男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2016年12月

19世紀中葉から20世紀初頭まで花開いたミュージック・ホール。娯楽の殿堂としての栄枯盛衰を多彩なエピソードを交えて解説するとともに、そのメディア媒体としての大きな特徴、すなわち国民の大多数を占める労働者階級と"世界中の帝国臣民"に"帝国意識"を根付かせる過程を考察する。
・ミュージック・ホールを端的に表すと「短い演じ物をたくさんパックしたヴァラエティを酒とともに楽しませる」(p354)場所となる。

産業革命の精華と帝国主義的発展による経済的余裕は下層民にも行き渡り、フランス、ドイツのような政治革命はイギリスには起こらなかった。庶民の目は娯楽へと向く。19世紀後半、労働者の生活環境レベルは向上し、1930年代のような悲惨な情景こそ撲滅されないまでも、週末の余暇を楽しむ余裕が生まれた。
・イギリス労働者は、革命よりもミュージック・ホールを選んだ(p193)。
・工場で働く女性にとっても、ミュージック・ホール通いは"アフターファイブの最大の楽しみ"となった。
・上層中間階級と熟練労働者に挟まれ、階級階層的危機意識を持った下層中間階級も、気晴らしのために足しげくミュージック・ホールへ通う。
・18世紀のパブの片隅から発展し、飲酒と唄を売り物にしてきたミュージック・ホールも、レスペクタビリティを求めるヴィクトリア朝の軛から逃れられない。労働者の嗜好とミュージック・ホールの許認可権限を有する中産階級の価値観とのバランス取りに経営者は苦悩する。

ライオン・ソング、都会の"洒落者"を唄う1870年代から、ジンゴ・ソングの1890年代へ。グラス片手にロシアをけなし、イギリス愛国主義を語るは、さぞ気持ちよかっただろう。
・ミュージック・ホールの演しものこそ、政治演説よりも集会よりも労働者に反ロシア感情をあおる効果があった(p211)。
・「バイ、ジンゴ!」コーラスに加わることによる仲間意識は、歌詞と酒と場の雰囲気によって、一気に愛国的な感情へと変わる。政治もジンゴイズムを利用し、お国意識を吹聴する。それは、ナショナリズムへの昇華となる。
・ジンゴイズムは強烈な仲間意識を持つ一方、犠牲者を必要とする。すなわち仲間に加わらない自国の「臆病者」は徹底的にけなした。
・ミュージック・ホールにおける大英帝国。イギリスに住む自分たちが植民地を保護し、それを植民地もありがたがっているという解釈こそ、彼らのすべてであった(p248)。
・大英帝国の絆。イギリスの危機に際してはインドなどの植民地連合体が必ず駆けつけてくれるというおめでたい意識(p246)。どこか、現在の日米同盟をなんとなくあてにする日本人の姿に重なってみえる。

だがジンゴイズムの威勢の良さ=虚勢は、実際にボーア戦争が始まると一気に終息する。徴兵制の始まり「臆病者は隠れていろ」などの勇ましい歌詞は、徴兵逃れの嘆願の唄に変わる。帝国防衛戦争が彼らの目に触れない遠い出来事であるからこそ、煽ることができた(p326)――昨今の日本の一部の雑誌でも喧しい、ジンゴイズムの本質がここに表れる。

・個人的には、ラドヤード・キップリングの慧眼、すなわちミュージック・ホールの帝国に果たす役割を見抜く下りが嬉しい(p234)。
・ダイヤモンド・ジュビリーの行進の様子がp259に詳しい。さぞ壮観だったんだろうな。

帝国意識とは"お国意識"の拡大版であって、国際性とは異なるものである。ゆえに20世紀に入ると、イギリス的かつ大英帝国的性格を有するミュージックホールは、ハリウッド発の国際的娯楽、すなわち、映画に駆逐されてゆく。その姿は普遍的かつ、運命的だったといえよう。

大英帝国はミュージック・ホールから
著者:井野瀬久美惠、朝日新聞社・1990年2月発行
2016年12月7日読了

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久しぶりに東欧を訪れたくなり、ポーランド6泊8日の男子ひとり旅を敢行した。

旅のテーマは次の三つだ。
■西欧と異なる古都クラクフと20世紀レーニン主義の混じるワルシャワを観て楽しむ。
■レフ・ワレサ氏の率いる「連帯」の舞台=旧レーニン造船所をこの目で見て、1980年代の東欧改革を想う。
■人道に対する罪の現場、アウシュヴィッツに立ち、「負の世界遺産」の姿をこの目に焼き付ける。

これが記念すべき(?)20回目の海外旅行となった。


【参考データ】
往路便
 2016年8月6日 関西空港10時25分発KL868便、アムステルダム行き
 2016年8月6日 スキポール空港20時20分発KL1369便、ワルシャワ行き
移動便
 2016年8月8日 ワルシャ中央駅9時20分発、グダンスク中央駅行き高速鉄道EIP4502
 2016年8月8日 グダンスク・レフ・ワレサ空港20時20分発LO3501便、クラクフ行き
復路便
 2016年8月12日 ヨハネ・パウロ2世・クラクフ・バリツェ空港6時35分発KL1992便、アムステルダム行き
 2016年8月12日 スキポール空港14時40分発KL867便、関西空港行き

ワルシャワ宿泊先:Hotel Bristol(2泊)
クラクフ宿泊先:Grand Hotel(4泊)

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ワルシャワ 王宮広場

■2016年8月6日(土) ワルシャワ行

朝7時にJR三ノ宮駅に到着。関西空港行きバス乗り場は混雑しており、7時10分の便に乗車できなかった。
次の7時20分の便で出発。バスチケット売り場はすごい行列ができている。

バス内で8月11日のアウシュヴィッツ現地ツアーを申し込んだ。スマホ&ネット様々だな。
9,600円もしたが、これの「実に価値のある」ことが、当日に証明される。

8時20分に空港へ到着。チェックイン後、これまでの旅行の反省点を考慮し、AIU海外旅行保険を申し込んだ。死亡5千万円で10,780円なり。
両替は80,467円を2,540PLN(ズロチ)へ。まだユーロじゃないんだ。

9時5分に出国後、スカイマイルのゴールドメダリオン特典を利用して関空ラウンジで朝食を摂る。白ワインと寿司、サーモンのマリネ、ミニそうめん、デザートを馳走になる。

10時5分にボーディング開始。エコノミーコンフォートの一番前の窓側(10K)にした。
あれ? 足を延ばせなくなってるぞ!
新鋭航空機787-9だから期待したのに、やはりビジネスクラスのようにはいかないか。
でも隣2席は空席だ。やった!

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10時40分に離陸、11時間11分の空の旅が始まった。
ああ、またメガネケースを忘れてきた。

初搭乗のBoeing 787-9 Dreamlinerは、窓の電子ブラインドが新鮮。
ボタン操作によって、段階的にグレースクリーンになるのだ。明度の調整もできる。
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787型機のエコノミーコンフォート、777型機よりリクライニング角が大きくなったようで、これは良い。
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ACコンセントも各席に装備され、スマホ充電が可能だ。

上空から神戸空港、明石海峡大橋をを見下ろす。
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ハイネケンも美味い。

12時に昼食。チキンのソースが良い。赤ワインもまぁまぁ。
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なんてことだ。この10Kのモニタはタッチパネル式なのは良いが、ヒンジがバカになって固定されない。ダメだ。

クラシック&ジャズを聴く。
イヤホンジャックは従来の3穴式から普通のミニプラグ変更された。つまり航空会社の用意するちゃちなイヤホンじゃなく、いつものマイ・イヤホン(ヘッドホン)がつかえるってことだ。

16時20分、アイスモナカが出た。
機内ではひたすら音楽を聴く。ドヴォルザークは良いが、坂本真綾はもっと良い。

20時(つまり13時)に昼食が出る。ピラフだ。白ワインとの相性も良し。
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やっとヨーロッパ上空に到達。デンマーク上空でえらく揺れた。
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そうこうしてるうちにオランダ上空だ。いまごろ眠くなってきた。

14時55分にランディング。787型機の翼はよく揺れたが、これはしなやかな強さの証明ってことなのかな。

15時50分、オランダの地でポーランド入国手続きが完了。シェンゲン協定って便利だな。
次の便まで4時間弱。KLMビジネスラウンジで時間を潰す。
8月10日のヴィエリチカ岩塩抗の現地ツアーを申し込んだ。4,049円。良いだろう。

ワインと簡単な夕食を摂りつつ、地球の歩き方でワルシャワの予習だ。

20時になっても外は昼間のように明るい。
小型機の737に搭乗。さすがに内部は狭いな。エコノミー席は満席。
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20時40分に出発。中村文則「銃」は面白く、テンポ良く読み進められる。

22時6分、ワルシャワ・ショパン空港へ到着。ラゲッジが出てきたのはなんと40分後だ。遅い!

ペットボトルの水を買う。3.99PLN(ズウォティ)って約105円か。

ワルシャワの空港は小さい。23時になると窓口も結構閉まっている。
あれ、頼みのELEタクシーの窓口も閉まっている……。

わざわざ「白タクには乗らないようにしましょう」と大きな標語が掲げられていて、「空港公認タクシー」がキチンと待機していた。結局、その中のELEタクシーに乗車できた。良し。

約20分でホテルに到着した。料金は65PLNだったがチップを含めて80PLN(約2,100円)を渡した。

Hotel Bristol、ここは文化遺産にも登録されている由緒正しいクラシック・ホテルだ。ヨーロッパに来たらこういうところに泊まらないとね。

で、エクゼクティブ・ルームが満室らしく、ジュニア・スイート・ルームにしてくれた。眺望のない部屋だけど、まぁいいや。
リビング・ルームとベッド・ルーム。廊下を挟んで部屋が二つもあるぞ。
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広すぎる部屋で、ひとり明日以降の計画を練る……。

■2016年8月7日(日) 世界遺産の街、ワルシャワ 王宮広場

8時10分起床。快晴じゃないか!

コンシェルジェに相談するも、今日は日曜なのでどこもフォークロア・ショーを上演しないらしい。クラクフで鑑賞することにしよう。

ここの朝食ビュッフェはイングリッシュ・ブレックファーストで、内容が非常に充実していた。
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遅くなった。10時45分にお散歩開始。
宿泊したホテル・ブリストルの隣は、なんと、大統領官邸なのだ。
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クラクフ郊外通りを北上する。

アダム・ミツキエヴィッチ像
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聖アンナ教会
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日曜日だからか、自転車レースのイベントが大々的に行われていた。観光客にしてみればジャマなんですけど。
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歩くこと約10分、王宮広場に到達。午前中だからか人は少ない。
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ジグムント3世の碑
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旧王宮
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旧市街を北へ進むと、洗礼者ヨハネ大聖堂が見えてくる。
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1791年にヨーロッパ最初の成文憲法「5月3日憲法」の宣言式がここで行われたそうな。


■ワルシャワの歴史 旧市街広場

飲食店と土産物屋で埋め尽くされているが、ここが300年以上の歴史を誇る旧市街広場だ。
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中央には人魚像が鎮座する。当たり前だけど、トップレスなんだな。
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路地へ入ると、こんな感じ。
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北のはずれは新市街。新といっても18世紀のことらしいが。
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観光コースから外れてしまった。城壁の北から旧市街へ戻る。
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市街を護る円形の砦、バルバカン。
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旧市街を一通り歩いたので、王宮広場に戻ります。
馬車が良い雰囲気を醸し出しているなぁ。

■旧王宮

日曜日は旧王宮の入場料がタダらしい。最初は嬉しく思ったが、やはり入場制限がかかっているようで長蛇の列だった。
13時におとなしく並ぶ。15分ほどで入場できた。

ここは当たり。Jan Matejkoによる「Rejtan ― the Fall of Poland」1772年ポーランド分割・消滅の日の絵画が印象に残った。
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あとは王宮らしい調度品の数々。
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まさか、ワルシャワでレンブラントを見ることができるとは!
Rembrandt van Rijn「Girl in Picture Frame("The Jewish Bride")」(1641年)って、まんまやないか。
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この絵画のポストカードも購入。なんと1PLN(26円)だ。

それでは次。クラクフ郊外通り~新世界通りを南下しようか。
ヨーロッパらしい街並みが続く。
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ワルシャワ大学
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ポーランドの英雄、コペルニクス像
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カチンの森事件=旧ソ連軍によるポーランド人将校の大虐殺に抗議するは、ポーランド軍女性兵士かな?
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パリ・ロンドン・ベルリンと異なるワルシャワの表情を垣間みたところで、続きます。

30歳のフランス人、ジャン=パスパルトゥー氏は腰を抜かすほど驚いただろう。なにしろロンドンの屋敷に雇用された日の夜に、世界一周旅行に随伴するよう、それもいますぐ出発することを、新しい主人のフォッグ卿より告げられたのだから。
80日以内に世界を一周をして戻ってこられるか? フォッグ卿が仲間と賭けた金額は実に2万ポンド、現代の邦貨にして、なんと4億円を超える。

・文明の利器の象徴である蒸気船、蒸気鉄道に加え、インド帝国、新興国アメリカ、エキゾティズム漂うアジア、日本を題材に大いに冒険心をくすぐる場面が展開される。
・ボンベイ、ベレナス、カルカッタ。象の背に乗ってのインド亜大陸横断、寡婦の火刑にされるサティーの現場からのアウーダ夫人の救出劇、狂信的な坊主との対峙など、読みどころが多い。
・香港のアヘン窟の罠。パスパルトゥーの失敗。出航に間に合わない事態に遭遇しても「なぁに、ちょっとした事故です」(p189)とフォッグ卿の言ってのけるシーンは気に入った。
・大嵐を乗り越えて上海に着き、サン・フランシス汽船で横浜に立ち寄る一行。横浜ではパスパルトゥー扮する天狗のパフォーマンスが披露されるが、まだ日本は蛮国扱いなんだな(p231挿絵)。
・北米大陸の大横断。モルモン教、鉄道を横切る1万2千頭のバッファローの群、襲い掛かるインディアンとの死闘、雪中の捕虜救出劇を経て、ニューヨークへ。また大西洋汽船は出航した後だった。この危機を乗り越える手腕も、超人フォッグ卿の魅力の一つだ。
・電気時計(p27)、携帯用印刷機(p283)など、当時の意外な先進技術に驚かされたりもする。

賭けの結果はどうだったのか。勝負よりも、その過程で得たものにこそ、人は誇りを持つべきなのだ。
1873年の作品だが、現代でも十分に通用するダイナミックな冒険活劇の傑作。19世紀の欧州人を熱狂させたのも納得だ。

LE TOUR DU MONDE EN QUATRE-VINGTS JOURS
八十日間世界一周
著者:Jules Verne、田辺貞之助(訳)、東京創元社・1976年3月発行
2016年12月1日読了

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