神戸元町、三ノ宮、ポートタワー、映画館、王子公園、神鉄有馬温泉駅、国鉄舞子駅、ラジオ関西、平清盛……。
現在も刊行されている神港ジャーナル社(≒神戸市)発行の月刊誌KOBEグーの連載を加筆修正して纏めたもの。
戦前~昭和40年代の神戸の写真満載。
・昭和に入って移設された「新」三ノ宮駅周辺が急激に発展し、神戸駅周辺から繁華街の地位を受け継ぐ様子がよくわかる。
・大丸神戸店は昭和2年に、そごう神戸店は昭和8年に開業か。
・旧国鉄、阪神、阪急の大阪~神戸間スピード競争も面白い。
・昭和5年観艦式記念海港博覧会が、兵庫区の中央卸売市場の南、兵庫突堤埋立地で開催されたとある。観たかったな。
・JR元町駅って、地元民の請願駅だったのか。
・朝霧駅、西舞子駅、霞ヶ丘駅など、駅名の決まるまでの過程も興味深い。
けっこう鉄道マニアのバイアスがかかっているが、1トピック見開き2ページで景観の変遷、名所、通りや駅名などの名称の由来が解説され、地元民にとっても楽しい一冊となている。
神戸街角今昔
著者:兼先勤、神戸新聞総合出版センター・2013年11月発行
2017年1月25日読了
2017年01月
月下上海 山口恵似子 [読書記]
戦前の上海。繁栄を謳歌する1942年から敗戦の混乱に窮する1947年までの国際都市を舞台に、ミッドウェーで大惨敗を喫し、敗戦へと転がる日本と日本人の悲運を予感しつつ、それでも日常を歩もうとする強い女性、八島多江子の姿と邂逅する男たちの姿が描かれる。
上海租界のモダニズムに重ねられた、哀哭の運命を直視するひとよ。
・なんといっても上海の描写が素晴らしい。まるで当時を旅した気分にさせてくれる。
・人気画家として、当時の最新ファッションを身にまとい、才気あふれる活発な多江子は実に魅力的だ。その秘めた過去でさえ自ら活用し、運命を切り開いてゆくさまも、強さのあらわれだろう。
・槙の冷徹の裏に秘めた情熱も良いが、夏のようにスケールの大きな人物は男からみても良い。瑠偉は論外。
・「明日確実なことなどなきに等しい。だから、時間を無駄にしたくないんです」(p181)は的を得ている。
・気になった点がひとつ。上海入港直後に、岸に上海を案内される場面で「アール・デコ建築…」のセリフがあるが、当時からこの呼び方が一般的だったのだろうか。
人生的スケールの大きな物語は読んで心地よい。終盤、生と死にまつわる多江子の考えの変遷が披露されるエピソードも、「最期」を迎える槙の心情も、心に染み入った。
月下上海
著者:山口恵似子、文芸春秋・2013年6月発行
2017年1月17日読了
夜行 森見登美彦 [読書記]
まず、ゆうこ氏による装画が良い。夜に浮かび上がる女性と夜行列車――。カバーを外すと、おっと思わせる装丁もなかなか。本を持つ喜びを実感させてくれる。
鞍馬、天狗、神隠し。尾道の高台と海、津軽の雪景色と炎、奥飛騨。朝と夜。魔境――。これらの題材が見事にハーモニーを奏でる。
・どこまでも夜をさまよい、この世界の広大さを知ること。
・「ボンヤリ生きていたら……」(p114)には共感。
・個人的には第四夜『天竜峡』が気に入った。
章を追って、連作『夜行』を遺した岸田氏の謎が明かされてゆく。
第四夜まではどこまでも謎を秘め、多様な解釈が可能だ『ゴドーを待ちながら』のように、自己投影が物語をかたちづくる作品。そして最終夜の喜びへ――。
森見ワールドの奥深さを知った次第。
夜行
著者:森見登美彦、小学館・2016年10月発行
2017年1月10日読了
帝国日本の生活空間 ジョルダン・サンド [読書記]
第二次世界大戦前の世界システムを構成する大日本帝国。その植民地帝国のなかで宗主国、日本はどのように視られていたのか。
本書は、衣食住と人の振る舞い、都市生活、日常生活に染み渡るイデオロギーといった側面から、帝国主義の文化的構造を探求する。
・帝国の近代化とグローバルな近代化との明白な違い(p16,249,268)。インドや朝鮮の近代化が、決して彼らのために行われたものでないことがわかってくる。
・グルタミン酸ナトリウム「味の素」(第2章)とハワイ・沖縄の豚(終章)が、大日本帝国とアメリカ帝国の邂逅を経て太平洋地域全体に拡まる軌跡は、本書のテーマの理解を深めてくれる。
・旧来の文明ヒエラルキーから新しい物質帝国主義への変遷。大日本帝国崩壊後に、日本の草履=ハワイ語のクレオール英語surippahを起源とする「ゴム草履」がハワイから西海岸、そして全世界へ普及する過程では、戦後の米兵の果たした役割が考察される(p266)。
第4章第2節の「文化生活と帝国秩序」の記述は興味深い。
・帝国の意味。内地の日本人にとってのそれは、世界文明の本性的な拡大の一部であり(p154)、文明化を確認する手段の一つでもあった。
・超越的な世界文化から、天皇制ファシズム国家に変わる新たな国民文化として、文化の意味は戦後に大きく変わる(p183)。
東京を東アジアの新しい政治・軍事・経済の中心である「帝都」と位置づける試みとして、内外の臣民の修学旅行、植民地住民代表の観光旅行が取り上げられる(第6章)。
・欧米人の「外客」に対し、植民地原住民の来日は、それまで啓蒙・教化を意味する「観光」と位置づけられていた。観光という熟語が現在の意味として定着するのは1902年より後、1909年頃だそうな(p234)。
新自由主義による途上国の搾取、貧困地域へ押しつけられる環境汚染、移民問題で表面化した民族ヒエラルキーなど、新しく残酷な事実の積み重ねられる現在、世界構造システムを考察する上で、帝国主義時代の非対称な出会いがもたらした諸問題、その断片を垣間見たことで、「強者の論理」の連綿たるつながりを再確認させてくれた。
帝国日本の生活空間
著者:Jordan Sand、天内大樹(訳)、岩波書店・2015年10月発行
2017年1月3日読了