男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

2017年04月

その昔、毎日新聞社の週間エコノミスト2008年5月13日号の記事「学者が斬る 南部スーダンの復興に学ぶ」を興味深く読んだ。ダルフール問題とは別に、2001年に長い内戦を抜けて包括平和に至った南スーダンの復興の様子がレポートされ、日本をはじめ国連加盟国による復興援助とPKO活動が行われる地で、世界中どこでもガメツク商売する中国人だけでなく、ウガンダとケニアの商売人のエネルギッシュな姿が書かれていた。漠然と「隣国だから」と思ったが、かつての「大英帝国仲間」であることを知り、目から鱗が落ちた。

さて、大英帝国に関する歴史書はあまた存在するが、本書は、現代の先進工業国に住む我々の顕在的、かつ、潜在的な「帝国意識」に焦点を当てる。

・帝国と帝国主義に関する明確な定義はありがたい。「帝国とは、広大な支配領域のなかに多様な民族集団などを含み、しばしばその支配圏を拡大しようとする政治体である」(p10)「帝国体制が、国民国家という新たな形をとってきた複数の『中心』によって同時に推進されて世界を覆うという帝国主義の時代を経て、現代の世界は生まれてきたのである」(p19)

・イラク戦争後に盛り上がったアメリカ帝国論に関する著者の立場は明快だ(p25,28)。現代世界に帝国の概念は当てはまらない。アメリカは帝国に非ず、それはグローバルな世界強国であり、他の国民国家の対外政策に影響を及ぼし得る唯一のヘゲモニー国家である。

・帝国意識とは何か。それは肌の色に代表される「民族・人種差別意識」、他国支配を当然視する「大国主義的ナショナリズム」を軸とするものであり、帝国を意識することで「イギリス人意識」を強めていったといえよう(p55)。「民族・人種差別意識」は第二次世界大戦を経て弛緩したとはいえ、1997年の世論調査においても30%ものイギリス人の若者が「白人と他人種は平等ではない」との意識を抱いていることには驚愕させられた(p69)。そして帝国の変節であるコモンウェルスの盟主であり続けるイギリスにとって、2016年の「EU脱退」投票の結果は当然のことであったのかもしれない。「大国主義的ナショナリズム」は健在なり。
・日本の場合も対アジアに関して同様であるとともに、「一等国」の地位を経てナショナル・アイデンティティを強化していったことがわかる。そして帝国主義時代のイギリスの「帝国教育」が、現代日本の「愛国教育」に通底するものがあるように思えてならない(p66)。
・王室の安定と国民の帝国意識の拡大とがともに支えあう構図(p82)。それは1887年のゴールデン・ジュビリー、1897年のダイヤモンド・ジュビリーの時代に最高潮を迎える。帝国主義を鼓舞する新聞『デイリー・メール』の記事は、イギリス大衆の優越感に心地よく響いたことだろう(p90)。

・本書ではしばしば、英国のインド統治と日本の朝鮮統治が比較される。インド独立時の識字率はなんと15%、就学児童の割合は35%でしかなかったのに対し、1944年の朝鮮の就学児童の割合は71%(p125)。インド人少数エリートの育成に力を入れた英帝国と、初等教育に力点を置いた日本帝國の差異はあれど、いずれも、植民地支配体制に順化させてゆく手段であった。
・英帝国と日本帝國の支配は民族自決の認識が高揚する1930年代が分水嶺となる。英連邦の発足に対し、日本は皇民化政策を推し進める。そして第一次世界大戦後、帝国主義体制の解体に向かう流れ(p169)に反し、日本は帝国の拡大に邁進する。そして敗戦によって、最終的に大日本帝国の解体を迎える。
・この強制的な大日本帝国の解体は、英仏が体験した「脱植民地化の苦しみの過程」を経ることなく、日本を現代世界の一構成国となした。日本における帝国意識は潜在的に保持され、これが帝国主義世界から現代世界への変化に対する「歴史認識の欠如」の要因であることが指摘される(p188,225)。

「帝国主義への自己批判の眼」(p226)
本書で示すところの帝国意識の類とは一線を画する、健全なナショナリズムとは何か。その答えを見つけ出さない限り、第三世界諸国との真のパートナーシップを得て、近隣諸国との歴史的な和解には至らないと思い知らされた次第。


イギリス帝国と帝国主義 比較と関係の視座
著者:木畑洋一、有志舎・2008年4月発行
2008年5月25日読了、2017年4月18日再読了

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1930年、世界見聞旅行に出発した今和次郎の珍しい旅行記。現地で調達した絵葉書を新婚3年目の細君に投函したとあるが、その数、10か月間になんと370枚。その通信文と絵葉書を掲載した本書からは著者の生の声が聞こえてくるようで、実に感慨深い1冊となっている。イラストも満載。

・昔の上海、香港の様子は現在とずいぶん違っていたとわかる。

・パリの豪華絢爛さに目を奪われ、ルーブル美術館へ毎日のように通い、カフェで道行く人を観察する。これは現代も変わらぬ贅沢かつ有意義な時間の遣い方だろう。1937年に壊されたトロカデロ宮の絵はがきは貴重だな(p43)。パリの公園を賛美。毛虫が少ないとも(p53)。

・ロンドンでは劇場を賞美。『ハムレット』と『十二夜』を観たとある。セント・ポール寺院は十数年にわたる大修理が行われ、1930年6月25日から一般公開されたばかりとある(p58)。ウエストミンスター寺院にはあまり良くない印象を抱いたようだ。ウインザー城の観光客の描写も面白い。何十年か前のスタイルのおばさんたちって……(p61)。

・ライカを手に入れたベルリンでは男女の姿を観察。英仏に比べて装飾少なく、腕を出して歩くなど合理的だと断を下している。断髪女性の影響を受けてか男の頭髪が奇異であること、「頂上にトンボがとまったかのように」残してバリカンで刈ってしまい、それを丁寧に分けるという(p86)。いわゆるモヒカン刈りか

・下宿の鍵の比較が面白い。イギリスでは簡単な鍵1本を持ち歩き、フランスでは部屋の鍵1本を門番に預けると。ドイツでは鍵束を渡され、ドア1枚に4つの鍵穴。小さな子供まで鍵束を持ち歩く様子にドイツ人の性格が現われていると(p88)。

・中央公園の比較が面白い。「英国の公園が徒に草地なのに対して、独逸のはいたずらに森です。フランスのはいたずらに花園です」(p92)

・ベルリンの舞台と映画。アメリカものと違って最後は悲劇になるのが「独逸的」だそうで、現実離れした「どこまでも理想主義的な哲学を背負込んでいるらしいのです」との感想を漏らす(p95)。

・プラハ。芸術的なカレル橋を評して「月夜の晩のさまよい歩き」には、きっと大変な効果だろうと想像しました、か。わかる気がする(p100)。

・信州や甲州を超える「スイスの美しい景色」(p131)に酔う。これは僕も体験したのでわかる。うまく文章に残せることができればよいのだが。

・チューリッヒに滞在する日本人は、なんと5人のみ。機械工学を専攻する彼らとの昼食で、この地は長期滞在に向かない「きちんとしすぎた都市」であると知らされる(p132)。

・イタリーの客車を牽引するは蒸気機関車ではなく、当時は「石炭汽罐車」と呼んでいたんだな。電気機関車と架線路が普及していたとわかる(p144)。

・中南欧を旅してのパリへの帰路。イタリー国境からパリ行き急行に乗車するも、途中で各駅停車に変わる。乗り換えれば良いものをタイミングを逸し、そのまま余分な数時間をかけてのんびりとパリに戻る(p147)。旅情があって良い。

・「ニューヨークのビルディング街を一人で散歩してみたら、エジプトのピラミッド以来の壮大さです」(p150)。早稲田の留学生が非常に多いとのことだが、いまでもそうなのだろうか。欧州と違って「至るところ、日本めしあり支那めしあり、日本人ありで不自由がありません」(p151)は、長かった欧州旅行の帰路にしてみれば、嬉しかったことだろうと思う。

・ワシントンD.C.のホテルの部屋の見取り図が面白い。欧州のクラシックホテルと違って何もかも機能的にできていることがわかる。オートマト(コインを入れて好みの飲食物を取り出す)のイラストも面白い(p153)。

・欧州旅行も長くなると心情も変化するのだ。「此の頃は西欧人の方が普通に見えて、日本人の顔を見ると、妙に恐ろしい表情に見えます。西欧の子供は、日本人や支那人を見るとこわがると云いますが、尤もな事だと体験するようになりました」とあるが(p98)、僕も似たような経験があるのでわかるぞ。


ナチズム、ファシズムの勃興し始めた戦間期の時代と、ボーイング777がひっきりなしに世界中の空を覆い尽くす現代とでは違いがあるだろうが、いたずらに高みを求めるでなく、地に足の着いた視点でのフィールドワークの楽しさは変わらない。本書を一読し、好奇心を忘れずに旅をしたいとあらためて思うようになった。

今和次郎見聞野帖 絵葉書通信 欧州紳士淑女以外
編者:荻原正三、柏書房・1990年12月発行
2017年4月18日読了

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移動する密室空間である豪華寝台列車、ブルートレインで引き起こされた殺人事件に、エルキュール・ポアロの頭脳が谺する。
戦間期の英米関係を象徴するイギリス貴族とアメリカ富豪の娘の結婚とその性格、世界一のルビー、ギリシャのユダヤ人商人、サヴォイ・ホテル、ホテル・リッツ、社交界、ニース、モンテカルロのカジノ、ピカデリー街のトーマス・クック&サンズ旅行社、豪華国際寝台列車の食堂車など、時代を象徴する華やかな舞台装置の数々と流れるようなストーリー。濃厚なボルドー・ワインを味わうような時間を楽しめた。

・食事、仕事、娯楽。イギリス人、アメリカ人、フランス人のそれぞれに対する異なりようが面白い。アメリカ的「すばやい行動」(p172)は魅力的ではあるが、フランス的人生の愉しみも捨てがたい。
・「鏡は真実を映しますが、人はそれぞれ違った場所に立って鏡をのぞいています」(p405)いいなぁ。
・何気ない第三者のひと言が、事件解決のヒントになる(p440)。注意力をいつも磨いておくことの重要さが伝わってくる。

ラスト近くのキャサリン・グレーとミス・ヴァイナーの会話が魅力的だ。フランス社交界を経験したことで、かえって英国の田舎にヴィクトリア時代的良心と安寧とを見出せた33歳のグレー嬢が、「彼」と遅咲きでも幸せな人生を送れることを願ってやまない。

THE MYSTERY OF THE BLUE TRAIN
青列車の秘密
著者:Agatha Christie、青木久惠(訳)、早川書房・2004年7月発行
2017年4月9日読了

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1920年代におけるパリ、ベルリン、モスクワ、ロンドンを扱った本書は、著者独自の空間への視線、特にアンダーグラウンドの面から都市を俯瞰する内容となっている。

・フランス第二帝政期のパリ・オスマン大通りが、1920年代になってやっと完成したとは知らなかった(p17)。

・ディアギレフのバレエ・リュス。彼らがパリを席巻した背景に、革命により故郷を追われた多数のロシア人亡命者が深く浸透させたロシア文化(レストラン、エンターテインメント)がある。そのパリの亡命ロシア人の身分はジュネーヴ、すなわち「国際連盟の発行したパスポート」によって保証されていたそうな(p42)。

・キャバレー、地下世界、デカダンス、ダダ。敗戦後の混乱とと狂乱物価に翻弄された1920年代のベルリンをを濃く特徴づける要素たちも興味深い(p120)。

・ティー・ダンシング、フォックス・トロットにタンゴ(p238)。ジャズを「かなりいろいろなものを含む、ジャジイなもの」とのしての解釈が、すなわち1920年代のジャズ・エイジである(p235)。

・豪華ホテル、国際豪華寝台列車、オーシャン・ライナー。グローバル化の進む1920年代、「エジプトのプリンスとパリジェンヌがロンドンのホテルで最高のフランス料理を食べ、最新のアメリカのジャズを聞きながら、東と西の、夫と妻の終わることのない葛藤を繰り広げているのだ」(p260)。実に面白い時代だったんだな。また、ホテルや汽車にステノグラファー(速記者)がいて、口述筆記させることが可能だったという(p262)。

「二〇年代はこんなふうに、馬鹿げているほど途方もないことが好きな時代であった」(p276)
温故知新。戦間期にあって現代都市生活の原型が形成されつつあった時代を振り返ることは、あらためて現代社会を観ることでもある。
本書に数多く示された文学・芸術作品とあいまって、都市と人、その関係を深く掘り下げる楽しみを知ることができた。

四都市物語 ヨーロッパ・一九二〇年代
著者:海野弘、冬樹社・1979年11月発行
2017年4月4日読了

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■2017年3月20日(月) 

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・文武廟にて

Time is Moneyなのに寝坊してしまった。
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インターコンチネンタル・グランド・スタンフォード香港。まぁ良いホテルだった。
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荷物をホテルに預けて香港散歩へ出発。
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タクシーで尖沙咀站へ。30HKD。
一昨日とは変えて、今回はメトロで香港島・中環へ向かう。旅の風情はないが早い。

ビクトリア・ロードを東へ、東へ。
今度は迷わずに「文武廟」へ到着。

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このお寺は、天井より吊り下げられた釣鐘状の渦巻き線香が有名なのだ。
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文武帝と関羽が祀られている。

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ん、何やら説明書きが置いてある。どうやら、釣鐘状の渦巻き線香を上げることができるみたいだ。
7日間燃え続ける細塔火しか上げられないみたいだが、トライしてみる。
願い事を日本語で書いて、掲げてもらって、火をつけてもらって、130HKDなり。やった!

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旅の終わりは、トラムに乗って、東方188商場へ。まだ12時前だから、ほとんどの店が閉まっている。。。
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地下鉄で尖沙咀站へ戻り、タクシーでホテルへ。トラベル・ケースをピックアップし、タクシでエアポートエクスプレス九龍站へ。60HKD。
エアポートエクスプレスはオクトパスも使えるんだな。
65分の乗車で12時50分に香港空港へ到着。

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13時20分にチェックイン。

2階のレストラン「美心 翆園」で昼食。
ビールに豚肉の皮? 牛肉料理? 何かのヌードル 結構、満腹になりました。382HKD。
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■帰国です
土産を買うのに時間がかかり、搭乗口まで早歩き!
15時にボーディングゲートへ、もう搭乗は最終段階。危ないなぁ。
B767-300は満席だし、隣席は大きな西洋人……困る……。

15時47分、出発!

■映画『この世界の片隅に』鑑賞
「みんなが笑うて暮らせればええのにね」
日常を楽しく暮らせる。それこそ最高の幸せってことか。
「お前だけは、この世界で最後まで普通で、まともでおってくれ」
「どこがどう良かったんか、うちにはさっぱり分からん」
実に良かったぞ!

19時55分に関西国際空港に到着。
23時に無事に帰宅すると、姪っ子が第一志望校に合格したという嬉しいニュースが。

幸先良いところで、弾丸旅行は終了です。
最後まで拙文にお付き合いくださり、唔該!

< 結束 >

■2017年3月19日(日) マカオへ

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・聖ポール天主堂跡

7時45分にタクシーでチャイナ・フェリーターミナル 中港客運埠頭へ。チップ込み40HKD。
ここ九龍・尖沙咀からマカオへと向かうフェリーの唯一の乗り場には、乗船券売り場、出入国審査場、セキュリティゲートが備えられ、そう広くないエリアだが、香港の"国境"といえよう。

フェリーの二等チケットは往復で400HKD。8時30分のマカオ行きだ。このとき、戻りの時間を適当に22時としてしまったために、チケット変更代金をとられるハメとなった。

スムーズに出国し、8時10分にパースへ到着、発着場の椅子に座っておとなしく待つ。
個人、団体の日本人も結構いるなぁ。

8時30分に乗船。座席は26Rで、右の窓側だ。二等席だけど悪くないぞ。
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香港は今日も曇り。周りの中国人がすごくうるさい。
海は結構荒れている。霧で対岸は見えないな。
風邪は完治せず、まだ頭がズキズキする。
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1時間強の船旅は終わり、9時45分にマカオ入境。おや、雨じゃないか。

やむをえず、2階のコンビニ(というより雑貨店)で長傘を購入。50HKD。
マカオでの最初の買い物が傘とはなぁ。

マカオ側のフェリー乗り場はこんな感じ。
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さて、市街への交通をどうしようか。タクシーでも良いが、せっかくなのでマカオらしく、カジノホテルのシャトルバスに乗ることにした。その数、20台近くに上るが、市街にほど近いホテルグランド・リスボア・マカオのバスに乗車した。

雨足が強くなってきたぞ。観光そこそこにカジノとレストランに出向くか。

■人生初カジノ

で、地下のカジノ専用降車場へ。ここは有無を言わせずバスの乗客をカジノへ入場させる構造となっている。まぁ、そうなるわな……。
傘を預けて、人生初カジノといこう。

ルーレットは閉鎖中。スロットは興味なし。で他者のプレイを見物し、バカラが面白そうだったので、空きテーブルに着座。

無知とは恐ろしいもので、最低賭け金を知らずに着座してしまったのだ。

とりあえず200HKDをディーラーにわたすと、最低賭け金は500HKD(7,000円)とな?

結局、最初と次は勝って1,500HKDに増やし、負けて、負けて、また勝ってを繰り返し、最終的に2,000HKD(30,000円)の状態でゲームを終えることにした。
せこいけど、一回の取引額を500HKDに抑えたのが勝因だろうな。ただのビギナーズ・ラックかもしれないが。

バカラ、はまりそうで怖いぞ。
「フィニッシュ・ザ・ゲーム」の発音がなかなか通じないので、焦った。

カジノホテルの外観。ひたすら豪華さを求めるとこうなるんだな。
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では、観光と昼食だ。
少しセドナ広場を覗いて、近傍のレストラン「Solmer」へ。
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マカオビールは、少し甘口かな?
メインは迷いに迷って、日本語メニューに掲載されていた「ポルトガル・チキン、カレー風味」と「大えびのチリソース」にした。ポルトガル白ワインとの相性は……よくわかんないや。
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マンゴープリンも美味。地球の歩き方に掲載されていたためか、客の1/3が日本人だった。
610HKDなり。

■セナド広場
ヨーロッパの雰囲気が色濃く残る場所だ。
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で、一歩足を踏み込むと、こんな雑然とした街並みが現われる。これぞアジア的混沌か。
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よくわからないゴチャゴチャした道を歩き、急な坂を登り切ると、砦が現われる。

■モンテ砦
17世紀初頭に「イエスズ会」信者によって築かれた22門の大砲を持つ砦だそうで、いかに宗教勢力が武力的だったかがわかる。
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■マカオ博物館
入場料15HKD。
船、薬、絹。なるほど、東西の文化の交流はやはり興味深い。仏像とマリア像が併存するのも、このマカオならではか。

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当時の交易アジア地図。日本は地の果てか。
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ポルトガル人住居も面白い。
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14時に見学終わり。博物館のカフェでエッグタルトを試す。48HKDなり。
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■聖ポール天主堂跡
ここは絵になる。

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外壁に描かれた龍と漢字と横文字と……混沌。

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ここから見下ろすと、こんな感じ。
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アクシデント!
カメラのレンズカバーをポロリと落としてしまい、それがころころと、世界遺産の建物の溝の中へ……。申し訳ありません……。

適当に、足の向くままに散歩する。

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さて、もどろうか。15時53分に外港客運埠頭行き10系統バスに乗る。マカオコインがないので、10HKD紙幣で支払う。お釣りなしは仕方がない、
16時10分にフェリーターミナルに到着。
復路チケットを22時発から17時30分発に変更したら、料金30HKDを取られた。

で、早く出国しすぎたため、1時間近くを出国ロビーでたむろする羽目に陥った。失敗。
なんと、だだっぴろいロビーに椅子はなく、立つか、床に座るしかない。
嫌なので、平面エスカレータの端に座って待つこと50分、やっとチェックインできた。

17時30分に乗船、35分に出航。雨は小降りになったみたいだ。

船内でコーヒーを注文。25HKD。

皮財布の側面が破れて小銭がぽろぽろと落ちる。20年以上使用したから、そろそろ買い替えろってことかな。

18時38分、九龍・尖沙咀に到着。50分に入国(入境)。

尖沙咀站から地下鉄で油麻地站へ。
信和中心へ到着。この「ミニ秋葉原」ビルは、ごちゃごちゃして、香港らしさが溢れている。
日本のものが多くて感心したが、お目当ての香港雑誌・雑貨がなくてがっかりした。

女人街をうろうろ、日曜夜だけって賑やかだ。パフォーマンスも多し。
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地下鉄で尖沙咀站へ戻る。夕食は軽いものを、ということで点心にした。
えび餃子と牛肉玉、焼きそばで79HKD。ここはアルコールなしか。
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マカオは面白かった。香港の雑然とした側面も見られたし、良し。

続きます。

まがまがしい九龍城が失われて久しく、より洗練されたとは言え、香港にはまだ猥雑な雰囲気が残っているのではないか?
また、ポルトガル領として独特の文化を育んだマカオで、カジノも経験したい。
弾丸旅行にぴったりの三連休を利用して行ってきた。

旅のテーマは次の二つだ。
■香港の新旧入り混じった街のエネルギーを直に知る
■イギリス、ポルトガル統治の足跡を視る

【参考データ】
往路便
 2017年3月18日 関西国際空港10時20分発NH873便、香港行き
復路便
 2017年3月20日 香港國際機場15時25分発NH874便、関西国際空港行き

香港宿泊先:InterContinental Grand Stanford Hong Kong(海景嘉福洲際飯店:2泊)

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二階建てトラムが気に入った。


■2017年3月18日(土) 香港行

頭痛少々、風邪っぽいぞ。でも出発。
朝7時20分、JR三ノ宮駅より関西空港行きバスに乗車。
バス内トイレで頭をぶつけて、泣きっ面に蜂。気を付けないとね。
ガイドブックを読み、概ねの行き先を決めた。

8時30分に空港へ到着。早々にチェックインし、無事に通路側の座席を確保できた。
海外旅行保険は迷ったが、やはり加入した。5800円なり。

40,033円を2,450HKD(香港ドル)へ両替。レート非常に悪し。

9時12分に出国、カフェラテとケーキ2個で940円か。

10時10分にボーディング開始。まぁ、エコノミーシートらしい座席だ。
B767-300なんて、まだ運用されているんだな。
でも、2-4-2の座席配置なので、最新の787などに比べて通路に余裕がある。

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満席となって10時25分に離陸、主翼の真横の座席なので、景色がまるで見えないや。ビールでも飲もう。
11時30分に昼食が配膳される。グラタン+白ワインはまぁまぁか。

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時差1時間。13時38分に香港國際機場へ到着した。
で、入国審査の行列がすごい。どこの空港もそうだが、なんとかならないのか。

入国が15時10分になってしまった。

Kowloon九龍行きのエアポート・エクスプレス片道切符は90HKD、万能交通カードであるオクトパスカードは150HKD。
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それにしても暑い。Tシャツ1枚の人もいるくらいだ。

14時26分、エアポート・エクスプレスは機場站をスムーズに出発。50分に九龍站着。外気温20℃。暑いはずだ。
エアポート・エクスプレスはシャトルバスが付いてくる。九龍・尖沙咀行きの乗り場K3(Tsim Sha Tsui Mody Road行き)で待つこと15分、15時10分にやっと出発してくれた。ぼろいマイクロバスだが、タクシー利用を考えるとありがたいくらいだ。

香港の車って右ハンドルだったのか! 高層ビルの間を縫うように走る多数のダブルデッカー(二階建てバス)と相まって、イギリス統治の名残りを感じるな。
曇り空の中でもワクワクしてきたぞ。
高層ビルの上層部は、霧に隠れている。

高級車の多いこと。BMWやアウディのみならず、ポルシェが普通に走っているぞ。
セブンイレブンの多いことは心強いな。

6か所のホテルを経由して15時44分、ホテルに到着。長かった。チェックインしたら16時になってしまった。
デラックスルームからプレミアルームにアップグレードしてくれたらしいが、5階の眺めはいま一つ。いちおうハーバービューではあるが、この曇り空ではなぁ。

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■お散歩開始!

16時40分、観光に出発。Mody Rd.を西へ進み、Nathan Rd.ネイザンロードへ出る。

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いつか泊まりたいペニンシュラ。

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1898年に運行が開始されたスターフェリーに乗船し、向かいの香港島へ渡る。
代金はオクトパスカードで楽ちん支払い。

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10分弱の船旅は楽し。

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17時18分、Central 中環埠頭に到着。人の流れに飲まれて歩きだす。

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中環は香港島の繁華街だ。二階建てトラムとバスが気に入った。

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HSBC、香港上海銀行メインビル。赤化により影響力を失った上海と違って、ここ香港ではその金融・経済を牛耳る存在とされる。香港ドル紙幣もこの銀行の発行による。
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このライオンに触れると金運が舞い込むらしいが……。
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で、ここで気まぐれにトラムに乗る……。
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……景色の良いのに気を取られ、どこを走っているかわからなくなってしまった。とりあえず上環らしきところで降車した。

どこだ、ここ?
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結局、地下鉄「西營盤」站の近くだとわかる。Victoria Rd.皇后大道を西へ延々と歩くことにした。

古い商店と新しいカフェ・バーの入り混じったNohoノーホーを超えると、急に起伏の多い道になる。こんな坂道なのにブティックの多いこと。

やった。目的地、ピークトラム駅へ到着した。
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さぁ頂上へ、と思ったのも束の間、乗車待ちの恐ろしい行列を目の当たりにしてショゲる。タクシーで登ろうか? いや、ピークトラムに乗ること自体が目的なのだから、おとなしく並ぶことにした。

待つこと64分! やっと乗車できることとなった。
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停車場にはピークトラムの歴史や貴重そうな資料が多数展示されていたが、この行列では閲覧できない。別に展示館を作るべきだろう。

で、この1888年開業のピークトラム、予想を超える傾斜で登る、登る。
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これは良い! 思うのだが、明るい昼間に乗車してこそ、この感動をより味わえるのではないだろうか。

しかし……、しかし。
山頂に近づくにつれて霧が増し、濃霧となってイヤな予感が胸をよぎる。

10分足らずでヴィクトリア・ピークに到着。「香港の100万ドルの夜景を愉しめる」「言わずとしれた絶景スポット」らしいのだが……。

ピークタワーの屋上展望台へ。
Oh, foggy! 濃霧でまったく何も見えないぞ! 展望台料金48HKDがパァだ。ガックシ。

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濃霧はやがて霧雨となり、下りのピークトラムに並ぶ僕を濡らしてくれる……。
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下界から見上げる香港島は、うん、きれいだ。

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バスで中環埠頭へ。15HKD。
21時18分にスターフェリーに乗船し、九龍・尖沙咀へ向かう。オクトパスの残額がないので、トークンを購入。2.8HKD。
尖沙咀站でオクトパスをチャージ。100HKD単位なんだな。

セブンイレブンへ。内部は日本のそれとずいぶん異なるな。ロンドンの"なんでも売店"と日本のコンビニを足して割ったような雰囲気が感じられる。

夕食はホテルの広東料理店へ。青島ビール、蟹スープ、シーフードライスはともかく、肉料理が最高に美味だった。
お値段もそれなりに高価だが(737HKD)。

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コンビニで買った朝食(パンと紅茶)は74HKD。夕食の10分の1か。

カメラの充電器を忘れて来た。信じられん失態だが、予備バッテリーでなんとかしのごう。

明日はマカオだ。期待に胸を膨らませて就寝。

続きます。

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