた。12PLN。
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ここは代々の国王の墓所だそうで、写真撮影禁止だ。
ポーランドの守護聖人の聖遺物が大々的に祀られている。

カソリックの人は床に手指の先をつけて神とやらへの敬意を表するんだな。合掌みたいなもんか。

尖塔(ジグムントの塔)からは町の様子が良く見える。
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ジグムントの塔頂にあるポーランド最大の鐘。1520年に鋳造されたものだそうで。
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で、尖塔を下りる階段の途中に別の鐘がある。表面をよく見ると……。
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こんなファニーなデザインを残して、処刑されなかったのかな?
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Wawel Cathedral Museumへも入館。
歴代の教皇やヨハネ・パウロ2世に関する展示が多く、カソリックの世界に浸ることができた。
しかし、教皇ってすごい権力者なんだな。

■14世紀の繁華街、中央広場へ

16時40分、聖マリア教会の尖塔へ。
よい眺望だ。15PLNの価値は十分にある。

ルネッサンス様式な織物取引所
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ヴァヴェル城が見える。
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旧市庁舎の塔
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フロリアンスカ門だ。
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17時頃になると、ラッパ吹きが演奏を始めた。モンゴル兵の襲来を告げたラッパ吹きが矢を受けて絶命した故事に倣い、演奏は途中で終わる。
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雨が降ってきたみたいだ。

織物会館は全館が土産物屋となっている。迷いに迷い、モダンなデザインの琥珀のネックレス、ポーランド風のテーブル敷などを土産に購入した。
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カフェでビールをすきっ腹に入れる。美味い。

ホテルでの夕食は20時30分からと遅くなった。
名物のローストダックは絶品だ!
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料理は最高だが給仕はいまひとつ。Bristolと比べてはいけないか。
でも五つ星ホテルなんだから、もっと気を配った接客を心掛けるべきだ。

続きます。

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1980年レーニン造船所のレフ・ワレサ氏が率いる「連帯」。東欧革命はここから始まった。


2016年8月8日(月) 晴 ポーランド三日目

なんと、二日酔いだ。頭が痛い、胸もムカムカと気持ち悪い。
で、クロワッサンと紅茶とオレンジJとフルーツ少し。この朝食を食べたのがいけなかった。
部屋へ戻ったとたんにanythingを思い切り吐いてしまい、ジュニア・スイート・ルームの高級絨毯が……大失敗。
バスタオルでふきふき……。

チェックアウトを終えて、さぁ出発!
(いちおう、エマージェンシー係を呼び出し、フロントでも説明・了解を得たんです。いまのところ請求はありません。さすがワルシャワを代表する超一流ホテル。)

■グダンスク行

ホテルでタクシーを呼んでもらい、ワルシャワ中央駅へ。20PLN。
さて、9時20分発グダンスク(グダニスク)行きの列車番号はEIP4503とある。
僕のチケットはEIP4502だ。どうするか?

乗ってしまえ。
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こうして不安要素を抱えつつ、2時間50分の鉄道旅行が始まった。
1stクラスは1号車、座席番号24は通路側だ。隣席は不在なので楽だ。
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出発10分後に検札係がやってくる。チケットを見せると「問題ない」とのこと。
詳細を質すと、どうやら、WEBシステム上の誤り(4503→4502)らしい。う~ん、アバウトだなぁ。

1stクラスの特典として簡素な朝食が出た。最初はコーヒー又は紅茶。紅茶を選ぶ。セカンドドリンク? 水にした。
ティーカップにお湯だけサーブされて、ティーパックは自分で入れるのがポーランド流か。
白い円筒状のものは……? おしぼりか。

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えらく時間がたってからクロワッサンが出てきた。美味い。
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ところで、ヨーロッパでは特急に犬を連れて乗せるのが許されるのか。他の客も当然視しているし、子供たちに大人気だ。(写真忘れた。)

東欧の車窓を愉しむ、といってもどこまでも変わらない平坦な光景。「平原」という意味を持つポーランドの国名を実感する。
広大な農場、巨大な風力発電機、ポツリ、ポツリと民家。

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10時38分にDzialdowo駅に到着。フランスTGVなどもそうだが、アナウンスなしですぐに出発するのは危ないなぁ。
今度は森の中を走るのか。
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おや、ケータイがつながらないぞ。

11時48分にMalbork駅着。次だぞ。
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ここでやっとローミング接続できた。

予定より6分遅れの12時14分にGdansk Glownyグダンスク中央駅に到着。少し寒い。
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スーツケースを地下の荷物預け所へ。11PLN。

地上では幹線道路の向こう側に渡ることができない。地下通路を使って北側へ抜ける。
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通常はここから旧市街を目指すのだが、僕はグダンスクへやってきた唯一の目的=旧レーニン造船所を目指すのだ。

■The Solidarity  連帯!

13時にグダンスク造船所=旧レーニン造船所に到着した。
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バルト海沿いの街、Gdanskグダンスク(グダニスク)。旧ドイツ領ダンツィヒ。1980年代東欧民主化の口火を切ったレフ・ワレサ氏の率いる「連帯」の舞台=旧レーニン造船所をこの目で見たい!  それだけの目的でワルシャワから3時間かけて来たのだ。

造船所そのものは規模を縮小して操業中。
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「連帯」記念碑。後ろにEuropean Solidarity Centre。
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立派なEuropean Solidarity Centre Gdanskを見学する。
1980年8月のストライキからから「連帯」が始まり、1981年からの軍事戒厳令、1983年のノーベル賞、1986年の政府との円卓会議、民主選挙を経て、ついに1989東欧革命へ……。
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The Power of Powerless, At war with the people などの標語が気に入った。

「ストライキ、21カ条の要求」
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前法王と並ぶポーランドのヒーロー、レフ・ワレサ(ヴァレンサ)氏。
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1980年は米ソの冷戦真っ只中。ポーランドの「反乱」への西側世界の興奮ぶりが伝わってくる。
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ソ連の介入。恐ろしや。
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戒厳令の跡
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地下活動、円卓会議を経て、東欧初の民主選挙へ。
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そして共産主義帝国の崩壊へ。
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展示は旧メディアとテクノロジーにより工夫され、気が付くと2時間もいた。合格!
「ワレさサん、あなたは幸せだ」で始まる著書「ワレサ自伝」を読んだときの興奮が蘇ってきたぞ。
(労働組合出身の元大統領。空港名もLech Walesaだ。)

博物館はかくあるべし。実に満足だ!

■グダンスク旧市街

クラクフ行き飛行機チェックインまで残り3時間。旧市街を散策することにした。
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ここもワルシャワやクラクフに負けない1,000年以上の歴史を誇る中世都市で、14世紀にハンザ同盟都市として栄えたという。
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大武器庫。中は現代美術展示センターとなっていた。つまらん。
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黄金の門。奥に市庁舎を覗く。
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市庁舎。1379年の起工らしい
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日時計はいいな。
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ドゥーギ広場のネプチューンの噴水
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運河に出る。
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街を挙げて「聖ドミニク・フェアー」を開催しているらしく、露店が実に多く賑わっている。
これは木製クレーン
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グダンスク観光はこれにておしまい。
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■クラクフへ移動します。

グダンスク中央駅に徒歩で戻る。トイレは有料、3PLN。

荷物を受け取り、タクシーで空港へ向かう。約15分で65PLN(チップ込み80PLN)。

18時20分にグダンスク・レフ・ワレサ空港へ到着。
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夕食はハンバーガー。
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19時50分にboarding開始。DHC-8 400型機への搭乗は初めてだ。窓側席なので足元がバスより狭い! 隣のヨーロッパ人はでかい! 
まぁプロペラの前なのでワクワクして良いか。
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20時20分に離陸、ターボプロップ・エンジン音が心地良い。
機内では水と簡素なスナックしか提供されなかった。
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21時12分にlanding、機体の衝撃と振動がスゴイ。
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無事に荷物を確保し、2階へ移動。鉄道経由でクラクフ中央駅へ向かうのだ。
切符はホームの自動券売機で購入するのだが、手順が実に面倒だった。1枚の切符を買うのに3分を要するなんて、非効率的なこと極まりない。8.59PLNもした。

21時47分にKrakow Lotniskoクラクフ空港駅を出発し、22時8分にKrakow Glownyクラクフ中央駅へ到着。
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駅構内の案内が非常にわかりにくい。観光都市なのにこれはない。
タクシー(20PLN)でホテルへ向かう。夜は街灯が少ないので、一人歩きは危険そうだ。

Grand Hotel、ここは1886年創業のクラクフ発の五つ星ホテルだそうな。美女のフロント係員が日本語を話すので驚いた。少したどたどしいが、十分会話できるレベルだ。
で、広めのダブル・ルームに案内してもらえたのは良いが……バスタブがないぞ。他の2部屋をみせてもらったが、狭くてグレード落ちの部屋だ。最初の部屋で妥協した。

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翌日はクラクフ散策。続きます。

ポーランド旅行一日目、ワルシャワの続きです。

■スターリンの贈りもの、文化科学宮殿
新世界通りを西へ折れて、イェロゾムスキェ通り(舌噛みそう)を進むと、あぁ、見えてきた。
社会主義国時代のワルシャワのシンボル、Palac Kultury i Nauki文化科学宮殿だ。
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1956年に完成した37階建て・234メートルの周囲の景観無視のアール・デコ建築、スターリン様式」とも呼ばれる壮観な高層「ビルヂング」だ。
実は、この威圧感が僕は好きです。
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展望台「Teras Widokow XXX-TKA」へ。チケット売り場も入場場所もポーランド語表記のみ。ひどいんじゃないか!
並んでいる人に英語で訊くまで、どこに並べばよいかもわからなかった。インフォメーション係はスマホの画面に見入っているし。

不満を押し殺しつつ、入場料20PLNを支払う。15時40分に並びはじめ、展望台に着いたのは16時20分だ。う~ん。
エレベータ入り口には各国の「こんにちは」表記が。その割にエレベータガール(といっても50代)に愛想はなかった。
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まぁ、景観に免じることにしようか。たいしたものではないが。
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17時に地上へ降りる。

■ワルシャワ中央駅

文化科学宮殿から近いので、明日の下見を兼ねて中央駅を見ることにした。
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Odjazdy = departure
peron = platform
tor = track
か。少し勉強になったかも。

駅前ビル。なんとも形容しがたい建物だな。
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こちらのほうがワルシャワらしい(?)
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で、明日の9時20分発グダンスク行きEIP4503だが、僕の切符じゃEIP4502となっている。大丈夫なんだろうな?

■ショパン

歩いて歩いて、やっとワジェンスキー公園のショパン像の前にたどり着いたのが18時42分。足が痛いぞ。
周囲の花壇は満開の花。人も多い。ほとんどが地元民かも、日曜日だし。
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何故レーガン氏の像が?
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で、市街中央部への戻りはトラムを利用することにした。
自動券売機(英語表記あり)で切符を買い(4,4PLN)、ひたすら4番を待つ。
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楽ちんだ。

ホテルに一番近い(といっても1キロはある)停車場「Swietokrzyska」で降車し、ふたたび歩く。
メトロの入り口は、キチンと「M」のカタチなんだな。
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■無名戦士の墓

サスキ公園に着いたみたいだ。
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公園の正面入口には、無名戦士の墓が造営され、2人の儀仗兵が不動で護っている。
失礼して写真撮影させてもらい、そのまま去ろうとしたら……なにやらものものしい兵隊と観光客の群れがやってきたぞ。
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そうか! 儀仗兵の交代儀式か!
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無念のうちに命を落とした兵士諸君に捧ぐ。南無。
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ここからでも文化科学宮殿は良く見える。
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で、サスキの正面にわがホテル・ブリストルがあったのか。はじめて知った。
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時刻は20時50分。とりあえず部屋でポーランド産ビールだ。
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夕食はポーランドスープと肉とケーキ。満腹です。
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ワルシャワ観光はこれにて終了。
ポーランドはチーズケーキ発祥の地とされている。本当かなぁと思いつつ、続きます。

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