男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

2017年07月

第一次世界大戦の最中、イギリスとドイツの間で繰り広げられる諜報戦の日常。主戦場は中立国スイス。
家族や思い人を巻き込み、同胞を敵国に売り、わずかばかりの報酬と満足感を得て、スパイは夜に何を想うのか。
作家であり、英国諜報機関に属するアシェンデンの目線で物語は進む。頭脳戦による命の喰らいあい。派手なスパイアクションを期待する人には不向き。

・スイスやドイツに放った複数のエージェントを統括するアシェンデンでさえ、本国の指令"R"からみれば、一つの手ごまでしかない。「裏切者」の章では、そのことが強く描かれる。
・「その背後で」~「英国大使」の章は秀逸だ。人生の岐路において、その選択は正しいものだったのか。後悔しない人生とは何か。「やりたいことをやって、あとは運に任せる生き方も悪くないと思うがね」(p317)平凡な言葉だが、若き日の恋愛の日々を想う、老大使の人生訓でもある。
・グレート・ウォーは総力戦。アシェンデンの決断ひとつで、多数の民間人を巻き込む爆破作戦が決行される。その重い決断を、コインの裏表にゆだねる弱さ。これもスパイの一面である(p357)。
・ラスト「ハリントンの洗濯」はロシア革命に直面した運命の日が描かれる。彼が命と引き換えに手にしたものを考えると、とてもシュールであり、人の愚かさがここに顕現する。

この作品にストーリーはないが、リアリティは抜群だ。著者がエージェント時代に実体験し、また見聞きしたであろう事物が一個の作品に収斂したものと考えるのが良いと思う。

ASHENDEN OR THE BRITISH AGENT
英国諜報員アシェンデン
著者:William Somerset Maugham、金原瑞人(訳)、新潮社・2017年7月発行
2017年7月23日読了

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本書は、特に戦間期に著された膨大な量の旅行記を「海洋文学」として捉え、欧州航路が形成した「心理的な世界像」をシンガポール、ペナン、コロンボ、スエズなど寄港地の順に評価するとともに、和辻哲郎の洋行が生み出した『風土』の意味づけが試みられる。また、欧州航路のオール・レッド・ルート、すなわち英国植民地の"赤"に色取られたアジア寄港地で和辻哲郎ら日本人の見たもの、あるいは見なかったものが論じられる。

・航空機による移動が一般化する以前、日本からの渡欧に際しては安価なシベリア鉄道経由、北米経由の東回り航路も選択肢とされたが、圧倒的に西回りの欧州航路が選ばれたという。この横浜を起点に神戸、上海、香港、シンガポール、ペナン、コロンボ、アデン、スエズ運河を経由して南仏マルセイユへと至る日本郵船の渡航ルートは、そもそもイギリスP&Oの東洋ルートの遡行に他ならず、上海を除くすべてのポイントがイギリスの支配下に置かれていたことには、あらためて驚愕させられた。(横浜や神戸の旧居留地ですら、ある意味、イギリス租界だったとも言える。)

・戦間期、日本発の欧州航路への道を拓いた日本郵船。「日本の延長」と言える自前の航路と船員を有するまでの過程は、想像もできない苦難の連続だったことがわかる。現代日本でも保険業やISO審査などの分野で存在を示すロイドは、明治の世から力をほしいままにしており、「制度」を運用する英国人の才には一目置かざるを得ない(p30)。

・「漱石の劣勢コンプレックス」についても「過度の使命感や、世紀末ロンドンという目的地の重圧」によるものではなく、西回り航路での渡欧が、欧米の慣習への違和感や疎外感を育んだという説明は面白い(p187)。もし東回り航路(米国経由)だったなら、文豪・夏目漱石は誕生していなかったのかもしれない。

・日本人の渡欧の目的の変化。幕末の遣欧使節団、明治初期の国家エリートの留学生の持つ使命感に比べ、1910年代の渡欧者は新聞社主催の海外観光ツアーや、与謝野寛「文明人の生活に親しむため」(p170)にみられるように、目的が多様化したことがわかる。1920年代の留学生の記録からも、日本と西欧の文明を相対化しては比較するなど、なるほど、余裕が生まれている。

「序章:欧州航路の文学」から「第6章:日本人のマルセイユ体験」まではスムーズに読み進められたのだが、「第7章:和辻哲郎『風土』成立の時空と欧州航路」は幾分、哲学的な記述が目立ち、自分には合わなかったみたいだ。


欧州航路の文化誌 寄港地を読み解く
編著者:橋本順光、鈴木禎宏、青弓社・2017年1月発行
2017年6月25日読了

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